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P.D.OUSPENSKY BBS(P.D.ウスペンスキー掲示板)
高橋 (メール 、URL )
P.D.ウスペンスキーについて語り合うための掲示板です。事前にウスペンスキーの主著の訳書『ターシャム・オルガヌム』(高橋弘泰訳・コスモス・ライブラリー)『奇蹟を求めて』(浅井雅志訳・平河出版社)を読んでいることを前提とした話になっています。ボードリーダーは、高橋・小森両名です。
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小森 ロシア語から英訳 2001年03月04日(日)03時03分30秒
ウスペンスキーの『新しい宇宙像』のロシア語版刊行本の紹介ページ、ロシア語は読めないなあと思っていたら、ロシア語⇒英語に訳してくれるページがあったので、そこの文章をそのソフトで英訳させてみました。以下がその結果です。大体わかりますね。 Uspenski
P. D. Novaya is model moved / per. with the Eng. N. V. von Boka.? M.: FAIR-
PRESS, 1999.? 560 s. ISBN 5-8183-0133-8 Before you the unique encyclopedia of
occult knowledge, written by the student of legendary G. Gurdzhiyev. The author,
the obrazovanneyshiy person of their time, tell about the roots and the essence
of many esoteric studies, including to yogi, container, experimental mysticism,
examines in the spirit of the ideas of the present myths and evidence about the
superman, the fourth measurement, the life after death and the transmutation, it
captivatingly narrates about the laboratory of that moved, not tired that giving
birth to great those dedicated. P. D. Uspenskiy? the true researcher of other
worlds, whose knowledge casts a spell. For the wide circle of the readers. BBK
86.42
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高橋 一万ヒット記念 2001年03月03日(土)22時14分53秒
ウスペンスキーHPのアクセスが一万を超えたことを記念して特別企画を行います。期間限定なのでお見逃しなきよう。
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ALRDTP ダイアネティックス 2001年03月01日(木)23時46分55秒
目標がグルジェフやウスペンスキーと同じなのに、方法論にまったく同意できない体系は数多いのですが、その中でも広範囲の影響を持つのはサイエントロジーでしょう。得意げに意味不明のことが書いてある「ダイアネティックス」ですが、グルジェフから拝借してきたような部分もあり小説として読むと楽しめます。典型的な「眠りの中で書かれた書物」でしたが。 ここ2ヶ月ほど、高次の論理学探求のため、既成の論理学を徹底的に学習してきました。様相論理学には現在でも論争中の部分があり、非常に苦労しています。この停滞を「新しい宇宙像」によって突破しようと思ってますので翻訳がんばってください。
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小森 どうして高橋が多いのでしょう? 2001年03月01日(木)21時45分39秒
ケン・ウィルバーのサイトは、充実してますね。高橋さんのウスペンスキーページと、対象は違いますが、海外の一思想家(という形容には異論があるかもしれませんが)に徹底して的をしぼった深い充実ぶりが、とても共通していると思いました。惜しむらくは、未訳ウィルバーの翻訳とかが載っててほしいところですね。 でも、また高橋さん。 高橋巖もいるし、高橋克己(「超宇宙論」)と、どうしてこちら界隈はこんなに高橋が多いのでしょう。高橋という苗字には霊的パワーがこめられているのでしょうか?(笑)
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高橋 リンク追加 2001年03月01日(木)21時13分26秒
HPのリンクのコーナーに、高橋恵介さん(私と血縁関係はありません、念のため)のケン・ウィルバー紹介ページを追加しました。資料集としてかなり充実しているので、興味のある方はご覧下さい。
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HiROSHi RE:Struggle of the Magicians by VOYEN
KOREIS 2001年02月27日(火)20時54分01秒
高橋さん >しかしこんな番組が本当にラジオで放送されたんでしょうかね?< A radio
featureとなっているので、<ラジオ・ドラマ仕立ての>といった感じかもしれませんが、書籍自体の量はもとより、ビデオやカセットブックがあったりという土壌の違いや、たとえばアメリカでは一日中キリスト教のお説教を流しているラジオ局もあったりするようなことを思うと、どこかのラジオで一度くらい流されてもおかしくはないという気もします。半分は、自分もそんなのを聞いてみたいという希望でもありますが・・・。 それはともかく、作者のVOYEN
