武漢にて

杭州西湖(南薫造)

部隊は南京から長江(揚子江)沿いに行軍し、約1ヵ月かかって武漢(武昌、漢口)に着きました。
この辺りの制空権はすでに米空軍に握られていました。汽車や船による移動は危険で、航空機が活動できない夜間や悪天の日歩くしかなかったようです。

この絵葉書をもらった弟は4歳、母が読んで聞かせると「オヒゲノ一トウヘイサンガ ウスグライローソクノソバデ ヨイコヱデ ウタヲウタヒマシタ」のくだりで、何故かいつもベソをかいたそうです。

昭和15年生まれのこの弟は、父の記憶が全くありません。

この葉書の裏はトップページに使いました。
船艙内の演芸会を覗く(南薫造)

手紙の運命(枝法『敗北の道』より)
湖南から日本に向かう郵便は、兵隊さんに担がれたり川船に乗せられ、長沙郵便局に集められる。それから船で洞庭湖、揚子江を運ばれカーチスにやられなければ漢口に着く。次に鉄道で北京を経由し釜山へ送られ、関釜連絡船で下関に上陸する。
約3ヵ月かかったようです。

崑山(南薫造)

この3枚の絵葉書は、長い行軍の後集結した武漢で1944年6月頃発信されたものと推定されます。
南京にあった支那派遣軍総司令部も、やがて武漢に進出します。

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