ポケモンゲームと子ども ポケットモンスター(以下ポケモン)がアニメだと思っている大人は少なくない。自分の目に触れるのは、アニメのキャラクター商品くらいだからである。ポケモン=ピカチュウと思いこんでいる人もたくさんいる。「ポケモン」というと、いつもあの黄色いのがチョロチョロしているからだ。そのピカチュウは、スヌーピーやキティのような固有名詞ではなくて、ポメラニアン、チンチラといった動物の種類だと説明すると、おどろかれることも珍しくない。
今時の子どもにとって、ポケモンは常識である。おなじみのキャラクターとして、しっかり子どものボキャブラリーになっているのだ。一時のような爆発的な人気はおさまったものの、まるで通過儀礼のように、たくさんの子どもが、ある一定期間、ポケモンをくぐって成長しているように思える。これは、とりたててポケモンに限ったことではなく、ミッキーマウス、ドラえもん、アンパンマンなど、定番として人気のあるキャラクター全般にあてはまる。
ポケモンは任天堂の携帯ゲーム機「ゲームボーイ」用のソフトとして、一九九六年二月に登場した。当時、テレビゲームの性能がぐんぐんよくなって画面が美しくなり、モノクロで粗いドット画のゲームボーイは魅力激減、瀕死寸前だった。そのゲームボーイの長所短所を最大限に活かし、生き返らせたのが、「ポケモン」だったのである。そして、ゲームボーイ復活後は、バンダイの「ワンダースワン」やSNKの「ネオジオポケット」など、競合する携帯ゲーム機まで出現した。
今では、そのゲームボーイ自体も進化を遂げ、今年の3月に発売されたゲームボーイアドバンスは、32ビットという、ほんの一昔前のパソコンと同等のCPUを有している。ポケモンにしても、ゲームボーイカラー対応のソフトは、画質が信じられないほどきれいになった。
ゲームボーイを始めとする、携帯ゲーム機のいちばんの利点は、「手軽さ」につきる。ハード、ソフトの大きさ、重さをはじめとして、価格やゲームの内容も、気楽に手を伸ばしてプレイできる親しみやすさがある。
親の立場からしても、プレイステーション(以下プレステ)、NINTENDO64(以下ロクヨン)などのテレビゲーム機は、子ども一人に一台をあてがうことは無理であっても(当然ながら、一家庭におけるテレビ数も限りがある)、ゲームボーイなら不可能ではない。テレビゲームと比べて、ハード、ソフトともに単価が安い、場所をとらない、電池でも動く、持ち運びができる、などがその主な理由である。実際、複数の子どもが各自それぞれのゲームボーイを持っている姿をよく見かける。
ファミリーコンピュータ(以下ファミコン)からスーパーファミコン、そしてプレステ、ロクヨンへとテレビゲームが進化するとともに、ゲームの内容はどんどん複雑になる傾向がある。八六年にファミコン用ソフトとして初登場以来、今でも絶大な人気を博している『ドラゴンクエスト』(以下ドラクエ)シリーズなどがいい例である。最新バージョンのプレステ用ソフト『ドラゴンクエスト・』も、おもしろいことは大いに認めるところだが、とにかく長い。セーブポイントにたどりつくまでは何時間たっても電源が切れないし、ストーリーモードをクリアするだけで、ゆうに百時間以上かかったのは、ほとほとまいった。
けれど、ドラクエと同じくRPG(ロールプレイングゲーム)であるポケモンは、逆にとてもシンプルなのだ。九六年の『ポケットモンスター赤』『緑』から、九九年に出た続編の『金』『銀』まで、ストーリーも謎解きも、いたって平明な構成である。
おおまかな筋は、ポケモンマスターを目指して旅に出る主人公が、行く先々で出会う人たちとバトルをしたり、ジムに挑戦して必要なバッジを獲得して、最後はポケモンリーグというチャンピオン大会優勝を目指すといったものである。途中で、悪の集団が登場するなどのイベントもあるが、ストーリー進行上求められるレベルアップ、ポケモン捕獲数は、けっして高いハードルではない。まるで物語を読むように、ぐいぐいと先に進める。このシンプルさが、なによりも子どもに寄り添っているのだ。
次世代ワールドホビーフェアというイベントがある。そこで、ゲーム上では登場しない幻のポケモンをプレゼントするイベントが、たまに行われる。会場に行くと、幼稚園児くらいの小さな子どもまでが、ゲームボーイを持ってそのイベントに並んでいる。そんな小さい子もポケモンをプレイするというのは、新鮮で嬉しい驚きだった。
ポケモンはもともと、小学館の『コロコロコミック』(以下コロコロ)の読者層(小学生の男子)がメインターゲットであった。それは、ゲーム発売と同時期に『別冊コロコロコミック』でポケモン漫画の連載が始まったことからも読みとれる。そして、ポケモンがコロコロに上手くバックアップされブレークした後に、テレビアニメが始まり、ファン層が女子や低年齢層の子どもへと拡がった。
