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電通過労自殺事件

平成12年3月24日最高裁第2小法廷判決

電通青年社員自殺損害賠償訴訟上告審判決に対するコメント 弁護士 川人 博

電通自殺過労死事件 −日本型企業社会の病理と青年の死− 弁護士 藤本 正

電通青年社員自殺損害賠償訴訟・遺族側全面勝利和解の報告 弁護士 川人 博


最高裁判所平成10年(オ)第217号、第218号 損害賠償請求事件

平成12年3月24日最高裁第2小法廷判決

  • (注1)217号事件の上告人は株式会社電通、218号事件の上告人は被災者大嶋一郎さんのご両親です。

  • (注2)1審判決は判例時報1561号3頁、2審判決は判例タイムス990号86頁参照。

   主  文

一 平成一〇年(オ)第二一七号上告人の上告を棄却する。

二 原判決中平成一〇年(オ)第二一八号上告人らの敗訴部分を破棄し、右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。

三 第一項に関する上告費用は、平成一〇年(オ)第二一七号上告人の負担とす.る。

 

   理  由

第一 平成一〇年(オ)第二一七号上告代理人松嶋泰の上告理由及び同瀧川円珠の上告理由の第一ない第五について

一 本件において、大嶋一郎の相続人である平成一〇年(オ)第二一七号被上告人ら・同第二一八号上告人ら(以下、それぞれを「一審原告X1」のようにいい、右両名を併せて「一審原告ら」という。)は、平成一〇年(オ)第二一七号上告人・同第二一八号被上告人(以下「一審被告」という。)に対し、一郎の一審被告に対する民法七一五条に基づく損害賠償請求権を相続したとして、その支払を求めているところ、所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、首肯するに足りる。これによると、本件の事実関係の概要は、次のとおりである。

1 大嶋一郎は、昭和四一年一一月三〇日、一審原告らの長男として出生した。一郎は、健康で、スポーツが得意であり、その性格は、明朗快活、素直で、責任感があり、また、物事に取り組むに当たっては、粘り強く、いわゆる完ぺき主義の傾向もあった。平成二年から三年当時、一郎と一審原告らは同居しており、一審原告らはそれぞれ職を有していた。

2 一郎は、平成二年三月に明治学院大学法学部を卒業し、同年四月一日、一審被告の従業員として採用され、他の一七八名と共に入社した。採用の約二か月前に一郎に対して行われた健康診断においては、色覚異常があるとされたほかは、格別の問題の指摘はなかった。

3 新入社員研修を終え、一郎は、平成二年六月一七日、一審被告のラジオ局ラジオ推進部に配属された。同部の部長はAで、同部には一三名の従業員が所属し、.二つの班に分けられていた。一郎は、Bを班長とする班に属するものとされて、B外二名の従業員と共に、築地第七営業局及び入船第八営業局関係の業務を担当することとなった。

4 平成二年当時、一審被告の就業規則においては、休日は原則として毎週二回、労働時間は午前九時三〇分から午後五時三〇分までの間、休憩時間は正午から午後一.時までの間とされていた。そして、平成一〇年法律第一一二号による改正前の労働基準法三六条の規定に基づき一審被告と労働組合との間で締結された協定(以下「三六協定」という。)によって、各労働日における男子従業員のいわゆる残業時間の上限は、六時間三〇分とされ、平成二年七月から平成三年八月までの間の各月の合計残業時間の上限は、ラジオ推進部の場合、別紙の「月間上限時間」欄記載のとおりとされていた。

 ところで、一審被告においては、残業時間は各従業員が勤務状況報告表と題する文書によって申告することとされており、残業を行う場合には従業員は原則としてあらかじめ所属長の許可を得るべきものとされていたが、実際には、従業員は事後に所属長の承認を得るという状況となっていた。一審被告においては、従業員が長時間にわたり残業を行うことが恒常的に見られ、三六協定上の各労働日の残業時間又は各月の合計残業時間の上限を超える残業時間を申告する者も相当数存在して、労働組合との間の協議の席等において問題とされていた。さらに、残業時間につき従業員が現に行ったところよりも少なく申告することも常態化していた。一審被告は、このような状況を認識し、また、残業の特定の職場、特定の個人への偏りが問題であることも意識していた。一審被告は、午後一〇時から午前五時までの間に業務に従事した従業員について所定労働時間に対する例外的取扱いを認める制度を設けていたほか、午前零時以降に業務が終了した従業員で翌朝定時に出勤する者のために一審被告の費用で宿泊できるホテルの部屋を各労働日において五室確保していたが、一審被告による周知徹底の不足等のため、これらは、新入社員等には余り利用されていなかった。

5 一郎は、ラジオ推進部に配属された当初は、班長付きと称される立場にあって、日中はおおむねBと共に行動していた。その業務の主な内容は、企業に対してラジオ番組の提供主となるように企画書等を用いて勧誘することと、企業が宣伝のために主宰する行事等の企画立案及び実施をすることであった。一郎は、労働日において、午前八時ころまでに自宅を出て、午前九時ころまでに出勤し、執務室の整理など慣行上新入社員が行うべきものとされていた作業を行った後、日中は、ほとんど、勧誘先の企業や一審被告の他の部署、製作プロダクション等との連絡、打合せ等に忙殺され、午後七時ころに夕食を取った後に、企画書の起案や資料作り等を開始するという状況であった。一郎は、業務に意欲的で、積極的に仕事をし、上司や業務上の関係者から好意的に受け入れられていた。

6 平成二年七月から平成三年八月までの間に一郎が勤務状況報告表によって申告した残業時間の各月の合計は、別紙の「申告残業時間」欄に記載のとおりである。しかしながら、右申告に係る残業時間は、実際の残業時間よりも相当少なく、また、右各月において一郎が午前二時よりも後に退勤した回数は、別紙の「午前二時以降退勤」欄に記載のとおりであった(同欄の括弧内の数字は、右のうち終夜退勤しなかった回数である。)。一郎は、退勤するまでの間に、食事、仮眠、私事等を行うこともあったが、大半の時間をその業務の遂行に充てていた。

