
投稿ボタンを押すと、記事の整形結果が表示され、そこで Yes をクリックすると実際に記事が投稿されます。 Yes をクリックしない限り、実際に記事が投稿されることはないので、気楽に投稿ボタンを押しても大丈夫です。
「改行有効」もしくは「改行無効」で記事を投稿して、 & < > を表示させるためには、それぞれを
& < >
と入力しなければいけません。「整形済み」で記事を投稿する場合には、 & <
> をそのまま入力して下さい。
高橋 ピーター・ブルック回想録 2000年05月01日(月)23時19分18秒
『ピーター・ブルック回想録』(ピーター・ブルック著、河合祥一郎訳 白水社) を購入しました。ピーター・ブルックといえば20世紀演劇界の巨匠ですが、私にと っては映画『注目すべき人々との出会い』の監督という知識しかありません。 この自伝を読むと、彼が華々しい演出家としての生活を送りながら、ジェイン・ヒ ープやザルツマン夫人とのワークを人生の中心に置いていたことが分かります。 巻末にはグルジェフ関係の書籍やホームページのけっこう詳しい紹介もあります。 ご多分に漏れず『超宇宙論』も参考文献に含まれていて、その紹介文が「アインシ ュタインの相対性理論を援用しながら、見えない世界を捉えようとする科学論」と なっているのには若干の苦笑を禁じ得ませんが…ともあれ一読に値する本ではある と思います。
小森 密教の流れ 2000年05月01日(月)02時53分21秒
高橋 ターシャム・オルガヌム(48) 二次元世界(2) 2000年05月01日(月)00時05分31秒
「線」だけを感じるとはいっても、面存在の感じ方は我々とはまったく異なった ものでしょう。まず最初に、彼は角度を知らないでしょう。このことは簡単に証明 できます。二本のマッチを両目に平行な位置に互いに角度をつけて置けば、それは 一本の線に見えるでしょう。角度を見るためには、「上から」見なければならない のです。二次元存在は上から見ることができないので、角度を見ることができませ ん。しかし、様々な(彼の世界の)「立体」間の距離を測るときに、二次元存在は 絶えず「角度」に出会います。そして角度のことを、時々現れたり現れなかったり する、線の奇妙な特性とみなすでしょう。換言すれば、彼は角度を「時間」と結び つけ、それを一時的な現象――立体の状態の変化――つまり「運動」とみなすでし ょう。角度がどうやって運動として感じられるかということを想像するのは我々に は困難です。しかしそれは必然であり、それ以外ではあり得ない、とウスペンスキ ーは言います。
高橋 ヨーロッパ密教 2000年04月30日(日)23時57分17秒
Itasさん 「ヨーロッパ密教」についての詳しいご説明どうもありがとうございました。 ご説明を承るに、Itasさんは全然「一般の読者」などではなく、非常に博識な方 のように思われますが…。 御説から私なりに判断すると、「ヨーロッパ密教」とは、およそウスペンスキーが 言うところの(ヨーロッパにおける)「スクール」という言葉に置きかえられるの ではないかと思います。 ウスペンスキーは、当時の神智学文献などを通じて秘教的知識(「奇蹟」)のリア リティを確信するようになって以来、実在する「スクール」を見出すことをライフ ワークとする決意を固め、それをヨーロッパの外部に求めて東洋の各地を訪ねたこ とはご承知の通りです。その頃ウスペンスキーが「ヨーロッパ密教」の歴史とその 流れについて詳細に調べたことは疑いありませんが、彼は当時のヨーロッパに「ス クール」は存在しない(あるいは存在したとしても接触できる望みはない)と結論 を出したようです。 しかし、もしItasさんの以前の書き込みのとおり、 >「オクターブの法則」は英国王立化学大学という由緒正しいロバート・フラッド >博士からロバート・ボイルへとつながった紛う事無きバラ十字運動の後継スクー >ルから出てきたアイディアで、これをグルジェフらが引き継いだ のだとすると、当時のヨーロッパにも「スクール」は実在した、しかも英国王立化 学大学という由緒正しい場所に、ということになるのでしょうか? あるいは、当時の英国には「知識」だけは存在したが、それをいかに用いるか、そ してその意味は何かについての「理解」が存在していなかったということになるの でしょうか? このあたりについては私の知識も乏しいので、逆に博識な方にお聞きしたいところ です。 >本物と偽物をここでは混同して括っておりますが、かつて本物だったものが形骸 >化して廃れてしまっただとかを個々に検討するよりはすべて過去のことで今はど >こに注意するのがよいか?をその出現パターンから掴む方向で探っていきたいと >多くの読者は密かに願っているに違いありません。 私も同じように願う者の一人です。しかし、相手が「高次の知性」からなる集団で ある以上、簡単に「尻尾をつかませる」はずもなく、我々にできることは本物のマ グネティック・センターを己の内に形成し、高次の影響に対して心を開いておくこ とではないかと思っています。
