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「フロン」(岡田斗司夫著・海拓社刊)感想



オタキングこと岡田斗司夫氏の「フロン」の副題は「結婚生活・19の絶対法則」で、一見、これまでの氏の主な読者層であるオタク男女には、「関係ない」「イタイ」本であるように見えます。子供もしくは配偶者がいない、そして近い将来に結婚の予定はない、という人々にとって、この本はさしあたり必要のないもの…なのでしょうか?ホントに?

・我々は、なぜ非モテ系か?

20世紀末、さまざまな理由によって、それぞれの企業の終身雇用システムは徐々に崩れ、時期を同じくして企業へ働き手を送り出していた家庭というシステムもその存在意義を見失い、次々に壊れはじめました。この変化は、父・母・子という核家族制度の崩壊だけでなく、結婚をハッピーエンドに設定した恋愛というシステムが崩れ去ることをも意味していました。結婚というシステムが、かつての意味と魅力を失うとともに、恋愛というシステムも、かつての姿から大きく変貌せざるを得なかった、ということです。
我々が、「恋ができない」「結婚ができない」と言う場合の「恋」「結婚」は、たいていの場合、「20世紀的恋」「20世紀的結婚」を指しています。そして、「できない」は、「必死に努力しているのにできない」(例えば、30回お見合いしたのにすべて向こうから断られた、とか)ではなく、「必死に努力する気になれない」ことを指しています。すでに時代に即さず、魅力も意味も見いだせない「20世紀的恋」「20世紀的結婚」のために、必死に努力する気になれないのは当然のことです。
つまり、我々が非モテ系であるのは、オタクだからでもコミュニケーションが不得意だからでも仕事が忙しいからでも出逢いのきっかけがないからでも謎の組織の陰謀でもなく、ただ、これまでの「20世紀的恋」「20世紀的結婚」のシステムに無理があるためなのです。
「私の知り合いの○○ちゃんは彼とラブラブだ」「僕の同僚の××さんは幸せな結婚生活を送っている」という例は、全体の中のごく少数、特殊な例外です。世界が破壊された後も、昔ながらの生活を続けているハイハーバーの住民のようなものです。
我々が「そこからドロップアウトした」と感じてコンプレックスを抱いていた「マトモな世界」というものは、実はすでに崩壊していた…そう考えなければ、説明のつかないことが多すぎます。美人で性格が良くて社交的なAさん・Bさん・Cさんがことごとく30歳を過ぎても未婚なのはなぜでしょう?ちゃんと定職についていて健康で外見も悪くないDくん・Eくん・Fくんが、非モテ系なのはなぜでしょう?世界と前世紀のシステムがマトモに機能しているのなら、どう考えてもおかしいことばかりじゃありませんか。

・これからモテるのは誰か?

「20世紀的恋」「20世紀的結婚」が崩壊した後の世界で、フレキシブルに対応し、新しい恋愛システムを生み出すことができるのは、おそらく前システムの恩恵をこうむることの少なかった我々非モテ系オタク男女でありましょう。前システムの勝者たちにとって、「20世紀的恋」「20世紀的結婚」のシステムを放棄することは、なかなかに難しいことであり、おそらく彼らは、目立ちはじめたほころびや不都合に、ずっと目をつぶり続けるのではないでしょうか。腐海の瘴気で手足が石化しているのに、「夫婦でよく話し合おう」とか「テレビゲームを捨てて、親子でキャッチボールしよう」なんて提案をしても、なんの解決にもならないのですが。

「フロン」は、「崩壊後の世界でいかに子供を育てるか?」という既婚女性向けの実用本です。しかし、「これからの我々は、いかにしてモテてゆくのか?」という方法を探るツールとして「フロン」を読むことも、可能ではないか、という気がするのです。

(2001年6月7日)

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