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TERTIUM BBS(ウスペンスキー掲示板)
小森健太朗
( メール 、 URL )
P.D.ウスペンスキーと、G.I.グルジェフについて語り合うための掲示板です。参加される方は、少なくとも『奇蹟を求めて』(平河出版社)は読んでおいてくださいね。ボードリーダーは、小森・高橋両名です。
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高橋
三日月さんへ 1999年12月27日(月)21時21分43秒
>まさしくそれを強調したいのですよ!それを。
それって何ですか?
前の書き込みではちょっと言葉足らずな所があったので補足しますと、
「知覚の扉」が出たのはウスペンスキーが死んだ後なので、あれに対してクレームをつけたわけではありません。
具体的には、1939年にハクスレーが出した“After Many A Summer Dies The Swan”の中で「システム」の概念が使われていることに対して「ウスペンスキーの信奉者が怒った」という話があります(William Patterson/Struggle of Magiciansより)。ウスペンスキー個人はその作品についてどうこう言ってはいません。ただ、彼自身は次のように発言しています。
「情報の出所を明かさずに話すことは盗みである。たとえば本の題名を挙げずにその本から考えを借用することはできない。私の著書から考えを盗用する人が後を絶たない。」
(「人間に可能な進化の心理学」めるくまーる社、p144)
日本のハクスレ−研究者の中に、“After …”という小説の背後にウスペンスキーの思想があるということを知っている人が何人いるでしょうか。平凡社の「知覚の扉」の訳者あとがきにも、この類の本を書いたのはハクスレ−が最初でおそらく最後だろう、というようなことが書かれています。それは違うだろう、という思いが私の「ウスペンスキーが盗用を批判云々」という書きこみの裏にありました。
それにしても、グルジェフはなぜ「剽窃大権現」なの?
「うまく盗む」ってどういうことですか?
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三日月
Re:そのあたり 1999年12月27日(月)17時18分19秒
>他人の思想を借りているときでも、出典をしめした引用か、借用か、それとも盗
>用ないし剽窃になるのかで違うはずです。三日月さんの発言はそれをいっしょく
>たにしているような印象をもちますが……。
>ハックスレーの本は、たしかにウスペンスキーと似ているところはありますが、
>盗用までにはあたらないと思います。もしウスペンスキーが「知覚の扉」につい
>て、自分のアイデアを盗んだと思っていたら、たしかにちょっとあぶないです。
まさしくそれを強調したいのですよ!それを。
>ウスペンスキーの、グルジェフ思想への関係は微妙で難しいところです。
>ただ、いわゆるシステムに関しては、ウスペンスキーがグルジェフと共同でつく
>りあげた面がかなりあると思うし、グルジェフが自著で教えているシステムはウ
>スペンスキー経由のものとだいぶ違うのに、今日正統的なグルジェフの教えと奉
>じられているのは、グルジェフの教えそのものよりむしろウスペンスキーのもの
>であること、「奇蹟を求めて」ではウスペンスキーは自分を後方にひかせている
>けれども、そのせいであの教義をぜんぶグルジェフのものだとするのは誤読であ
>るということ、そういった事情がありますからね。
これについては同意できかねる。グルジェフは途中でやり方を変えたのだから……。システムは、初期のグルジェフの教えが、ただウスペンスキー的な色合いを帯びたものだとするほうがはるかに納得しやすいと思うが……。
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小森
そのあたり 1999年12月27日(月)10時13分38秒
三日月さん
他人の思想を借りているときでも、出典をしめした引用か、借用か、それとも盗用ないし剽窃になるのかで違うはずです。三日月さんの発言はそれをいっしょくたにしているような印象をもちますが……。
ハックスレーの本は、たしかにウスペンスキーと似ているところはありますが、盗用までにはあたらないと思います。もしウスペンスキーが「知覚の扉」について、自分のアイデアを盗んだと思っていたら、たしかにちょっとあぶないです。
ウスペンスキーの、グルジェフ思想への関係は微妙で難しいところです。
ただ、いわゆるシステムに関しては、ウスペンスキーがグルジェフと共同でつくりあげた面がかなりあると思うし、グルジェフが自著で教えているシステムはウスペンスキー経由のものとだいぶ違うのに、今日正統的なグルジェフの教えと奉じられているのは、グルジェフの教えそのものよりむしろウスペンスキーのものであること、「奇蹟を求めて」ではウスペンスキーは自分を後方にひかせているけれども、そのせいであの教義をぜんぶグルジェフのものだとするのは誤読であるということ、そういった事情がありますからね。
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三日月
しかし…… 1999年12月26日(日)23時42分42秒
しかし、ウスペンスキーはグルジェフからシステムだけを切り離そうとしたし、弟子達にグルジェフの名前を出すことを禁じたりしたのではなかったですか?
まそんなことはどうでもいいのです。私は
>ウスペンスキーはそれを「私のアイデアを盗んでいる奴がいる」
>と言って批判していたそうです。
こういうことを言ってもしょうがないということを強調したいのです。
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小森
剽窃というのは不適切ですね 1999年12月26日(日)23時04分35秒
三日月さん
先人の思想を借りているとか、影響を受けているのは、どの思想家でもあることなので、それを「剽窃」というのは、不適切な気がします。「注目すべき人々との出会い」には、グルジェフが秘教を盗んできたというような言い回しもありますけれども。ウスペンスキーが他者の思想を借用したり依拠しているときは、大体明記されているから、「剽窃」にはあたらないと思いますが。
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宮
えーと・・・剽窃? 1999年12月24日(金)22時34分33秒
こんにちは、お久しぶりです。でも顔はださずとも、一日もかかさずチェックしてるけど。
えーと、素朴な疑問ですが、グルジェフは具体的にどこが剽窃なの?(カスタネダは良く知らないけど)
グルジェフの思想はかなりオリジナリティに富んでると思うのですが・・・。
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三日月
剽窃 1999年12月23日(木)23時58分07秒
アイデア盗んだなんて話をしだしたら、グルジェフもカスタネダも「剽窃大権現」なんてことになってしまう。なんだかんだ言ってるウスペンスキーもちょっと危ないのでは???