7 一郎は、ラジオ推進部に配属されてからしばらくの間は、出勤した当日中に帰宅していたが、平成二年八月ころから、翌日の午前一、二時ころに帰宅することが多くなった。同月二〇日付けのAの一郎に対する助言を記載した文書には、一郎の業務に対する姿勢や粘り強い性格を評価する記載と共に、今後は一定の時間内に仕事を仕上げることが重要である旨の記載があった。一方、一郎は、同年秋ころに一審被告に提出した文書において、自分の企画案が成功したときの喜びや、思っていた以上に仕事を任せてもらえるとの感想と共に、業務に関する不満の一つとして、慢性的に残業が深夜まであることを挙げていた。なお、同年秋に実施された一郎に対する健康診断の結果は、採用前に実施されたものの結果と同様であった。

8 一郎は、平成二年一一月末ころまでは、遅くとも出勤した翌日の午前四、五時ころには帰宅していたが、このころ以降、帰宅しない日や、一審原告X1が利用していた東京都港区内所在の事務所に泊まる日があるようになった。一審原告らは、一郎が過労のために健康を害するのではないかと心配するようになり、一審原告X1は、一郎に対し、有給休暇を取ることを勧めたが、一郎は、自分が休んでしまうと代わりの者がいない、かえって後で自分が苦しむことになる、休暇を取りたい旨を上司に言ったことがあるが、上司からは仕事は大丈夫なのかと言われており、取りにくいと答えて、これに応じなかった。

9 平成三年一月ころから、一郎は、業務の七割程度を単独で遂行するようになった。このころに一郎が一審被告に提出した文書には、業務の内容を大体把握することができて計画的な作業ができるようになった旨の記載のほか、今後の努力目標として効率的な作業や時間厳守等を挙げる記載や、担当業務の満足度に関して仕事の量はやや多いとする記載等があった。一郎の業務遂行に対する上司の評価は概して良好であり、Aらがこのころに作成した文書には、非常な努力家であり先輩の注意もよく聞く素直な性格であるなどと評価する記載があった。

10 Aは、平成三年三月ころ、Bに対し、一郎が社内で徹夜していることを指摘し、Bは、一郎に対し、帰宅してきちんと睡眠を取り、それで業務が終わらないのであれば翌朝早く出勤して行うようにと指導した。このころのAらの一郎についての評価は、採用後の期間を考慮するとよく健闘しているなどというものであった。平成二年度において一郎が取得することができるものとされていた有給休暇の日数は一〇日であったが、一郎が実際に取得したのは○・五日であった。

11 一郎の所属するラジオ推進部には、平成三年七月に至るまで、新入社員の補充はなかった。同月以降、一郎は、班から独立して業務を遂行することとなり、築地第七営業局関係の業務と入船第三営業局関係の業務の一部を担当し、入船第八営業局関係の業務の一部を補助するようになった。

 このころ、一郎は、出勤したまま帰宅しない日が多くなり、帰宅しても、翌日の午前六時三〇分ないし七時ころで、午前八時ころまでに再び自宅を出るという状況となった。一審原告X2は、栄養価の高い朝食を用意するなどして一郎の健康に配慮したほか、自宅から最寄りの駅まで自家用車で一郎を送ってその負担の軽減を図るなどしていた。これに対し、一審原告X1は、一郎と会う時間がほとんどない状態となった。一審原告らは、このころから、一郎の健康を心配して体調を崩し、不眠がちになるなどしていた。一方、一郎は、前述のような業務遂行とそれによる睡眠不足の結果、心身共に疲労困ぱいした状態になって、業務遂行中、元気がなく、暗い感じで、うつうつとし、顔色が悪く、目の焦点も定まっていないことがあるようになった。このころ、Bは、一郎の健康状態が悪いのではないかと気付いていた。

12 一郎は、平成三年八月一日から同月二三日までの間、同月三日から同月五日までの間に旅行に出かけたほかは、休日を含めてほぼ毎日出社した。一郎は、右旅行のため同月五日に有給休暇を取得したが、これは、平成三年度において初めてのものであった。一郎は、同月に入って、Bに対し、自分に自信がない、自分で何を話しているのか分からない、眠れないなどと言ったこともあった。

13 平成三年八月二三日、一郎は、午後六時ころにいったん帰宅し、午後一〇時ころに自宅を自家用車で出発して、翌日から取引先企業が長野県内で行うこととしていた行事の実施に当たるため、同県内にあるBの別荘に行った。この際、Bは、一郎の言動に異常があることに気付いた。一郎は翌二四日から同月二六日までの間、右行事の実施に当たり、その終了後の二六日午後五時ころ、行事の会場を自家用車で出発した。

14 一郎は平成三年八月二七日午前六時ころに帰宅し、弟に病院に行くなどと話し、午前九時ころには職場に電話で体調が悪いので会社を休むと告げたが、午前一〇時ころ自宅の風呂場において自殺(い死)していることが発見された。

15 うつ病は、抑うつ、制止等の症状から成る情動性精神障害であり、うつ状態は、主観面では気分の抑うつ、意欲低下等を、客観面ではうち沈んだ表情、自律神経症状等を特徴とする状態像である。うつ病にり患した者は、健康な者と比較して自殺を図ることが多く、うつ病が悪化し、又は軽快する際や、目標達成により急激に負担が軽減された状態の下で、自殺に及びやすいとされる。

 長期の慢性的疲労、睡眠不足、いわゆるストレス等によって、抑うつ状態が生じ、反応性うつ病にり患することがあるのは、神経医学界において広く知られている。もっとも、うつ病の発症には患者の有する内因と患者を取り巻く状況が相互に作用するということも、広く知られつつある。仕事熱心、凝り性、強い義務感等の傾向を有し、いわゆる執着気質とされる者は、うつ病親和性があるとされる。また、過度の心身の疲労状況の後に発症するうつ病の類型について、男性患者にあっては、病前性格として、まじめで、責任感が強すぎ、負けず嫌いであるが、感情を表さないで対人関係において敏感であることが多く、仕事の面においては内的にも外的にも能力を超えた目標を設定する傾向があるとされる。

