開業当初新武生と称した始発の社武生(A参照)は北陸本線の武生駅に隣接し、連絡通路により乗換の便を図っていた。
現在線路跡は道路、駅跡は駐車場や公園として利用されている。 |
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A |
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| 94年3月 |
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B |
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自転車置場となった福武口(B参照)。福武線との連絡駅として開業後に設けたと考えられるが、設置日は不明。福武電気鉄道との合併前後か。
貨物駅の北府は東西に走る県道の陸橋下。ここまでは線路跡が道路に転用され辿ることは可能だが、この先は工場内に吸込まれてしまう。 |
| 94年3月 |
北陸本線と並走してきた南越線も北府を出ると東に向きを変え、九頭竜川支流の日野川を鉄橋で渡る(C参照)。
川幅はかなり広く、建設にはかなりの資金を要したと考えられる。たぶんこの路線の中では一番の金食い虫だったのだろう。
幸いにも現在まで撤去されずに、当時の橋梁が自転車道として再利用されている。 |
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C |
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| 94年3月 |
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D |
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日野川を渡ると線路跡は生活道に姿を変え、地元民に活用されている。この道路途上に村国もあったはずだが痕跡は消え、駅所在地は特定できなかった。
確認はとれていないが現在は駅跡に福武線の旧車両が保存されているそうだ。 |
| 94年3月/80年 |
次駅の塚町(D参照)は西側が区画整理され跡地を辿ることは難しく、東側は農道もくしは生活道と呼ぶべき道路として活用されている。
北陸道をアンダークロスすると北村(E参照)。 |
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E |
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| 94年3月/80年 |
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F |
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ここからしばらくは2車線道路として転用されるが、途中からは浅水川橋梁(F参照)等を含めた路盤が放置されている。
小さな痕跡はこの付近に集中している。 |
| 94年3月 |
五分市(G参照)手前からは再び道路に転用され、線路跡に沿った大きなカーブを描く。
隣接する化学工場へは引込線が延び、この貨物輸送も重要な収入源だったが、合併により今では社名が変ってしまった。
駅がなくなり所在なげにポツンと取残された駅前商店だが、今もがんばって営業中だ。 |
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G |
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| 94年3月/80年 |
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H |
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線路跡道路を北北東にしばらく進みやがて東に向きを変えると、廃止時の終点粟田部(H参照)にたどり着く。
ここから次の岡本新までは宅地化され痕跡は見つけられない。 |
| 94年3月/80年 |
| 武生方面と戸ノ口方面とのスイッチバック駅、岡本新(I参照)は観光施設「和紙の里」の遊歩道として利用。 |
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I |
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| 94年3月 |
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J |
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岡本新から戸ノ口方面は一部が宅地化されるものの、ほとんどの敷地が道路に転用(J参照)されている。
途中定友、野岡、庄境、越前赤坂と各駅が設けられていたが、痕跡は既になく場所の特定は難しい。 |
| 94年3月 |
終点戸ノ口(K参照)は運送会社となっているが、各地の廃線跡でよく目にする光景だ。
貨物輸送で関係が深かった運送会社が利用したり、鉄道の後継会社が直接運営していることも多いようだ。
旧版地形図からは駅構内が北西方向を向いているように読みとれるが、ここから更に西に線路を延し、国鉄鯖江駅と結ぶ計画も立てられていたことと関係があるのかもしれない。ただし、この計画は夢に終っている。 |
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K |
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| 94年3月 |
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