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1977年東京都板橋区生まれ、鹿児島県鹿児島市育ち。チーム落ち着きをもたらすベテラン・フォワード。
小学3年でサッカーを始め、地元の中学から鹿児島実業高へ進学。名門校で1年生からポジションを掴むと、3年時には高校選手権で優勝を果たした。卒業後は鹿島に入団。しばらく雌伏の時を過ごすも、トルシエに抜擢された99年の五輪予選でブレイクしゴールを量産、一気にA代表まで駆け上がった。しかしその後はプレーが淡白になり出番が減少、横浜FMへの期限付移籍などを経て、05年に神戸へ完全移籍。07年は股関節の故障に悩まされて年間わずか25分の出場にとどまり、オフに構想外となっていた。
若手ばかりのFW陣にいいお手本をと獲得された、経験豊富な元五輪代表スター。U-22当時は長身を生かしたダイナミックな動きでアジアでも有数の速さと高さを誇ったが、それ以降点取り屋の道を歩むことはなく、サイドへ流れてはチャンスメイクに精を出す実に日本的なFWに成長した。神戸ではバクスターがストライカー役を期待せずMFで起用したところ、スペースを突く動きや懐深いボールキープで意外に機能。ベガルタでもそういう仕事を任せるならスタメンの線は大いにありそう。無論怪我が治っていればの話である。
ちなみに手倉森監督とは旧知の間柄。スポーツ報知によると、「2人の縁は平瀬が新人時代の96年に、指揮官が山形からコーチ研修で訪れた鹿島で始まった」とのこと。
【豆知識】
- 鹿実では久永辰徳(福岡)、牛鼻健(元・福岡)と同級生。二年後輩に田ノ上信也がいた。
- 鹿島でのプロ入り同期は、FW柳沢敦(現・京都)、DF池内友彦(札幌)。
- 99年暮れのNHK紅白歌合戦にゲスト出演した。
- 故障がなかなか癒えず07年のオフには引退も考えたが、「もう一度見たい」と涙ぐむ奥さんの姿を見て、再起を期してベガルタへ移籍。
- 背番号14は神戸時代と同じものを希望しただけ。入団会見で記者から「岩本輝雄選手がつけていた重要な番号ですが」と聞かされ、困惑した。
- 試合の中でリズムを作っていくタイプなので、途中出場よりもスタメンの方がやりやすい。
- 山形とのみちのくダービーを経験するまで、日本のダービーマッチはたかが知れていると思っていた。
- 話しかけづらいオーラがあるとよく言われるが、実は人見知りなだけで、気取っているわけではない。
- 若手FW陣と居残りでシュート練習に励む「平瀬塾」を開講中。練習内容はジーコ直伝のものらしい。塾生は弾、中原、西山、三澤ら。
- 神戸時代、MF三浦淳宏と居残り練習をしたことがいい経験になったので、今度は自分が後輩と一緒にやってみよう…というのが平瀬塾開講のきっかけ。
- しかし「平瀬塾」という言葉はマスコミ先行の用語で、本人は塾を主催しているつもりなどない。技を伝授してやろうというようなおこがましさはない。
- ベガルタ仙台ゴルフ部に所属。メンバーは永井部長、木谷、岡山、千葉、磯崎、梁、飛弾など。
- 将来の夢は田舎でサッカーを教えること。
経歴
| 年 | チーム | カテ | リーグ | カップ | 天皇杯 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 89年 | 西陵小 | |||||
| 90年 | 西陵中 | |||||
| 91年 | 西陵中 | |||||
| 92年 | 西陵中 | |||||
| 93年 | 鹿児島実業高 | |||||
| 94年 | 鹿児島実業高 | |||||
| 95年 | 鹿児島実業高 | 高校選手権優勝 | ||||
| 96年 | 鹿島アントラーズ | J | 0 | 0 | 0 | |
| 97年 | 鹿島アントラーズ | J | 1(0) | 0 | 0 | 1st優勝、ナビスコ杯優勝、天皇杯優勝 |
| 98年 | CFZ do Rio | BRA | 期限付移籍 | |||
| 99年 | 鹿島アントラーズ | J1 | 22(5) | 2(0) | 2(0) | ACWC3位、AFC月間MVP |
| 00年 | 鹿島アントラーズ | J1 | 26(11) | 5(4) | 5(0) | ナビスコ杯優勝、2nd優勝、リーグ年間優勝、天皇杯優勝 |
| 01年 | 鹿島アントラーズ | J1 | 23(0) | 3(1) | 3(2) | 2nd優勝、リーグ年間優勝 |
| 02年 | 鹿島アントラーズ | J1 | 7(2) | 5(1) | - | |
| 02年7月 | 横浜F・マリノス | J1 | 19(2) | - | 2(1) | 期限付移籍 |
| 03年 | 鹿島アントラーズ | J1 | 28(7) | 4(1) | 4(0) | A3優勝 |
| 04年 | 鹿島アントラーズ | J1 | 11(0) | 5(1) | - | |
| 04年8月 | ヴィッセル神戸 | J1 | 10(1) | - | 1(0) | 完全移籍 |
| 05年 | ヴィッセル神戸 | J1 | 19(4) | 3(0) | 1(0) | |
| 06年 | ヴィッセル神戸 | J2 | 30(3) | - | 1(1) | J1昇格 |
| 07年 | ヴィッセル神戸 | J1 | 3(0) | 1(0) | 0 | 選手会長、恥骨結合炎、契約満了→移籍リスト |
| 08年 | ベガルタ仙台 | J2 | - | 完全移籍 |
| 年 | 主な内容 | |
|---|---|---|
| 95年 | U-18日本代表 | |
| 96年 | U-19日本代表 | |
| 99年 | U-22日本代表 | アジア一次予選、最終予選(予選通算17得点、得点王) |
| 00年 | U-23日本代表 | キリンチャレンジ、シドニー五輪 |
| 00年 | 日本代表 | カールスバーグ杯、アジア杯予選 |
リンク
2008
- Vegalta Sendai : 5/23(金)に誕生日を迎えた平瀬選手にお祝いがありました
- 河北新報 : ピッチサイド/“平瀬塾”人気
- 河北新報 : ◎平瀬間に合った「フル出場いける」けが回復順調
- スポーツ報知 : [これがJ1への最終兵器・ベガルタ](上)…平瀬、代表の実績
- 河北新報 : 新加入ベガ戦士たち(1)FW平瀬智行/新天地で再起誓う
- ベガパラ : 平瀬選手インタビュー
- Vegalta Sendai : 「2008 新加入選手記者会見」が行われました。














