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| 1990年7月、SOHOとして写研の電算写植機SAIVERT-H202を導入し、独立開業しました。と言っても当時はSOHOという言葉はまだ一般的ではありませんでした。 データ転送がカギ パソコン機能の一部である「データ転送機能」を利用すれば距離に関係なく一般電話でデータを転送できた。つまり編集結果をデータ化することができる機材調達が独立開業の大切なポイントでした。 パソコン用の電算写植データ作成ソフト(秀和トレーデング)がありましたが本文専用でした。カタログやパンフレットの仕事に適合するのは写研製SAIVERT-H202以外にありませんでした。この仕事は出力装置のある地域が大切で、高性能のイメージセッターが数多く設備されていて簡単に出力依頼できるのは、やはり写研の編集機で作成したデータだけでした。転送専用ソフトでパソコン送信できるのは、SKデータと呼ばれた編集済みデータ(H101)、出力変換済みデータ(MULT)、テキストデータ(TEXT)の3種類とMS-DOSテキストです。 電算写植機から直接送信できない構造がご愛嬌でした。 今日インターネット時代になったのでデータ転送については誰もが理解できますが、1990年頃は地方で作成したデータを東京で受け取ることや、在宅勤務のような考え方が社会に浸透していませんでした。なかでも印刷関連はコンピュータ移行が遅れていた業界で、手作業で行う手工芸的な工程が多く能率の悪い職場でした。そこに、いきなりパソコン通信だの電算写植だの理解できないのも仕方ありません。しかし、実際でき上がったものを見ると、大変わかりやすかったようです。東京の巨大市場と地方をつなぐ装置としてパソコンや電話回線がそのまま使用できることなど、今なら誰にでも分かることも当時は説明が大変でした。それに会社が設備するような高額のワークステーションを個人が持つことが不思議に写ったようでした。 主な仕事 広告代理店、印刷会社等の外部デザイン制作スタッフとして活動する事ができました。カタログ、パンフレット等の印刷物の作成し、パソコン通信を使用して出力センターにデータを送信します。ここまでが私の仕事で、出力センターではイメージセッターで印画紙にプリントします。現像・乾燥後、配達サービスで届けてくれます。得意先が受け取った印画紙は印刷物の版下としてそのまま使用しました。当時はまだパソコンDTPが確立していない頃で、印刷するためには「版下」を必要としていました。 得意先のデザイン事務所や広告代理店や印刷所から見れば、日本全国どこで作成した「版下」でも良く、安く、早く、納期に間に合えば問題ありませんでした。また訂正、変更など小回りがきくことも大切な条件でした。データ作成をしている地域がどこかと言うことよりは、出力センターが得意先に近ければ近いほど都合がよく、出力センターが24時間営業をしていれば強力な味方になりました。夜間イメージセッターが空いている時間に出力ができるので納期も確実です。さらに夜間は通信コストが安くなりました。 電算写植機SAIVERT-H202は1998年春頃まで稼働しました。 現在も大切に保存しています。 【ワンポイント解説】 それまでは版下台紙に写植を貼り込んでいましたが、電算写植の場合は印画紙の上に写真の「あたりやロゴ」を貼り込み完成しました。文字を切ったり貼ったりしないので、文字が台紙からはがれたり、曲がったりせず、それだけでも付加価値でした。 従来の写植業者の設備には暗室が必要でした。印画紙に文字を「印字(いんじ)」したら、暗室で現像します。皿現像か自動現像機が必要でした。現像液、定着液、温度管理、廃液処理など手間がかかりました。電算写植の場合コンピュータですから、データ作成しかできませんが現像の必要がないので環境を汚染することもなくクリーンな仕事でした。 |