私に言わせれば「うまく盗むのも才能のうち」なんですが……
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小森
RE;実験的神秘主義について 1999年12月23日(木)00時38分23秒
「実験的神秘主義」の章は、ウスペンスキーの著作世界を神殿にたとえるなら、一番内奥の秘所に相当しますね。この章の内容は、あまりに〈それ〉に踏み込みすぎているので、安易に世に広めるべきではないかもしれません。ウィルソンのウスペンスキー評価は、ところどころ不当な気もしますが、この章を最重要とする判断は正しいように思います。
ハクスレーの「知覚の扉」は大学時代に読んで感銘を受けた本の一つです。河出書房新社の「天国と地獄」と合本になっているやつ。
しかし、たしかにいま読むと、ウスペンスキーを百倍うすめたカルピスのような著作ですね。ハックスレーが盗用告発うけてたんですか。
ハクスレーは、でも、小説いいのも書いてるので、あまり非難したくない。
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高橋
実験的神秘主義について 1999年12月22日(水)23時57分43秒
1960年代ニューエージ運動のバイブルにオルダス・ハクスリーの「知覚の扉」
という本がありますが、「実験的神秘主義」はそれを100万光年進化させたようなエッセーです。
しかもそれが書かれたのは「知覚の扉」(1954)の30年前です。
ハクスレーはロンドンのウスペンスキーの講座に出入りしていたことが
あり、自分の小説の中にウスペンスキーの思想を取り込んだりしていて、
ウスペンスキーはそれを「私のアイデアを盗んでいる奴がいる」と言って
批判していたそうです。
ちなみに「知覚の扉」は平凡社ライブラリーから738円(税別)で出てい
ます。未読の方はお読みになるのも一興かと存じます。
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三日月
とんでもない内容?どんな? 1999年12月22日(水)00時24分23秒
とんでもない内容歓迎!
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高橋
実験的神秘主義 1999年12月22日(水)00時01分11秒
最近「ニューモデル・オブ・ザ・ユニバース」の「実験的神秘主義」の章を読んでいたのですが、ここでのウスペンスキーは「トビまくり」で、相当すごいことになってます。コリン・ウィルソンの「超オカルト」でもその世界の一部は垣間見れるようですが、全貌が明らかになるとかなりとんでもない内容ではあります。
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小森
小休止中 1999年12月21日(火)00時38分18秒
引っ越しをしていたため、(といっても、連絡先はかわりませんので)多忙につき、しばらくこちらの書込が小休止中です。落ちつきましたら、ウェブの本の紹介の続き書きますので。
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高橋
ターシャム・オルガヌム(20)運命論VS不確定論(3) 1999年12月19日(日)23時40分43秒
ウスペンスキーの主張はこうです。「あらゆる瞬間において、すべての未来は決定され、すでに存在しているが、それは条件付きの未来である。すなわち、ある瞬間の出来事の方向に沿った一定の未来は存在するが、それは何も新たな要素が入ってこなかった場合である。そして新たな要素は、『意識』と、その結果生まれる『意志』によってのみ生じる。これを理解し、心に植え付けるのは重要なことである。」
さらに、現在と未来の関係を正しく理解できないのは、過去と現在の関係を理解していないためである、と彼は言います。
「意見の相違が生じるのはいつも“未来”についてのみである。“過去”については、それが過ぎ去り、もはや存在しないものであること、そして過去がそのような性質のものであることに誰もが同意する。この“過去”の中に“未来”についての正しい理解への鍵がある。実際には、我々が考えている以上に過去と未来の関係は複雑である。“過去”の中には、過去に“そうであったもの”ばかりでなく、“そうであり得たもの”も含まれている。同様に、未来の中には“そうであり得るもの”も含まれている。
過去も未来も、“決定されていない”という点では同じである。過去も未来も同じようにそのあらゆる可能性と共に現存し、共に“現在と同時に”存在している。」
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小森
RE;ロシア語 1999年12月17日(金)01時38分23秒
ソ連崩壊後、19世紀のロシアの神秘学関連の著書が、一部復刻されているそうです。もしかしたら! ロシア語のウスペンスキー文献も! 探せばあるかも、と思うと、入手して読みたくてたまりません。
だれかロシア語に堪能な人で、ウスペンスキーにも興味あるという方おられませんかね? そういう方がいたら、ロシアの出版物を本格調査するのだけど。
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三日月
ロシア語 1999年12月17日(金)00時24分44秒
>三日月さん
>ご教示ありがとう。もしかして、ロシア語にあかるい方ですか?
ロシア語は学生時代、第三外国語としてやっていただけです。難しい文章でなけ
れば、なんとか「解読」できるという程度のレベルでしかありません。
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小森
RE;ブラグドン 1999年12月16日(木)22時24分03秒
高橋さん
クロード・ブラグドンは、その道では有名な人のようです。KNOPF社から出ているカリール・ジブランの本(英語)の推薦文も書いています。KNOPF社の刊行物は、 彼に助言を仰いでいたらしく、1920年〜1930年代に、ウスペンスキー、カリール・ジブラン、クリシュナムルティ、グルジェフの弟子たちの本、(年代は後だが)アラン・ワッツ等々といった、錚々たる名著が同社より刊行されたのは、ブラグドンの功績が大きいようです。
三日月さん
ご教示ありがとう。もしかして、ロシア語にあかるい方ですか?
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高橋
クロード・ブラグドン 1999年12月16日(木)21時44分42秒
「ターシャム・オルガヌム」を初めて英訳したのはクロード・ブラグドンという人ですが、彼はクリシュナムルティとも面識があったようで、「クリシュナムルティの世界」(大野純一編訳、コスモスライブラリー)という本の中に彼の文章が掲載されています。その記述から察するに、グルジェフのこともよく知っていたようです。
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高橋
ターシャム・オルガヌム(19)運命論VS不確定論(2) 1999年12月15日(水)23時15分32秒
運命論と不確定論との論争には終わりがなく、どちらの側も決定的な証拠を示すことができません。その理由は、どちらの理論も細かな部分にこだわりすぎ、硬直的で、お互いに対して排他的でありすぎるためである、とウスペンスキーは言います。
その結果、一方はまったく冷ややかな運命論者となり、「何も変わらないのだから、どうにでもなれ」――明日起こることは何万年も前に決まっているのだから――という態度を取るようになる。そしてもう一方には、「現在」と呼ばれる針の上に載せられ、四方八方を非存在の絶壁で取り囲まれながらの「未だ存在せざる未知の国」への旅、瞬間ごとに生まれ瞬間ごとに消滅する、何も戻ってこない人生がある。ウスペンスキーによれば、これらの正反対の概念は共に誤っています。なぜなら、真実はこれらの二つの理解を一つの全体に統合したところにあるからです。