Itas RE:少しごぶさたしました 2000年04月30日(日)21時04分38秒
高橋さん >Itasさんの言われる「ヨーロッパ密教」というものの概念が私には今ひとつよく >分からないので、御説をもう少し詳しく解説していただけるとありがたいです。 相変わらず舌っ足らずで申し訳ありません。 いつもそうですが、僕のような一般的読者は語学力や豊富な資料の裏付けなく妄想 によってたどたどしくイメージしようとしておりますので、この掲示板のような場 所をお借りしまして自分の生半可な歴史認識等に修正を加えていきたいと願ってい るものです。 「ヨーロッパ密教」という概念が果たしてあるのかどうか疑わしいとは思うのです が、あくまでも歴史上に現れ、僕たちが書物などを通じてだけですが把握できる範 囲で考えますとヨーロッパ全土の宗教史や科学史に重大なエポックが起きた時期が あると思います。 ローマ帝国の東西分裂によって起きたことは教会の分裂でしたが、十字軍遠征やス ペインのグラナダ回教国の成立などでイスラム文化と接触したときからヨーロッパ には古代ギリシャやエジプトに始まってグノーシズム、ヘルメス主義、もちろんイ スラム科学、ユダヤ密教などの混合文化がキリスト教社会と混合するようになりま したことはご存知の通りです。 この混合文化はイスラム圏から来た博識者と現地(主にスペイン)の知識人との共 同作業でラテン語に翻訳されることによって具体的に生まれてきたものだと理解し ています。(スラブ語圏ではまた別の経路で違いますが) ところがこの新しい知識は中世的な状況にあったヨーロッパ社会にとって自由すぎ ました。異端審問が盛んに行われた地域というのは実はこの新しい知識の流通経路 と重なると思います。 ですから当初この新しい知識を習得しようとしたり、継承しようとした人達は錬金 術の結社やノートルダム寺院をつくった人達の結社や異端のキリスト教の一派とし て隠棲していたのではないかと妄想します。 これが表面化して参りますのが有名な薔薇十字団の伝説的な宣言文からということ になると思います。この文書の真偽を詮索しても得るところが少ないと思いますの で、問題は「イスラム圏との接触によって導入された古代からの科学知識(もちろ ん哲学も)を統一的に扱う潮流」を濃厚に推進していったのは誰か?ということに なると思います。 その推進母体や分派などを含めて「ヨーロッパ密教」と括っているのですけど、グ ルジェフはベネディクト修道会の起源についてなんかも「ベルゼバブ」に書いてい るように相当調べたように受け取りました。 たとえば伝説の薔薇十字団の始祖の遍歴というのが、ベネディクト会のトリテミウ ス司教の師匠たちとそっくりであるということや、そこからコルネリウス・アグリ ッパのような錬金術の結社を広めた人物につながるにしても、どこからどこまでが スクールなものやらどこからどこまでが顕教でどこからどこまでが密教なものやら 僕にとっては輪郭はあいまいです。 なんとなくつながっている風には見えるのですが、想像の範囲を出ないことです。 しかし最も浅薄な捉え方をしたとしても何かの痕跡ではあるなということ位は言え そうなものです。その程度で十分なのかも知れませんが。 そのような古代の知識を連綿と継承していた流派が様々な呼び名で歴史の表面に出 たり潜行したりする濃厚な部分、そのヨーロッパ版のことを言いたかったのでした が、これがそうらしい、あれがそうだったのではと個々に推測することが現在の僕 たちに益するとは思えないので、あっさり簡単に夢物語のように取り扱う方が健康 的かと思いもしました。できれば寸言で要約できるというのが望ましいのですが。 ちょうど大衆的な道教では仙人が崑崙山脈に洞府を持っていてそこから下山すると いう程度の伝説として把握しているように。(多くの神秘家がこの辺りの地域を秘 教の源泉としているから、まあそんなに間違ってもいないのでしょう) そこから中国の密教的な道教にもスポットを当てていくのがよいのかも知れません けど(グルジェフが「中国語の習得に8年かかる」とかウスペンスキーがサルムン グ教団の所在地についてカシュガルの寺院を興味深いと挙げたり、同じくウスペン スキーが『人間に可能な進化の心理学』の中でロンドンでの講演の質疑応答でR嬢 なる人物のスクールに関する質問に答えて「広東や恩施」という地名を挙げている 部分等から類推できるかもしれない秘教的スクールが最後に消息を絶った地域)余 り店をひろげても収拾がつかなくなるのでやめます。 