小児がんになったとき

 

 自分が小児がんの当事者(本人や家族)になるということを考えたことがある人はほとんどいないでしょう。主人公が白血病というドラマは時折目にしますが、それが自分の身に降りかかった時のことは想像できません。大きな病院の前を通りかかっても、その中で苦しんでいる大勢の人の顔までは見えてきません。しかしながら特別な人だけがこんな苦しみを背負うことになるのではありません。そんな時は突然にやってくるものなのです。

 わたしが小児がんになったのは11才、小学校6年生の時でした。不調が続いて病院へ行くものの診断にいたらずに病院をめぐり歩き、正しい診断となるまでに3ヶ月が経っていました。5軒目の病院でやっと診断がついたのですが、その時にはもう子どもであった自分が見ても腫瘍だというのがわかる程度にまでなっていました。診断がつくしばらく以前に、不調を訴えてある大きな病院の偉い先生の診察を受けた時、診察したのち問題ないと言うその先生に対してわたしは「でも、おかしい。」というようなことを言いました。それに対するその先生の答えは「おかしいと思うのがおかしいのだ。」という断固としたものでした。このショックをわたしは今でも忘れていません、反面教師としてつねに思い出さなければいけないことと肝に銘じています。

 入院をしたのはちょうど二学期の終業式の日でした。週末に外来で診察を受けて、週明けに入院という感じだったと思います。まわりはクリスマスで浮かれている時です。自分ではもちろん病気がどんなものかは聞かされていませんでしたから、あまり考えるところもなしに大した不安もなく入院したような気がします。今思えば子どもだったとはいっても、何かをするにもなんにも説明はなくひどいものだったなあという感じです。入院して間もないある夕方、夕食に手を付けようとした時に見知らぬ先生が病室に入ってくるなり検査をすると言います。もう親は帰ってしまっているし、どうすることもできずに言われるままに検査をされました。患者がよく使うこのされるという表現は医者として本来好きではありませんが、この場合はまさにされたのです。首のリンパ節に針を刺して細胞を調べる検査だったと思いますが、いきなりです。首に針を刺されるわけですから、その恐怖はたいへんなものでした。その後もずっとこんな具合で検査が続いて、年末からは放射線治療が始まりました。これも先生や看護婦さんからは何の説明もなし。親がもらした「副作用で耳が聞こえなくなるかもしれない。」と言う言葉だけが唯一の説明だったかもしれません。小児科での抗がん剤の治療も同じです、何やら点滴をすると猛烈な吐き気に襲われて何が何だかわかりませんでした。20年も前のこととはいえ、ずいぶんな環境だったなあという気持ちではありますが、現在でももしかすると大差ないことがまだやられているのかもと思ってしまいます。もちろんそうでないことを願っていますが。

 最近では患者に対して説明なく何かをするということは、かなり減ってきているでしょう。しかし、それが子どもの患者へということになると、どうなのか? まだまだ課題のままなのではないでしょうか。何でもアメリカ式に率直にというのがいいとは思いませんから、日本にあったやり方を模索すべきでしょう。