H. P. Lovecraft on TV
ピックマンのモデル Pickman's Model
ラヴクラフトは短編小説「ピックマンのモデル」の中で、しっかりと 据え付けられた恐怖の物語を紡ぎ出している。タイトルにほのめかされ ているので結末が予言できるような物語を。
物語は、長いモノローグによって述べられており、最後の衝撃的な事 実の露見のシーンに向かうように構成されている。ラヴクラフトの1人 称の技法が物語にある緊迫感と信頼性を与えている。まるで登場人物が 直接読者に語りかけるようなやり方によって、証拠を示しているのだ。 同時に、このアプローチは2つの点で物語を弱めている。1番目は、ど んな脅威にさらされても、語り手が生き残ることが最初からわかってい ることだ。2番目は、1人称的な視点が物語を一種の報告のように変え てしまうことによって、物語の可能性を減少させていることだ。その結 果、精神的に引き離された距離が生じ、読者を物語の出来事から安全に 立ち退かせている。
原作の短編小説の概要
物語の語り手のサーバーがエリオット(聞き手で読者の代理人)に話 をする。なぜ、彼が才気縦横の画家リチャード・アプトン・ピックマン との交友を絶ったのかを。
サーバーは自分がピックマンの一番の親友(絶交する最後の人)だと 弁明する。動機をはっきりと表現することによって、サーバーは彼が神 経質で地下鉄と地下室を恐れることを、、正当化しようとする。
問題はピックマ ンの心をかき乱す主題を持った作品ではない。にもかからわず、彼のぞ っとするような絵は「…10票中9票の賛成で、ボストンの家やクラブ から追放されるには十分だったんだ。」芸術的には、サーバーはピック マンの独特の才能をひたすら賞賛した。彼は、ある程度以上偉大である 芸術家にしか、真の恐怖の本質を捉えることは出来ないと理論づけた。 悪夢にしろ、魔女のサバトにしろ、悪魔の肖像にしろ、何にしろ。「こ ういうヤツラにしか捉えられないものがあるんだ〜生を超えて〜私達を 少しの間捉えて離さないものが。」
ピックマンはそんな芸術家だった。
サーバーはピックマンが彼のアトリエに自分を招いてくれた時のこと を思い出す。捻れた迷路のようなボストンのオールド・ノースエンドの 通りに隠れた、古ぼけた老朽化した建物に。ピックマンはこんな場所を 求めていた。なぜなら、そこで彼は「古代の恐怖の夜の精霊の捉えて、 ニューバリー通りに存在するとは思っても見なかったようなものの絵を 描くことのできるからだ。」彼は「地下室にある奇妙な古いレンガ造り の井戸」の為に、ある特定の建物を借りていた。なぜなら、それが街の 地下にある過去のトンネル網に通じていると彼が信じていたからだ。大 部分が陥没したり、レンガに覆われてしまってたりしているトンネル網 に。
私達の語り手は、アトリエ自体とそこにあった数々の絵の様子を描写 するのを続ける前に、アルコールで自分のことを元気付けなければなら なかった。「悪魔的な肖像画」を、もっと特定すると食屍鬼を描写する のに。「彼らは普通は餌を与えられていたんだ。」とサーバーはエリオ ットに言った。「何を与えていたかは言いたくも無いが。」
ある部屋でピックマンは「植民地のニューイングランドを地獄のよう に変えてしまった絵」を展示していた。とりわけ動転させられたのは、 「レッスン」と題されたものだった。「…円形にうずくまっている、犬 に似た名も無きもの達が、教会の構内にある墓地で、1体の小さな子に どうやって彼らのように食べるのかを教えているんだろうか?」
別のキャンバスには、人間の家族の中に混じって、その子に良く似た 食屍鬼的ものが描いてあった。「…この上なく皮肉なピックマンが、[取 りかえっ子のような]ピックマン自身にとても似ていると知覚できるよう な容貌をその絵の食屍鬼に与えていた。」
次の部屋には現代風の背景にして、もっと数多くの食屍鬼を描いた絵 があった。地下鉄や、現代の街路や、見覚えのあるスカイライン(※高 層建築・山・木などが空を背景に描く輪郭線のこと)となどを背景にし て。