KOREISさんという人は、とてもよく知っていると思いました。コンパクトによくまとまっていると思うし、少しドキッともさせてくれるし。 >そのうち気が向いたら訳してHPに載せてみたいです。< ぜひやってください。私も読み終えた瞬間に訳したいと思ったのですが、高橋さんが訳してくれるなら助かります。最近はここにやってきませんが、鎖さんなんかも興味をもつだろうなと思いました。
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高橋 Struggle of the Magicians by VOYEN
KOREIS 2001年02月26日(月)21時47分02秒
Struggle of the
Magicians読みました。とても面白かったです。しかしこんな番組が本当にラジオで放送されたんでしょうかね? そのうち気が向いたら訳してHPに載せてみたいです。
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HiROSHi IDIOTS! IDIOTS! 2001年02月24日(土)11時12分18秒
‥‥教えの方法は古代から伝えられていて、人間の進化の行路を、自然な状態から自身の精神的な可能性の実現までなぞることで成り立っている。 ‥‥普通の人間のものから、<Our
Endlessness>、つまり<神>のものまで、道理には二十一の順序がある。誰も<絶対である神の道理>にたどり着くことはできないし、イエス・キリストのような神の子だけが、十九番目と二十番目という、ふたつの道理をもつことができる。だから、完成を熱望する存在たち全員の目的は、十八番目の段階にたどり着くことである。 ‥‥“idiot”という言葉にはふたつの意味がある。大昔の賢人たちがそれにこめた本当の意味は、<自分自身になること>であった。幻想の世界に生きている者たちにとっては、その人間こそが狂人のように振る舞っているように見えるのだから、その者たちがその人間をidiotと呼ぶときには、その人間は自分たちの幻想を分かち合っていないということを意味している。自分自身に働きかけようと決めた者は、誰でも両方の意味でidiotである。賢人は自分がリアリティを求めいてることを知っている。愚かな者は自分は気が狂ってしまっていると考えている。ここにいる我々は、どうやらリアリティを求めているらしいのだから、我々は全員がidiotだ。だが、誰も君をidiotにすることはできない。君はそれを自分で選ばなければならない。だからこそ、ここを訪れて、我々との接触を続けたいと願う者は、自分自身のidiotismを選ぶことが見込まれる。そうすれば、残りの我々全員が、その人間が本当にそのidiotになることを、心の底から願うだろう。このために、大昔の賢人たちよってアルコールが用いられた。酔っ払うためではなく、願うという力を強めるためだ。グルジェフはidiotたちの乾杯をすることで、変わらぬ儀式を行なった。 from
"Idiots in Paris" p.viii-ix : originally from "Making a New World" J. G. Bennett
p157-8 Amiable Idiots・Arch Idiots・Cacophonous Idiots・Compassionate
Idiots・Conscious Idiots・Doubting Idiots・Enlightened Idiots・Harmonious
Idiots・Hopless Idiots・Oblong Idiots・Resigned Idiots・Round Idiots・Square
Idiots・Squirming Idiots・Super Idiots・Unique Idiots・Universal Idiots・Zigzag
Idiots・・・アルファベット順 何かの本にidiotsがずらずらと紹介されていたと思うのですが、思い出せないので、ネット検索をしていたところ、面白いページを見つけました。 →http://www.aarti.f2s.com/writings/struggle.html Struggle
of the Magicians 魔術師たちの闘争 A radio feature written by VOYEN
KOREIS おそらくは実際にラジオで放送された三十分くらいのドラマの脚本で、グルジェフとウスペンスキー、ウスペンスキーとロドニー・コリンなどの会話で構成されています。その中に、idiotsの乾杯の場面があるという次第。 『奇蹟を求めて』で知っているGとOの会話も、すべてが対話形式になっているので、本当にふたりが話し合っているかのような気になって、ちょっと興奮しました。
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高橋 1943年のミーティングより 2001年02月23日(金)21時39分16秒
質問者:私は自分の中で何をするのが最も重要なのか、何に努力を傾けなければならないのかが分かりません。 グルジェフ:ここに来て以来、あなたはいつも「私」を獲得しなければならないと繰り返し聞いてきた。実際、あなたの中にあるすべてのものは変化、不安定、首尾一貫しない状態にある。あなたは偶然に乗り合わせた多くの乗客がいる馬車のようなものだ。あなたは不変の「私」を獲得しなければならない。これはあなたの全努力を注ぐべき最も重要なことだ。 質問者:あなたを知って以来、多くの感情を体験しました。今や私はこのすべての感情を憎んでいます。私は正しい一つの感情を体験したいのです。私がそう言うとしたら、それは私がそれに近づいていると感じるからです。 グルジェフ:今、私はあなたが私の同志になれると思った。今まで、内面的には私はあなたに無関心だった。外面的にはあれこれ考慮していたが、内面的には何とも思っていなかった。まず最初に、あなたは私の「同志」にならなければならない。そうしてずいぶん後になって、私の「兄弟」になるかもしれない。今は私は「同志」と呼び、「兄弟」とは呼ばない。 質問者:二三日前、私にとって重要なことを決定するために自己を想起していたとき、突然私は人生の非現実性を感じ、同時に私の持ったあらゆるよい瞬間の非現実性を感じました。しかし、にもかかわらず、それは私の持った最高のものであり、同時にそれらにはすべて共通の何かがあると感じたのです。 同じように私は記憶の中に時間がもはや存在しないことに気づきました。子供の頃の物事がずっと最近の物事と同じに思われるのです。 グルジェフ:あなたは内面的に成長したが、その発達は弱い。内的、外的な素材でそれを養うことが必要だ。しかしあなたには内的な素材、情報という素材がある。 あなたの中に形成されたこの物が重いか軽いかに従って、それはあなたから出たり入ったりする。重さに従って上がったり下がったりする。 おそらく本当に私の生徒と言えるのは、いつでも「私は在る