アニメの影響は絶大である。アニメ以後、ポケモンゲームのファン層が拡がったことは、『金』『銀』発売時のCMでも明白である。子どもが出てくる通常バージョンでは、男女はほぼ同じ割合で登場する。さらに、タレントの加藤あいを起用して、「可愛いポケモンと旅をしよう」と、十代後半以降の女性もターゲットに捉えている。これは、決してアニメの力だけではなく、シンプルでわかりやすいゲーム構造が、より多くのファンをゲームに引き込んだのだともいえる。
ポケモンは単純だから優れているのではない。プレーヤーの要求に合わせたハマリ方のできる柔軟性が、なによりもまず魅力なのである。簡単だからこそ、幼稚園児がちょこちょこいじってもおもしろく遊べる。ポケモンを捕まえる、バトルで勝つ(たいていは難なく勝てる)、さらにポケモンが進化するといった、ちょっとした報奨が次から次へと続き、よりいっそうの興味、欲求がわいてくる。加えて、ポケモンを全種類集める、バトル用に強いポケモンを育てるなど、目的によって、いくらでもディープに、手間暇がかけられるゲームなのだ。ポケモンバトルの全国大会に出場した子どもたちのコメントやデータを見ると、その苦労や情熱のすごさには驚嘆してしまう。
ポケモンは、すぐにデータを保存して、細切れにプレイできる点も、子どもの遊び時間や生活スタイルにうまく適応している。例えば、『ポケモンカードGB』というゲームでは、対戦途中で電源を切ってしまっても、次にプレイする時に「対戦からあそぶ」という設定が選べる気配りである。テレビゲームのRPGのように、セーブポイントまで延々とかかったら、小さい子どもは飽きてしまうだろうし、塾や習い事があったり、親にゲームの時間制限をされていたら、とてもじゃないけれど続けていられない。
ポケモンの原作者である田尻智が、小さい頃に夢中だった昆虫採集からポケモンを発案したというエピソードは有名であるが、まさにそのノリで子どもはポケモンをするともいえる。塾へ行く前後や電車やバスの移動時間などに、特定のポケモンをもとめてゲーム上の草むらをウロウロする。お目当てのポケモンに遭遇できるかできないか、ゲットできるかできないかは、運次第である。ドキドキ期待しながら歩き回るのは、それだけでも楽しいものなのだ。
さて、イベント先では、見ず知らずの子どもたちが、どこともなく集まって、ゲームボーイをくっつけあわせている光景をたびたび目にする。『ポケモン金』『銀』の「ふしぎなおくりもの」や『ポケモンカードGB』の「カードでポン!」という、道具が増える赤外線通信をやっているのである。この機能を活用したくても、ふだんは相手に限りがある(同じ相手とは、一日一回だけなどと決まっている)。しかも、ここでしかゲットできないレアアイテムもある。不特定多数のプレーヤーが集まる場所は、ポケモンを通じて、子どもたちにふたつの絶好の機会を提供する。レアアイテムがゲットできるかもしれない機会、そして、他人とふれあうコミュニケーションの機会である。
子どもがゲームボーイ(あるいは別の携帯ゲーム機)をぶらさげて出かけることは、ごくありふれた日常の一部になった。町中でも、電車内でも、自分のものという証明に、好きなキャラクターのシールをぺたぺた貼り付けたゲームボーイを持っている。他人がゲームをしていると何をプレイしているか気になるし、それがたまたま同じソフトだったり、おそろいのゲーム機だったりすると、みょうに親近感がわいたりもする。
世間一般では、少年犯罪を嘆いたり、子どもの読書離れを憂いたりする時に、ゲームの弊害をとりあげがちである。けれどその前に、そういう人は、まずゲームについてなにを知っているのだろうか。
子どもは、ポケモンのゲームだけをとってみても、じつにうまくその世界観を実生活に取り入れている。たかがゲームといっても、熾烈な競争世界、ポケモンのようなメガヒット作はごくごく稀であり、子どもの積極的な肯定なくしてはなしえないワザである。子どもがポケモンを受けいれる理由は、けっしてまやかしではない。シンプルで開放感があり親しみやすいポケモンの世界観は、今の子どもが求める場所に通じる要素なのかもしれない。(『日本児童文学』、2001年9-10月号)注)このエッセイは、「ポケモンをほとんど知らない大人」に向けて書きました。ポケモンファンの人にはごく当たり前のことばかりかもしれません。また、本当は「ポケモン(全体)と子ども」について書きたかったのですが、規定枚数の都合上、ポケモンのルーツであるゲームにテーマを絞りました。