 前記のとおり、一郎は、平成三年七月ころには心身共に疲労困ぱいした状態になっていたが、それが誘因となって、遅くとも同年八月上旬ころに、うつ病にり患した。そして、同月二七日、前記行事が終了し業務上の目標が一応達成されたことに伴って肩の荷が下りた心理状態になるとともに、再び従前と同様の長時間労働の日々が続くことをむなしく感じ、うつ病によるうつ状態が更に深まって、衝動的、突発的に自殺したと認められる。

二 以上の事実に基づいて、一審被告の民法七一五条に基づく損害賠償責任を肯定した原審の判断について検討する。

1 労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。労働基準法は、労働時間に関する制限を定め、労働安全衛生法六五条の三は、作業の内容等を特に限定することなく、同法所定の事業者は労働者の健康に配慮して労働者の従事する作業を適切に菅理するように努めるべき旨を定めているが、それは、右のような危険が発生するのを防止することをも目的とするものと解される。これらのことからすれば、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の右注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである。

2 一審被告のラジオ局ラジオ推進部に配属された後に一郎が従事した業務の内容は、主に、関係者との連絡、打合せ等と、企画書や資料等の起案、作成とから成っていたが、所定労働時間内は連絡、打合せ等の業務で占められ、所定労働時間の経過後にしか起案等を開始することができず、そのために長時間にわたる残業を行うことが常況となっていた。起案等の業務の遂行に関しては、時間の配分につき一郎にある程度の裁量の余地がなかったわけではないとみられるが、上司であるAらが一郎に対して業務遂行につき期限を遵守すべきことを強調していたとうかがわれることなどに照らすと、一郎は、業務を所定の期限までに完了させるべきものとする一般的、包括的な業務上の指揮又は命令の下に当該業務の遂行に当たっていたため、右のように継続的に長時間にわたる残業を行わざるを得ない状態になっていたものと解される。

 ところで、一審被告においては、かねて従業員が長時間にわたり残業を行う状況があることが問題とされており、また、従業員の申告に係る残業時間が必ずしも実情に沿うものではないことが認識されていたところ、Aらは、遅くとも平成三年三月ころには、一郎のした残業時間の申告が実情より相当に少ないものであり、一郎が業務遂行のために徹夜まですることもある状態にあることを認識しており、Bは、同年七月ころには、一郎の健康状態が悪化していることに気付いていたのである。それにもかかわらず、A及びBは、同年三月ころに、Aの指摘を受けたBが、一郎に対し、業務は所定の期限までに遂行すべきことを前提として、帰宅してきちんと睡眠を取り、それで業務が終わらないのであれば翌朝早く出勤して行うようになどと指導したのみで、一郎の業務の量等を適切に調整するための措置を採ることはなく、かえって、同年七月以降は、一郎の業務の負担は従前よりも増加することとなった。その結果、一郎は、心身共に疲労困ぱいした状態になり、それが誘因となって、遅くとも同年八月上旬ころにはうつ病にり患し、同月二七日、うつ病によるうつ状態が深まって、衝動的、突発的に自殺するに至ったというのである。原審は、右経過に加えて、うつ病の発症等に関する前記の知見を考慮し、一郎の業務の遂行とそのうつ病り患による自殺との間には相当因果関係があるとした上、一郎の上司であるA及びBには、一郎が垣常的に著しく長時間にわたり業務に従事していること及びその健康状態が悪化していることを認識しながら、その負担を軽減させるための措置を採らなかったことにつき過失があるとして、一審被告の民法七一五条に基づく損害賠償責任を肯定したものであって、その判断は正当として是認することができる。論旨は採用することができない。

 

第二 平成一〇年(オ)第二一七号上告代理人瀧川円珠の上告理由の第六及び平成一〇年(オ)第二一八号上告代理人藤本正の上告理由について

一 原審は、一審被告の賠償すべき額を決定するに当たり、民法七二二条二項の規定を適用又は類推適用して、弁護士費用以外の損害額のうち三割を減じた。しかしながら、右判断のうち次の各点は、是認することができない。

二 一郎の性格を理由とする減額について

1 原審は、一郎には、前記のようなうつ病親和性ないし病前性格があったところ、このような性格は、一般社会では美徳とされるものではあるが、結果として、一郎の業務を増やし、その処理を遅らせ、その遂行に関する時間配分を不適切なものとし、一郎の責任ではない業務の結果についても自分の責任ではないかと思い悩む状況を生じさせるなどの面があったことを否定できないのであって、前記性格及びこれに基づく一郎の業務遂行の態様等が、うつ病り患による自殺という損害の発生及び拡大に寄与しているというべきであるから、一審被告の賠償すべき額を決定するに当たり、民法七二二条二項の規定を類推適用し、これらを一郎の心因的要因としてしんしゃくすべきであると判断した。

2 身体に対する加害行為を原因とする被害者の損害賠償請求において、裁判所は、加書者の賠償すべき額を決定するに当たり、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、損害の発生又は拡大に寄与した被害者の性格等の心因的要因を一定の限度で斟酌することができる(最高裁昭和五九年(オ)第三三号同六三年四月二一日第一小法廷判決・民集四二巻四号二四三頁参照)。この趣旨は、労働者の業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求においても、基本的に同様に解すべきものである。しかしながら、企業等に雇用される労働者の性格が多様のものであることはいうまでもないところ、ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が業務の過重負担に起因して当該労働者に生じた損害の発生又は拡大に寄与したとしても、そのような事態は使用者として予想すべきものということができる。しかも、使用者又はこれに代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う者は、各労働者がその従事すべき業務に適するか否かを判断して、その配置先、遂行すべき業務の内容等を定めるのであり、その際に、各労働者の性格をも考慮することができるのである。したがって、労働者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因としてしんしゃくすることはできないというべきである。

 これを本件について見ると、一郎の性格は、一般の社会人の中にしばしば見られるものの一つであって、一郎の上司であるAらは、一郎の従事する業務との関係で、その性格を積極的に評価していたというのである。そうすると、一郎の性格は、同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものであったと認めることはできないから、一審被告の賠償すべき額を決定するに当たり、一郎の前記のような性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を斟酌することはできないというべきである。この点に関する原審の前記判断には、法令の解釈適用を誤った違法がある。