I AM」と感じたときに自分の中の同じ場所にそれを感じる者――どんなときにも自分自身を同じに感じる者だけだ。 (Pg. 49 - Voices in
the Dark – Patterson)
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高橋 ロドニー・コリン『永遠の命に関する理論』解説(2) 2001年02月22日(木)20時56分04秒
ロドニー・コリン『永遠の命に関する理論』解説(2)アップしました。
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高橋 Episodes with Gurdjieff - Edwin
Wolfe 2001年02月19日(月)22時00分37秒
1939年 ある日私は、自分のキッチンから小さなやかんを持ってホテルのグルジェフ氏の部屋に行きました。何かの目的で彼にお湯が必要だったからです。私はノックし、彼はドアを開け、私は中に入りました。すぐに彼は一人であることが分かりました。彼はベッドの近くにある洋服ダンスの上にやかんを載せるように言い、私はそうしました。 このときまでに彼はベッドに行き、身体を横たえました。部屋に椅子はありませんでした。そこで私はおずおずとベッドの端に腰掛けました。 「立ちなさい」彼は怒鳴りました。「立ちなさい!」 私は慌てて立ち上がりました。 「あなたが座ったのは聖なる場所だ」彼は言いました。「アメリカ人は無礼だ。あれを見なさい」彼は洋服ダンスの上のカップと皿を指さしました。「あなたの前にきた男は煙草の灰と吸い殻をカップと皿に捨てていった。これは飲むためのものだ。灰皿ではない。まったく、アメリカ人は無礼だ。」 「申し訳ありません、グルジェフさん」私は言いました。「部屋に椅子がなかったもので…」 「だったら他の部屋から持ってきなさい、お馬鹿さん! 決して他の男のベッドに座ってはいけない。これは私にとって神聖な場所なのだ。」 (Episodes
with Gurdjieff - Edwin Wolfeより)
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小森 新旧訳の比較 2001年02月17日(土)21時31分49秒
HiROSHiさん、高橋さん、情報ありがとう。 新訳の方が改良されているなら、取り寄せて読んでみるかな?とも思ったのですが、教えられたページを見ていると、新訳版は、分量的に旧訳より100頁ほど減っているとのこと。量のこの比較からみて、新訳はあまり信用がおけないつくりになっていると思うようになりました。
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HiROSHi RE: 高橋
RE:『ベルゼバブ』英語第二版 2001年02月14日(水)23時33分20秒
this causing serious concern among
some このことが、ある人たちには重大な危惧を抱かせる 高橋さんの紹介してくださっているページは見ていないのですが、確証をもてなかったので英文のままにした部分がつながりました。 それで、StaveleyさんのTwo
Rivers Pressは1950年版を絶やさないように出版しているということになるようですね。
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高橋 RE:『ベルゼバブ』英語第二版 2001年02月14日(水)22時41分16秒
>this causing serious concern among
some 下記のページに、A.L.Staveleyさんが現在ファウンデーションの長であるザルツマン夫人の息子に宛てて書いた『ベルゼバブ』英語第二版への抗議文書が載っていますね。要は「分かり易すぎる」のが原文の意図と異なるということのようですが。 http://www.geocities.com/SoHo/Village/9888/beelzebub1.html
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HiROSHi 『ベルゼバブ』英語第二版 2001年02月14日(水)06時34分11秒
小森さん Nicolasさんによれば、「英語の第二版は、ザルツマン夫人の指導のもとに改訂され(this causing serious
concern among
some)て、1992年に出版されたが、少なくとも部分的には、オリジナルのロシア語からではなく、フランス語から訳されたようだ」となっています。 そのフランス語版(1956年発行)は、1950年の英語第一版に使用されたロシア語原本以降の修正版を使用しているので、グルジェフの表現をより正確に伝えていると言われているそうです。
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小森 ベルゼバブのロシア語版 2001年02月13日(火)18時43分26秒
HiROSHiさん、いつも情報ありがとう。何故そんなことまで知っている〜〜!?と驚かされます。 ところで「ベルゼバブ」の英語版も改訳されているということですか。いま持っているDUTTON社版のを見ましたが、下の1950年の訳本と同じですね。どうも92年の改訳の方が、短い引用箇所から推察しても、わかりやすくなっているようですね。
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HiROSHi ロシア語の『ベルゼバブ』 2001年02月13日(火)06時33分55秒
УРА! УРА! УРА! Hurrah! Hurrah! Hurrah! 万歳! 万歳!