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三日月
DZHUGASHVILI 1999年12月14日(火)23時45分44秒
どうでもいいことですが参考までに。
スターリンの旧姓の DZHUGASHVILI はジュガシヴィリ(発音に忠実に表記すると
ヂュガシヴィリ)と読みます。〜シヴィリというのはグルジア人の典型的な姓の形
のうちの一つです。
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小森
ハーモニアス・サークル(2)──真実を求めて 1999年12月14日(火)17時15分56秒
予告だけしていた、ウェブの大著『ハーモニアス・サークル』全25章、毎回一章ずつ簡単に紹介していきます。まずは第一章"THE SEEKER FOR TRUTH"。
これは、グルジェフの幼年時代の伝記です。ロシアとトルコの国境近いアレクサンドルポールがグルジェフの生地ですが、生年は1872年説、1877年説がありはっきりしません。自伝『注目すべき人々との出会い』の記述がどの程度信用がおけるか、検討をしています。幼少期の話は大体信用できるが、探求行に関しては、記録上追跡できず、事実かどうかはっきりしない点が多いらしい。登場人物についても、実在性が疑わしい人がいるので、あの自伝の挿話は寓話とみなすべきだとの主張もあるが、一部グルジェフの記した人々で、正体や素姓が判明している人もいるらしい。
後に、現代文明と科学の猛反対者になるグルジェフですが、幼少時は、科学少年だったらしい。
で、グルジェフの探索行については、あまり裕福でない若者が、どうやってあれだけ世界各地を放浪・巡礼できたのかという疑問を呈している。エジプト、インド、チベット、香港等判明しているだけで、相当広範囲に足をのばしている(ニ章の終わりに地図あり)。ロシア政府の密偵をしていたのではないかという説が紹介され、これはこれでかなり説得力がある。
それより驚いたのは、グルジェフとスターリンが同じ学校の同窓生らしいこと。ルイ・パウエル(仏)の『ムッシュー・グルジェフ』中で紹介され、グルジェフの高弟J.G.ベネットも、グルジェフが、スターリンと同級生だった話を認めたとある。
ウェブの調査によれば、JOSEPH DZHUGASHVILI(発音できないが、若き日のスターリンの名前)が1894年から1899年にかけて、ティフリスの神智学セミナーに、グルジェフの家族とともに共同参加(!)しているらしい。
ひえ〜。なんとなく、スターリンとグルジェフは、出身地と生年は近く、ともに鋼の人で似ているな、と思っていましたが、学校が同じで近しい同士だったとは。
亡命したグルジェフが、永住を希望した英国に何度申請を出しても滞在許可がおりなかったのは、このせいかもしれません。
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小森
ラッセルの言う六次元 1999年12月14日(火)01時16分01秒
ラッセルの議論は易しくないので、著者の意図と違わず要約紹介する自信がありません。詳しくは原著にあたってください。ラッセルの時空論は『相対性理論のABC』でアインシュタインの相対性理論との兼ね合いでも論じられていますが。
しかし、要約紹介にトライしてみます。
以下の引用文の前のところで、ラッセルは次のような議論をしています。
均質な三次元空間を想定したとき、地球上のどこかの地点(原点=0とする)に立つ人が、太陽の光を見ます。太陽の光が地上に届くまでに約8分かかります。原点にいる人にとって、現在見ている太陽の光は、その人のいる三次元空間内で現にそこにあるものです。しかし、その太陽光は八分前のものです。その人のいる均質な三次元空間の中に太陽も現在同時に存在するはずなのに、その人にとって現在の太陽は8分前のものである。とすると、知覚対象は、均質な三次元空間にとって「諸特殊」とみなさなければならなくなる。これがラッセルのいう「難点」となります。
この難点を克服するためには、知覚の主体となるそれぞれが三次元空間をもち、その各三次元空間が、宇宙のひろがりの中の三次元空間の中に位置づけられるとみるべきだろう。したがって、三+三で六次元となる、というわけです。
ですから、引用文の「他の諸空間」はたぶん「人間それぞれの(三次元)空間」ということでしょう。また、三日月さんの以下の把握の仕方は、ラッセルの論の主旨そのものではありませんが、あたらずとも遠からずだと思います。
「ターシャム」の議論と親近性はありますね。
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三日月
空間そのものの座標 1999年12月14日(火)00時26分14秒
「それ自身の空間における位置を定めるために三つと、その属する空間の、他の諸空間との関係における位置を定めるためにもう三つ、を必要とする」ですか……。
複数の空間が存在している”メタ空間”とでもいうようなものが存在していて、対象になっている空間が、メタ空間内に存在する複数の空間群のうちの”どの空間であるかの位置を示す”ための座標が三つあるといっているように聞こえますね。これに、対象になっている空間内における位置を示す通常の三つの座標を加えれば、確かに六次元になりますが……。
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高橋
ラッセルの次元論 1999年12月13日(月)23時08分22秒
ラッセルの空間論は確かに興味深いような気がしますが、
「それ自身の空間における位置を定めるために三つと、その属する空間の、他の諸空間との関係における位置を定めるためにもう三つ、を必要とする」の後半部分の意味が理解できませんでした。「他の諸空間」というのは何を意味するのでしょうか?
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小森
ラッセルとウスペンスキーの時空論 1999年12月13日(月)16時36分23秒
下の内容は『神秘主義と論理』の中の「物質の究極的要素」の中で見つけたのですが、最初は「あれ? ウスペンスキーと同じようなことをいっている?」のかと思いましたが、よく読むと少し違います。この論文の発表年代が1915年です。『ターシャム』はロシア語版は刊行されていますが、英訳版(1920年)はまだなので、この時点でラッセルがウスペンスキーを読んでいるとは思えない。
むしろ,ウスペンスキーが大きく依拠しているイギリスの数学者、C.H.ヒントンの影響をラッセルも受けているとみるべきかもしれません。
ラッセルの本は結構読みましたが、ウスペンスキーの名前が出てくるのは見かけた試しがありません。D.H.ロレンス経由でグルジェフとのつながりはありえるんですけどねえ。
それはともかく、ラッセルの『プリンキピア・マテマティカ』とウスペンスキーの『ターシャム・オルガヌム』の思想はかなり関連が深いと思うので、誰かそういう研究をする人が出てきてほしいものです。
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小森
ラッセルの"MYSTICISM AND LOGIC" 1999年12月13日(月)16時28分26秒
今日はバートランド・ラッセルの『神秘主義と論理』(みすず書房)を読んでいましたら、『ターシャム』の議論と関連性のある内容を見つけたので、引用紹介しておきます。
