『セレビィ〜時を超えた遭遇〜』

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「ポケモンの原点」と監督の湯山邦彦氏がこの作品を説明した。まさに、ポケモンの基本的なおもしろさやすばらしさをしっかり描きつつ、しかも環境という今日的なテーマを抱えながら、ポケモンだからこそ持ち得たメッセージが深い共感をさそう秀作だった。

基本はタイムファンタジーである。時をわたる能力をもつセレビィが、危機にひんしたとき、自分をかばうユキナリとともに40年未来へととんでしまう。そこで、サトシ&ピカチュウ一行にふたりは助けられる。けれど、さらに恐ろしい敵が未来に待っていた。

残忍きわまる悪役、ビシャスの残酷さに目をそむけずにはいられない。人間、ポケモン、そして自然、なににたいしても臆するところなく、攻撃をくわえる。もしかしたら、ちいさな子どもには見るのが辛い光景かもしれない。けれど、妥協を許さない描写だからこそ、「自然破壊」へのリアリティにつながっている。

ビシャスは一個の悪人でありながら、普遍的な(人間の)悪ともつながっている。セレビィが瀕死状態のときに、ユキナリが「人間が悪いんだ」とさけぶのも、現実世界の環境破壊にリンクする。

この、「ポケモンと人間」→「自然と人間」が作品の大きな柱だろう。人間は容赦なく、自分の利益をもとめて、自然を破壊する。セレビィと森も、壊滅寸前状態までに追いつめられる。けれど、ポケモン(自然)の力ははそんなにちっぽけなものではない。セレビィの救済方法に、それがまさにあらわれていた。

ポケモンはハッピーエンドで終わるのが常だからと信じながらも、どうやって収拾をつけるのか。サトシの根性や、みんなの涙などでは納得がつかない。このような事態を、さらりと乗り越えるセレビィの力は、そのまま自然の偉大な治癒力を体現している。ちなみに、ビシャスの処理方法もうまかった。

セレビィは、守り神という大きな存在でありながらも、子どもそのままの無邪気さと純粋さがとても好感もてた。スイクンは、サポート役として、十分なインパクトがあった(この程度の出番なら、今後主役がまわってくることもアリなのかも??)。そして、ふたりとも、人間のことばを話さない。ポケモン映画4作目にして、はじめて人間語をつかう幻・伝説のポケモンが登場しなかった訳なのだが、言葉にしなくても伝わるものは大きいことを再確認した(エンテイも、話さないほうがまだよかったかもしれない)。

今回はテーマとしてもまとまりがよかったが、飽きさせないストーリー展開も作品のおもしろさに貢献している。ジェットコースターのように山あり谷ありのハラハラドキドキで、最後の最後までひっくり返す。安堵と衝撃が交互に続くと、最後の大円団がよけいに感慨深くなる。

最後に、少し苦言を呈したい。たしかに、宮崎アニメによく似ている。セレビィ・ゴーレム(セレビィがあやつるモンスターらしきもの)の破壊シーンは、『もののけ姫』のダイダラボッチを彷彿させるし、『風の谷のナウシカ』を連想させるシーンもある。日本のアニメーターにとって、宮崎作品は無視できないだろうが、ちょっと似すぎなのは痛い。『もののけ姫』や『ナウシカ』の分裂・矛盾ぎみの結末に比べて、はるかに筋のとおった、ポケモンだからこその結末なだけに、残念である。

ユキナリに関しては、わかる人はわかり、わからない人はわからないくらいの、ほどよい謎が効いている。

なお、オープニング、エンディングともによかった。やはり「めざせ!ポケモンマスター」は松本梨香さんでないと。藤井フミヤは、エンディングには初めての男性歌手起用だったが、どこかもの悲しく懐かしいメロディが、作品の後味をさらにひきたてる。

余談:劇場に早めに着いたら、舞台挨拶をやっていました。湯山監督は今回も黄緑色のシャツを着て、この作品への意欲をアピールしていました。ほかのゲストは、松本梨香さん、佐野史郎さん、鈴木杏さん、遠藤久美子さん、藤井フミヤさん。七夕ということで、女性陣は浴衣を着用。それぞれの、七夕の願いは以下の通りです。

湯山監督:映画の大ヒット

松本さん:ポケモンが何百年も先まで残ること

佐野さん:世界平和

鈴木さん:楽しい夏休み

遠藤さん:こんどはぜひポケモンの声をやってみたい

藤井さん:映画の成功とエンディングテーマのヒット

遠藤さん、藤井さんの熱狂的なファンがたくさんいて、応援がすごかったです。

『ピカチュウのどきどきかくれんぼ』

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テンポよいドタバタがとても楽しかった。

ポケモンたちのかくれ方がとても可愛い。妙に工夫しているくせに、じつはバレバレなのである。ワニノコなんて、みずでっぽうで噴水になりきろうとしないで、水の中でおとなしくしていたほうがよいのでは?とつっこみたくなる(けれど、水になりきったルリリや、柱と同化したカクレオンはずっと忘れ去られて、かえって気の毒だったのも事実)。でも、そんな単純な発想が、まさに子どもの姿をあらわしていて、愛らしいのだ。

途中で大暴走する殺人芝刈り機がすごい。どんどんパワーアップして、もう笑うしかない。自分の意志を持っているような(というか、あれは持っているだろう)追いかけぶりである。昔の短編アニメみたいな(ディズニーとか)ノリが、今やってみると逆に新鮮である。

最後の方は、ピカチュウ、トゲピー、ヨーギラスが追いかけられるのだけれど、ピカチュウはしっかりトゲピーの手をにぎり、トゲピーは空中に浮かびながらも足は必死でかけているなど、細部もこっている。

去年の『ピチューとピカチュウ』では、ピカチュウだけ単独でぼうけんに出てしまって、レギュラー陣はおさわり程度の出番だったが、やはり、今回のように、みんなそろって、いつもは出し切れない個性を発散させるほうがよい。コダックなんて、ここぞとばかりに、ボケをかましていた(ソーナンスとの差別化もかなりできてきたのはいいことだ)。

オープニングはホワイトベリーである。テレビでの「めざせ!ポケモンマスター」では、完全に松本梨香のパンチのきいた歌声にパワー負けしているが、今回はとてもリズム感のよい楽しい歌でよかった。遠藤久美子のナレーションは、これといった記憶に残っていない(かといって、耳障りでもなかったが)。毎回、タレントを起用しているが、話題という以外に、はたして意味があるのだろうか?でしゃばりすぎない、ストーリーの邪魔をしないナレーションという点では仕事を全うしているのかもしれないが、だったら、タレントにする意義はどこにあるのか。

今年は、エンディングに、ふくやまけいこのイラストがなかったのは残念だった。粘土細工のポケモンたちも可愛いのだが、それでも、ふくやまけいこが見たかった。