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| 1990年にパソコン通信を利用した電算写植の仕事を自宅で始めた頃の話をまとめました。 題して「始めてみればSOHOだった」 コンピュータが個人で購入できる時代がきたら、コンピュータを使用した仕事がしたい。こんなことを1980年ころ考えていました。最初はシャープ製パソコンMZ-2000(8ビットCPUメモリー64KBグリーンモニタ付)を使用していました。1985年になると16ビットパソコンNEC PC9801Vm2を購入しました。これがあとあと大変役立つことになりました。 東京からUターンして印刷会社のサラリーマンだった私は、1989年秋、デザイン業務のなかでも印刷原稿(版下)作成をコンピュータ化するよう会社に提案していました。印刷会社が生き残り競争に勝つには手動機から自動機に設備を改善し、コストダウンとスピードアップが必要でした。1989年12月になると日本の株価が急落しました。バブル景気が終われば「世の中不況になる」という思いが頭の片隅をよぎりました。会社には設備改善の提案を続けましたが、当時の会社幹部はパソコン通信や電算写植に関心がありませんでした。 会社がやらないなら自分で始めれば良い。 過去のオイルショック・ドルショック時に転職経験があったので、不況に対して怖さがありました。その反面、転職経験によって不況に強い業種も知っていました。不況に強い業種の一つが写植だったのです。比較的安価な設備で開業でき、印刷業界には不可欠な技術でした。しかし営業できる範囲が狭いのが従来の写植業でした。電算写植に転換すれば、日本全国が営業圏になります。とくに過密都市東京は営業圏として最適でした。デザインだけの業務より写植版下まで作成する方が付加価値が高いので独立開業の準備を開始しました。 時期が来たら独立開業しようと思っていたので、パソコンを購入しプログラムを作成したり、コンピュータの展示会に頻繁に出かけていました。Windows1.0を使用したのもこのころです。とくに印刷関連の展示会には必ず行きました。1989年には個人でも手の届く「電算写植機」が登場していました。写植データが作れるマシンが手に入れば、パソコン通信で転送できる。当時の16ビットパソコンPC9801シリーズはソフトも多く、出力センターから電算写植データ専用の通信ソフトが開発・販売されていました。1990年には地元に出力センターがあり、東京で勤めていた会社近くにも出力センターが確認できて、環境がそろいました。 1990年3月には個人でも電算写植機のリースが可能なことが分かり、各方面に開業後の取引願いをしました。6月末に印刷会社を退職し、7月中旬、電算写植機の搬入と東京で1週間トレーニングを受けいよいよ開業する事になりました。 |