別格!原点!チャーリー・チャップリン

  

もし、映画の歴史の中で、たった1人だけ、映画人を選べと言われたら、迷うことなく選ぶだろう。
そう、チャーリーこと、チャールズ・チャップリンを。

チャーリーの偉大さは一言では言い表せない。一喜劇人なのか、NO!彼は映画のすべてをやった。
娯楽映画の王であり、最高の芸術家である。しかもエンターテナーでもある。
芸術を笑いというオブラートで包んだ愛と反骨の人、それがチャップリンだ。
製作・脚本・監督・音楽・主演をほぼ、全作で貫き、傑作・名作の数々を世に出した。
捨て作のない映画人でもある。
製作者としても偉大、脚本家としても超一流、監督しては言うに及ばず、音楽家としては生まれ持っての
天才としか言えないような名曲を書いた。そして俳優としての余りに素晴らしい名演技の数々。

もうあ1人の偉大な喜劇王、バスター・キートンも大好きだが、1作1作、成長し、変貌を遂げていった
チャーリーには及ばないだろう。
チャーリーの作品には、すべて根底には愛が溢れている。優しさがある。題材が殺人鬼だろうと独裁者
だろうとそれは変わらない。

後年は痛烈な社会批判に徹していきますが、コメディの中に取り入れ、そう、未だ、社会風刺でこの映画
が引用されるのを聞く。それをコメディーで表現したチャップリンに驚嘆する。
しかも、その批判の度合い
が桁外れだ。ナチス全盛に命を狙われるのを覚悟でヒトラー批判をし、第2次世界大戦後、戦勝に沸き
たつ(しかも共産主義打倒。赤狩りの時代にである)アメリカの軍事体制・政治を痛烈に批判し(そのセリ
フはすぐ下に引用)アメリカを追放される。モダンタイムスでは、人間性を失っていく機械文明社会を批判
・・・といった具合に。

  殺人者ベルドウ(チャップリン)は死刑台の前でこの世の最後のセリフを言う
     “数人殺せば、殺人者で死刑だが、何百万人を殺せば、勲章を貰って英雄になる・・・・”
                            /チャップリンの殺人狂 時代(1947)

もし、古今東西、名画BEST100を企画したら、間違いなく8本は入る。それも、かなり上位に。
実は、初期の短編こそチャップリンの純粋な喜劇といえて大好きなのだが、やはり代表作は後期長編に
なるのだろう。

天才という言葉は今、軽く使われすぎているが、正真正銘の天才はチャップリン1人だけである。

 

1914年「成功争ひ」「犬の為め」「夕立」「チャップリンの活動狂」
     「幻燈会」「メーベルの身替り運転」「恋の二〇分」
     「チャップリンの総理大臣」「ノックアウト」
     「メーベルの結婚生活」「笑ひのガス」「舞台裏」
     「チャップリンの画工」「男か女か」(男?女?)「両夫婦」
     「髯のあと」「チャップリンのパン屋」(チャップリンとパン屋)
     「アルコール先生自動車競争の巻」
     「アルコール先生ピアノの巻」「他人の外套」「醜女の深情け」
     「アルコール先生原始時代の巻」
1915年「チャップリンの役者」「アルコール夜通し転宅」
     「チャップリンの拳闘」(チャップリンの珍拳闘、チャムピオン)
     「アルコール先生公園の巻」(チャップリンのいたずら)
     「チャップリンの駈落」(チャップリンのロマンス)
     「チャップリンの失恋」
     「アルコール先生海水浴の巻」(チャップリンの海水浴)
     「チャップリンのお仕事」「チャップリンの女装」
     「チャップリンの掃除番」「チャップリンの船乗り生活」
     「チャップリンの寄席見物」(チャップリンの芝居見物)
     「チャップリンのカルメン」(珍カルメン)
1916年「チャップリンの改悟」(チャップリンの改心)
     「三つ巴事件」(チャップリンの義侠、チャップリンの義気、チャップリンの侠気)
     「チャップリンの替玉」「チャップリンのエスカレーター」
     「チャップリンの消防夫」
     「チャップリンの放浪者」(チャップリンとジプシー)
     「午前1時」(チャップリンの大酔)「チャップリンの伯爵」
     「チャップリンの番頭」
     「チャップリンの道具方」(チャップリンの舞台裏)
     「チャップリンのスケート」
1917年「チャップリンの勇敢」「チャップリンの霊泉」
     「チャップリンの移民」「チャップリンの冒険」
1918年「犬の生活」「担へ銃」
1919年「サンニイ・サイド」「一日の行楽」
1921年「キッド」「のらくら」
1922年「給料日」
1923年「偽牧師」「巴里の女性」
1925年「黄金狂時代」
1928年「サーカス」
1931年「街の灯」
1936年「モダン・タイムス」
1940年「チャップリンの独裁者」
1947年「チャップリンの殺人狂時代」
1952年「ライムライト」
1957年「ニューヨークの王様」
1967年「チャップリンの伯爵夫人」
1975年「放浪紳士チャーリー」<記録>

街の灯(1931)  MY BEST ONE 

STORY
 冒頭、街の繁栄を祝って設置されたモニュメントの式典でいきなり幕の中から登場の流浪者チャーリーが、街で出会った花売り娘は盲目で、治療費を稼ぐため懸命に花を
売る姿にチャーリーは例によって一目惚れと同時に何とか一肌脱ごうと一念発起する。酔った時だけチャーリーを親友と接する訳のわからない金持ち男の所にやっかいになったり、
ボクシングの試合で稼いだり(このシーンが傑作大笑い)しながら頑張って娘にお金を届けてあげるのだが、偶然巻き込まれたデモ行進で首謀者に間違われて逮捕投獄されてしまう。チャーリーに稼いだ治療費のお陰で目が治た娘は一体どんな紳士が自分を助けてくれたのか心を巡らしている。そこにボロボロのみすぼらしい姿で出所したチャーリーが偶然出
くわしたところに何も知らない娘は手を差しのべるのだが、握った手の感触で始めてこの男こそが自分の目を治してくれた恩人だと知ることになる。
娘「あなたなの・・」 チャーリー「うん。治ったんだね」 娘「・・・・」 ここで映画は終わってしまう。
ひとこと
映画史上屈指の感動的ラストシーンが有名なのだが、よく考えてみると何とも残酷なシーンでもある。目が治った花売り娘が考えていた恩人は男前の紳士だったのである。しかし最期に判明した事実は全くの逆で自分を助けてくれたのは見るも哀れなボロボロ姿のルンペン男だった。チャーリーを見る娘の目は呆然とた表情で手放しに喜んでいるのではない。最期の娘の表情は困惑の表情と言えるのではなかったのだろうか?貧乏が人から見られる目までもを濁らせてしまっているのだろうか?そう言えばチャップリンは「貧乏こそ最も嫌うものだ」と言っている。ロンドンの貧民街で育った彼はその映画の中で”貧困”を賛美するような事はしなかった。貧乏人を善方に据える事はあっても描かれているのは金持ちへの憧れが多いように思う。このラストシーンはそんな自身が経験した「貧乏」への痛烈な嫌悪感のような気がしてならない。
ところでこれが製作された当時、映画は音声が入ったトーキー化が世間では主流を締めつつあったのだが、チャップリンは頑なにそれを拒みパントマイムにかけた映画作りを押し進めた。真ん中辺りで出てくるボクシングのシーンなどは今見ても大笑いの超傑作パントマイムである。又、酔っぱらった時だけチャーリーに己の人生を嘆く金持ち男と