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臓器移植法が制定されて一年以上が経過し、やっと日本で最初の脳死ドナーからの移植が実施されました。各メディアは盛んに報道し、それに対して視聴者、読者から多くの感想や意見が寄せられていますし、多分たくさんの家庭や職場で脳死についての会話があったことでしょう。メディアを見ていると、その評価は様々なようです。新聞に載っている専門家のコメントとしては「これでは和田移植と何も変わらない。」「ドナーとなった患者に対して十分な治療が行われたか疑問である。」といった強烈な反対意見があったり、投書欄においても「臓器を機械の一部であるかのように扱う臓器移植でまで生きたいとは思わない。」などの反対意見も結構出ていました。臓器移植法は成立するまでに脳死臨調でのかなり長期にわたる意見交換があった末に、欧米各国のそれと較べると極めて厳しいものとなった経緯があります。これが脳死からの臓器提供者がこれまででなかった一因であることは間違いないでしょう。それにもかかわらず、これだけの反対意見が存在することはやや意外に、わたしには感じられました。 現在の法律において脳死からの臓器のやり取りは、脳死後に臓器をあげてもいいと本人が生前にドナーカード記載によって意思表示していて、さらにその家族もが臓器提供に同意した人から、十分に納得した上で臓器提供を受けて社会復帰を果たしたいと考えている人へと行われることになっています。つまり脳死を死とは考えない人、自分の臓器を提供したくないと考える人、家族からの臓器提供を認めたくない人は、現在の日本においては脳死からの臓器移植とは無関係であることが法律で保証されていることになります。 反対意見の中の多くは脳死を死と認めたくないというものではないでしょうか。臓器提供者を出すために、脳死にならないための努力が十分になされなくなるという意見もあるようですが、自分の患者を早く臓器提供者にしたいと考える医師がいるとは到底考えられない気がします。臓器のやり取り自体を感情的に認めないという意見であれば、これはもう議論の対象とはならないでしょう。今でも「エホバの証人」のように輸血すら認めない人たち(宗教)が存在しています。しかし、彼らは他人が輸血を受けることにまでは干渉していません。(まだ意志表示のできない子供に親の信仰を強いることは問題となっていますが・・・)これまでも随分と議論のされてきたことではありますが、一番の問題点は脳死を人の死と法律で定義することの是非にあるはずです。臓器移植がらみの時にだけ脳死が成立し、それ以外の場合には死とは扱われないことの矛盾が言われます。脳死と心臓死を混在させることで生じるあいまいな点は確かに問題かもしれないですが、心臓死というのも非常にあいまいだということも知っておかなければいけません。現在の発達した救急救命医学によって心肺停止の状態で救急救命センターに搬送された患者が歩いて退院することも決して珍しいことではなくなりました。例えば家族がガンで入院していて、最後の時を迎え静かに目を閉じたとき、家族はその死に疑問を持つことなく受容するでしょう。しかし、心臓発作で突然に苦悶し倒れ心停止となったときにはどうですか? 心臓マッサージやその他の救急処置を何分やって蘇生できないから死だという定義はありません。場合によっては医師が診察し、心停止、呼吸停止、瞳孔散大を見て、蘇生処置をすることなく死を宣告してもそれは死となります。これに比較すれば脳死の定義は非常に厳密で誤りは少ないとも考えられます。しかし、脳死になり心臓が鼓動している家族を前にして死と受容できない人がいるのなら、それは現時点では仕方のないことと思います。輸血を認めない人たちにいくら議論をしたところで進展がないのと同じで、心情的(宗教的?)な問題は議論で解決できるものではありません。そういった人たちの権利も当然ながら守られるべきでしょう。 わたしが言っておきたいのは臓器を提供する権利、そしてそれをもらう権利を守って欲しいということです。賛成者は臓器提供や脳死を死とすることを拒否する人の権利を妨げようとはしません。今後も反対者をドナーとするような法の改正があるとは思われませんし、そうする必要はないと思っています。またメディアの臓器移植における役割については議論が必要でしょう。臓器移植は法の下で行われる何らやましいことのない行為です。情報公開には何ら異存はありませんが、臓器提供者の自宅にまで殺到し、近隣の人のインタビューをとりその患者の人柄まで伝えるといった報道は今回の臓器移植の透明性には何の関係もなかったことは明らかです。好奇の目でとらえているとしか思えないマスコミに、移植医療の透明性を保つ番人たる資格はありません。新聞紙上では医学用語などの誤りも目に付きました、正確に伝える気持ちがあるならば記事に医学関係者の目を通すくらいのことはしてもいいのではないでしょうか。加えて、新聞紙上の投書欄やコラム等で明らかに脳死を間違って捉えている内容の文章を載せているものが複数あったことも疑問に思います。活字になった文章の影響力を知らないはずはないでしょうから。 今回の高知での患者、その家族があのような過酷な状況の中で、強い意志を持ち臓器提供を行ったことに大きな敬意を表さずにはいられませんし、そのプライバシーを踏みにじったメディアに対しては怒りをおぼえます。 臓器提供者の尊い意志を無にすることのないよう、これからも医師たちが真摯な姿勢で医療に取り組むことを切に願っています。
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