「……しかし、こういうこと(註、通常の空間論の問題点)が難点に思われるのは、小学校の先生たちに教え慣らされた、たった三次元の空間にあまりに唯々諾々と満足しているからであります。現実の世界の空間は六次元の空間であります。このことが判りさえすれば、われわれが場所を見つけてやりたいと思っている、すべての特殊に十分な余裕があることは、見やすい道理であります。(中略) それぞれの空間は、それ自体三次元的でありますからして、諸特殊よりなる世界の全体は一つの六次元空間に整理されるのであります。すなわち、ある与えられた特殊の位置を完全に定めるためには、六つの座標、つまりそれ自身の空間における位置を定めるために三つと、その属する空間の、他の諸空間との関係における位置を定めるためにもう三つ、を必要とするでありましょう。」(江森巳之助訳・前掲書157-158頁)
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高橋
ターシャム・オルガヌム(18) 運命論VS不確定論 1999年12月12日(日)23時47分15秒
「運命論」は、あらゆる未来の出来事は過去の出来事の結果であり、それ以外のことは起こり得ず、すべては先行する出来事の中に含まれるフォース(力)に従って起こる、換言すれば、未来の出来事は以前に起きた出来事の中に完全に含まれており、現在より前に起きたあらゆる出来事のフォースと方向性を知れば、すなわち、すべての過去を知れば、それによってすべての未来を知ることができる、という考え方です。
一方「未来は定められていない」という考え方は、人間の自由意志による行動と、新たな諸原因の偶発的な組み合わせの可能性の上に成り立っています。未来はまったく定められていないか、部分的に定められているとみなされます。どの瞬間にも、それまでは潜在的であった新たなフォース、新たな現象、新たな出来事が起こるかもしれないからです。
この理論によれば、同一の行動がまったく異なる結果をもたらし、同一の原因から異なる結果が生まれるかもしれません。また、この考え方は、人間が自由意志で取った行動が、自分や他の人々の人生に起こる出来事に変化をもたらすかもしれないという可能性を示します。
運命論の支持者は、自由意志による行動もまた、それをその瞬間に必然で避けがたいものにした諸原因に依存していると言います。彼らは「偶発的なもの」など何もないと言い、偶発的と呼ばれるものは我々の限界のためにその原因を知ることができない出来事に過ぎないと言います。そして、我々には同じに見える諸原因から生じる結果が異なるのは、本当は原因そのものの中に違いがあるのだが、我々がそれを十分にはっきりと見ることができないためであると主張します。
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小森
ウスペンスキーの題名の謙虚さ 1999年12月12日(日)14時12分33秒
『奇蹟を求めて』は、ウスペンスキーの意図した題名ではなく、彼の意図した題名は副題になっている『知られざる教えの断片(FRAGMENTS OF AN UNKNOWN TEACHING)』なのは、前にもこの掲示板で指摘しました──いろんな秘教体系数あれど、この本ほどシステマティックに体系の構築をしているものはないのに、それは「体系」ではなく、「断片」で、教えもまた「知られざる」ものとしているあたりに、ウスペンスキーの慎重さと謙虚さがうかがえます。
よく考えると、"A NEW MODEL OF THE UNIVERSE"も、"THE NEW MODEL OF THE UNIVERSE"と命名しなかったのは、謙虚ですね。不定冠詞では「新しい宇宙像の一つ」というニュアンスになりますから。
シュタイナー、クロウリー、グルジェフは、いずれも体系の主唱者なのに対し、ウスペンスキーは、著作として彼らより体系の構築にはるかに成功しているにもかかわらず、やはり資質が数学者だったためか、「こんなのは到底体系ではないし、全体でもない。断片の集積にすぎない」と思っていたのが、題名からはうかがえます。
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小森
FELLOWSHIP OF FRIENDSというページ 1999年12月12日(日)02時54分28秒
「ウスペンスキー」で検索していたら、
こんなページ を見つけました。
日本にもこんなセンターがあるのかと見ていたら、アメリカにある本部は、ロバート・バートンという人を中心に集まって、グルジェフ・ウスペンスキーの教えの後継者を自認していらっしゃるようですね。
しかし、世界各地に各種いろいろ分散しているみたいですね。
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三日月
Re:三日月さん、それはわかるけれども、ただ 1999年12月11日(土)20時36分29秒
小森さん、おっしゃる通りなんですが、それは某、○木○子さん達の方におっしゃ
って下さい。私ではどうにもなりませんので。(笑)
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小森
三日月さん、それはわかるけれども、ただ 1999年12月11日(土)01時36分38秒
昨日は、三日月さんとDMTさん宛てのコメントを書いていたら、途中でフリーズしてしまって、せっかく書いた文面がパーになってしまいました。
三日月さんがおっしゃることはわかるのですが、エニアグラムという図も言葉も、グルジェフの発明ではないかと思われるだけに(ニコールの講義にはそういう内容が書かれていた)、エニアグラムをグルジェフの意図とは別の用い方をするなら、グルジェフへの謝辞を捧げてその旨断るか、名前はかえて、別物にするか、どちらかはしてほしいなあと思います。
グルジェフ・ウスペンスキーとも、没後50年にはなるので、著作の著作権はもうすぐフリーになるでしょうが、エニアグラムを使うにあたって発明者への敬意は必要だと思います。
ちなみに、ウェブの『ハーモニアス・サークル』の第三部第一章は、「(グルジェフの)システムの源泉("The Sources of the System")」という題で、そこでエニアクグラムの源泉とあげられているのは、カバラの生命の樹と、Athanasius Kircherの宇宙像です。キルヒャーの図は、円に正三角形が三つ並べられたもので、エニアグラムに似ていますが、同一ではありません。
ウスペンスキーは、インドの古い教典に出所があると語ったとウェブは報告していますが、この原典はつきとめられていません。
ウェブの詳細かつ精力的な調査をもってしても、グルジェフ以前にエニアグラムは見いだせないのですから、これはグルジェフの発明とみなしてよいでしょう。性格学に使うにしても、エニアグラムのおおもとはグルジェフであることはお忘れなく、と言いたいですね。ただし、今後の調査で古い文献で、エニアグラムが見つかる可能性もありますけれども。
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高橋
ターシャム・オルガヌム(17) 「未来」は如何? 1999年12月09日(木)22時51分38秒
三日月さん
丁寧な解説ありがとうございました。僕が性格類型論の本を手に取る気にならなかった理由がよくわかりました。あと、小森さんの言うとおり、「システム」のエニアグラム論は「二階」部分に当たると思うので、まず「土台」と「一階」の話をするのが先かな、という気はします。
というわけで、「ターシャム」の時間論の続きですが・・・(このへんは本当にまだ序の口なのですが「土台」なのでぜひ辛抱してお付き合い願いたい。)
「過去」と「現在」という概念については、どんなに漠然としたものであるにせよ、誰もがある程度共通認識を持っていると言えるでしょう。しかし、「未来」については人によって見解の相違があります。
「未来」については一般に二つの主な考え方があると言えます。一つは、未来はあらかじめ予定されているという考え方(運命論)、もう一つは、未来は定まっていないという考え方です。この二つの見解の間には永遠の闘争(?)が続いています。
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三日月