三 一審原告らの落ち度を理由とする減額について

1 原審は、一審原告らは、一郎の両親として一郎と同居し、一郎の勤務状況や生活状況をほぼ把握していたのであるから、一郎がうつ病にり患し自殺に至ることを予見することができ、また、一郎の右状況等を改善する措置を採り得たことは明らかであるのに、具体的措置を採らなかったとして、これを一審被告の賠償すべき額を決定するに当たりしんしゃくすべきであると判断した。

2 しかしながら、一郎の前記損害は、業務の負担が過重であったために生じたものであるところ、一郎は、大学を卒業して一審被告の従業員となり、独立の社会人として自らの意思と判断に基づき一審被告の業務に従事していたのである。一審原告らが両親として一郎と同居していたとはいえ、一郎の勤務状況を改善する措置を採り得る立場にあったとは、容易にいうことはできない。その他、前記の事実関係の下では、原審の右判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。

四 右二、三の原審の判断の違法は、原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。一審原告らの論旨のうち右の各点に関する部分は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中一審原告らの敗訴部分は破棄を免れない。一方、一審被告の論旨は、その前提を欠くことが明らかであって採用することができない。

第三 結  論

 以上のとおりであるから、一審被告の上告は、これを棄却することとし、一審原告らの上告に基づいて、原判決中一審原告らの敗訴部分を破棄し、右部分につき、さらに審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。

 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 

        最高裁判所第二小法廷

               裁判長裁判官 河合 伸一

                   裁判官 北川 弘治

                   裁判官 亀山 継夫

                   裁判官 梶谷  玄

 

別 紙

(凡例)

 1 単位は、「月間上限時間」欄及び「申告残業時間」欄にあっては時間であり、「午前二時以降退勤」欄にあっては回数である。

 2 「申告残業時間」欄の括弧内は、「深夜」とあるのは午後一〇時から翌日午前五時までの間に行われたとされる残業の時間を、「休日」とあるのは休日に行われたとされる残業の時間をいい、それぞれ内数である。

 3 平成三年八月について、「月間上限時間」欄の記載以外は、同月一日から同月二二日までの結果である。   

  (月間上限時間) (申告残業時間) (午前二時以降退勤)

平成二年  七月

60 87(深夜15)

        八月

60 78(深夜12.5)

        九月

80 62.5(深夜10)

      一〇月

80 70.5(深夜6、休日13)
      一一月 80 66.5(深夜10) 5(徹夜1)
      一二月 60 62.5(深夜12.5)
平成三年  一月 60 65(深夜12、休日6) 10(徹夜3)
二月 60 85(深夜20.5、休日8.5) 8(徹夜4)
三月 80 54(深夜8) 7(徹夜2)
四月 80 61.5(深夜8) 6(徹夜1)
五月 60 56(深夜1、休日7) 5(徹夜1)
六月 80 57.5(深夜3、休日11) 8(徹夜1)
七月 60 73(深夜4、休日9) 12(徹夜8)
八月 80 48(深夜4.5、休日3.5) 9(徹夜6)

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電通青年社員自殺損害賠償訴訟上告審判決に対するコメント

2000年3月24日

遺族(両親)代理人 弁護士 川人 博(かわひと ひろし)

(過労死弁護団全国連絡会議幹事長、日本労働弁護団常任幹事)

第1 本件最高裁判決内容と基本的評価

 本日の最高裁第2小法廷判決は、つぎの各点で高く評価できる内容であり、日本の人権裁判史上に残る画期的な内容である。

@ 本件は、労働者の過労自殺(業務による過労・ストレスが原因で自殺すること)事案での史上初の最高裁判決である。

 この初の判決において、最高裁が、一審・二審にひきつづき、被災者大嶋一郎君の自殺が長時間労働等の過重な業務によって発生したことを認め(因果関係)、かつ、株式会社電通の雇用主としての安全配慮義務違反による損害賠償責任を認めたことは(企業責在)、本件の労働実態に即した正当な法律の適用であり、日本の裁判史上に残る内容である。

A 本件の第二審は、電通の責任を認める一方で、被災者および両親にも過失があるとして、過失相殺等を適用して損害賠償額の3割減額をおこなった。

 これに対して、本日の最高裁判決が、二審判決の過失相殺等の適用の誤りを指摘し、安易に労働者や家族の過失を認定した二審判決を是正したことは、最高裁としての役割を正当に果たしたものとして高く評価できる。

B 本件最高裁判決が破棄自判せずに破棄差戻とした点は、遺族にとって長い裁判が続くことになり、残念である。

第2 電通に対する要求

@ 遺族に対して深く謝罪し、一審判決にもとづいた損害賠償をただちにおこなうこと。

A 二度とこのような死亡が発生しないように職場の抜本的な改善をおこなうこと

B 不払となっている社内規定にもとづく特別弔慰金を遺族にただちに支払うこと。

第3 本件最高裁判決の意義ともたらす影響について

@ 過労自殺で初の最高裁判決

 本判決は、過労自殺に関して、損害賠償請求訴訟(被告は企業)・行政訴訟(労災保険金を不支給とした労働基準監督署の処分取消を求める訴訟で、披告は国)を問わず、初めての最高裁判決である。また、脳・心臓疾患等の過労死全体を通じても、損害賠償請求訴訟としては、最高裁が企業責任を認めた初判決である。

A 働く者のいのちと健康を守ることを職場の原点に−企業への重大な警告−

  本判決は、長時間労働など過重労働をなくするために、企業が重大な責任を負っていることを明確にしたものであり、企業に対する重大な警告と言える。

 本件は1991年死亡の事案であるが、日本の職場の長時間労働の実態は、基本的に改善されていない。逆に、ここ数年の厳しいリストラ・人員削減によって、一人ひとりの仕事量が増加する傾向にあり、本件死亡原因となった長時間労働、深夜労働、サービス残業(不払残業)などは多くの職場で常態化している。

 本件一審被告電通はもとより、日本の各企業は、働く者のいのちと健康を守るということを労使関係・労務管理の原点にすえて、経営活動をおこなうことが強く求められている。競争や効率のためには労働者のいのちや健康を犠牲にするような姿勢は断じて是正しなければならない。

