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~ライター・佐久間愛のページです。 |
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world symphony (06/12/9)
毎日聴いているからといって昼夜を問わず聴いていいとは限らない音楽がある。 いや、そんな万能な音楽なんて無い。少なくても良曲では…。
だれもが自然と用心してやりすごしている、そんなことでも、 ついつい忘れて痛い目にあってしまうときがある。
それは、隣でスヤスヤ寝ている確信犯にギョッとする瞬間のごとく鮮烈に痛さをのこす。
そもそも、私は夜生活者なのだ。 昼間の仕事でくたくたになって帰ってくる。 睡眠時間をけずって作る、或る意味「自分の時間」。 その間に繰り返し聴く、いつもの曲。
夏の長期休暇でのこと、 海辺と山が隣接するのどかな地域に車を走らせる間に、 その事件は起こった。
「あれ…?」 一人の夜は、 自分の心を「シーン」と沈静させることを約束してくれていた曲。 それが昼間のドライブでは恥ずかしくなるほどイタ痛しい。 同乗者の顔も見れないほどの苦笑いを、ども。
だが。
そもそも、、 この「シチュエーションフリー」でない「不都合」さ、 それこそにマイフェイバリットを感じてなかったか? 「特別感」の毒に食われてしまう瞬間だった。 「自分に合う」、「気持ちが良い」ものに対して侵食し、麻痺する「思い込み」。 信頼できる良さは「それさえも含めて」のことではなかったか。
world symphony/ACIDMAN
曲も歌詞もふり幅が広いこの曲は、実際どのひとの心にもマッチすることだろう。 タイミングさえあえば。
乱暴さを感じるストイックな歌い方、その歌詞の繊細さ、無音と 音の始まりがクッキリしたメリハリのある演奏。 そのバランス感覚や【丁寧さ】が生理的に気持ち良い。
全体のイメージ設定は「地球や人類のはじまり」で、壮大。 だが、実際に聴いていて必ず思い起こされるのは不思議と日常の1コマ。
例えば、
「何かの拍子、不意に目に見えないあたたかな存在を感じて、図らずも安らいでしまった瞬間」 「公園でぼぅ~っとしているとき、地面をついばんでいたハトが一斉に飛び立ち すごい羽音にわれに返る。」 そんな情景。
インナーマインドと対話できるとまでは言わないが
おそらく働くビジネスパーソンとっては特にお役立ち曲的存在として、君臨できるであろう この「world symphony」。 疲れた夜の音楽として、ただただ波長が合う。ハズ。
惚れたものというのは、えてして自分ならではの「許せる不都合さ」があるも
の、それが自分にリンクしたとき、人は誰かや物を好きになる。 その先にある、対する怠惰に自己嫌悪できることのほうが、ありがたい。 「未来」や「先のことばっかり考えて怖がっている」といえば、そうでもない。 そこまで手も気もまわらないのだ。
はて、私はなにをしていましたっけ…。 何をしたいんだっけ?
折れながら進んできた道を引き返すことはもう出来ないが 我に返らせてくれる存在はキッカケとして時に必要。 途方にくれ、世界を広く感じたとき、人波に揉まれるのではなく、 「自然の風」が吹く場所へ身をおきたくなるのは気のせいか。
そこでは、人工のもの、またある種「音楽」でさえその場にそぐわない。
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