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A |
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悠久山公園の北西角に接して位置するバス乗場が、この鉄道の南の終端駅悠久山(A参照)。
列車はここから西に向いて出発し長岡を目指した。 |
| 95年4月 |
| 栃尾線の中で最後に開通したこの区間は、路盤がそのまま放置され、次の長倉(B参照)も特に利用される様子もなく駅跡が放置されている。 |
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B |
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| 95年4月 |
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C |
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信濃川の支流である栖吉川を越えると一部が道路に転用され始める。
長岡市街中心地に向って土合口、大学前、高校前と各駅が続き、この間も鉄道跡は道路、宅地、自転車置場(C参照)等に再利用され、道路部分はシンボルロードと呼ばれている。 |
| 95年4月 |
国鉄との連絡駅でこの路線の中心駅、長岡(D参照)は上越新幹線の建設によって大幅に再開発され当時の痕跡は一切見つからない。
国鉄駅と仲良く並んでいた当時の様子が、下記参考webに紹介されている。 |
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D |
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| 95年4月 |
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E |
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ここからは信越本線に並んで北上し、袋町、中越高校前、下長岡の各駅が国鉄沿いに設置されていた。
この区間の跡地は大半が現JR用地に取込まれている。
また下長岡には車庫(E参照)があったが、ここは現在越後交通の関連会社が使用している。 |
| 5年4月 |
向きを徐々に東に変え次の下新保駅までに再び栖吉川を越えるが、橋脚(F参照)が当時の姿をとどめて河川敷から突出ている。
路盤は一部が宅地化、また一部は公園とされ、他は放置されたままといった状態。 |
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F |
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| 95年4月 |
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G |
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住宅地の中に突如として架線柱(G参照)が現れる、といった奇妙な風景に出くわすのもこの付近。 |
| 95年4月 |
東に向う鉄道跡が北陸自動車道をアンダーパスすると小曽根駅。
ここまでは上記同様な状態で続き、次の宮下駅(H参照)へは生活道として再利用されている。 |
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H |
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| 95年4月 |
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I |
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ここから浦瀬駅までの区間は農地として区画整理され痕跡はないが、成願寺川に当時の橋梁跡(I参照)を見つけることができる。 |
| 95年4月 |
農地の中で、北東に向きを変えるカーブ後に設置されていたのが浦瀬駅(J参照)。
県道8号に沿って駅があり、駅舎もバス停として利用されかなり長い期間残っていた。 |
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J |
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| 95年4月 |
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K |
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その先は路盤が放置され(K参照)、加津保、椿沢と各駅を過ぎる。
耳取駅付近では栃尾線跡に並んで二車線道路も建設されているが、鉄道用地を転用したものではなく、その横に新たに整備するという何とも珍しいケースとなっている。 |
| 95年4月 |
名木野駅(L参照)付近は一部が生活道路となり地元民に活用されている。
道路に沿ったホーム跡を確認することができるが、まさにホームの骸骨といったユニークな状態だ。 |
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L |
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| 95年4月 |
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M |
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駅跡を過ぎすこし進むと栃尾方面との分岐部(M参照)にでる。
付近に開業当初の上見附駅があったはずだが、資料もなく正確なことは不明で、痕跡なども見つけられなかった。 |
| 95年4月 |
見附の市街に延びる刈谷田川鉄橋(N参照)はしばらく旧状のまま保存されていたが、今は歩行者用道路として供用されている。
この橋は開業から数年後に完成し、見附市街まで列車が乗入れることとなった。
複線に見えるが実際は単線並列で運用されていた。 |
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N |
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| 95年4月 |
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O |
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栃尾方面と長岡方面へのスイッチバック駅である上見附(O参照)付近は一部道路となり、駅跡は越後交通バスの見附営業所となる。 |
| 95年4月 |
再び南に向った路線は刈谷田川南の分岐点から左に急カーブを描き、ほぼ真東に進路を取る。
その先の大半は自転車道として利用され始め、明晶、本明(P参照)、太田、上北谷と各駅を過ぎてゆく。 |
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P |
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| 95年4月 |
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Q |
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上北谷駅過ぎると一部は区画整理され農地となるが、以降は二車線道路の県道19号線に転用され、トンネルも鉄道時代のものが拡幅利用(Q参照)されている。 |
| 95年4月 |
栃尾線跡は、楡原駅、続いて工業団地を過ぎたあたりから県道19号と分れ、旧道沿いに進み、数百メートルで終点栃尾駅(R参照)に到着する。
市街地の北端に位置するが、ここも各主要駅同様、越後交通栃尾営業所のバスターミナルとして活用されている。 |
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R |
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| 95年4月 |
訪問したのは95年4月 |