B 働く者の自殺をなくするために

 本判決はこれまでともすれば個人の責任に転嫁されがちだった労働者の自殺事案について、自殺と業務との因果関係を認め、企業の責任を認定したものであり、自殺の予防にとって積極的な意義をもっている。

 1998年に日本の自殺者数は、32,863人(警察庁発表)と史上最悪の件数となり、1999年もほぼ同数と予想されている。この自殺者数の増加の重要な要因として、本件のような業務上の極度の過労・ストレスによって、うつ病などの精神障害を発病し死亡するケースの増加が挙げられる。

 自殺を予防するためには、労働条件の改善など職場でのとりくみが重要なことを本件は明確にしたものであり、企業の抜本的な取り組みが強く求められる。

C 自殺裁判・労災行政への積極的影響

 本判決は、因果関係論・責任論・過失相殺論・損害論それぞれについて、過労自殺訴訟や自殺労災行政に積極的な影響を与えると確信する。

D 遺族への大きな励まし

 過労自殺・過労死が不幸にも発生した場合、遺族が泣き寝人りすることなく、原因調査や正当な補償を求めていくことが大切であり、本判決は遺族への大きな励ましとなる。

 過労死110番相談窓口(全国事務局)電話03−3813−6999

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日本型企業社会の病理と青年の死 −電通自殺過労死事件−

弁護士 藤本 正(ふじもと ただし)

(注)この文章は、電通自殺過労死事件の代理人を務め、上告審の途中で逝去した藤本正弁護士(当時日本労働弁護団副会長)が、高裁判決の前に書いたものです。日本労働弁護団の創立40周年記念誌(「現代企業社会と労働者の権利」1997.7.25発行)に掲載されたものです。

はじめに

 電通の自殺過労死事件については、私は一審判決直後に『ドキュメント自殺過労死裁判二四歳夏アドマンの決別』(ダイヤモンド社刊)を執筆したが、来る六月二六日の高裁判決が再ぴ勝利することを信じ、わが生涯ではじめて燃えつきる想いで担当したこの事件について、私の想いを中心として、前書では書けなかったことも合めて、ふり返ってみることにしたい。

注目を浴びた一億二六〇〇万円の一審判決

 電通入社後一年四月余の新人社員大鳴一郎君(二四歳、明治学院大学卒)は、苛酷な長時間労働のすえに「うつ病」となり、一九九一年八月二七日、自らその命を断った。

 一郎君の両親は電通に対して、一九九三年一月、二億二千万円余の損害賠償請求訴訟を提起した。三年余の一九九六年三月二八日、東京地裁民事二七部(交通部)の南敏文裁判長は、自殺は異常な長時間労働によるもので、会社に一〇〇%の責任があるとして、一億二千六百万円の損害賭償の支払いを命じた。

 この判決は、自殺過労死についての会社の責任を認めたこと、一億円を突破する巨額の賠償額を命じたという二つの点で注目を浴ぴ、翌三月二九日の朝日新聞朝刊は一面トップに、「過労で自殺会社に責任二億二〇〇〇万円賠償を』東京地裁判決二四歳徹夜しばしば」という見出しで報じた。四月八日、労基局長名は日経連と都道府県基準局長宛に、この判決を引用しつつ長時間労働の禁止を要請し、永井労働大臣も、この文書を送付したことを記者団会見で紹介している。

高裁での激闘

 会社側の控訴による東京高裁での審理期間は、実質一年という短かいものではあったが、会社側の必死な反撃はすさまじく、きわめて苛烈な攻防が展開された。この一年、私は唯一人の代理人として、高裁だけで単行本の一冊の分量に等しい二五〇ぺージ以上の準備書面を書くなど、すべての事件に優先して専念した。判決は、本稿執筆後の九七年六月二六日言渡の予定である。

一審判決の二つの意義

 東京地裁判決は二つの点で大きな社会的反響をもたらした。

 第一は、過労死弁護団の判決直後の緊急連絡ニュースの評価のように、「過労による自殺に、企業に損害賠償貢任を認めた史上初めての画期的判決」であったことによる。過労による自殺が「労災」として認められたのも、これまでは新幹線上野駅事件の自殺未遂事件(八四年二月)一件にすぎず(公務災害では、教員を中心に数件ある)、まして「労災」としての判決もなかったときに、この判決が「労働災害」であることを前提として、さらに進んで会社の損害賠償責任を認めたことにあった(労災は一審判決後に申請)

 画期的なこの判決の一ケ月あと、神戸地裁は、神戸製鋼所の新入社員(二五歳)の自殺事件で、労基署の「本人性格説」による不支給処分を取消すという初の「労災判決」を出し(一九九六年四月二六日)、この判決には労働省も控訴せずに確定した。

 第二に、判決が認定した損害額は一億二六〇〇万円という巨額であり、会社の責任を一〇〇%認めたことにも大きな意義があった(交通事故の自殺の責任割合は二〇%〜五〇%)。自殺には、本人の性格など、何等かの意味で内因的条件が介在するとみられ、また電通では労働時間は社員の自己管理に任せられていたから、この点でも本人の健康管理義務違反で、会社の責任が軽減され、全社の責任限度が認められるのは三〇%以下であろうとか、最高三千万円どまりであろうとの観測も事前に私に寄せられていた。

 そのため私は、長時間労働の解明・分析に全力をあげた。私は、一九九三年に「時短革命」(花伝社刊)を出版するなど、多年、労働時間問題についてはとくに関心をもっていたから、一郎君の長時間労働の実態を、さまざまな角度から具体的に論証し、鮮明に浮き上がらせた。この点は徹底的にやり抜いた。また労働時間の自主管理の場合であっても、会社には労務指揮権がある以上、残業時間が深夜に及ぱないよう管理する義務があることを強調した。こうした論証のために、どれだけ時間を費やしたかわからないが、その成功が一億二千六百万円に結びついた。この判決を「特報」として掲載した判例時報(九六・六・一、一五六一号)も、その解説で「労働時間が極端に過剰な事例であったことが、一〇〇%の責任を認めた理由である」としている。