サーバーはその芸術的な業績の質の高さにますます驚嘆する。そして 、ピックマンが「全く夢想家やロマンチストでないことに気がつき…。 」彼は「…徹底的に、勤勉でほとんど科学的とも言えるほど現実主義者 だった。」
それからピックマンはサーバーを地下室に導き、神秘的な入り口を覆 われた井戸を隠した後、、彼が実際に絵を書く場所に連れてきた。そこ でサーバーは数枚の未完の絵や、絵を書くのに使う道具の蓄えや、撮り 終えたカメラを見た。ピックマンは、背景を写真に撮るために使ってい ると弁明したが。
サーバーは、ピックマンがある絵に掛けてあった幕を取り除いて見せ てくれた時に、思わず大声をあげてしまう。ある、非常に大きくグロテ スクで、まるで生きているような食屍鬼の絵を見たときに。
妙なことに、サーバーの絶叫はピックマンを不安にさせた。
絶叫に反応として、奇妙な雑音が次の部屋から聞こえた。ピックマン は次の部屋に立ち去り、レボルバーで6発全部打ち尽くしてから戻って きた。「…古井戸をはびこる丸々と太ったネズミを呪いながら。」
その夜のお終りにサーバーはピックマンと別れて、二度と彼に会わな いことを決心する。
サーバーのモノローグは、彼がアトリエでポケットに入れて持ってい た1枚の写真をエリオットに見せるところで終わっている。それはピッ クマンが言っていたような背景の写真ではなかった。その代わりに、見 るも恐ろしい食屍鬼が写っていた。
ラヴクラフトの話は預言的に、芝居がかって、いつものようにイタリ ックで終わっている。「…ライオット、神にかけて、それは生きて いるものの写真だったのだ」
分析
「ピックマンのモデル」を映像に変化させるために必要だった、変化 と歪みをちょっと見てみよう。
この絵に関する物語は「ナイトギャラリー」の統一的なテーマのため に注文を受けて作られたものだが、なぜ外でもないこの話が選ばれたの かということに人は驚くだろう。TV映像化の上での困難な点は、無数 に明白にある。”原作に忠実な”演出をする方法は無い。これは全て語 りであって、緊迫感に欠ける。このサスペンスは、アクションと戦闘か らと言うよりは、議論と皮肉から作られているものだから。より明確に 言うと、そこには全くアクションや戦闘といったシーンが無いのだ。戦 いと射撃でさえ、”画面の外”でしか起きていないのだ。登場人物同士 には重要な関係が全く無い(私たちはピックマンの友達付き合いが減っ ていくことなどどうでも良いのだ)。怪物は全く姿を現さず、絵さえも 示されない。もしラヴクラフトが描写したように怪物を再現しようとす ると、それは面白みがなく、1971年にTVで放映するには下品すぎ るとみなされただろう。
ピックマンのモデルは色々な意味で、ラヴクラフトの初期の典型的な 作品である。「クトゥルー神話」と呼ばれる作品を書き始めるよりも少 なくとも1年以上前の作品なのだ。脅威は「コズミック」というより明 確に表現されている。そして知的な語りの技法〜ぞっとすることが存在 することの予期〜が効果的に用いられている。しかし、視聴者を登場人 物に共鳴させるためにアクションと戦闘が、直接的ですぐ隣にある危機 と結びつくことを要求されるゴールデンタイムのTVドラマには不適当 である。
脚本家のアルヴィン・サピンスリーは難事業をやらなければいけなか った。
ナイト・ギャラリーの1作品「ピックマンのモデル」の概要
食屍鬼の絵が、サーリングの導入コメントからラヴクラフトの物語へ の場面転換に用いられている。この物語は短編小説のように、2人の男 が話しているところから始まる。ここでは、彼らの会話は骨組となる物 語として使われている。
画廊の持ち主のラリー(ジャック・リヴィングストン)と画家のエリ オット(ヨシュア・ブライアント)がエリオットが新しく借りたアトリ エで会っているところである。彼らはエリオットが引っ越してきた時に 発見した絵について議論している。これが正真正銘ピックマンの作品な のか?それとも違うのか?