万歳! まず訂正。今回“Telos”で紹介されているロシア語の『ベルゼバブ』の出版社は、カナダのTraditional Studies
Pressとなっていますので、ロシアで出版されたということではないようです。 (注)で、ロシアでは80年代からいくつかの英語からの翻訳が、無許可で出回り始めていたが、となっていますので、現在ロシア国内で出版されているのは、英語からの翻訳ものなのでしょう。 まだよく分かっていないのですが、ほんの少しご紹介。 この文章を寄せているのは、Nicolas
Tereshchenkoという人で、長期にわたるザルツマン夫人の生徒であり、フランスでグルジェフ関連の著書を何冊か出版しているようです。 『ベルゼバブ』第一章で、いくらかの文章はアルメニア語で書かれたかのようにほのめかされている。作品の一部がアルメニア語で書かれたのだとしても、事実として、アルメニア語の文章は今は存在していない。入手できるのは、やや古い文体のロシア語だけであると書いています。 子どものグルジェフが、祖母の墓の前で踊りながら歌う歌。 「今や彼女は死にたもうた」p29 日本語 の部分は "Now
that she's turned up her toes!" 英語1950版p29 "She was a rare one, goodness
knows!" 英語1992版p27 "C'Etait une petite femme toute en or (She was a little
woman wholly made of
gold) フランス語p33 となっているが、オリジナルは Человек она была не лростой であり、 She
was not a simple human being. だそうです。
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高橋 閑話休題 2001年02月12日(月)22時13分22秒
どこまで信憑性があるか私自身確認していないのですが、某所から入った情報によると、グルジェフが自動車事故を起こしたのとほとんど同じ時刻に、ルドルフ・シュタイナーは毒を盛られ、それが彼の生命を奪う致命傷となったということです(その約1年後にシュタイナーは死去)。
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小森 ロシアでの刊行著作 2001年02月12日(月)20時26分43秒
HiROSHiさん 情報ありがとう。「ジャーロ」で、ロシアの書店状況でグルジェフとウスペンスキーに関して触れられていたので、気になっていたものです。 ロシアの出版目録で見ましたが、「ターシャム」と「新しい宇宙像」は、同じ出版社から並べられて売られています。前者はロシア語オリジナルでしょうが、後者は一部ロシア語、一部英訳という構成なのかなあ?
