| 大正6年に建設された川村造船所が三井造船玉野事業所と名を変え、旧国鉄との専用連絡線を敷設しようと計画したことがこの鉄道の始りとなった。専用線は未成のまま終ったが、その用地を再利用して旧市街地とJR玄関駅を結ぶ地方鉄道が生れた。わずか5km弱のこの小私鉄を始発駅からたどることにする。 |
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A |
01年01月 |
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旧国鉄駅に隣接していた始発の備南宇野駅跡(A参照)付近は現在駐車場として活用されている。
宇高連絡船の廃止後、現JR線が短縮されるなどの変更もあり駅周辺の状況は一変している。
駅前のアーケイド商店街も寂れて、シャッターが閉じられたままの店も多い。残念ながら、瀬戸大橋の開通は当地に大きな影響を与えているようだ。 |
現JR線に沿って北上する玉野市営鉄道(B参照)は、やがて大きな左カーブで反転し南へと向きを変える。
カーブ途中で旧国道30号線と交差するがこの西が広方(広潟?)駅跡で、ここから開業当初の終点玉まではほぼ全線にわたって歩行者用の遊歩道に転用されている。
市街の中心地を直線で通っているせいか学生を含め自転車での利用者はかなり多い。 |
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B |
01年01月 |
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C |
01年01月 |
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カーブが終り、線路跡が南西に向きを変えたあたりが玉野高校前(C参照)跡だが、開業当時は玉野公園前の駅名だった。
下記参考資料1にはこれがホーム跡との記載があるが、実際の遺構とは考えにくい。 |
廃線跡を利用した遊歩道を南西方向に少し進むと天狗山のトンネルとなるが、ここは当時の鉄道用のものがそのまま利用されている。
トンネルを抜けるとそこが西小浦駅跡(D参照)で、ベンチなども置かれ利用者にはちょっとした休憩場所となっている。 |
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D |
01年01月 |
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E |
01年01月 |
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ここから市役所までは低い築堤(E参照)で続き、両側には自動車通行可能な生活道が並走する。 |
玉野市役所前駅跡(F参照)は今でもそれなりの微妙な駅の雰囲気を残したまま。近くには玉野市民病院などもあり、ここが玉野市行政の中心地となっている。
鉄道跡を利用した遊歩道は更に南下し、中山トンネルへ向け緩やかな上り勾配となる。
玉野市役所駅からほんの数百メートルの地点に古塩浜信号所があり下記参考webに場所の説明がある。
この信号所は上下列車の交換を可能にするため、開業後の昭和31年に設けられた。 |
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F |
01年01月 |
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G |
01年01月 |
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化粧直しされた中山トンネルを出て(G参照)緩やかな左カーブが終った地点が藤井海岸駅跡(H参照)。
参考地形図2には駅名が藤井と記されている。
当時は海岸が近かったのだろうが、現在はかなり沖まで埋立てられて海岸の名はふさわしくない。 |
また鉄道跡の近くには旧街道と思われる狭い道があり、付近ではつかず離れずといった感じで平行している。
しばらくしてこの旧街道と線路跡が接近する場所があり変則の交差点を形成するが、ここが玉野保健所前駅跡。
交差点の中もしくは前後にホームがあったのだろう。ただ同所にある現在のバス停名は宇野4丁目と表記されている。 |
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H |
01年01月 |
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I |
01年01月 |
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駅を出るとすぐに3番目のトンネル、大仙山トンネルとなる。この鉄道最後のトンネルだ。
トンネルを抜けるとすぐに2車線の舗装路と交差し、大聖寺の裾をかすめて白砂川の橋梁(I参照)へと続く。2車線道路との交差付近が大聖寺駅跡と思われるが、下記参考地形図2に記載がないため詳細は不明。また付近にそれらしき痕跡も発見できない。再度調べる必要がありそうだ。
白砂川を渡り三井造船所の敷地前を通り抜けると、三井造船所前駅へと到着する。工場正門の東寄りに駅と車庫などがあった。開業時はここが終点だったが乗客誘致のためさらに進路を右に取り、商店街入口の玉橋まで線路が延伸された。 |
開業当初は三井造船所前が玉と呼ばれていたが、この延長に伴って新たな終点が玉(J参照)となった。
運営が玉野市に移ってから更に渋川海岸までの延伸が計画され、玉遊園地前までが暫定開業している。 |
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J |
01年01月 |
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K |
01年01月 |
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この延長部は地形の関係から白砂川内に橋脚を立て、川の真ん中を鉄道が北に延びていたが(K参照)、現在はこの橋脚を利用して駐車場が作られている。
この河川内での延伸工事は橋梁工事と同様多額の資金が必要なはずで、玉野市営でなければ実現しなかったのかもしれない。 |
現在は白砂川に平行して新たに道路も造られ、これに沿って北西に進むと左手に玉比盗_社が目にはいる。
この向い側が玉比盗_社前駅跡と思われるが、痕跡はなく詳細は不明。
玉野市営鉄道跡地はやはり駐車場(L参照)として再利用されているが、この付近、白砂川の上部は完全に塞がれ、その状態が次の玉小学校前駅まで続いている。
この玉小学校前駅跡は側道の幅員が多少広くなっており、これを元に駅跡と判断する。 |
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L |
01年01月 |
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M |
01年01月 |
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対岸の道路拡張に邪魔であったためかこの先の鉄道橋脚は撤去されており、代りに河川内に張出した歩道が設置されている。
ただ付近の川底をのぞくと鉄道の橋脚跡(M参照)が今も顔をのぞかせている。 |
さらに道路沿いに進み、右に大きくカーブすると終点玉遊園地前駅跡(N参照)。多少広くなってはいるが、痕跡もなく駅跡らしき雰囲気は一切感じられない。これはここが暫定の終点だったことが大きな理由と考えられる。また駅名の由来となるべき遊園地は下記参考webに説明がある。
どちらにしても鉄道を利用して遊園地まで遊びに来た人はかなり少なかったのではないかと想像する。
計画では更に渋川まで延長し海水浴客を誘致する予定だったが、目的を果すこともなく廃止を迎えてしまった。 |
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N |
01年01月 |
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写真撮影は平成13年1月 |