死に至るまでの長時間労働

 本件の被害者一郎君は、一九九〇年四月、激烈な入社試験のすえに電通に入社し、ラジオ局に配属され、ラジオ広告の企画の業務についた。日中は接渉、雑用、全議と追いまくられ、スポンサー向けの企画書を書き始めるのは午後八時すぎからのことであり、仕事は連日、深夜・早朝にまで及んでいた。記録として残されている深夜二時以降の退社は、入社一年目の一九九〇年中で平均月四回、リーダーからも離れ、独リ立ちして仕事が忙しくなる翌九一年一月から同年八月二七日に死亡するまでの間には、実に七〇回と、休日を含めて四日に一回の午前二時以降の深夜退社であった。死の直前になるとそれはさらに凄まじく、七月には二一回、死の直前の八月は、二二日までに一〇回もあり、しかも七月、八月には、特に徹夜が多く、四日に一回もあった。

 死の直前、一郎君は八ケ岳のイヴェントのために出張し、八月二七日早朝帰宅、家族の出払ったあと縊死した。遺書はなかった。

靴でビールを飲ませる上司

 死の直後両親は恋人のMから、一郎君から聞いた話として、職場のリーダーのSが統轄するS班(数人一の一員であった一郎君は、班会の飲み会の際に、リーダーのSから、Sの靴にビールをついで無理やリに飲まされ、飲まないと靴のかかとで殴打されたことも一度や二度ではなかったと聞かされて衝撃を受けた。この事実についてはS班長も、一郎君の自宅でも、また法廷においても「冗談ではあったが・・・」と弁明しつつも、二度も認めている。こうした類のことは電通では日常茶飯事だったらしいが、このような企業の体質のもと無定量の長時間労働が展開されていく。しかし実は、このような企業体質こそ、日本の企業社会の一つの特質なのである。電通事件とは、まさに企業社会の非人間性を象徴するところを弾劾する裁判だった。私はそのことを自覚して闘ってきた。

裁判を提起するまでの想い

 一郎君の父親久光氏(以下、久光氏という)は、一郎君の死の真相を追及するため、死の直後からたちあがった。会社の緘口令が敷かれるまでの間に、同僚の社員から、深夜二時の閉門後の退館者については、退館者記録のあることを聞いた。そして全社から、死の直後に一郎君の深夜退館回数を記載した表を出させていた。

 他方会社は久光氏の動きを警戒し、失恋自殺説を社の内外に流した。そして社内どころか、ラジオ局、クライアントにまで緘口令を敷いた。そのため今日まで社内には表立った協力者は一人もおらず、一郎君の仕事の内容はどんなものだったか、その内容を知るためですら協力者はなく、他の広告会社の青年社員から聞き取る以外になかった。

 しかしその彼すらも、私たちへの話が終ったあと、突然正座して深々と頭を下げ、どうか自分の名前を協力者として電通に出さないでほしいと懇願した。企業社会日本を象徴することとして、私には生涯忘れがたい印象的な一齣であった。電通王国の巨大な壁は、私たちの前に、大きくたちふさがっていた。

 遺族にとって、自殺事件の性格上、それを裁判に出すことは、まことに苦痛である。久光氏は社長への直訴状も無視され、和解の打診も無視された。そのあと、過労死弁護団主催の金子嗣郎都立松沢病院前院長の自殺過労死の講演を聞き、同医師に意見書の作成を求めた。その意見書は九二年六月に完成した。久光氏は、三池労組の事件を通じて私とは三〇年のおつきあいのある金子医師の紹介で、意見書と前述の深夜退館記録をもって私のところに来られた。久光氏の希望で、再度私は会社の弁護士に和解の打診をし、門前払いの扱いを受けた。

 やむなく裁判を提起したが、早期和解が遺族の目標であったため、会社を刺激しないようマスコミにも知らせず、また、私がただ一人代理人となることになった。電通の社員はもとより、一切の第三者の協力を求めず、久光氏と私の二人でがんばろう、というのが久光氏の方針であり、弁護団も組まず、ただ一人の弁護士としての苦闘が始まる。

当初の目標は早期和解だったが

 訴訟を提起したとき、前述の深夜退館記録と金子意見書(「一郎君はうつ病であり、その発症は長時間労働による。自殺はうつ病による。」とするもの)という有力な証拠があり、他の事件に比較して、恵まれていた。とはいうものの、社内に全くの協力者は求められず、深夜退館記録だけでは、在館していたという事実のみが証明できるだけであり、会社のさまざまの反撃は予想された。本来楽天的な私ですら、楽観的な見通しは全く持てず、私は久光氏に「勝つことは約束できない。しかし、負けないことだけはお約束します」と述べたが、実は悲愴の想いであった(拙書九ニページ)

勝利するための工夫と努力

 私はそのため、はなばなしく緒戦を打ちあげ、その雰囲気のもとで早期和解にもちこみたかった。長期戦には、少ない手持ちの証拠も耐えられなかったからだ。しかし会社は、早い段階での裁判所の和解打診を一蹴した。かくて止むなく何がなんでも勝たねばならないように追いつめられた。そのため私は、つねに裁判をリードしようとした。

 会社の準備書面が出れば、ただちに爆砕し、裁判官の頭に会社の準備書面の主張の残影が残らないように努めた。主張も証拠も、裁判官の数をそろえ、次回の裁判の前に必ず余裕をもって出した。会社は私のテンポには、とても追いつけなかった。結局、当方の整理して提起する論点がキチンと裁判官の頭のなかに入って裁判をリードしていたため、会社の証人は、一審では僅か社員が三名、高裁では一名(本人の恋人)が採用されるにとどまり、他の証人は全て却下された(当方申請は、一審での父母と、金子医師のみ)

 しかし一審の最終口頭弁論の前々日、会社側の医師の意見書が出されたとき、私は驚愕した。そしてその日のうちに、当方の金子医師の意見をも聞き、夜を徹して反論を書き、翌朝には提出した。私にそのときあるものは気迫だけだった。ともかく書いた。わかりやすくあらゆる角度から書き続けた。