ロシアで「タロット」「ヨガ」「超人論」「第四次元」など五章は出ていて、あとは出てないから。ウスペンスキーの手稿が保管されているところにあてれるなら、全編ロシア語のオリジナルがあるはずなんですが。 「ベルゼバブ」に関しては、グルジェフの母国語であるアルメニア語⇒ロシア語⇒英語という二段階の翻訳を経て刊行されたはずでよね。ロシア語版は、英訳からの重訳ではないわけだ。文献の正確度が高まるのは、結構なことです。
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小森 諸々 2001年02月12日(月)13時41分43秒
HiROSHiさん、どうも。 日本語の小説だったら、1500ページを三日で読むのは大したことではありません。しかし、英語の本だと──無理ですね。私も買っただけで読んでない本が山積してます。教えてもらって買ったロドニー・コリンの『天体の影響〜』の本とか、神田の北沢書店に置いてあったので買ったオレージの「愛について、他」の論文集とか。しかし、最近話題に出ている方たちは、私はほとんど知らない人たちばかりです。奥が深いですね。
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HiROSHi A.L.Staveleyさんのことなど 2001年02月10日(土)20時16分14秒
私もA.L.Staveleyさんの“Memories of
Gurdjieff”からの別の文章を紹介しようと思っていたのですが、高橋さんに先を越されて(?)しまったので、今回はやめておきます。 私はこの小さな本を今年の年頭に読んだのですが、気負ったところや飾りたてたところのない、淡々とした文章にとても惹かれました。グルジェフの言う、ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』に<欠けている何か>が、こういった女性たちの文章にはあるのかなという気がその頃しました。 ほかにうまい言葉が思い浮かばないのですが、Staveleyさんはとても真摯な人だという印象を感じます(Staveleyさんに限らず、関連する人たちを知るほどに感じることですが・・・)。その本はペントランドに捧げられていて、ペントランドの勧めがなければ、印刷されることはなかっただろうと述べられていますが、本当にそのとおりなのだろうと思います。そんな人柄は、師(またはリーダー)としてのStaveleyさんを描写しているDavid
Kherdianさんの『On a Spaceship with
Beelzebub』第2章でも伝わって来ます。 『ベルゼバブ』といえば、その後のStaveleyさんが、自身のワークの拠点としていたTwo
Rivers Farm(ふたつの河農場)の出版部門、Two Rivers
Pressから、オリジナルの英訳版という『ベルゼバブ』が出版されています。現在流通しているものとどれくらい違うのか、知る由もありませんが・・・。 ところで、以前に小森さんが、ロシアで出版されているグルジェフ関連の本は、おそらく英語からの翻訳だろうと書き込んでいましたが、少なくとも『ベルゼバブ』に関しては、Dr.
Michel de
Salzmannを中心としたグループによって、現存しているタイプ原稿や、オルガ・ド・ハートマンの個人蔵だった文書などが集められて出来上がったようです(Telos
Volume 7 Issue
1)。オリジナルのロシア語原稿から分かることといった文章が続いているようですが、まだちゃんと読んでいないので、読んだら何かお伝えすることができるかもしれません。 “The
Notes of Jane
Heap”は古本屋で(500円で!)買ったまま読んでいないのですが、そんなに重要な本なら読まなければ・・・。 読んでいない本が山積みになって来ているな〜。 来月には、[Paul
Beekman Taylor“GURDJIEFF AND ORAGE”Samuel
Weiser]なんて本も出版されるらしいし・・・。昨日、小森さんの一月分の読書禄をながめて、1500ページくらいの本(日本語ですが)なら三日で読めるというのを見て、ため息をついております。
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高橋 Memories of Gurdjieff -
A.L.Staveley 2001年02月09日(金)22時19分40秒
もしあなたが、本当に答えを知っている人に、たった一つ質問をするとしたら、その質問は何ですか? それをどうやって見出しますか? グルジェフ氏が、「各人に一つだけ」質問に答えようと言ったとき、私たちはそれを非常に真剣に受け止めました。おそらくそんな機会は二度と訪れないかもしれません。もちろん、それは「ありうる」かもしれませんが、当てにすることはできません。 ただ一つ確かなことは、「この」機会は存在するということです。何日も前から、私たちは質問について考えました。おとぎ話に、漁師が突然三つの願いを与えられて、どうでもいい、かえって邪魔になるようなことを望んでしまうという話がありますが、この場合は不意打ちではありませんでした。それはまた、曖昧な意味の光を捜し求めて言葉を迸らせることでもありませんでした。 準備のできていない者にとっては、師の完全な注目の下に置かれていることに突如として気づくのは士気をくじかれることでもあり得ます。不意打ちをくらうと、生徒はよだれをたらして喜び、核心に達する真の必要を感じず、ときにはまったく意味を持たずに、耳を傾けられているという経験の幸福感に浸ります。 