おそらく古代からノストラダムスあたりの時代にかけてまでは、科学も哲学も宗教 も芸能や技術もごちゃまぜになっていたと僕には思われるんです。 良く言うと一人の人間がその全分野の態度や技能や実践をシームレスに極めて自然 に実現できたしそうするのが当然だったと。 諸学芸が未分化であったと言えばそうなんですが。 ところが僕らの時代はあれはあれこれはこれとてんでバラバラで斉合しないのが当 たり前てな具合になっています。未分化であることと分化していることはともに機 械的な状況でエントロピー増大の法則の支配下にあるものが無抵抗にその状況を甘 受していることは当然であるという見方になります。 このような見方に対して諸学芸を一個の人間の中に本来収まるべきものとして思考 の上では矛盾を孕みつつあくまでも無理をせず収めてしまうという方向があって然 るべきでそれが現実的な対応だとも思います。これはアカデミズムの対極にある態 度であるかも知れません。 ということで、僕の意向はこれから店をひろげておもちゃを散らかそうというので はなく、店をたたんで散らかしたおもちゃを片付ける方向をいっぺんに示せないも のかということです。 斧を研いで、木を切って、それを集めて、運んで、水を汲んで、風呂桶に入れて、 火をつけて、湯加減をみて、風呂に入って、疲れを癒す。その全体が風呂に入るこ との総体でそれぞれの断片的な行為が風呂に入ることであるとは言えないわけです。 僕たちはでき得る限り風呂に入ることの総体をたとえ何人がかりでやったことだと しても実感することによって風呂に入るべきでして、それが濃密なお風呂タイムな のです。 「お風呂に入る」は<その総体を実感し>初めて真実となる。です。 農村部の人や古い人はごはんを食べるとき「一粒の米にも千人の労苦を偲び有難く 頂きます。」と感じながら食べる習慣がありました。あるいはこれを口に出して食 事の挨拶にしておりました。 キリスト教の「主の祈り」なんかもそう(だった)でしょう。 この習慣は濃密なお食事タイムの為にあると思います。 いずれにしても「ヨーロッパ密教」は現在隠秘学的なものを漁り尽くしてそれに絶 望するための対象として捉えられているけれどもこの「偽エソテリックスクール」 は一定の役割を果たしているどころか、そこにどんなコンテンツが用意されている のかについて(メスメリズム・魂・良心・睡眠・聖数3の象徴・テレパシー・アト ランティス伝承・カバラ等)、よくまとめられたインデックスだけはあるので参照 する機会が多く便利であるという程度に考えられるものなのでしょうか? 本物と偽物をここでは混同して括っておりますが、かつて本物だったものが形骸化 して廃れてしまっただとかを個々に検討するよりはすべて過去のことで今はどこに 注意するのがよいか?をその出現パターンから掴む方向で探っていきたいと多くの 読者は密かに願っているに違いありません。 それで一般的な読者は語学の達者な人物や博識で多くの分野について連動させて考 えていける人物やあるいは実際に「道」にある慧眼の士に接触したい、その見解を 聞いてみたいという野次馬根性に満ちていると言っていいでしょう。 僕もそんな読者のひとりです。
小森 re:少しごぶさたしました 2000年04月29日(土)23時53分32秒
高橋 少しごぶさたしました 2000年04月29日(土)23時24分33秒
小森 オレージ 2000年04月29日(土)01時34分37秒
小森 イドリース・シャーのナスルディン集 2000年04月28日(金)13時15分47秒
小森 「タラント氏の事件簿」 2000年04月27日(木)01時51分42秒
Itas オクターブの法則 2000年04月25日(火)00時12分48秒
高橋さんResありがとうございます。 >そういえば、ウスペンスキーは一時期しきりに「悪魔」について論じていたようです。 むむっ!これは気になる気になります。とすれば彼も相当道根というか道行の深い道士 であったということになりそうです。そんな圧力を感じたのだとすれば。 >ウスペンスキーが「抜けた」ことによってシステムの「オクターブ」が下降したという >見解を取る人々は確かに多いですが、二人が別々に活動することによって初めてシステ >ムの効果的な伝達が可能になったと考える人もいるようです(ロドニー・コリンなど)。 やはりこうしたことを検討する人というのはいるのですね。 ところで「オクターブの法則」は1864年に英国王立化学大学のJ.A.R.ニューランズ が提唱し始めたもので、そこからドイツのJ.L.