再度、エニアグラムによる性格類型論 1999年12月09日(木)01時58分31秒
エニアグラムによる性格類型論は先に述べたように、グルジェフの系統を受け継いでいません。特にドン・リチャード・リソは脱神秘化、脱宗教化することによって特定の思想、信条、宗教、文化的背景及び人種に縛られることのない心理学的なエニアグラム類型論を作ってしまいました。基本構造は3×3構造と正三角形(3,6,9)及び変形六角形(1,4,2,8,5,7)内における循環―――しかしこれだけでもリソ・モデルの場合、クレッチマーやユングの分類などより桁外れに多い区分が存在し、しかも動的に関係しあっている―――ですから、人格と本質の区別、作用・抵抗・平衡(能動・受動・中和)から成る三の法則とインターバルとショックを含む七の法則、さらに創造の光を起点とする宇宙論や水素論、食物論を含んでいません。唯一、思考、感情、行動/本能センターを思わせる言説がイエズズ会系のものに見られますが、これも使い方がやや異なります。おそらくイチャーソ系の使い方でしょう。そういうわけですので、とうていグルジェフ系の人間を満足させられるようなものではないわけです。とくに、日本人著述家の手によるものは正直言って私ですら閉口するような代物です。人間関係をスムーズにするためのものでしかないわけですから。
しかし、このように起源から離れ、限定された別の使い方をしてもエニアグラムが有益かどうかは別にしても、有用な思考ツールとして機能するということは驚くべきことでありますし、他の分野への応用はおろか、まったく新しい使い方を見つけ出すという可能性もあり得るわけです。それが良いことであるか悪いことであるかは分かりませんが……
エニアグラムによる性格類型論はここでは扱う必要がないでしょう。それはグルジェフ系のものとはまるで関係がありませんので。
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小森
エニアグラムとシステム 1999年12月09日(木)00時26分44秒
高橋さん
『奇蹟を求めて』の中では、水素論・食物論のあたりが、読んでいて一番難しく、特に理解が行き届かない分野です。私もどなたか詳しい方のエニアグラム講義は聞きたいと思いますが──
いま出ているエニアグラム本というのは、人格を九つのタイプに分けて相性を見たりするのが主眼のようですね。そういう使い方も、エニアグラム使用の可能性の一つだとは思いますが──。ただ、その場合でも、以下の二つの大事な視点を忘れてはいけないと思います。
・人格と本質の違いに留意すること
・宇宙論と心理学は、密接不可分でもあるので、心理や性格を読み解くときにも、宇宙論との対応に留意すること
この二点の視座があれば、グルジェフィアンの興味をもひくにたる、エニアグラム+性格判断の書物になりうると思うのですが、私がざっと見たところでは、そういう観点のあるものはあまり見当たらないようです。グルジェフの流れを汲む前田樹子さんとかは、別ですが。
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高橋
エニアグラム・・・ 1999年12月08日(水)23時36分36秒
エニアグラムはグルジェフ・ウスペンスキーのシステムでは主に食物オクターブとの関連で説明されているようですが、このあたりは僕もまだ理解が未消化な部分なのでどなたかに「エニアグラム」講義をしていただけると嬉しいです。
性格類型論については、何も知らないので、それが「本来の用途」から外れたものなのかどうかも分かりません。基本的な視点として、パーソナリティーをリアルなもの(実在)とみなすか、あくまでも非リアルなもの(非実在、仮象)とみなすかによってその有益性は違ってくると思います。「システム」の見方が後者なのは言うまでもありませんが・・・
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小森
エニアグラムを入門に…… 1999年12月08日(水)22時30分42秒
エニアグラム関連の話題は、比較的関心をもたれるようですね。じゃ、ニコールの「エニアグラム」講義の紹介でもやりますかね。しかし、グルジェフ=ウスペンスキーのシステムを家にたとえるなら、エニアグラムは二階に位置すると思うので、エニアグラムを入門にすると、土台をたてずに二階を先につくろうとするようなものではないかと。
ウェブの「ハーモニアスサークル」のウスペンスキー伝を読んでいたら、「私の考えを盗用する者が後をたたない」とウスペンスキーが苦々しく語っていたとあります。ウスペンスキーを聴講にきた生徒の中には、エニアグラムを盗用したものがいたのかもしれません。
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DMT
URLなど 1999年12月08日(水)21時43分49秒
エニアグラム関連の本をたくさん出している○木○子さんとかは、グルジェフのグの字も出さなくなりましたね。なんでだろう。暗いイメージがあるからかな?(^^;
西新宿倶楽部というページを知っていますか。「エニアグラム恋愛講座」(笑)とか、やっていること軽〜いのですが、主催者はモーリスニコルの講習会に参加していたり、著書の翻訳にもチャレンジしているらしいです。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~trinity/nscindex.html
あと、英語のグルジェフ関連掲示板がありましたのでお知らせします。
現在は休止中で過去ログだけ置いてあります。
禅を含めた他の宗教との比較など、いろいろ議論していたようです(少ししか読めてない)。
http://members.aol.com/prlg/gurdjieff/index.html
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小森
エニアグラムと『ベルゼバブ』 1999年12月07日(火)00時13分02秒
三日月さん、エニアグラムに関して、貴重な情報ありがとうございます。一部、私の知らないことが書かれていたので、役立ちました。エニアグラム自体の重要さ、というと、どういうあたりでしょう。
それはともかく。エニアグラムについて学ぶための基本書としては、
ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』と未訳の"THE FOURTH WAY"
モーリス・ニコールの『コメンタリー』中のエニアグラム講義。
上の三書が第一級資料かと思いますが、気になるのは『ベルゼバブの孫への話』。
ここには直接エニアグラムという言葉はできてきませんが、よく読むと、ところどころエニアグラムを解説しているととれる箇所がある。
この本もまた、エニアグラム研究のためには、必読だと思います。
具体的には、『ベルゼバブ』中の、「トリアマジカムノ」を論じているあたり。エニアグラムと密接にからんでいます。
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小森
RE;エニアグラムによる性格類型論について 1999年12月06日(月)23時54分16秒
三日月さん、その突っ込みは正しいと思います。
下の発言、訂正します。
>エニアグラムは性格分析とか相性学のみに用いられるものでもありません。
と変更させてください。私の言いたかった真意はこっちの方なんで、性格学適用を否定するつもりはありませんでした。不正確な発言だったのはすみません。
エニアグラムは宇宙論・心理学両面に適用されうるものですから、心理学への適用の一形態として、性格学はありえると思います。ただ、それはやはり、グルジェフのシステムの中で見ないといけないと思うので、性格分析とか相性だけを扱うとなると、本来の用途ではないと、私としては思えます。しかし各種あっても、エニアグラムの源流はやはり、グルジェフと『奇蹟を求めて』になるのではないでしょうか。
