防石鉄道を訪ねて 減速進行 > 防石鉄道
 地区:山口県防府市 区間:防府〜堀 軌間:1067mm 動力:蒸気・内燃

九州から山陰までを結ぶ、壮大な計画で設立された防石鉄道。設立当初は石見益田の石、三田尻の三から石三軽便鉄道と称し、開業時に防石鉄道と名を変えた。その後山口線が開通したことにより防石鉄道当初の計画はあえなく潰えている。
ここ中国地方には幾多の陰陽連絡鉄道が計画され、ことごとく挫折している。この鉄道も残念ながらその中の一つに数えられてしまった。裏返せば、廃止された鉄道が多いともいえる。

廃線跡はほぼ全線一般道に転用されたが、一部に当時の雰囲気を伝える駅跡などが残る。中でも手入れのよい保存車両などは、いかに地元の人がこの廃止鉄道を大切にしているか、その雰囲気が十二分に伝わってくる。


 略史

大正 3- 5/ 3 石三軽便鉄道 設立
5- 5/ 29 防石鉄道に改称
8- 7/ 5   〃 開業
昭和 39- 7/   〃 廃止

 路線図

防石鉄道路線図

* 地図上にマウスポインターを置くと防石鉄道を表示します


 廃線跡現況

現防府駅写真 A 今は防府と名を変えた三田尻(A参照)は、JRの高架化などにより大きく再開発され、防石鉄道の匂いはすっかり消えてしまった。

写真奥の方に防石鉄道の出発点があり、下記資料に当時の写真が紹介されている。

線路跡そのものは、駅前より続く細い道沿いに走っていた模様だが、現在はほとんど民地に変わっている。何か手がかりでもないかと西へ進むと、一部削られてはいるが小さい橋台(B参照)を見つけることが出来る。
03年1月
続いて進むと、廃線跡は県道185号線との交差箇所から遊歩道として再利用され、右カーブでやや北に方向を変える。

さらに旧国道2号線との交差点からは、中央を遊歩道、両側を車道とした変則道路として進む。やがて中央の遊歩道はなくなり、両側の車道だけがそのまま堀方面へと続くこととなる。

次に右カーブで北へ方向を変え県道54号と交差した線路跡は、道路脇の空き地として残り、そのまま周防宮市駅へとなだれ込む。駅跡は防府構内タクシーの営業所となり、バス等の駐車場も備え大きな敷地を確保しているが、これは鉄道時代ここに車庫を併設していたため。
B 防石鉄道写真
03年1月
この先廃止跡は県道184号と呼ばれる2車線道路に転用され、高速道路とJRを連続でアンダークロスする。この県道は歩道も広く、交通量もかなり多い。ただ県道転用時に路盤も大きく改良され、鉄道時代の遺構発見は大変困難になっている。また県道脇には、旧道がつかず離れずで並走するが、こちらは地元の生活道として活用されている。
真尾駅跡写真 C 県道を北進すると最初の駅が人丸で、駅跡は現在のバス停付近と推測できる。現在は横を流れる佐波川に道路橋が架けられているが、参考とした旧版地形図には記載がない。

次の真尾(C参照)にはホーム跡が残り、当時からあったと思われる駅前商店は今も健在。鉄道時代の雰囲気をよく残している。

奈美の場所ははっきりしないが、こちらも旧版地形図から判断して現在のバス停のあたりと考えられる。
03年1月
県道も鉄道跡地をそのままトレースせず、多少の位置変更を伴った可能性があるが、付近には人家も少なく残念ながら聞き取り調査はできなかった。
また人丸同様、現在佐波川に架かる橋も当時にはまだなかった。

それにしても、真尾、奈美と女性の名前にも似た優雅な駅名が続くものだ。

さて開業当初の終点上和字(D参照)も県道184号線上だが、駅跡にはホームや客車が保存されていて、それなりに手入れはよい。ここの駅名標、防府方面の次駅は真尾と表示されているが、旧版地形図では途中に奈美が加わっている。
D 上和字写真
03年1月
さらに県道を北上すると岸見伊賀地山根と続くが、旧版地形図からはすべて現在のバス停あたりと推測できる。岸見のバス停名は野尻、伊賀地は同名、山根は船津となり、それぞれ付近の集落名からとったようだ。また伊賀地山根は、道路幅員に駅跡らしいそれなりの広がりを持つ。

山根を出た防石鉄道は、の手前で佐波川支流の島地川を渡っていた。ここは佐波川との合流点で、斜めに横切る必要からかなり長い橋梁だったはずだが、道路橋して架け替えられ当時の痕跡は全くない。河川の改修に伴って、路盤のかさ上げも実施されたものと考えられる。

島地川を渡った後は本流の佐波川左岸堤防下あたりを走っていたはずだが、ここにもそれらしき構造物は発見できない。
堀駅跡写真 E 終点駅跡(E参照)にはアパートが建つが、廃止後は一旦バスターミナルを経て、さらに現在の姿に変わったようだ。
バスターミナルは主に駅北部の貨物ヤード跡を利用していたが、こちらも現在はすべて民家が建並ぶ。晩年の姿は下記資料の小さな写真により偲ぶことができる。

余談だがここの民家、別の場所の立ち退きに伴い集団で転居してきたものらしい。何の立ち退きか詳しくは理解できなかったが、既に20年を経過したそうな。

駅前には鉄道ありし頃からなのか、かなり歴史を感じる造りの旅館が今でも1軒営業中。
03年1月
また、駅跡に接する道は当時「駅前通り」と呼ばれていたと、地元の人が恥ずかしそうに教えてくれた。

写真撮影 2003年1月

 保存車両

上和字駅跡(F参照)の保存車両 F 保存車両写真
03年1月
保存車両写真 G JR防府駅西数百メートルの旧JR山陽線上に当時の車両が保存(GH参照)されており、程度はよい。
03年1月
同所には、レールは高架になる前のJR旧路線を一部残したとの説明がある。




F 説明碑写真
03年1月

 参考資料

鉄道ピクトリアル通巻160号/防石鉄道/窪田正実 著・・・私鉄車両めぐり
鉄道ピクトリアル通巻493号/中国地方の今はなき私鉄を偲ぶ

 参考地形図

1/50000 A 防府 [S32要修]   B 長門峡 [S32要修]  
1/25000 a 防府 [S26修測] b [該当無] c 矢田 *[S26修正]
d 島地 [該当無]

 地図の入手先
    国土地理院 >  地形図リスト > 入手方法


 参考web

 「なにそれ」 > 防石鉄道の足跡 > 防府駅 ・・・当時の駅舎を紹介

減速進行 > 防石鉄道 最終更新日2007-10/12   無断転載禁止