最大の論点は長時聞労働の存否

 一審の最大の論点は長時間労働の存否にあった。電通のようにタイムカードがなく、残業時間も自己申告制のもとでは、残業が一定時間を突破すると、申告時間を自己規制するため、必然的にサービス残業へと転化していく。残業が長時間化するとサービス残業が量的にも増え、かつ全体の残業時間のなかでのサービス残業の占有率を増加させていく。サービス残業はまた、労働の証拠を残さず、長時間労働も確実に立証できない(サービス残業論については、拙書「時短革命」第三章参照)

 幸いにも、この事件では前述の深夜退館記録と、次に述べる「監理員巡察実施報告書」とがあった。裁判のなかで、監理員(ガードマン)が、夕刻以降、定時に巡回していることを会社主張から察知し、その記録の提出を強く求めて提出されたのが後者であるが、午前○時以降は、在館者名がキチンと記載されていた。この二つの文書で一郎君の退館時間は明確になった。私たちの主張のように在館時間イコール労働時間とみると、平均残業時間は所定労働時間と全く同じ月間一四七時間で、年間三五二八時間であり、過労死のボーダーライン三千時間を突破していた。このほかカウントできない残業時間の部分を加えると、四千時間を突破することが推定された。長時間労働と異常に短かい睡眠時間や徹夜が心身ともに負荷となり、うつ病を発症させた。

 全社は終始、以下のように、この労働時間を激しく争ってきた。

 @一郎君の仕事の量が少なく残業の必要はない。A電通では残業時間中にも社員が食事などで社を離れることが多く、在館時間イコール労働時間ではない。本人の申告残業時間のみが残業時間である。B仕事がないのに在館時間が長いのは、家庭(父母)が冷たいため帰りたくなく、また父親の事業の失敗で住居を転々としていた、冷たくなっていた恋人のMとの電話連絡のためだ。

 在館時間の長いことは文書で証明できたが、労働時間であるというために、協力者のいないもとで困難をきわめ、さまざまな点で立論上の工夫をした。

 一例をあげると、たとえば私の推計では、申告残業時間は在館時間の四〇%にすぎず、したがって会社の主張が正しいとすると、在館時間の六〇%まで、寝たり、食べたり、休んだりしていたということになり、およそ労働実態に反する。こうした主張を、さまざまな観点からした。一審判決も、会社主張の申告残業時間こそ真の残業時間であるというのでは、平均して、平成二年中は午後九時に、平成三年では午後八時に帰れたことになり、実態に含わないと明確に判断し、またサービス残業が全社的にあったことを認めた。

 裁判の途中の午後一一時、私は父親の久光氏と電通の前に立ったことがある。役員室の占める階を除いて、あかあかと電気は全館に輝き、出前持ちが出入リした。組含の調査でも、ある日の午前○時には一二〇人が在社し、午前二時でも、四〇人もいたとされている。一般職の女性の深夜勤務は常態化し、男女問わず三六協定違反などは当然のごとくになっていた。深夜勤務が多いために、タクシーのクーポン券の利用は全く自由で、一郎君も毎夜、一万五千円程度のタクシー券を使用して、郊外の自宅に帰宅していた。あまりにも残酷な長時間であり、その立証に圧倒的に成功したことが勝利の原動力となった。

うつ病、自殺をめぐる大論争

 当方の金子意見書では、長時間労働=疲労困憊性うつ病の発症(キールホルツ説)とし、うつ病の結果、自殺に至ったとされていたから、私は長時間労働さえ証明できれば問題はないと単純に考え、原審では、そのことの立証にのみ全力をあげていた。

 会社側の医師の原審での意見書は、うつ病の原因は長時間労働に「加えて」本人の性格などによるものだとしていたが、一審判決は、本人の性格が介在するにせよ、基本的要因は長時間労働によると一蹴した。

 ところが高裁に移ると、T弁護士が補強され、会社は長時間労働を争うだけではなく、

  1.  一郎君がうつ病であったことも疑わしい。

  2.  長時間労働によってうつ病になるという金子説は、医学的に正しくない。たとえうつ病となったとしても、それは性格、失恋など、仕事以外の心因的なものである。

  3.  自殺の真の理由は、M子に冷たくされたことによる。

と、全面的に争って、膨大なうつ病、自殺の文献を証拠に並べたて、長文の準備書面で次々と論述してきた。M子との失恋説についてだけでも一〇〇ぺージをこえて、推理を働かせていた。会社側のM子の証人申請は、高裁の最終段階まで阻止していたが、ついに裁判所がM子を採用した。しかし失恋説が全くの虚構にすぎないことが立証された。

 うつ病であることさえ論証できれば、うつ病によって発作的な自殺も多いことから、自殺の原因論は立証できる。残るところの間題は、@一郎君はうつ病であったのか、Aうつ病は性格などとかかわりなく、長時間労働からでも発症するのか、の二点であった。そしてこの二点、とくに後者については常識論のようにみえるが、実は確信をいだくまでには、さまざまな苦労をした。文献、特に古い学説では、性格説が中心であり、「長時間労働=うつ病」などは否定される。

 悩んでいたときに、信濃毎日新聞記者の飯島裕一氏の「疲労とつきあう」(岩波新書)の新聞広告から本書を手に入れ、上田で飯島記者とお目にかかった。そして一審の金子意見書(一審では証人。九七年初め、死亡)に続き、高裁では、同氏の紹介による立川共済病院精神科野村総一郎医長の意見書を提出し、これが決定打となった。会社側は、一審では帝京医大の廣瀬教授、高裁では元東大教授の逸見医師の意見書を提出した。彼等は長時間労働を認めるのか否かの事実認識についての前提を欠く一般論に終り、それらの証人申請は却下された。

会社の責任

 長時間労働とうつ病、そして自殺、この三者の間に橋がかかると、残るところは会社の責任論のみである。うつ病、自殺についての予見可能性と、自己管理労働の場合の会社の安全配慮義務をどう見るのか、私の次のように考えた。

 @(イ) 一般論として、過度の長時間労働についての認識さえあれぱ、健康阻害と死亡について予見可能性があるというべきであリ、「うつ病」、白殺という死の具体的形態までの予見可能性は必要としない。

  (ロ) ただし、長時間労働によりうつ病を発症することは予見可能である。また、うつ病の場含、自殺に至る可能性は大きいから、うつ病と自殺との間には相当因果関係がある(判決はこの見解によった)

