2000年年末スペシャル『ミュウツー! 我ハココニ在リ』

ミュウツーをはじめとするコピーポケモンたちの苦悩は『ミュウツーの逆襲』で終わりではなかった。そりゃそうだ。普通に生まれ育っても、自分が何者か、と疑問に思うことなんてしょっちゅうである。それが、クローンだったりすると、どうもオリジナルよりは格下の気がして引け目を感じてしまうのは責められない。ミュウツーたちも心機一転、安住の地を見つけたまではいいものの、「コピー」であるというトラウマからは解放されず負い目を抱きながらひっそりと生きている。

しかし、たとえクローンであっても、格下でもなんでもない。「命」があるという時点で、みんなイコールなのだ。たとえば、一卵性双生児は自然が生み出したクローンである。同じ環境、同じ時間に生きていても一卵性双生児のふたりは別人である。それに、体は同じでも、記憶や精神までは写し取ることはできない。コピーニャースが人間のことばを話せないように、コピーピカチュウがサトシも外の世界も知らないように、かれらはクローンでありながら、生まれた時点からすでに別個の存在なのだ。

この、自分たちはクローンだけどオリジナルとは違うんだ!という主張が、上に挙げたニャース、ピカチュウなど、具体的に細かく描写されていて説得力がある。のんびり月の話ばかりしていたコピーニャースが、サカキ&ロケット団がきた時に威嚇するポーズなど、どうみてもロケット団のニャースからは考えられない。サイホーンとニドクインの子どもたちが登場したのも、命のつながりがよく表れている(しかし、子どもはなんでニドラン♀じゃなくて、ニドクインなの?)。

今回は、ピカチュウがサトシから離れて(というか、ひき離されて)行動したのが新鮮だった(ポケモンオンリーの短編などは除く)。いつも一緒で当たり前なふたりが、別々に行動をとっていると、妙に不自然に映る、というのはささやかなカルチャーショックである。『ミュウツーの逆襲』のような派手な友情シーンはなかったが、さりげなくふたりの強い絆が見えていたのがよい。

ミュウツーの続編があると知って、まず興味をもったのが、記憶を消されたサトシたちとミュウツーがどのように再会するのかだった。で、サトシたちの記憶は蘇らない。ミュウツーとは初対面として接して、そのままかれを受け入れる。その潔さは買い。とくにサトシは、「ピカチュウを助けてくれたから」とういシンプルな理由でミュウツーを助け、なんのためらいもなく未来の人類より今のミュウツーを選び、湖に彼を放り投げる。こういう等身大のストレートな正義が、サトシのヒーローらしさなのだろう。

ミュウツーも、『逆襲』では人間につくられたことに対する恨み、憤りにあふれていたが、今回は「自分はだれか」という同じ悩みを抱えながらも、仲間に囲まれ、かれらを思いやる気持ちが前面に出ていた。たとえクローンであっても、仲間を思う気持ちはオリジナルである。このような新しい感情が、ミュウツーをクローンという呪いから少しずつ解きはなっていったのだろう。

さて、都会に住むことになったミュウツーであるが(マンハッタンみたいな感じ。『ピチューとピカチュウ』といい、湯山監督はニューヨークがお好き?)、もしかしたら続々編もあるのだろうか?今度はミュウツーといっしょに明るい冒険アドベンチャーなんていかが?

ピカチュウ名場面:水を飲んで目がうるうるのピカチュウ。ジュゴンにのったピカチュウ。初登場のピカチュウ気球。そしてなんといってもダブルピカチュウてんこもり!!

おまけ:クローンに興味ある方は、最近出た子どもの本で、『ブループリント』(シャルロッテ・ケルナー作、鈴木仁子訳、講談社)があります。かなり観念的な作品ですが、クローンについて色々考えるのにはよい本です。


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