本物のピックマンの作品が最近のオークションで10万ドルで売られ たと、ラリーが説明する。ピックマンは75年前に親戚も友人も相続人 も無いまま姿を消したので、目下の事情では、その絵はエリオットが売 ることができるものだ(エリオットの家主の所事物への権利は言及され ていない)。
そこから話を進展させて、彼らは、長い間誰も住んでいなかった、エ リオットが借りたこの建物がピックマンの昔のアトリエだったに違いな いと結論する。
再びその絵を場面の移行の道具に用いて、75年前の回想場面になる 。異彩を放つ若きピックマン(ブラッドフォード・ディルマン)が彼が 雇われている女子学校の美術の講義をしている。彼には冷笑的な魅力が あり、ウィットに富んでハンサムであり、生徒に見たものを描くように 言っている。もう既に短編小説中に出て来るキャラクターの3次元版を 超えた設定である。
くすくすよく笑うゴールドスミス嬢(ルイーズ・ソーレル:だいたい 小説でのサーバーの役に相当する。)は、描いた食屍鬼をピックマンが どこで”見た”のかを不思議に思う。彼は、「”心の目”で見たのだよ 。」と答える。
彼は彼女が今描いている絵をじっくりと調べる。萎れた花を挿した花 瓶の横にピックマンの顔が描いてある。
「これが君が僕の中に見たものかい?」と彼は尋ねる。
「これは悲惨なものを意味するのではないんです。」と彼女はきまり 悪そうに釈明する。「力みたいなものとか、人を引きつける力とか、何 か先生の目の中にあるものを描こうとしただけなんです…。」明らかに 、この若き乙女は先生にぞっこんである。
授業が終わると、新しい衝突がデウィット婦人(ジョウン・トンプキ ンス)という姿をして現れる。見たところ彼女は校長先生のようである 。彼女は、ピックマンを解雇する。なぜなら、彼が大概悪い見本を示す し、彼の作品は上品な若き乙女にふさわしくないからだと彼女は言う。 ゴールドスミス嬢は偶然にもこの話を聞いてしまう。彼女が彼を慰めよ うとすると、ピックマンは非常に感情を害したらしく、話の途中なのに 、自分の絵を持って出て行ってしまう。
もうくすくす笑ってはおらず、説明のつかないほど自信を持ってはっ きり考えを表現できるゴールトスミス嬢は下層階級の食堂まで彼を追っ てきて、あつかましくも、彼女自身を”共感した仲間”だと称する。
「私は今まで人間的な交際が必要だとは感じたことが無い。」と彼は 拒絶する。
「それなら、あなたのそんな気持ちを目覚めさせることを私の課題に します。」と生意気に、上品でないやり方で彼女は座る。そして、彼女 をお茶に呼ぶようにさせ、短編小説で彼女に相当する人物がしたように 、絶交するよりは、彼の友人になることをはっきりと決めた。彼女はま た、ピックマンが手袋をしていることに気がついた。実際、彼は急いで 隠そうとする(手袋の話がなんで美術の時間に問題になっていなかった かは説明されないが)。
この短編小説を映像化するにあたって、脚本家のサピンスリーが付き 添い人の感情によってロマンティックな緊張感を確立するために、登場 人物の性を変えたことは賢明であった。しかしながら、彼〜かもしくは 、監督のレアード〜がこの若き乙女をどう扱うかをよく分かってなかっ た様に見える。最初は彼女はちょっと愚かな少女として現れて、その次 はたぶん1971年型のフェミニズムによって彼の帽子にチップを放り 込む、サピンスリーは彼女を落ち着き払った、考えをはっきりと表現す る、目的を持った若い女性にしている(性格の矛盾のつじつまを合わせ るために、この話の終わりに彼女はもう一度、もっとイライラさせるよ うな変化をする。言い替えれば、ステレオタイプな女性への逆戻りであ る。)。
僭越にも、ゴールドスミス嬢はピックマンが自分の魂を獣のように見 ていることを非難する。そして、彼が彼の魂を誤って見ていることを保 証する。
このひやかしに我慢できずに、ピックマンはアトリエに絵を描きに行 くと言う。ゴールドスミス嬢は自分をアトリエに招待してもらってつい て行こうとする。彼女は好奇心に飛んでいて、彼はある一連の絵を描い ているが、あまりに恐ろしいものなので、それらを眺めると男(man)は 石になってしまうという噂を聞く。(明らかに彼女は、女性(women)は 免除されると思っているようだ。)