 A 労働時間を社員の自己管理にゆだね、残業時間を自己申告制にしていても、会社の労務指揮権下に労働力があることには変りはなく、会社は、長時間残業を規制すべき安全配慮義務を負う。とくに労働の程度を自己コントロールすることが容易にできない一郎君のような新人社員の場合には、一層会社の義務は重い。

  (イ) 電通の場合、巡察報告書や深夜退館記録で深夜退館をキャッチできた。現実に多数の深夜退館者がいたことも会社は知っていたから、その確認の必要性が一層強く、その点を確認すれぱ、容易に深夜労働を規制することができた。

  (ロ) 職場の職制のSは、一郎君の長時間労働については十分察知できる状況にあり、また一郎君のうつ病的症状をも十分に認識していた。

 当方の以上のような主張に対して、一審裁判所は、上司が長時間労働を軽減する具体的方法を行なわず、死の直前には、一郎君の健康状況が正常でないことに気が付いているのに、何等具体的措置をとらなかったことは、安全配慮義務違反であるとした。

 判決はまた、会社は勤務状況報告表による社員の残業時間の自己申告が真実を反映するものではなく、過少申告が常態化していることを認識していながら、自己申告を前提として、タクシーのクーポン券、ホテルの宿泊、ミニ・ドックの受診の要否などを判断しているなど、会社の準備した健康管理の措置は実質的に機能せず、安全配慮義務をつくしたとはいえないとした。判決が、一郎君のみならず、全社的なサービス残業の存在を認めたことは注目すべき判断であり、また申告残業時間をもとに健康管理をしているのでは、安全配慮義務をつくしたとはいえないとしている点も評価してよい。

結びに代えて

 当事者の久光氏は、強烈な個性と、弁護士以上の能力の持主であり、かつ熱心で、私とは新しい論点の発掘とその解明に競いあった。日に三通のFAXが届くこともあった。まさに二人三脚での勝利であった。直接的な支援こそ求めなかったが、過労死弁護団の精神的な支えは大きく、同弁護団に深く感謝している。また一審裁判所の南裁判長等には、心からの敬意を表し、こうした裁判官のいることに心を強くした。しかし、かつて栄光の歴史をもつ電通労組は、ついに私の前に姿を現わさなかった。

 働く者の人間の尊厳が保障されていないのが、現代日本の企業社会である。私がこの事件を通じて追求したのは、日本型企業社会の、その犯罪性の弾劾にあった。四〇年の弁護士生活のなかで、これほど没入した事件はない。疲労困憊、その極に達したこともあったが、勝利を得て、いま新しい生命の焔が、体内から燃えあがってきている。

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電通青年社員自殺損害賠償訴訟・遺族側全面勝利和解の報告

2000年6月23日

遺族(両親)代理人 弁護士 川人 博(かわひと ひろし)

(過労死弁護団全国連絡会議幹事長、日本労働弁護団常任幹事)

1 本日東京高裁第7民事部で「訴訟上の和解」が成立。

  3月24日最高裁判決で高裁に破棄差戻され、5月18日第1回期日に、高等裁判所から職権による和解勧告があった。そして、6月6日第2回期日に、会社側から基本的な和解案が出され、その後双方検討のうえ、本日和解が成立した。

  以下述べるように、和解といっても、実質は、遺族側全面勝利の内容である。

2 裁判上の和解条項

 @ 電通の遺族に対する謝罪文

 電通は今回の事件を深く反省し、今後、労務管理の徹底と健康管理の充実をより一層 行い、かかる不幸な出来事が二度と起こらないよう、努力いたします。

 前途有為な杜員大嶋一郎君を失ったことはまことに残念に思い、心よりご冥福をお祈  りいたします。

 A 損害陪償

  電通は両親に対して損害金として以下の金額を支払う。

  支払総額 168,575,071

   最高裁判決後現在までに支払った金額  111,095,998

   本年6月30日までに支払う金額     57,479,073

  計算根拠

 第一審判決(認容額約1億2千6百万円、過失相殺なし)にもとづいて、その元金総額(認容額約1億2千6百万円)と本年6月30日までの遅延損害金年5分の合計金から、労災保険給付金の一部1129万円を損益相殺として差し引いた。

 (労災保険給付金の相当部分を差し引くのは、現在の実務・判例の確定的なあつかいとなっているので、既受領の労災保険給付金約1650万円のうち1129万円分の差し引きに応じた)。

 (111,095,998円が、会社より、3月と4月に遺族側に送金されたので、利息の計算は、これらが入金した以降は、残元金に対する計算となる)

3 本件裁判上の和解の評価

@ 会社はこれまで一貫して居直りを続けてきたが、ここに至り、会社の深い反省の意と再発防止への意思がしめされ、かつ、一審判決にもとづいて過失相殺なしの全面的賠償責任が実行されることになった。

 過労自殺訴訟で、こうした形で会社が自らの否を全面的に認め、訴訟上の和解が成立したのは、今回が初である。

 このことは、過労自殺での企業責任を正していくうえでも、また、発生した被害に対してきちっとした企業賠償を課していくうえでも、画期的な意義を有するものでである。

 全国で係属している同種訴訟(10数件、これ以外に3月24日判決以降新たな訴訟準備が多数あり)や、交渉中の同種事案に多大な影響を与えると確信する。

A 賠償額については、一審判決の金額がそのまま支払われ、かつ、利息(遅延損害金)も全額支払われるので、遺族側全面勝訴判決と同様の内容である。

 諸外国に比して低額と言われる日本の損書額なので、これは画期的と言える内容であり、違法行為をおこなった企業への制裁という意味でも意義が極めて大きい。死亡事件の損害賠償の訴訟上の和解額としては、日本の裁判史上で最高額と思われる。

4 電通と日本の企業に対して

@ 電通は、本和解の言葉どおり、二度と同じ誤りをおこなぬように全力を尽くすように改めて求める次第である。

A また、日本の企業全体が、先の最高裁判決と本日の和解の精神を教訓として、過重な労働を排除し、働く者のいのちと健廉に対する十分な配慮をおこなうように、心より訴える次第である。

以 上

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