根室の町はずれ、JR駅とも全く連絡のない根室駅跡(A参照)は現在、根室交通バスの有磯営業所に利用されている。奥の建物は鉄道時代と同じ向きに建てられ、鉄道現役当時の駅前商店「いちまる商店」は現在も道の向側で営業中。
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A |
01年8月 |
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この始発駅はJR根室駅とはかなり離れた場所に位置し、運んできた物資の積替え方法が気になるが、当時JRは根室港までの貨物線が延びており、こちらとは近いためこれを利用していたとも考えられる。
根室駅を東に出発した根室拓殖鉄道はすぐにJRの貨物線を越えていたが、この貨物線もなくなって久しい。当初は鉄道のみが橋梁で越えており、現在の道路橋は鉄道廃止後その跡地を利用して建設されている。
連続した上り坂で市街地を越え太平洋側へと線路は続いていくが、坂を登り切った地点で左に曲ると鉄道跡は道道35号に吸収される。南側の歩道あたりが当時の線路かと推測される。 |
道道をしばらく進むと道は根室高校脇をかすめ大きなS字カーブを描く。これを過ぎると一気に下り坂(B参照)に変り、太平洋を右手に望みながら進むこととなる。
道路の勾配はかなりきつく鉄道はこの南側沿いをもう少し緩い勾配で下っていたようだ。ここで根室市街地は途切れ、この後友知までは道道に平行し、ある時はくっついたりまたあるときは離れたりしながら東に進んでいく。
道路からそれらしき築堤用の盛上がり(C参照)も望むことが出来るが、残念ながら入り込むことは出来ず確認がとれない。一帯は漠然と放置され、原野のごとくたたずみ、人が立入ることを拒んでいるようだ。 |
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B |
01年8月 |
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C |
01年8月 |
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鉄道跡は友知の手前で右から左へのS字カーブで平行する道道を横切り、その北へと位置を変える。駅への取付け道路と思われる道は今も健在だ。
この後左に大きくカーブを描きながら丘陵の裾を駆上がるが、付近はやはり足を踏み入れることが不可能で路盤跡の確認は難しい。
下記参考地形図から読みとれば丘陵を登り切った後は再度道道の左側付近を走るはずだが、これは丘陵上の根室GCゴルフ場境界付近ではないかと推測する。 |
その後しばらくは道道の北を近づいたり離れたりといった格好で東に向い、共利小学校付近で道路脇に急接近してくるが、ここにそれと確認できる初めての築堤(D参照)を見つけることが出来る。
更に道道からはすこし北に入ったところに位置するが、瑞泉寺の手前あたりに沖根婦駅があったようだ。現在、寺の参道となっている道が当時の取付け道路を兼ねていた様にも推測できる。
鉄道跡はこの後も人の手が加わることもなく放置され、原野の中では正確な位置を把握することは難しい。 |
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D |
01年8月 |
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しばらく進むと道道脇に接近し、その中でヒキウス川に架かる双沖橋北にそれらしき崩れかけた橋台跡を発見することができる。
橋を越えた地点で一旦道道の南に位置を変え道沿いを進んでいくが、跡地と特定できるものはやはり発見できない。1キロほどで道道の北に位置を戻すと道路からは離れ始め、再び原野の中に消えてしまう。
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E |
01年8月 |
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この原野の中で大きく南に向きを変えた根室拓殖鉄道はやがて歯舞の町に到着し、先ほどから並走していた道道35号を越えるとそこが終点の歯舞(E参照)。現在駅跡には地区の診療所が建つ。
廃止後しばらくは根室拓殖軌道の後継会社である根室交通が管理していたが、診療所の建設話が持上がった際に市に寄贈したそうだ。
また鉄道現役当時、駅周辺は活気に満ち、昆布の出荷が盛んに行われていたことを診療所の向いにある薬局で親切に教えて頂いた。 |
余談だが、このような営業中の店舗での聞き取りは、何でもいいからちょっとした買い物をすることも親切に教えてもらう一つの秘訣だ。ずかずかと入っていって商売の邪魔をしながら聞きたいことだけ聞いてサッと帰るような態度はおすすめできない。幸いこの商店には過去にも何人かが同じ目的で訪ねたようだが、全てによい印象を持って頂いているようで胸をなで下ろしている。
歯舞から先への延長も計画されていたが、残念ながらこれは実現とはならなかった。
また冒頭に記した大変ユニークだった車両の残骸でもないかと出来る限り手を尽したが、こちらも残念ながら当時の車両は発見できなかった。
訪問は01年8月 |