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A |
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JR尾道駅からこの鉄道の旅は始まる。構内の北、今では自転車置き場(A参照)に変身したものの、いかにも不自然な配置の側溝が当時の駅を物語る。現役時の写真は下記資料1・2から偲ぶことができる。
尾道から西に向かって出発し、数百メートルの場所に仮駅御所橋があったが今はバス置き場。この先半径80mの急カーブで北に方向を変えると開業時の起点西尾道駅となる。
この駅跡は民家となり、カーブ地点もホテルの駐車場に利用され当時の面影はない。 |
| 95年12月 |
さらに宮ノ前までの市街地はほとんど宅地化され痕跡もなく、土地の境界線に一部その跡をとどめるのみとなる。この境界線は地形図からくみ取ることは難しく、住宅地図を利用すると確認が取りやすい。途中青山病院前駅も完全に民家と化している。それにしても険しい地形のためか市街地の用水路の多さには驚かされる。
すっかり鉄道のにおいの消えた密集地を抜け郊外の様相を呈し始める宮ノ前駅まで進むと、近くの小川には当時の橋台が残り(B参照)、やっとこの地に鉄道が走っていたことを確認することができる。探索の中で一番うれしい瞬間だ。 |
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B |
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| 95年12月 |
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C |
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この北で国道2号バイパスをくぐると栗原駅。郊外に移るに従って遺構が見つけやすく、この駅の北にも橋台が残る(C参照)。
さらに山陽新幹線新尾道駅前を通り抜け、国道184号線と併走しながら尾道高校下に達するが、付近に当時の面影はない。 |
| 06年5月 |
ここからは一部生活道への転用も見受けられるが、大半は宅地として開発され三美園駅を含め三成までは跡地をたどることすら難しい。
三成駅手前で小川に架かる橋台跡(D参照)と、それに続く築堤跡が顔を出す。(この築堤はメールにて情報を頂いたものですが、肝心のメールが行方不明で連絡が出来ません。この場を借りてお礼申上げます。) |
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D |
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| 06年5月 |
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E |
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さらに続いて小さな橋跡(E参照)を見つけることが出来る。。
こちらは地元で上手に利用され、橋台の上には電車ではなくゴミ箱が乗っている。
この先鉄道跡は、廃止を待ち構えていたかのように国道の拡張やパイパス建設に利用され、終点の市を目指すこととなる。
次の木梨口駅、遊亀橋駅ともに既に国道に吸収され、跡地は地形に沿って大きなS字カーブを描く。 |
| 95年12月 |
木頃本郷手前で一旦国道から分かれ、ここに尾道鉄道時代の築堤(F参照)が当時の姿を現す。
開業当初、美ノ郷と称した木頃本郷駅跡には民家が建つが、付近にそれなりの痕跡を見いだすことが可能だ。
また、参考資料1によれば美ノ郷、木頃本郷両駅が共存した時代もあったように記されていて、これは駅名変更が数次にわたったことを示唆しているが、現地での確認はとれなかった。 |
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F |
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| 95年12月 |
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G |
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駅の西で木門田川を渡り(G参照)、再度国道と合流する。
石畦(いしぐろ)は廃止時の終着駅で、ホーム脇から乗り継ぎのバスが発着していた。 |
| 95年12月 |
この鉄道は尾道を出発するとほとんど片勾配の登りが連続していたが、石畦からはさらに急な登り坂が続いていた。
この急坂も今では拡幅され国道184号バイパスに転用されるが、ルートからはずれた4号トンネル(H参照)は歴史遺産として管理、保存され、また西校上付近の旧トンネルも歩道用に改修、再利用されている。 |
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H |
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| 95年12月 |
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I |
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サミット付近の畑駅(I参照)には貴重なホーム跡が今も道路脇に残る。
廃止後、撤去されやすいこのような施設を発見すると、また格別の喜びがある。 |
| 95年12月 |
諸原(J参照)は地方鉄道にはめずらしいスイッチバック駅で、この地の険しさを象徴するような駅だ。
ただ鉄道跡を利用して造られた国道バイパスはさすがにこのスイッチバックを採用せず、新設の急カーブ路で短絡させている。
残された鉄道路盤は舗装もされず、地元民の生活道路となっている。 |
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J |
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| 95年12月 |
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K |
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仮の終点として建設された市駅(K参照)は、現在では中国バスのターミナルと化し、当時の短い駅前道路が今もそのままで残る。
計画された上下までの延長はかなわず、この市駅からさらに線路が北上することはなかった。 |
| 95年12月 |
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