マイヤーやロシアのメンデレエフへと 引き継がれて元素の周期律表につながっていったものです。 このことを僕は『奇蹟を求めて』を手にする以前に大学の講義で聞いたことがあったので 『奇蹟を求めて』をはじめて読んだとき奇妙な感覚に襲われたものです。 といっても僕は化学の基礎的な教養は殆ど持っていませんで、殆ど実験室で器具を洗浄し たりコーヒーを飲んだりしていただけです。まともに勉強したことはありません。 皆さんはグルジェフらの運動をおおきく括れば神智学運動の一種か亜種であるという見方 を部分的にもされることに抵抗が無いのではと推察しますが、僕も初期の弟子のメンバー 構成を見る限り神智学協会でもフリーメーソンでもバラ十字団でもどうせ同じ「偽エソテ リックスクール」という扱いになると思いますので、十把ひとからげに「ヨーロッパ密教 」の諸派と直接間接のつながりがあったと考えるのが自然だと思います。 そうしますと、「オクターブの法則」は英国王立化学大学という由緒正しいロバート・フ ラッド博士からロバート・ボイルへとつながった紛う事無きバラ十字運動の後継スクール から出てきたアイディアですからこれをグルジェフらが引き継いだと見ます。 更にこの英国由来の一切を特にウスペンスキーが引き継ぐ役割を担っていたとまで考えま す。どうでしょうかね? 「ヨーロッパ密教」は随分以前に実験科学部門を担う英国と哲学部門を担うフランスに分 派(エリュ・コーエン騎士団)してしまい、これらの統合は未だ為されていないと僕は考 えています。むしろ取り返しのつかない位どんどん互いに離れていってしまった。 まるで昔から違うカテゴリの学芸であったかと思わせるくらいに。 それ(再統合)ができる立場にいたのが自己知というマルチニスムの大陸系実践哲学と実 験科学という英国王立大学の伝統を「オクターブの法則」という形で一身に統合できてい たウスペンスキーその人であったと思うのですが・・・ システムというより文明史の転換点に関わってしまっていた人物ではなかろうか?と。
高橋 C.D.キング∩A.R.オレージ 2000年04月24日(月)23時31分40秒
高橋 ターシャム・オルガヌム(47) 二次元世界(1) 2000年04月24日(月)23時05分23秒
次に、二次元世界と、その面上で生きる存在について想像してみましょう。この 存在にとって宇宙は一枚の広大な「面」です。この面の上に点、線、幾何学図形の 形をした存在を想像してみましょう。三次元世界の物体もまた(この世界では)平 面図形の形を持つことになります。 この「面宇宙」に生きる存在はどのように世界を知覚するでしょうか? 最初に言えることは、彼は自分がその上にいる面を感じることはできないでしょ う。彼が感知するのは面の上の図形であり、図形を取り囲む境界線です。そのため に、彼は自分自身が面の上に存在しているのを感知することができないのです。な ぜなら、もし面を感知するならば、各々の線の違いを区別することができなくなる からです。線が面と違うのは、それが「感覚」を呼び起こすからです。それによっ て感覚が生じるために物が存在することを認知できるのです。面は感覚を生まな い。だからそれは存在しない。面の上を動いて何も感知しなければ、二次元存在は 「今ここには何もない」と言うでしょう。何かの図形に近づいて、その「線」を感 じたとき、彼は「何かが現れた」と言うでしょう。しかし、徐々に理性を働かせ て、二次元存在は、彼が出会う図形は「何かの上に」または「何かの中に」存在し ているのだと結論づけるでしょう。彼はこの「何か」(面)を「エーテル」と呼ぶ かもしれない。(もちろん彼はそれが実際には面であることを知りません。)そし て彼はこう言うでしょう、「エーテル」が空間を満たしている、しかしエーテルの 特性は「物質」とは異なる、と。そして彼は「線」のことを「物質」と呼ぶでしょ う。その結果、二次元存在は、すべては「エーテル」の中で、すなわち、(彼の言 う)「空間」の中で起こると考えるでしょう。彼はこのエーテル(面)の外部にあ るものを何も想像できないでしょう。何か面の外部で起こったことが彼の意識に達 したら、彼はそれを否定し、主観的なもの、彼自身の想像の産物とみなすか、その 面上で(エーテルの中で)起こる他の現象について考えるのと同じように考えるで しょう。
小森 C.D.キング 2000年04月23日(日)03時15分58秒
高橋 ターシャム・オルガヌム(46) 一次元世界(3) 2000年04月23日(日)00時23分39秒