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三日月
エニアグラムによる性格類型論について 1999年12月06日(月)23時05分21秒
最近の日本人著述家たちの手によるエニアグラム関連の本は内容的にも単純化されており、ほとんど性格占いのようなものだと思われても仕方がないような代物です。もちろん、エニアグラムの起源についても述べられていないものがほとんどですし、元もとのエニアグラムの使い方とは明らかに異なっています。
しかし、だからといってエニアグラムによる性格類型論を否定できるかというと、これがそう簡単にはいかないようです。少なくともドン・リチャード・リソの手によるものは、まじめな心理学的な研究書という印象を受けますし、使い方によっては有用なものになるでしょう。
リソの『性格のタイプ』『性格タイプの分析』『性格タイプの見分け方』(いずれも春秋社から刊行)などでは、エニアグラムを最初に紹介したのがグルジェフであることを述べた上で、エニアグラムによる性格類型論の起源がグルジェフではなく、ボリビアの神秘家でアリカ研究所を創設したオスカー・イチャーソであることを述べています。ではイチャーソがどこでエニアグラムを知ったのかということになりますが、イチャーソ自身はスーフィー教団から教えてもらったのだと主張しており、グルジェフの兄弟弟子であるというようなことも主張していたようです。この主張の信憑性についてははっきりとしたことは分からず、イチャーソがグルジェフからエニアグラムを剽窃したのだという意見もあります。この件に関しては、前田樹子著『エニアグラム進化論』(春秋社)の中でも触れられており、エニアグラムがらみでアリカと正統派グルジェフィアン、イエズス会士(エニアグラムとの関係は後述参考)らの間で起こった裁判に関する記述もあります。
エニアグラムによる性格類型論は、オスカー・イチャーソから彼の弟子であり、著名な精神科医でもあったクラウディオ・ナランホに受け継がれ、ここで心理学的な類型論として発展します。この段階ではまだアリカの内部でしか教えられていないのですが、後にイチャーソとナランホが決裂した後、ナランホが自分の弟子達に私家版のエニアグラム性格類型論を教え始めます。その弟子の一人がイエズス会の司祭ロバート・オックスで、この人物が北米のイエズス会士たちの間にナランホ版のエニアグラムを広め、そこでさらに改良されたイエズス会版のエニアグラム性格類型論が誕生します。
リソが出会ったのはこのイエズス会版のエニアグラムなのですが、この段階ではまだ理論的に整理されておらず、また諸説が飛びかい混乱しているところもあったようです。この点についてはビーシング、オリアリー、ノゴセックらの『エニアグラム入門』(春秋社)に目を通してみれば明らかでしょう。宗教的な色合いが強く、理論的な間違いと思われるところも目立ちます。そこで、リソが心理学的な体系化を行なって、出来上がったものが上述の著書というわけですです。
その他にグルジェフ派のヘレン・パーマーの手によるもの(肝心の各性格タイプの記述に間違いがあるように思われる)や、イラスト付きの入門書的な色合いの強いエリザベス・ウェイゲル&レニー・バロンらの手によるものも出版されており、訳本も出ています。日本人著述家によるエニアグラム関係書はこれらのものを元に単純化したもので、グルジェフ、ウスペンスキー、イチャーソ、ナランホらの名前さえ出て来ないのが一般化しているようです。良くて、スーフィー教団及びグルジェフの名前がわずかに出てくる程度です。
いずれにしても、グルジェフ&ウスペンスキーのエニアグラムとはまったく別の代物であるということははっきりしているようです。このことは批判されて然るべきことかもしれませんが、私はむしろ、本来の使い方とはまったく別の使い方も出来るということで、かえってエニアグラムの重要性を認識することになりました。
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小森
エニアグラムについて書くなら 1999年12月06日(月)18時53分15秒
エニアグラムについて何か書くなら、最低限もとのオリジナル著者であるウスペンスキーとグルジェフには敬意をはらってほしい。出典と典拠は明示してほしい。そういう基本的なことをやっていないエニアグラム本が多く見かけられるのは残念です。エニアグラムは性格分析とか相性に用いるためのものでもありません。そのあたりのことは、ちゃんとウスペンスキーとニコルの原典をあたればわかることだと思います。
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小森
エニアグラムとモーリス・ニコール 1999年12月06日(月)03時57分06秒
分厚過ぎて読み通せない、モーリス・ニコールの"PSYCHOLOGICAL COMMENTARIES ON THE TEACHING OF GURDJIEFF AND OUSPENSKY"。完訳したら、原稿用紙換算で4000〜5000枚はある大著ですが、この第二巻で14回にわたって、エニアグラムの集中講義がありますね。いまエニアグラムが人気ならば、ここを抜き出して訳出して本にするという企画もありかなと思いました。
『奇蹟を求めて』だけだと、エニアグラムは難解でなかなか把握できないです。
ニコール博士の講義は、エニアグラムに関する最良の解説かもしれません。
いま少し読んでいて、永劫回帰をエニアグラムと結びつける読解は、気付かなかった連関を示してくれてます。読んでいてなかなか面白いところです。
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小森
エニアグラムとウスペンスキー 1999年12月06日(月)03時49分38秒
最近「九つの性格」とか「エニアグラム入門」とか、エニアグラム関係の書物は結構たくさん出ているようですね。でも書店でぱらぱらと立ち読みしてみると、どれも、エニアグラムの本家本元に触れていないのばっかりで失望させられる。オリジナルのエニアグラムがどこなのかさえ、そういう本の著者が知らないのではないかと危惧される。あらためて強調しておきますが、
ウスペンスキーはエニアグラムの著作権を主張できるはずです。
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エニアグラムが初めて著書に登場したのは、ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』であるはずです。グルジェフがもちかえった秘教的知識だとすると、グルジェフにも著作権はあるでしょうが、著作権法は元のアイディアを保護する姿勢は弱く、具体化した作品で判断されるのが通例のようなので、もし両者が著作権を裁判所で争ったら、ウスペンスキーが勝訴するのではないでしょうか。
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高橋
ショーペンハウアーの「時間」観 1999年12月05日(日)22時01分52秒
ここで、「永遠の今」について、ショーペンハウアーの文章を引用します。そうすれば、それがウスペンスキーの考え方といかに同じものであるかが分かると思います。
「さて、われわれが将来のものとして受け取るものは、今は全然実在しないように見えるが、将来が現在となったあかつきには、この錯誤は消え去る。それがそのように見えるのは、我々の知性の装置によるのである。…
また、あらゆる出来事、すなわち時間の中で相次いで現れてくる事柄の必然性は原因と結果の連鎖を通してわれわれに示されるけれども、…これもわれわれが、統一不変に実在するものを時間の形式のもとで知覚する様式にすぎない。いいかえればその必然性とは、われわれが、それを今日は将来のものとして、明日には現在のものとして、あさってには、過去のものとして認識するけれども、だからといって実在自体が自己同一であり、一つの不可変のものでなくなるというようなことは不可能であるということを示している。…
