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英語でひもとく 風と共に去りぬ

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新しいスタイルの「映画本」です

映画のストーリーを英語のセリフで追うだけでなく、当時の時代背景や人々の思い、南北戦争、日本との関わりなど興味ある情報を満載しました。

著者の熱い思いのこもった作品です。『風』のファンの方だけでなく、歴史や文化に興味のある方にもお勧めです。もちろん、たくさんの名ゼリフから口語英語の勉強にも最適です。また、英語の苦手な方には、日本語の読み物としても楽しめます。

これを読めば映画や英語がもっと好きになること請け合いです。

真っ赤な下地にスカーレットの強い目が印象的な、素敵な表紙に仕上がりました。友達への贈り物としても最適です。

参考ページ(Midori's Room)→スカーレット年譜

はじめに

映画『風と共に去りぬ』とは、マーガレット・ミッチェルの小説を映画化したもので、南北戦争の時代(1860年代)を力強く生きた女性、スカーレット・オハラのロマンス物語である。

デビット・O・セルズニックが制作したこの作品は、第二次世界大戦開始直後、1939年12月に完成。碧い瞳で、17インチ(43センチ)のウエストを持つスカーレットを演じたビビアン・リーを一躍大スターにのしあげた。

戦乱の中で不撓不屈の人生をおくるスカーレットの生き方は、当時、不況に苦しむ人々に熱狂的人気を博した。日本では1952年に公開され、敗戦に打ちひしがれた日本人にも勇気と希望を与えている。

本書は、世界中が感動した名セリフや時代背景を解説しながら作品をひもとく一冊である。全世界で20億枚のチケットが売れ、今でも世界のどこかで上映されている不朽の名作、『風と共に去りぬ』。みなさまがこの作品を楽しみ、さらに深く味わう手助けとなれば幸いである。

目次

1861年    スカーレット16才
Scene 01 プロローグ 『平和な日々、アシュレーへの思い』
Scene 02 パーティーへ 『アシュレーを求めて』
Scene 03 パーティーにて(1) 『レット・バトラーとの出会い』
Scene 04 パーティーにて(2) 『レットの南部に対する考え』
Scene 05 パーティーにて(3) 『スカーレットの告白、そしてレットは聞いていた』
Scene 06 パーティーにて(4) 『南北戦争の始まり、そして結婚 』
Scene 07 チャールズの死 『未亡人となって』
1862年    スカーレット17才
Scene 08 チャリティーパーティーにて 『レットとの再会、久しぶりのダンス』
Scene 09 レットの訪問 『レットからの贈り物』
1863年    スカーレット18才

Scene 10

クリスマス休暇 『アシュレーの頼み』
1864年    スカーレット19才
Scene 11 北軍の侵攻(1) 『メラニーへの励まし』
Scene 12 北軍の侵攻(2) 『故郷のタラへ』
Scene 13 北軍の侵攻(3) 『アトランタ炎上』
Scene 14 故郷のタラへ 『レットの決心』
Scene 15 帰郷 『スカーレットの誓い』
1865年    スカーレット20才

Scene 16

終戦 『南部連合の敗北、それぞれの思い』

Scene 17

戦後 『惨めな生活、父の死』
1866年    スカーレット21才
Scene 18 レットを訪ねて(1) 『ドレスを作って』
Scene 19 レットを訪ねて(2) 『誘惑失敗』
Scene 20 フランクとの再会 『策略結婚、そして製材所経営』
1867年    スカーレット22才
Scene 21 製材所経営(1) 『アシュレーを仲間に』
Scene 22 製材所経営(2) 『スカーレット襲われる』
Scene 23 スラム街襲撃 『レットの機転、そして再び未亡人に』
1868年    スカーレット23才

Scene 24

レットからの求婚 『3度目の結婚』
1869年    スカーレット24才

Scene 25

レットとの生活(1) 『女の子(ボニー)誕生』
1870年    スカーレット25才
Scene 26 レットとの生活(2) 『レットの悲しみ』
1871〜72年    スカーレット26〜27才
Scene 27 レットの怒り 『ボニーとロンドンへ』
Scene 28 レット帰宅 『妊娠と破局』
Scene 29 階段から落ちて 『スカーレット危篤』
1873年    スカーレット28才
Scene 30 メラニーの死 『最後の頼み』
Scene 31 レットの決意 『別れ』
Scene 32 エピローグ 『新たな決意』

映画関連ミニ情報

1 マーガレット・ミッチェル(1900〜1949)に関して
2 南北戦争(1)
3 当時のファッション
4 小説の歴史的価値
5 映画製作の裏話(1)
6 映画製作の裏話(2)
7 日本に於ける「風と共に去りぬ」
8 南北戦争(2)
9 映画製作の裏話(3)
10 女性の結婚観
11 南部文化
12 人種差別について
13 Ku Klux Klan (KKK)(クークラックスクラン)の誕生
14 日本とグラント将軍(下記に紹介)
15 売春宿
16 乳母制度
17 映画関係者の不幸

日本とグラント将軍

北軍の総司令官であったユリシーズ・S・グラント将軍は、南北戦争の後、アメリカ合衆国の第18代大統領になった。北部を勝利に導いた英雄も、大統領になってからは、相次ぐ汚職事件にまみれ、政治家としての評判は芳しくない。しかし、日本との関わりは深く、日本のよき理解者として知られている。大統領退任後の1879年(明治12年)に世界視察旅行の最後の訪問地として日本に立ち寄り、明治天皇にも拝謁した。日本が国際社会の一員として独り立ちするにあたり、多大なる助言を与えたと言われている。グラントは日本滞在中,各地で熱烈な歓迎を受けた。東京の増上寺にはグラントの植樹した松「グラント松」が今も残っている。

グラントは利権に血まなこになるヨーロッパ列強が融資を通じて支配をもくろんでいることを警告すると共に、米国を含む諸外国との間で結んだ不平等条約の改正について天皇に進言した。更に自らも、下関事件で日本が支払った賠償金が実費を大きく上回った強奪であったと認め、それを日本に返還する運動を熱心に推し進めた。そして、グラントの努力で返還された賠償金は横浜築港費用に充てられた。当時半農半漁の小村であった横浜が大桟橋を持つ立派な港を築くという巨大事業を行い、近代都市の仲間入りができたのは彼のおかげであると言える。日本政府はこれに感謝し、赤坂の土地を米国に貸与した。現米国大使館の誕生である。

グラントが日本に興味をもったのは、大統領時代に横浜港から旅立った岩倉使節団と会見したのがきっかけと思われる。使節団には岩倉具視(47歳)をリーダーに、木戸孝允(39歳)、大久保利通(42歳)、伊藤博文(31歳)など新政権の中枢をになう明治維新の豪傑たちがいた。更に、留学生として、後に民権思想のリーダーとなる中江兆民や、後に津田塾大学を創設する津田梅子がいた。彼らの堂々とした態度や礼儀正しさ、新生日本の国造りへの強い思いが米国民の胸を打ち、日米関係の礎になったのであろう。

 参考資料:「横浜港の父グラント将軍」田中祥夫、日本経済新聞文化欄(2002.05.30)

 下関事件:長州藩が関門海峡を通過する外国艦船を砲撃したことに対する報復から、英・仏・米・オランダの4国連合艦隊が長州藩の下関砲台を砲撃・占領した事件(江戸幕府末期 1864年)。4国への賠償金(約300万ドル)は江戸幕府が肩代わりしたが、払いきれずに明治政府に引き継がれ1874年に完済した。そしてその9年後、米国だけが返還した(約78万ドル)。