当初、豊平川左岸に敷設を予定していたこの鉄道は函館本線苗場駅からの分岐を計画していた。河川改修により実際のルートは左岸から右岸へと変更され、起点もこの国鉄白石駅(A参照)となった。
ここから北西に向うとJR線から左に分岐する線路跡を確認することができるが、残念ながらこれは国鉄の貨物線跡。定山渓鉄道跡は区画も整理され、今では跡地をたどることは不可能。 |
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A |
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| 94年5月 |
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B |
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苗穂から分岐する千歳旧線の開通と同時に設置された共同使用駅で、実質上の起点となった東札幌(B参照)。一時は千歳旧線を経由して札幌からの直通列車も乗入れた。
定山渓鉄道廃止後に千歳線は平和から分岐するルートに変更され、旧線はしばらく貨物線として使用されたが、これもやがて廃止され同時に駅も消滅した。 |
| 94年5月 |
1/2.5万旧版地形図「月寒 S10修正」および「札幌 S3鉄補」を比較すると、豊平駅は数百メートル東札幌寄りに移動されていることを確認できる。
廃止時の駅(C参照)は今でも当時の姿を残したまま、後継のバス会社事務所として活用されている。 |
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C |
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| 94年5月 |
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D |
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定山渓鉄道跡地はその後一旦生活道に転換され、更にその先で地下鉄南北線に利用される。この地下鉄は豊平駅〜澄川駅間(D参照)でシェルターを伴って地下から地上に姿を現す。 |
| 94年5月 |
澄川、慈恵学園、真駒内、緑ヶ丘の各駅が定山渓鉄道に設置されていたが、地上を走る地下鉄の駅はこれとは特に関連なく設けられている。
緑ヶ丘駅の近くに地下鉄の終点真駒内駅(E参照)が設置されたが、当時の痕跡等は見あたらない。 |
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E |
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| 94年5月 |
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F |
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緑ヶ丘駅を過ぎ郊外に移ると未利用の跡地(F参照)が徐々に姿を現す。 |
| 94年5月 |
| 当時の駅舎が未だ現役で残る石切山駅(G参照)。 |
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G |
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| 94年5月 |
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H |
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石切山駅〜藤の沢駅間。住宅地の中に利用方法も決らずに残る路盤跡(H参照)。 |
| 94年5月 |
石切山駅〜藤の沢駅間で見つけた豊平川支流に架かる橋梁跡(I参照)。
現在の河川名はオカバルシ川となっているが、当時の丸重吾川橋梁ではないかと推測する。 |
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I |
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| 94年5月 |
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J |
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藤の沢駅(J参照)は地下鉄の延長が考慮されたのか、きれいに整地され大きな空地となった。
今は藤野東公園として利用されている。 |
| 94年5月 |
| 下藤野駅付近(K参照)。線路跡は住宅に変り跡地をたどるのは難しくなる。 |
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K |
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| 94年5月 |
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L |
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東簾舞駅〜簾舞駅間。こちらも豊平川支流の簾舞川橋台跡(L参照)が当時の姿で残っている。 |
| 94年5月 |
| 簾舞駅(M参照)は当時から木材の集積地だったが、今も駅跡にはたくさんの製材が積上げられている。 |
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M |
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| 94年5月 |
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N |
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滝ノ沢駅(N参照)には空地が広がり、駅跡の表示もある。石切山にある選鉱所への貨物線もここから分岐していた。 |
| 94年5月 |
| 滝ノ沢駅〜小金湯駅間。再利用されるますの沢川橋梁(O参照)、設置されたのは送水管か。 |
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O |
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| 94年5月 |
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P |
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小金湯駅跡(P参照)には民家が建てられたが、それも今は放置されている。滝ノ沢駅同様、駅跡を示す標柱が残る。
一の沢駅〜錦橋駅間では平行する国道230号線から一の沢川橋梁跡を見つけることができる。隣に送水管が設置されているが、橋台そのものは再利用されていない。 |
| 94年5月 |
豊羽鉱山への貨物線が分岐し鉱産物輸送の拠点となった錦橋駅(Q参照)。今は空地となった構内はかなりの広がりを見せ、当時の活況がしのばれる。
鉄道跡地を利用した道路沿いにはホーム跡も顔を覗かせている。 |
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Q |
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| 94年5月 |
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R |
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白糸ノ滝駅(R参照)。温泉街のはずれに位置するが駅跡には娯楽施設が建てられている。 |
| 94年5月 |
温泉街の中心に設置された終点定山渓駅(S参照)。
今は公園となり当時の面影はないが、ここから更に南西に向って森林鉄道が延び、定山渓鉄道は行楽客と共に木材輸送にも一役買っていた。 |
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S |
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| 94年5月 |
写真撮影は94年5月 |