あらゆる出来事の――因果関係によって拘束された――必然性は、そこで自己を客観化しつつある実在自体の統一性を形成するもので、それがただ、時間に拘束されている我々の知覚においては、様々な状態の継続として、すなわち過去、現在、未来に分かれたものとして受け取られるのである。実在自体は、それにまったく無関心に、『永遠の今』において現存している。」(「知性について」岩波文庫、p74−5)
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高橋
ターシャム・オルガヌム(16) 「永遠の今」 1999年12月05日(日)21時58分49秒
「過去」と「未来」は非存在ではあり得ない、とウスペンスキーは主張します。というのは、もしそれらが存在しないのなら、「現在」もまた存在しないからです。それらはどこかに共に存在しているに違いないが、我々がそれを見ることがで
きないだけなのです。
過去、現在、未来はいかなる意味でもお互いに異なるものではないことを認めなければならない、とウスペンスキーは言います。存在する唯一のものは現在――インド哲学の言う「永遠の今」だけである、と。
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小森
ミレニアム五冊の感想 1999年12月05日(日)20時22分59秒
高橋さん。その五冊のセレクションは、統一性がありますね。科学哲学というのか、時代のパラダイムとなる世界観を革新するような思想書と科学書が選ばれてます。これはこれで納得できるところはあります。
私の下の今世紀10冊は、大体が思想・哲学書で、ジブランとタゴールは散文詩ですが。ニーチェ/ウスペンスキー・グルジェフ/コリン・ウィルソンという超克思想の流れが、私としては本線ですから。思想のラインでみると、「ターシャム」のとらえ方というか重点の置きかたは、私と高橋さんで、やや違いがあるところかもしれません。
ですが、「ターシャム・オルガヌム」を今世紀のもっとも重要な一冊にあげる点では意見の一致をみました。そんな意見の持ち主は、日本広しと言えども、われわれ二人以外いないのではないかな(笑)。
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小森
ニーチェがない〜〜 1999年12月05日(日)19時27分56秒
高橋さん
ニーチェがない〜〜\(*X*)/ジタバタ
過去千年間のベストブック選定なら、ザ・ベストは、ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』です〜〜\(*X*)/。ウスペンスキーとどちらが上かは別にしても、ニーチェだけはっ! 絶対! 入らないと納得できない〜〜!\(*X*)/
あっ、すべて私の主観です、失礼しましたー。
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高橋
過去千年(第二ミレニアム)に書かれた本 この5冊(西洋編) 1999年12月05日(日)18時57分36秒
選出の根拠はあくまで主観です。
フランシス・ベーコン「ノヴム・オルガヌム」
アイザック・ニュートン「プリンキピア」
ルネ・デカルト「方法論序説」
エマニュエル・カント「純粋理性批判」
ピョートル・ウスペンスキー「ターシャム・オルガヌム」
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小森
追加 1999年12月04日(土)22時56分40秒
10冊選んでみた後で、ウィトゲンシュタインを忘れていたことに気付いてしまった。一著者一冊と制約をつければ、あと二冊入りますから、
・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
・マルティン・ブーバー『我と汝』
をいれます。
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小森
今世紀のベストブック10選 1999年12月04日(土)22時39分15秒
20世紀も終わろうとしている時期ですから、この100年間に書かれたベストブック選定をしてみるのも一興かとふと思いました。むろん選択は、私の知識の範囲内での独断と偏見によるものなので、深い意味はありません。余興です。
☆私の選ぶ今世紀に書かれた名著10選☆
・ウスペンスキー『ターシャム・オルガヌム』
・ウスペンスキー『新しい宇宙像』
・ウスペンスキー『奇蹟を求めて』
・グルジェフ『ベルゼバブの孫への話』
・コリン・ウィルソン『アウトサイダー』
・M.ハイデガー『存在と時間』
・J.P.サルトル『存在と無』
・ラビンドラナート・タゴール『ギタンジャリ』
・カリール・ジブラン『預言者』
・クリシュナムルティ『生と覚醒のコメンタリー』
↑まあ私の趣味なので、大体、宗教がらみの本ばかりのセレクションになりますね。(ああ、このうち『存在と無』は三巻本の一巻めしか読んでないや)
この中でもベスト1は『ターシャム』か『新しい宇宙像』のどちらかです。
あくまで私の趣味なんで、客観性はあまりありません。
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小森
「スケール」はテクニカルタームですね 1999年12月04日(土)12時57分25秒
浅井訳での「等級」の原語が「scale」と聞いて、訳書を読み返していたら、どうも読み取り方がいろいろと違ってくることがわかりました。
「スケール」というのは、独自の、重要な意味がこめられた専門用語(=テクニカルターム)として使われていますね。
人間水準のミクロコスモスから、マクロコスモスまで、それぞれのスケールでの論理や法則があるということなんでしょうね。そうすると、訳語としては「等級」ではちょっと不適切な気がしますね。ルビがついてればよかったんですが。
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小森
グルジェフインターナショナルの頁 1999年12月04日(土)03時51分35秒
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小森
ちょっと訂正 1999年12月03日(金)18時05分25秒
アインシュタインの相対性理論の論文が最初に発表されたのは、調べてみたら、1905年のようです。ですので、下の発言は、一部訂正して修正します。
ウスペンスキーがロシア語で二主著を書いたときには、まだアインシュタインの相対性理論は知られていなかった、ないし世に認められていなかったというのが、言いたいことなので、発言の主旨はそのままでいいですが、年代に関しては、訂正します。
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高橋
そうですね。 1999年12月03日(金)13時54分55秒
小森さん
了解しました。
何が「反科学的」なのかはともかくとして、とりあえず先走った議論はやめて落ち着いて進んでいくことにしましょう。
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小森
まっまっ、慎重に 1999年12月03日(金)13時31分50秒
高橋さん、こんにちは。
「新しい宇宙像」の10章は、これまで日本語訳で読んだだけでした。原書にあたってみると「訳書と言ってることが全然違うじゃん!」と驚きに包まれてます。
この10章の議論は、詳細に検討するに値する材料がたくさんありますね。ウスペンスキーの科学論に関する心臓部ですね。
スケールに関する私の発言は、ちょっと私の理解不足だったかもしれません。
この掲示板が反科学的であるという批判を受けたりしてますので(^-^;)、認められている科学観や理論を批判・否定するときは(あくまでその必要があれば、ですが)論拠を示しつつ、慎重にいきましょう。言っていることが正しくても、短い要約で結論だけ述べると、多くの方がついてこられなくなるおそれがありますので。
