始点の羽前高松駅(A参照)はJRの一ローカル駅となり、今はただただ漠然と駅前広場が広がるばかりで、ここから別の鉄道が出発していた気配すら伺えない。
当時の山形交通線はJRのホーム脇から西に向って出発していた。 |
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A |
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| 02年8月 |
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B |
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ほんの少しだが、駅の南方に当時の小高い築堤跡(B参照)を見つけることが出来、その先の小さな鉄橋(C参照)は今でも健在だ。 |
| 02年8月 |
その後廃線跡は大きく右にカーブを描き北西に方向を変えるが、次の新田駅まではほぼ農地に転換され、跡地の判断は不能となる。
この農地の中には、当地の名産さくらんぼ畑も多々見受けられる。
新田の駅跡も農地に飲み込まれ、さらに少し進んで体育館の脇をすり抜けると最上川の支流、寒河江川にぶつかる。 |
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C |
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| 04年6月 |
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D |
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川を越える「みやま橋」は掛け替えられ自転車道となるが、橋を渡った向側の鉄道跡地は舗装され自動車も通行可能な生活道に再用されている。
ただこの道は国道112号線と平行し、近年はさらにバイパスも完成したため利用する車も限られ通行量は少ない。
次の白岩駅もこの道路沿いで、場所は現在の中町公民館のところ。
敷地の隅に、過去ここに駅があったことを記す記念碑(D参照)が建つ。
上野駅(E参照)は写真では交差点の向側にあり、国道よりの取り付け道路が今も残る。山形交通線跡は引き続いて道路に転用されているが、このあたりは生活道というより高速で飛ばす抜け道といった趣を感じる。 |
| 02年8月 |
さらに進んで宮内駅跡を過ぎると一旦寒河江川の支流「熊野川」で道路が遮断されるが、その先すぐ再び道路となる。ただこのあたりの道路は先程の上野付近と異なり、農地のあぜ道を舗装したといった様相に変化している。
熊野川橋梁も掛け替えが済んで、当時の様子は偲べない。さらに山形道をくぐり国道112号線と合流するが、この合流部手前が石田駅跡。ここから先は国道の拡張に利用されたためか当時の痕跡は見つけることが出来ない。 |
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E |
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| 02年8月 |
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F |
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次の睦合駅跡も国道に吸収されているようで、旧版地形図から現在のバス停付近かと推測するのみ。
この国道が緩やかに右に曲がり始めた地点から廃線跡は左に分かれ、海味を目指す。国道から別れた地点から「自転車道」に再利用され、これが終点近くまで続く。
開業当初の終点海味(F参照)には大きな駅前広場があり、今は公園として整備されているが幹線道から離れていることもあり利用者は少ない。 |
| 02年8月 |
海味からの連続した勾配を登り切るとそこが西海味で、駅跡は農協敷地内に「自転車広場」として整備されている。
この上り勾配の中に当時の橋梁を再利用した箇所も見受けられる。
最近一部区間でこの自転車道に沿った舗装道路が整備されはじめ(G参照)、当初の面影が失われつつある。 |
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G |
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| 04年6月 |
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H |
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余談だが西海味から西、自転車道の標識はあるものの(H参照)車両進入禁止の標識がなく、自動車も通行可能なのか判然としない。
ただ途中交差する道路からの自動車進入は禁止されているようで、規制が徹底していないだけなのかもしれない。 |
| 04年6月/02年8月 |
道路真ん中に車道と歩道の区別らしき段差があるのも、また不思議。
さて間沢駅の手前で自転車道は終わるが、この10m程先の民家脇の用水路に当時の橋台(I参照)が残り、今回の調査での大きな収穫となる。 |
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I |
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| 02年8月 |
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J |
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終点間沢駅跡(J参照)はバスターミナルとして利用されているが、廃止後しばらく待合室として使われていた旧鉄道駅舎は新しく建て替えられてしまった。
これは旧老化によるものか、敷地に接する前面の道路拡張に伴うものかははっきりしないが、ファンにとって残念なことだけは確かである。 |
| 02年8月 |
| 保存車両 |
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G |
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| 04年6月 |
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