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| ヤマハTY250Jが発売された頃 |
| このバイクが発売されていた頃、世の中はオイルショック・ドルショックなど日本の経済が大きくゆれていました。なぜかトイレットペーパーがスーパーの棚から消え、必死に買い求める人々がニュースになった頃です。 TY250は1973年12月から販売が始まり初期型は「TY250A」と呼ばれました。クランクケースカバーがアルミ製で幅広くバフ仕上げが特長でした。その後1975年3月から写真のようなカラーリングにのタンクなり、クランクケースカバーの材質がマグネシウムに変更され、エンジン幅を狭くしました。販売は1977年頃まで続き最終的には1978年で販売を終了しました。 当時の私は工作機械メーカーに勤めていました。製品を輪出に依存していた会社は円高の影響を受け業績は下降、「目の前が暗い時代」でした。そんな時代に定価28万円(給料の半年分)もする特殊目的のバイクが買えるわけもありませんでした。このころ新車購入できたのはごく一部のライダーに限られ、私には高根の花でした。TYシリーズは50、80、125、175、そして250とラインナップされて花やかな時代だったと思います。 |
| 旧車TY250Jがほしくなった |
| 1975年「暗かった会社」から転職。いつしかTY250Jは私の頭の中から消えていた。 そして20年が経過、運動不足解消のためマウンテンバイクを探していたが、そのうち自転車に「こだわることはない」と思うようになった。1995年1月の阪神淡路大地震で活躍したバイクを見て、トライアル車が欲しくなった。トライアルジャーナル誌を見て探したもののTY250Jは入手できなかった。 そのころTJ誌の広告でアプリリア・クライマー93年式(新車)が安く販売されていたので、近所のバイクショップで取り寄せもらった。とりあえず練習するにはピッタリ、ナンバーも付けて近場の足になった。 でも、TY250Jがほしい。トライアル車に乗るようになってから知り合った人に「ここ1年はまだ入手の見込みがある」との言葉に元気が出た。紹介してもらったオフロードバイクショップの店長のアドバイスや「口コミ」情報、いろいろな人にお世話になりました。おかげで、半年後にレストアベース車、1年後にスペア車が入手できました。 それまでに一度、雑誌に掲載された情報でTY250Jの問い合せをしたことがありました。先方に使い捨てカメラを送り写真を入手。バイクショップの店長に写真を見てもらうと「ウーン初心者にはムリ」。写真の物件は分解されている車体だったし欠品もあった。価格は手ころだったが。 |
| ついにレストアベース車を見つけた |
| 1995年12月末、いつもなら発売日よりも数日遅れて郵送されてくるTJ誌が、その日にかぎり早く届いた。なにげなくページをめくっている指がピタッと止まった。そこには、ショップのおすすめ旧車として書類付きTY250Jがあった。もちろんすぐに電話をして正月休み明けに行くことに決めた。 私の住んでいる岡山県の隣、兵庫県加古川にそのショップはありました。当時トライアル委員長をされていた山本隆さんのショップでした。 そして、TY250Jとのご対面。「思ったよりコンディションは良い」これが第一印象でした。ショートスビードメータ、フロントフェンダーにはパイプ製スタビライザー付き。大型ウィンカーは取り外していた。キャブレターは洗浄中とのこと。 店主の山本隆さんは若い頃テストライダーとしてカワサキトライアル車の開発に参加。このことはTJ誌にも紹介されているが、直接ご本人からお話が聞けるというとてもラッキーな年明けでした。ライダー時代の古いアルバムを見せていただいたり、話をうかがっているうちに3時間が過ぎた。「整備をするので3週間後の納車になる」ということに。TY250Jをカメラにおさめて、帰途についた。 |
レストア前のTY250J 拡大して見る(160KB) |
| スペア車の下見 |
| 帰り道、姫路で途中下車し別の書類無しTY250Jの下見をした。冬の日暮は早く、タクシーで行く途中道に迷い多少時間がかかった。あらかじめ連絡をしていたお宅で懐中電灯を借りバイクを見せてもらった。オイルポンプとオイルタンク付。大切にされているようだった。売り主は海外に長期出張中ということで、応対してくれた奥さんに「ぜひ私にゆずって下さい」と言って帰った。 そのときタクシーの運転手さんから聞いた「阪神淡路大地震直後に新聞記者を乗せて姫路から現地まで大渋帯の道を行った話」「焼けこげの臭いが強かった、車の運転ができるだけでも、今の自分は幸せだ」という話が印象に残った。 後日、売り主の方と連絡が取れ、購入しました。 |