彼はこの強い欲望の源を説明しなかったが、ピックマンはとてもその 絵を描きたいと駆り立てられていることを認めた「…気味の悪い種族に ついての伝説、腐敗したスライムよりも不潔で胸がむかつくような、地 獄の壁にすがりつき…地下深く暗いトンネルの中に棲み、…彼らのとて も不快な行為を実行し、彼らの膨れた群れが最終的に、有害な疾病のよ うに立ち上がり、地球を奪い取るその日が来るまで、彼らの不潔な落と し子を育てるために…真夜中に地表に出て来るものを描くために。」
このセリフは、ラヴクラフト調の書き方だが、どこにも原作には出て こない。しかしながら、〜古き種族とその増大による人類への脅威とい うものをちゃんと備えている〜というところに含まれている「ピックマ ンのモデル」の解釈は、ラヴクラフト独自のもの4 より、より”クトゥルー神話”的なところを指し示している。
明らかにピックマンの強烈さと、ぞっとするような言葉に振りまわさ れて、ゴールドスミス嬢はその絵を見ると強く要求する。再び彼は拒絶 する。最後の手段として、彼女は彼に恋していることを白状する。
見たところ冷静に彼は歩いて去って行く…しかし、実は慌てて出て行 ったので、絵を置き忘れてしまう。
次のシーンでゴールドスミス嬢は、おじのジョージ(ドナルド・モフ ァット)とピックマンについて議論している。彼も不浄な夜行性の獣の 伝説を知っているが、その伝説を笑っているようには見えない。彼はそ の伝説について、幾つかの詳細を付け加えた。女性が夜に不可解に姿を 消してしまうことも含めて。
ジョージおじさんは、姪(ゴールドスミス嬢)の持っていたピックマ ンの絵にある通りの風景を調べる。それはピックマンの部屋の窓からの 眺めである。そう、彼らは背景から絵の作者(ピックマン)のアトリエ を捜し出せることに気がつく。
この絵と街の景色の重ね合わせは、美しく問題を解決させ、それが描 かれているノースエンド通りに辿りつかせる。決心の固いゴールドスミ ス嬢は、絵を手に持って、ピックマンのアトリエを突きとめる。勇敢に も〜怪奇物語の多くのヒロインのように〜彼女は、私達が奇妙なグロテ スクにずるずるすべる形をちらっと見ることが出来るもののいるところ 、の中に踏み込んで行く。明かりが神秘的に消える。ネズミが素早く走 り回る。そして彼女が暗い階段を上って進んで行くのを後ろから赤い目 が追っている。これらの突発的に出てくるものと、その暗示は全くもっ てラヴクラフト的である。
一番上の階で、彼女はピックマンの寝室かつアトリエを見つける。そ こは現実離れした恐ろしい獣の絵で溢れかえっていた。
ピックマンが現れて、彼女に帰るように命令する。彼は彼女から絵を 奪うと、エリオットが75年後に発見する場所に隠す。そして、彼女は 帰らなければならないのだと繰り返し言う。しかし、私達は彼の口調か ら何らかの同情を感じ取ることが出来るないだろうか?結局のところ、 たぶん彼は彼女に何らかの好意をもっている。
隣の部屋の音が、もうすでに時遅しだと、彼に知らせる。
ピックマンは棍棒を持って弁解をする。「あなたは理解しなかったの ですか?私が「私には人間の共感など何の役にも立たない」と言った事 を。」と言って。
今や一人になって彼女は絵を見る。そして、ジョージおじさんがその 生物について何て言っていたかを思い出す。人間の女性を生殖という不 潔な目的のために連れ去ってしまうことを。この緊張したシーンの中、 注意を怠らない視聴者は、ゴールドスミス嬢が2枚の絵を並べて見てい るうちに、彼女と同じ結論に達する。最初の絵は獣によって連れ去られ ている女性の絵である。次の絵では、同じ女性が見たところ彼女の息子 のように見える不吉な若者の横に立っている。
あれは若き日のピックマンなの?
彼女はピックマンが、何ものかに本来いるべきである地下室に戻るよ うに命令しているのを聞く。唸り声が聞こえ、そして戦う音がして、あ わだたしく音が止まる。
ピックマンが戻って来たのかしら?
