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大学病院ってみなさんにとってはどんなイメージですか? 何やら怪しい人体実験の材料にされそうな恐いところ、若い研修医(医師免許をとったばかりの医師のこと、今はインターン制度はありません)の練習台にされそうなんて思っている人もいるかもしれません。しかし、実際に患者やその家族となった人には随分と頼りにされるもののようです。大抵の人は重そうな病気の時は大きな病院へ行こうと考えますね。別にこれが間違いと言っているわけではありませんけど、賢い方法ではない場合もあります。大学病院というものの一般のイメージには先進医療に対する期待とともに、一種の密室性とも言えるいかがわしさのようなものが付随しているんじゃないでしょうか。 大学病院とわたしとの始めての関わり合いはもちろん自分が病気で入院したときのことです。今からもうおよそ20年前になり、当時の病棟はすでに取り壊されて、今はその側に立派な新病院が建っています。しかしながら、わたしにとってのH大学病院は患者として、学生として、そして新人小児科医として過ごしたあの古い病院であり続けるかもしれません。患者として入院をしたのは確か4月の末頃だったでしょうか。大学病院の前には少しでしたが芝生があり、その向こうにはこの大学の名所でもあるイチョウの並木があるのですが、まだ緑はそれほど強くない時期でした。最初は北向きの個室にいたのですが、南向きの大部屋に移ってからは病室の窓からその緑がだんだん生き生きしてくるのを毎日眺めていました。昔を思うと必ず思い出すのがこの風景であり、イチョウの並木は今でもキャンパスでもっとも好きな場所です。入院していたときにはこの並木を実際に歩くことはできず、眺めているだけっだたのですが・・・。それからしばらく経った学生時代、時間の余裕のある時には遠回りになるのですが、わざわざイチョウ並木の中を歩いて講義室に通っていました。ある日のこと、そこを散歩している老夫婦とすれ違いました。旦那さんの方がパジャマでしたから、入院患者なのでしょう、その男性がすがすがしく青々とした並木を見て「生きていてよかったなあ。」と静かに話しているのが耳に入ってきました。自分がいつもここを歩いていて感じる気持ちの良さはその男性が言ったその一言と同じなのかもしれないというふうに、その時に感じたことがあります。 思い出はそれだけではありません。話しはがらっと変わりますが、わたしが入院していたのは第一外科の病棟でした。その少し前に俳優の田宮二郎さんが自殺したために、再放送で田宮さんが主演の「白い巨塔」というドラマをやっていて、これをちょうど入院中に見ることになりました。知っている人も多いでしょう、難波大学第一外科(もちろん架空)の教授の椅子を巡る争いを描いたなかなかリアルな(?)作品です(原作は山崎豊子氏)。このドラマの冒頭は確か教授の総回診の場面で始まります。ドラマチックなBGMが流れ、教授を先頭に婦長、たくさんの教官、医局員がぞろぞろと病棟の廊下を歩いていくといった感じだったと思います。入院中のわたしがわくわくして見ていたのは言うまでもありません。当然のこと、実際の総回診は楽しみに(??)していました。当時の第一外科は、教授は亡くなられたK先生、助教授はわたしの手術を執刀してくださった方で後に教授になったU先生、その他に偶然ですがのちの高校のクラスメートの父親であるK先生やN先生もいました。もちろんBGMが流れるわけじゃなし、テレビのようにはいかないまでも雰囲気はほとんど一緒であるようにその時のわたしには感じられました。最初の頃には個室に入っていたのですが、回診に来た大勢のドクターはドアの閉まった病室の外で何やらわたしについての話しをしています。少し話しをしたあとにゾロゾロと個室に入ってきて、教授がわたしのお腹を触り、そのあとに何人かの先生がお腹を触って、脾臓が触れるだの触れないだのといった話しをしていたように記憶しています。(注 当時はまだエコーやCTといった現在では日常の検査となった画像診断装置はありませんでした)結局、手術の時に診た結果で取ってしまおうという話しをして、またゾロゾロと行ってしまいました。これがわたしの体験した(楽しみにしていた)はじめての総回診でした。今にして思えば患者であるわたしに一言も声をかけることなく、家族にも質問のゆとりすら与えずに終わってしまうものでした。この後も退院までに数回の総回診がありましたが、最初のが一番強烈な印象として残っています。 大学病院に入院したのは4月でしたが手術をしたのは入院してからずいぶん経ってからでした。入院してみると執刀をするU助教授が出張中でいないのでしばらく待ってくれとのこと(かなり前から予約して入院したのに・・・)。こんなことは大学以外では考えられないことではありますが、当時の(今はどうだ???)大学病院にはよくあったらしいですね。この待っていた期間がわたしにとってとんでもない不幸をもたらしてくれることとなりました。この入院までは前の病院で放射線治療、抗がん剤の治療を受けていましたが、手術の前後は治療を中断することになるのでその代わりとして副腎皮質ホルモンをかなり多い量で飲んでいました。手術までの期間があったことで大量のくすりをその間ずっと飲むことになってしまったのです。副腎皮質ホルモンは何かと副作用が多くて有名なくすりですから、その痛手は大きなものでした。結果として、手術が終わって元いた病院にもどった6月に腰椎の圧迫骨折という大変なことになってしまいました。この時の腰の激痛とそれに耐えながらベッドの上で過ごしたこの夏のことは到底忘れられるものではありません。医者になった今のわたしにはその経緯がよく解りますから、いまだに何ともいえない思いが心の中に残っています。 そんな思い出のある大学病院に、今度は小児科医として戻ってくるのはしばらく後のことです。新人小児科医として小児科病棟で過ごした1年間にはあまりにも多くのことがありました。たった1年間の出来事とは思えない印象があります。このこともいずれ書く機会があるかもしれませんが、今はここで筆を置くことにします。
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