一次元存在をもっと現実的に想像してみることができます。空間の中に浮かぶ原 子、あるいは風に運ばれる一粒の塵が意識を持っているとしてみましょう。塵や原 子が、自分自身と周囲の世界の違いを認識し、その動きの線上にあるものを意識 し、それと直接接触したものを認識するとします。これは一次元存在の条件を十分 に満たしています。彼はあらゆる方向に動き、あらゆる方向に飛ぶことができる が、自分では常に一本の線上を動いていると思っています。線の外部には広大な 「無」のみが存在します。彼には全宇宙が一本の線に見えます。彼は線の回転(や 角度)を感じたり考えたりすることができません。なぜなら、角度を感じるために は右と左、上と下にあるものに気づいていなければならないからです。あらゆる意 味でこの存在は先ほど想像した線上の存在と同じです。彼が接触するすべてのも の、彼が意識しているすべてのものは「時間」の中からやって来るように思われま す。すなわち、無から生じ、時間(無)の中へ消えていくもののように思われるの です。一本の線を除いて、三次元世界全体は「時間」と呼ばれ、現実には存在しな いものとみなされます。
高橋 Bridge到着 2000年04月23日(日)00時20分20秒
小森 HP見ました 2000年04月22日(土)03時04分14秒
高橋 HP進行状況 2000年04月21日(金)23時48分44秒
小森 感想 2000年04月21日(金)00時00分09秒
Itas Re:感想 2000年04月20日(木)22時13分11秒
高橋 “The Ladies of the Rope”感想など 2000年04月20日(木)18時39分58秒
とりあえずGurdjieffに関係のあるところだけ目を通した限りでは、晩年の彼の 活動の一側面を知る上で興味深い記録ではあります。しかし「ウスペンスキー掲示 板」の観点からすると、グルジェフが死ぬ前にパリに続々と弟子たちが集まってき たのに、モーリス・ニコールだけはやって来るのを拒んだというエピソードなどが 気になるところです。あと、1938年にグルジェフは「すべてはほとんど終わっ た、私も、私のワークも…」と気になる発言をしているようです。 筆者のウィリアム・パターソンはあくまでも「偉大な師グルジェフ」という観点 から書いているので、グルジェフのあらゆる言動に深い教えを読み取っており、そ れはそれで一面の真理ではあると思いますが、私はこの記録を読んで、どうも晩年 のグルジェフは方向性を失っていた(よく言えば模索していた)のではという印象 を受けました。つまり、個々の場面では個々の生徒に彼の<存在>(ビーイング) を通して教えを伝えてはいたが、体系的・集団的に<知識>を伝達することはでき なかった。当初目論んでいたであろう「スクール」をつくることはできず、著書に よって知識を伝えようとしたり、この“Rope”のような小グループを作ったりし て色々と実験をしていたように思われたのです。 この本や、他のグルジェフ/ウスペンスキー関係の洋書については、(小森さん のリクエストに応えて)私のHPに書評コーナーを設けるつもりなので、そこで改め て論じてみたいと思います。 Itasさん ご説明ありがとうございました。その考え方を要約すると、「グルジェフとウス ペンスキーの別離は、人類にとって善き事をなそうとする者たちを邪魔しようとす る勢力の働きの結果であった」ということでしょうか。非常に興味深い観点だと思 います。グルジェフは彼の自動車事故をまさにそう考えていたようですね。 これを考えるにあたっては、『奇蹟を求めて』p476〜477で述べられている 「意識的な悪(退化の力)」の問題が絡んでくるように思います。そういえば、ウ スペンスキーは一時期しきりに「悪魔」について論じていたようです。 あともう一つの問題は、グルジェフとウスペンスキーが別れたことによって本当 に「システム」の有益性が低下したのかどうか、ということです。ウスペンスキー が「抜けた」ことによってシステムの「オクターブ」が下降したという見解を取る 人々は確かに多いですが、二人が別々に活動することによって初めてシステムの効 果的な伝達が可能になったと考える人もいるようです(ロドニー・コリンなど)。 これもまた余力があればHPで論じてみたいと思います。
高橋 ターシャム・オルガヌム(45) 一次元世界(2) 2000年04月20日(木)18時36分52秒
もし一次元存在が記憶を持っているとすれば、彼は自分が見たすべての「点」を 「現象」と呼び、それをすべて「時間」に関連づけるでしょう。消えてしまった 点はもはや存在せず、明日現れるかもしれない点はまだ存在しない現象です。 この空間全体は、一本の線を除いて「時間」と呼ばれ、現象がそこからやってきて そこに去っていくものとしてイメージされるでしょう。そして一次元存在は、「運 動」(点の出現と消滅)を観察することによって「時間」の観念を得たと言うこと でしょう。点の動きは「時間」現象として捉えられ、点は見えるようになった瞬間 に「生まれ」、見えなくなった瞬間に「消滅する(存在を止める)」とみなされま す。一次元存在は現象が目に見えないところに存在していると想像することはでき ないだろうし、(想像できたとしても)それを前方の線上にあるものと考えるでし ょう。
