遠藤俊介写真集『カンボジアの子どもたち』


  

朝日新聞『天声人語』雑誌『AERA』で紹介



 初めてカンボジアを訪れて、人々の笑顔に驚いた。カンボジアは貧しくて危ないような国だと、勝手に思っていた。人々の笑顔が忘れられず、再訪するまでにそう時間はかからなかった。宿のオーナーが覚えていてくれていたのが何よりも嬉しかった。これがずるずるとカンボジアへ通うきっかけになった。

カンボジアで撮影を続けていると、カンボジア=危ない、貧しい、地雷だらけ……そんなことばかり言われた。だから貧しいけれど、笑顔のカンボジアを撮り続けようと決めた。

 本書は、私がこれまで撮りためてきたカンボジアの写真の中から、とくに思い出に残る子どもたちの写真を集めたものです。あいにく、私はいま病床にあるため、編集作業は思い通りにははかどりませんでしたが、多くの方々のご協力を得て何とか形にすることができました。(遠藤俊介・本書あとがきより)


元カンボジア大使今川幸雄氏評
「カンボジアに関する多くの著作の中でも、カンボジアとカンボジア人の美しさと善意、気高さを正しく伝える最高の名著は、遠藤俊介氏著『カンボジアの子どもたち』をおいて他にはありません。」


「平和を享受するということ」――写真集「カンボジアの子どもたち」に寄せて

 遠藤さんがカンボジアに通いはじめたのは、一九九九年七月だった。以来、精力的にカンボジアを訪ねては、愛用のカメラで写真を撮り続けてきた。彼はカンボジア人の懐に飛び込むような付き合いを繰り返していたから、友だちが多い。いまでも、彼のメールにはカンボジアからのメッセージが絶え間なく届く。
 そうした付き合いをしていたからだろうが、この写真集はどの頁のどの写真からも、遠藤くんと一人ひとりとのコミュニケーションが滲み出ている。実に温かい。気取りがなく、衒いもなく、こんな風に素直に人びとをカメラに納めることができたのは、彼の天性だといえるだろう。
 子どもたちは正直だから、嫌な相手に対しては、しばしば表情に出してしまう。それだけに、彼と子どもたちとの間がいかに通じあったものかが画面に表れている。わたしたちが写真に引きつけられるのも、撮る側、撮られる側が醸し出す温かなもの、その奥に漂う哀しみを感じとるからだろうか。
 彼は写真表現の腕も確かだ。人物と背景の配分、光と影の取り方、色彩の捉え方、構図の作り方など自分が伝えたいことに即している。写真は多くの場合、被写体で半分以上が決まる。人物でも風景でも、植物や動物でも。ドキュメンタリー写真はとりわけ相手に寄りかかる比重が大きい。それだけに、相手から排除されてはカメラを構えることも難しくなってしまう。
 東京工芸大学に在学中から、遠藤さんは学生にも教員にも学校のどのスタッフにも人気があった。たぶん特有の優しさがあり、包容力があり、相手の身になって接する真剣さがあり、そして真面目さとユーモラスさの同居があるなど、彼はたくさんの魅力を持ち合わせているからだったろう。
 遠藤さんのこうした様子は、フォトジャーナリズム研究室の主任教員をつとめていたわたしから見ても頼もしいものだった。  卒業して写真の仕事に従事する社会人となってからも、周囲に好かれ、写真の腕も信用され、着々とプロのフォトジャーナリストへの道を歩みはじめていた。そんな矢先に、こともあろうに彼は、白血病という重い病に倒れた。どれほど、悔しかろう……。落ち込んでしまう自分を奮い立たせるように、病室の彼は二〇〇〇四年からはじめていたブログを「闘病記」に改めた。そのなかで時折、カンボジアの写真も載せながらプロへの志を保ち続ける。
 回復して、また大好きなカンボジアへ向かうことを願いながら、彼はもっか治療に専念している。この写真集は、再び訪れるカンボジアの人たちへの大きな贈り物にもなろう。子どもたちの両親や祖父母は、あの大虐殺(ジェノサイド)政策を行なったポル・ポト時代を体験した。けれど子どもたちは、甦り復興した祖国の平和を享受できる状況のなかにある。遠藤さんは、平和の大切さを子どもたちのなかに見たのだろう。どの写真にも彼のそうした思いの深さが写っている。
 遠藤くんが長年にわたってすてきな触れ合いをしてきた様子が、子どもたちの写真を通してしみじみと伝わってくる。だからこそ、観るわたしたちの心を和ませてくれるのだろう。

        二〇〇七年三月    東京工芸大学教授  大石芳野

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