掛けがねが回って…ドアが開き始める…。
大きな爪のある手が見える。手袋なしのピックマンの手なのだろうか ?
歯をむき出してうなりながら怪物が歩いて入ってくる。それはピック マンの絵のモデルだった。竜頭蛇尾の人とネズミと犬の雑種(「猿の惑 星」で有名であるアカデミー賞受賞のメイクアップ・アーティストのジ ョン・チェインバースがデザインをして、この食屍鬼を1週間もかけず に製作した。チェインバースはトム・ライトをクレジットに入れている 。彼は多くのナイトギャラリーに出て来る絵を描いていて、彼のこの生 物に関するコンセプトスケッチを元にこの着ぐるみを作製したからだ。 5
グールはゴースドスミス嬢を腕にサッと抱きかかえ、地下室へと向う 。ピックマンは彼女を助け出そうとする。怪物と人が苦闘する。戦いの 間、(もし視聴者が注意を怠らなければ)ピックマンの手袋の中がどう なっているかをかいま見る。予期していたように、大きな爪があった。 これが事件解決の手がかりになる。大きな手を持っていたことから、ピ ックマンが完全には人間でなかったことがわかる。また同様のことは、 これまでに言及されている絵からも推測され、彼が取り替えっ子のよう な絵の題材であったことが、あいまいに伝えられる。
戦う2人はバルコニーから転落する。一方”自由になった”ゴールド スミス嬢は、街路に逃げ出す前にぴったりにあった金切り声で叫ばずに はいられなかった。このステレオタイプな女性のような振る舞いは、現 代では特に不快に感じられる。1971年に製作された時には少なくと も前後矛盾した人物だったと理解されることだったろう。確かにそれは どんな時代においても臆病なことだと判断されるだろう。彼女はその怪 物がピックマンを地下室に運んでいる間に彼女の愛する”人間”を助け ようとする何の試みもしなかったのだから。彼女このTV台本はこの点 でうまく合っていない。なぜなら、彼女の無慈悲で歓迎されない干渉が なければこんな暴力と身の毛のよだつ思いは全く起こらなかったのだか ら。
もう一回の絵による場面転換がおき、少しだけ後の話になる。クライ マックスはもう過ぎた。ジョージおじさんとゴールドスミス嬢はピック マンのアトリエでレンガ積み職人を待つ間、思い出にふけっている。
「あの男は気が狂っていたに違いない。」とむさくるしい環境と気味 の悪い絵を見ながらジョージおじさんが言う。
「いいえ。」とゴールドスミス嬢は釈明する。「彼は見たものをその まま描いたのよ。そして彼そのものを。」
75年未来に飛んでエリオットとラリーと骨組となる物語が進行する ピックマンのアトリエに戻ってくる。ラリーは屋敷を探してピックマン の高価な芸術作品をもっと探そうとする。
地下で、彼らはレンガによって覆われたように見える井戸を発見する 。これは何なんだ?とかれらは不思議がる。2人はこの井戸を壊して中 を見ることに決める。しかし、エリオットは何を発見するかわからない ので躊躇している。「ピックマンの絵だけが消えただけではないんだ。 」と彼は警告する。「ピックマン自身もいなくなってしまったのさ。」
2人は井戸の中に入るために、つるはしで強打し始める。カメラは内 部を映し出す。そこでは1匹の怪物的な顔が待っていて、唸り声をあげ る。ここで「THE END」。
サピンスレーの台本は骨組みとなる物語を、古代の邪悪なものと、現 代を結びつけるものとして用いられている。しかしながら、正確には、 何がピックマンに起きたのかを知ることは出来ない(井戸の中の怪物に 変態してしまったのだろうか?)。私達は話が終わるとすぐに気がつく 。ラリーとエリオットは〜そして、このまま広がって行けば他のどんな 人も〜大きな困難にぶつかることを。 何か恐ろしいものが再び世に放たれたことを。
脚本が小説より良く出来ているところはたくさんある。次元も増えて いるし物質も多く用いている。しかし不幸なことに、ある意味では時代 遅れになってしまっている。原作小説は時代遅れにならないが。
陰気な話の陰気な映像化だ。しかし、我々が持ってる中で2番目に良 い作品だ。
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