小森 できれば掲示板に 2000年04月20日(木)01時49分21秒
Itas RE:神話など 2000年04月19日(水)23時47分38秒
高橋 C.S.Nottなど 2000年04月19日(水)23時23分41秒
ワーカーさん >Gurdjieff 自身が こういうことを語っていたわけではありません。「 Ouspensky は、 Gurdjieff から全てを教わってはいないと思っていたし、 Gurdjieff 「も」もはや Esoteric な繋がりを失っていると Ouspensky が考えていたことから〜、」という意味で書きまし た。 了解しました。私はNOTTのこの本は読んだことがないのですが、同じ著者の “The Teachings of Gurdjieff”は興味深く読んだ記憶があります。 そのときにはこの人の視点はかなり公正なものに思われました。 >感想を書かせていただくに当たっては、この掲示板上かダイレク トメイルかどちらがよろしいでしょうか? ワーカーさんのご判断にお任せします。掲示板上で論じるのにふさわしい ものとお考えであれば書き込みください。逆に個人的に伝えた方がいい と思われることはメールでいただければと思います。
高橋 ターシャム・オルガヌム(44) 一次元世界(1) 2000年04月19日(水)22時59分23秒
高次元の領域で何が可能であり、何が可能でないかを定めるためには、一般にア ナロジー(類推)と比較が用いられます。 通常の方法は、二つの次元の「世界」を想像し、低次の世界と高次の世界との関 係から、この世界と四次元世界の間で可能な関係を推測するというものです。点と 線、線と面、面と立体の間の関係を推測するのと同じ方法で、三次元世界と四次元 世界の関係を推し測るのです。 このアナロジーを使って何が分かるでしょうか。 最初に「一次元世界」を想像してみることにします。 それは「線の世界」でしょう。この線上に生きる生物を想像してみましょう。彼 らは、自分にとっての宇宙であるこの線上を前後に動くことができます。そして彼 ら自身、点(線の断面)の特性を持っています。この線の外部にある物は存在せ ず、彼らは自分がその上を生き、動いているこの線そのものの存在も意識していま せん。彼らが意識しているのは前後の二つの点だけです。もしかしたら前方の一つ の点しか意識していないかもしれません。この点の状態の変化を観察して、一次元 存在はそれを「現象」と呼びます。三次元世界の様々な物体が一次元存在の暮らし ている「線」を通過する時、一次元存在は物体の中の一点しか見ることができませ ん。線が物体によって遮断されたら、一次元存在はそれを見て「物が出現した」と 思うことでしょう。彼には、点が出現し、また消滅したように見えるでしょう。こ の、点の出現、存在、消滅は「現象」とみなされます。一次元存在にとっては、線 を通過する物体の運動の特徴、割合、性質に応じてその期間の長短や周期性、継続 性と可変性が決まるといえます。しかし一次元存在は彼の世界で起こる現象の継続 性、可変性、期間の長短、周期性と非周期性について説明することはできず、単に それらの属性は現象に内在しているとみなすでしょう。線を遮断する物体は異なっ ても、一次元存在にとってはすべての現象は絶対的に同一のものでしょう。それは 単に「点の出現と消滅」でしかなく、あらゆる現象の違いは期間と周期性の違いで しかないのです。 我々から見れば非常に多様で相異なる現象がこのように奇妙に単一で同質に見え るということが、一次元世界の特徴です。
ワーカー Re: 感想 2000年04月19日(水)05時05分49秒
小森さん、お気遣いありがとうございます。ワーカーです。 小森さん wrote: : 高橋さんのページはいまだに見られませんか?もし見られないと : したら、対策を考えないといけません。 高橋さんの迅速な対応で、私の発言の一、二日後にはファイル 名・リンク名を書き換えていただいたようです。ありがとうござ いました。ローカルディスクに内容を全て移動させた上でゆっく り読ませていただきます。 感想を書かせていただくに当たっては、この掲示板上かダイレク トメイルかどちらがよろしいでしょうか? # Itas さん、初めまして。「寄せ集めフラクタルコラージュ」と # いう web page を持っていらっしゃる方でしょうか? 以前、興味 # 深く拝見させていただいたことがあります。これからも、よろし # くお願いいたします。
