故事「鶏肋」の由来
これは中国の歴史書『後漢書』出典の故事で、小説などでおなじみの『三国志』の中でも語られていますが……この「鶏肋」の話の中心となる人物がマイナーであるためあまり知られていません。中心となる人物というのは、私のまいだーりんの(過去から現在に至るまで数え切れないほどいる)一人である楊脩という人です。話の概略はこんな感じです。
219年、魏の曹操と、蜀の劉備が漢中(現在でも同じ地名ですね)の地をめぐって争っていました。なかなか思うように勝利を収めることのできない曹操は、引き上げれば蜀の笑いものにされるだろうし、漢中という土地にも未練がある。かといって対陣したところで確実に勝利できる見込みもなく、どうしたものかと思案していました。そんなある日、食事に出された鶏がらスープのニワトリさんのあばら骨を見て、曹操は思わず軍令を聞きに来た武将、夏侯惇に「鶏肋」と告げました。
夏侯惇は何の事だか分からずにいましたが、とにかく軍令が出されたからには従わなくてはならないと思い、皆に触れまわりました。もちろん皆も何の事だか分かりません。皆が不思議がっているときに、荷物をまとめて帰り支度を始めた人がいます。それがまいだーりん楊脩でした。夏侯惇は楊脩の所へ行き、なぜ帰り支度をしているのかを聞きました。
楊脩:「ニワトリさんのあばら骨には味はあるが、肉はない。ご主君はニワトリさんのあばら骨をもってこの漢中の地に例えられたのだ。だから帰り支度をしているのです、あわてたくないのでね。」(感じ悪い)
夏侯惇:「なるほど、さすがは先生!」
というわけで、全員引き上げの準備を始めました。その様子を見た曹操、夏侯惇を呼びなぜ引き上げの準備をしているのか問いただしました。楊脩が言ったことと聞いて、曹操大怒り。
もともとこの楊脩、頭は切れるが切れすぎるため、何かと曹操の本心の痛い所をついていました。そのため彼は主君の曹操に疎まれていました。ここ漢中から撤退しようかと考えていた曹操は、自分の気持ちを楊脩に見抜かれたことを恐ろしく思い、
曹操:「鶏肋とはそのような意味で申したのではない!この馬鹿者っ!!」
といって、これ幸いと楊脩を処刑しました。
それから曹操は、強がって劉備に決戦を挑みましたが見事に惨敗。しかも矢を射られ前歯2本を失ってしまいました。そのとき楊脩の言葉を思い出して、後悔し、彼のなきがらを手厚く葬らせた、ということです。
また「鶏肋」という言葉にはもう一つ意味があります。
後漢、三国時代の次の時代、晋代のことです。『晋書』「劉伶伝」からのお話。
晋代の頃に、世俗を避け清談をしていた竹林の七賢と呼ばれる方がいました。その一人の劉伶と言う人物、大の酒好きで、禁酒の誓いを立てるために用意したお供えの酒まで飲んでしまうほどの酒好きです。
そんな彼がいつものように酔っ払って街を歩いていたら、屈強そうな男とぶつかってしまいました。相手の男が怒って劉伶を殴ろうとしたとき、劉伶は
「待ってください、あなたのその頑丈な拳で殴られたら『鶏肋』のように頼りない体つきの私はひとたまりもありません」
と言った所、相手の男は大笑いして劉伶を殴るのを辞めたといいます。
このことから『鶏肋』とは「体が弱々しくて小さなこと」のたとえになったといいます。