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高橋
ウスペンスキーと科学(2) 1999年12月03日(金)10時25分05秒
>で、高橋さんの上の発言も、やはり同断にとられそうな内容です。いまその章を
>読み返してますが、ウスペンスキーのアインシュタイン論は、これはこれで微妙
>で難しい問題が含まれています。 ただ、相対性理論や量子論は、人間の世界の
>みに適用される理論ではないし、あるスケールでしか適用されない理論でもない
>でしょう。科学の理論や成果を安易に否定するかのごとき紹介だと、ウスペンス
>キーの思想の信頼性を損なうおそれがあるので、このあたりはもうちょっと慎重
>に述べた方がよろしいかと思います。
言葉が足りないことは認めます。ここを本気で論じようと思ったら、この掲示板では到底収まりきらないでしょうから、乱暴だとは知りつつ思いきって要約しました。ただこの見解は僕だけのものではなく、Michael Presleyという人の“A Brief Overview of Certain Aspects of the Thought of Petyr Demianovich Ouspensky”(「ピョートル・デミアノヴィッチ・ウスペンスキーの思想のいくつかの側面についての簡潔な概観」)という論文の中にも同様の考えが述べられているで、少し引用してみたいと思います。(多少意訳あり。)
「ウスペンスキーは、観察された現象の特性が矛盾するという概念(相対性理論がその典型である;訳注)が生まれる理由を説明する鍵は『スケール』という観念の中にあるとみなしている。
…ウスペンスキーは常に、数学的物理学が厳密に物理的な現象の分析に導入され、相対性理論が受け入れられ浸透しているのは、視野の限界から生じる現象の性質の根本的な誤解のためであると主張していた。…彼にとっては、経験的理論の基礎が純粋に数学的な分析に求められるという考え方は認識論的に誤りであった。
…現代物理学の諸理論に関して、ウスペンスキーはそれを、(ニュートンなどの)伝統的な理論と相対性理論を不必要に混ぜ合わせて測定不可能な現象を説明しようとする間違った試みであるとして批判した。実際、それらの奇妙な理論が大学教授たちによって主張されるのでなければ、空想的なSFとして片付けられることであろう。例えば、空間は質量によって『曲げられた』非ユークリッド的な面であるという一般通念は、我々がいったん『時間の中の三次元空間』はさらなる広がりを持つ全体の断面にすぎないということを理解すれば崩壊することだろう。」
>相対性理論や量子論は、人間の世界のみに適用される理論ではないし、あるス
>ケールでしか適用されない理論でもないでしょう。
この言葉には誤解があるようです。上の引用を読めば分かる通り、相対性理論や量子論は「人間の世界のみに適用される理論」や「あるスケールでしか適用されない理論」ではなく、「人間の理論をスケールの違う世界に適用するための論理」だと言ったので、この違いは重要だと思いますが…
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高橋
ウスペンスキーと科学(1) 1999年12月03日(金)10時22分17秒
ウスペンスキーの科学批判については、彼の思想家としてのユニークさが最も示されているところであり、彼の思想の鍵となる部分でもあるので、確かに慎重な議論が必要だと思います。ウスペンスキーの洞察がコペルニクスやアインシュタインに匹敵するというのはまさにこの部分においてであると私は思っているので、今後是非とも理解を深めていきたいと考えています。
>ウスペンスキーの二大主著『ターシャム』と『新しい宇宙像』はともに、第一次
>世界大戦前、1911年までに書かれていますよね。その時点ではまだアインシュ
>タインの相対性理論は出てなかったはずですよね。ウスペンスキーの本の中で、
>アインシュタインの理論を論じているところといえば、『新しい宇宙像』の中の
>第10章ですが、その箇所は初版にはなかったはずなので、1931年の改版で増補
>されたところでしょうね。
「新しい宇宙像」の章の注釈にはこうあります。「この章の本質的な部分は1912年には完成していた。最初の部分(相対性理論などを論じた箇所:訳注)は後になって書かれたが、現在の物理学の状態を調べ論じる上で、当時の最新のあらゆる理論を追いかけることまではしなかった。なぜならどれ一つとして私の主要な結論を少しでも変えるようなものはなかったからである。」
>あの章は、工作舎で刊行された『超宇宙論』の中に収録されていますが、あまり
>よい訳ではなく、日本語で読むと、怪しげな科学批判かと思われてしまいそうで
>す。
「超宇宙論」の、特にあの章は、誤訳でない箇所を見つけるのが困難なほどで、はっきり言って読まないほうがいいです。「衝突する宇宙」なんてもんじゃないです。
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小森
このあたりは慎重に 1999年12月03日(金)00時37分24秒
前のくろきさんの発言を受けまして、「自然科学方面への適用」云々と言っていた、私の発言は、やはり思想の適用されるべき範囲を見誤っていたと考えなおしました。あの発言は訂正・撤回して、ウスペンスキーの言っていることは、哲学思想としてとらえるべきだと宣言しておきます。
高橋さんのご発言↓
>ついでに言えば、ウスペンスキーは、相対性原理や量子論はスケールの違う世界に人間世界の論理を当てはめようとするために、いわば強引にこじつけられた理論であり、それらの理論がいたずらに複雑なのはそのためだと考えていたようです。
ウスペンスキーの二大主著『ターシャム』と『新しい宇宙像』はともに、第一次世界大戦前、1911年までに書かれていますよね。その時点ではまだアインシュタインの相対性理論は出てなかったはずですよね。ウスペンスキーの本の中で、アインシュタインの理論を論じているところといえば、『新しい宇宙像』の中の第10章ですが、その箇所は初版にはなかったはずなので、1931年の改版で増補されたところでしょうね。
この章は、工作舎で刊行された『超宇宙論』の中に収録されていますが、あまりよい訳ではなく、日本語で読むと、怪しげな科学批判かと思われてしまいそうです。
で、高橋さんの上の発言も、やはり同断にとられそうな内容です。いまその章を読み返してますが、ウスペンスキーのアインシュタイン論は、これはこれで微妙で難しい問題が含まれています。
ただ、相対性理論や量子論は、人間の世界のみに適用される理論ではないし、あるスケールでしか適用されない理論でもないでしょう。科学の理論や成果を安易に否定するかのごとき紹介だと、ウスペンスキーの思想の信頼性を損なうおそれがあるので、このあたりはもうちょっと慎重に述べた方がよろしいかと思います。
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小森
たくさんあって 1999年12月02日(木)21時07分45秒
何やら、コメントつけたいところが、たくさんありすぎて、指のおもむくままに書いてたら、数十発言連打になってしまいそうです。高橋さんに教えてもらった「グルジェフ・インターナショナル」のページも面白いし、とくにウスペンスキー特集号については、いろいろ感想が湧いてきていて。
『奇蹟を求めて』は、原書調べてませんでしたが、「等級」の原語はスケールですか。とすると、高橋さんの説明通りのようですね。私は、ここで言う「等級」とは、グルジェフの言う、人間第一番……第七番に対応しての考察のことかと思っておりました。うーむ、読み込んでいるつもりで、読み取りが浅かった。
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