ワーカー Re: 感想など (長文) 2000年04月19日(水)04時27分19秒
高橋さん、お返事ありがとうございます。ワーカーです。返事が 遅くなりまして、すみません。 高橋さん wrote: : まず、「源流捜し」という言葉ですが、私もワーカーさんと同じ : く“Gurdjieff の思想や System の「源流」を捜すこと”と解釈 : していました。そこが伝わらなかったのは私の表現の至らなさ : だったと思います。ですから、「源流捜し」という言葉の意味の : 取り違えが“コメントの論調”を決めたわけではありません。 私の誤解釈だったようです。すみません。 高橋さん wrote: : ところで、ワーカーさんの先の書き込みで興味深い箇所があった : ので、質問させてください。 At 07:12 2000.04.10, In Article "Re: 感想など (長文)", I wrote: : Ouspensky 自身、 Gurdjieff から教わったことは、 Guejidff : 自身が知っている中のほんの僅かなことであるし、当 : Gurdjieff も、もはや Esoteric な繋がりを失ってしまったとこ : ぼしていたという逸話もあり、そのような意味でも、 Gudjieff : すら断片的にしか持っていなかったかもしれない秘教的な思想を : 西洋人に分かりやすい形に体系化した内容を "Gurdjieff - : Ouspensky System" と呼んでもいいし、呼ぶべきだとも思ってい : ます。 高橋さん wrote: : “Gurdjieff も、もはや Esoteric な繋がりを失ってしまったと : こぼしていたという逸話”というのはどこに書かれているのです : か? : ウスペンスキーがそう言っていたという話は知っていましたが、 : グルジェフ自身がそう語っていたとは知りませんでしたので…。 これは、私の書き方がまずかったようです。 Gurdjieff 自身が こういうことを語っていたわけではありません。「 Ouspensky は、 Gurdjieff から全てを教わってはいないと思っていたし、 Gurdjieff 「も」もはや Esoteric な繋がりを失っていると Ouspensky が考えていたことから〜、」という意味で書きまし た。 この逸話が収録されている資料は、 * NOTT, C. S., Journey through This World: The Second Journal of a Pupil. Including an Account of Meetings with G. I. Gurdjieff, A. R. Orage and P. D. Ouspensky, London: Routledge and Kegan Paul, 1969, 254p. ( 未見 ) だそうです。上記の Ouspensky の言は、 1930 年代だったと思 います。この資料に載っているかどうかは分かりませんが、 1917 年あたりから幾度か感じていた Gurdjieff への不信感 と、 1925 年に Gurdjieff が Ouspensky のグループを訪れたと きに、 Ouspensky のやり方は思弁に偏り過ぎて、間違った方向 に進んでいるなどとあからさまに評されたこと、そして例の 「ウォッカを飲むにはいい奴だが〜」の、 Ouspensky に対する 人物評などを伝え聞いた上での発言だったようです。
小森 HPの感想など 2000年04月18日(火)22時13分18秒
高橋 神話など 2000年04月17日(月)22時31分02秒
小森さん 「ウスペンスキー没後五十周年記念論集」目次を見ると、とても興味深い内容 ですね。僕も早速注文しました。 Itasさん 神話というのは、それを読み解く能力のある人にとっては知識の宝庫なのかも しれませんね。しかしそのためには高位感情センターとの接触が必要なので、 “お馬鹿さん向け”とも言えないのでは? 『ベルゼバブ』も、その理解に (たぶん)高位感情センターの働きが必要であるという意味では神話と同じ 範疇に属するのかもしれません。 >ところで別離を邦訳『生は<私が存在し>て初めて真実となる』第一講話p129 にある<ツヴァルノハルノ>の観点から捉えているという奇特な御仁はおりませ んか? ちょっとこれだけでは意味が分かりにくいので、その考え方をもう少し噛み砕 いて教えていただけますか?
Itas Re:いらっしゃい&RE:はじめまして 2000年04月16日(日)22時06分33秒
小森 ウスペンスキー没後五十周年記念論集 2000年04月15日(土)23時34分38秒
高橋 RE:はじめまして 2000年04月15日(土)19時45分33秒
Itasさん、はじめまして。 >読んだことのある本は邦訳されているものに限るのですが随分解らないことが たくさんあり過ぎて読みすすめることがむずかしいです。 >グルジェフやウスペンスキーの表現したものが何であったのか、殆ど何も解ら ないのでとてもくやしいです。 私のHPは見ていただけましたか? 読んだのが『超宇宙論』だったとしたら 殆ど何も解らなかったのは無理もないと思いますよ(笑)。 私も『ベルゼバブ』には解らないところがたくさんあります。 お尋ねの件については、申し訳ないのですが、私には正直まったく分かりません。 神話やSFには疎いもので・・・ ではこれからもよろしくお願いします。
小森 いらっしゃい 2000年04月15日(土)00時31分51秒
Itas はじめまして 2000年04月15日(土)00時08分11秒
小森 同感です。 2000年04月14日(金)18時23分15秒
高橋 RE:グルジェフとウスペンスキー/Rajneeshの見解 2000年04月14日(金)18時11分50秒
小森 感想 2000年04月14日(金)01時21分45秒
小森 グルジェフとウスペンスキー/Rajneeshの見解 2000年04月13日(木)22時35分46秒
小森 グルジェフとウスペンスキーの別離 2000年04月13日(木)00時59分17秒
小森 隣の掲示板ダウンについて 2000年04月13日(木)00時01分25秒
高橋 ターシャム・オルガヌム(43) 2000年04月12日(水)23時47分42秒
高次元の問題に近づくためにはまず最初に、三次元の領域と比較した高次元領域 の特性の本質を理解することが必要です。その時に初めて高次元領域をより正確 に調べ、そこで働く法則を発見することが可能となるのです。 我々が理解すべきことは何でしょうか? まず理解しなければならないのは、これが空間的に異なる「二つの」領域―― 一方が他方の一部を(空間的、幾何学的に)構成する二つの領域――の問題では なく、「同一の空間を持つ世界に対する二つの知覚様式の問題である」というこ とです。 さらに、すべての対象は我々がそれを知覚するカテゴリーの中にだけ存在する のではなく、我々がどうすれば知覚できるかを知らない他の無数のカテゴリーの 中にも存在するということを理解しなければなりません。だから最初に、他のカ テゴリーの中で思考することを学ばねばならず、できる限りその中で考えるよう にしなければなりません。そのときに初めて、高次元空間の事物を知覚し、「高 次元空間」そのものを感じる能力を発達させることができます。 あるいは、おそらく最初に必要なのは、我々を取り巻く世界の中で、三次元の 枠組みの中に含まれないあらゆるもの、時間と空間のカテゴリーの外にあるもの、 すなわち我々が習慣的に非−存在とみなしているすべてのものを直接に知覚す ることでしょう。「可変性」が三次元世界の特徴であるなら、「一定不変」なも のを探さなければなりません。そうすることで四次元世界の理解に近づくことが できるのです。 さらに、我々は習慣的に長さ、幅、高さによって測定されうるもののみを実在 するものとみなしています。しかし、すでに指摘したように、「実在するもの」 の境界を広げることが必要です。「測定可能であること」を実在の判断基準とす るのはあまりにも粗雑すぎる、なぜなら測定可能であるということそのものがあ まりにも条件づけられた概念だから、とウスペンスキーは言います。だから、高 次元の領域を正確に調べるためには、おそらく、直接感覚から引き出された確信 が必要であり、それは「測定し得ないものの存在の方が、測定可能なものの存在 よりも現実的である」という確信に他なりません。
小森 書けますよね 2000年04月12日(水)18時07分51秒
小森 グルジェフ=ウスペンスキーシステム? 2000年04月10日(月)13時43分37秒
小森 ノーシス等 2000年04月10日(月)13時33分56秒