「彼には多くの生徒がいます」ジェインは言いました。「私たちは彼の時間を倹約しなければいけません。」 だから私たちはまず、最初は質問――各人にとってまったく異なるものでしたが――を見出すために働き、それから、それを必要な正確さで言い表すために骨を折りました。言葉は多すぎても少なすぎてもいけません。二、三週間の猶予があったのは幸いでした。もちろん、多くの人々にとっては、最も困難なことは自分自身の質問を見出すことでした。しかし私にはそうではありませんでした。質問することができると聞いたとたん、頭の中に質問が飛び出し、やがて落ち着きました。私はそのことに不安になりました。まず、それは私がこれまで考えたことのなかったものなのに、なぜ突然現れたのだろうか? 次に、私にはそれが重要だとはどうしても思えなかったのです。その質問への答えはその後の人生に残り続けるものでなければならない――それは本当に「重要な」質問であるべきなのでした。 私はそれについて考えを巡らせました。何か別の質問を考えようと努力しました。しかし、いつもその問いが現れるのです。そして私はそれに対する答えを欲してはいないのでした。その頑強な質問はいつも私の心を占め、より重要な質問を考えようとするたびに私の頭に呼び戻されるのでした。 ジェインの存在も助けにはなりませんでした。彼女は無限に忍耐強く、他の人々の質問に形を与え、その人にふさわしい質問を見出すのを助けていました。私の質問に彼女は黙って耳を傾け、そのままやり過ごしました。何の助言も示唆もありませんでした。これでいいということなのか? それは極めて疑わしいことでしたが、私自身の疑いと心配はその反対のことを語っていました。それは軽蔑にも値しないほどたわいのないことではないのか? 私は別の質問を見出そうと懸命になりましたが、何の成果も得られませんでした。それは結局のところ私にとって一番いい質問なのかもしれない。でも、でも私の中にはもっといい質問があるに違いない! それを見つけることさえできれば! 三週間私は探しつづけ、頭を働かせましたが、「これこそが本当に私が知りたいことだ」という頑固な確信を取り除くことはできませんでした。 移動の間もずっと、一晩中、タクシーで部屋に行く最中も、グルジェフ氏の周りに皆で座っているときでさえ――私は真に値する質問を探していました。私が質問する順番が来ました。質問は自然に私の口から出てきました。グルジェフ氏は少しの間黙って、驚いた様子で――私にはそう思われました――私を見つめました。そして彼は言いました。「君は、<偶然に>(彼はこの言葉を強調しました)重要な質問をした」。私を最も驚かせたのは、彼がそれを「重要」と呼んだことか、それとも「偶然に」という言葉を強調したことか、それは分かりません。それにしても「偶然」とは? あれほど苦しんだのに? あなたはその質問を知りたいのではないですか? しかしそれは重要なことではないし、結局のところ、あなたの質問はあなたのもので、私の質問は私のものです。大切なのは、それはあなたがその答えを知りたい質問であるべきだ、ということです。それは私にとっては偶然でした。そのことを私は知ったのです。 (Pg.
7 - Memories of Gurdjieff - A.L.Staveley)
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高橋 about Jane Heap 2001年02月08日(木)18時08分26秒
ジェイン・ヒープを知らない方のために解説しておくと、ジェイン・ヒープは、グルジェフの弟子の中でもかなり重要な存在で、グルジェフの命で1930年代にロンドンに渡り、グループの指導をしていました。記事を書いているA.L.Staveleyはジェイン・ヒープの弟子です。ジェイン・ヒープの名前はフリッツ・ピータースの『魁偉の残像』や『ピーター・ブルック回想録』にも出てきます。ピーター・ブルックはジェイン・ヒープのグループでワークしていました。 彼女がグループで話をするための覚書をまとめた
”The Notes of Jane Heap”
という本は、グルジェフ・ワークに携わる人々に非常に高く(ある意味ではウスペンスキーやモーリス・ニコールよりも)評価されています。
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HiROSHi ジェイン・ヒープさん 2001年02月08日(木)00時17分57秒
高橋さんのHPにアップされたジェイン・ヒープさんについての文章を見て、ちょっと元気になったので書き込みです。 なんだか、ずっと仕事の方が忙しくて(この前の土日は二連泊でした)、とても書き込みをする気力がなかったのですが、ちょうど紹介したいと思っているStaveleyさんの文章があったりするので、今度の連休にがんばります。 そんなところで。
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高橋 『アメリカにおけるグルジェフ』浅井雅志(デコード・プレミア・エディション1982)その7 2001年02月04日(日)22時03分31秒
「自分のことは自分がよく知っている」とは、多くの者の信じているところであろうが、ワークは、この言葉を完全に逆転したところから始まる。「逆転」とはこの場合二つの意味がある。一つは、自分は自分のことを、グルジェフの言葉によれば自分の機械を、まったく知らないということ。二つ目は、多くの場合他者の方が私のことを、私という機械の内的、外的動きをよく知っているということである。グループの他のメンバーの援助はここでも必要となってくる。しかしそれは<苦い>(原文傍点)援助である。ワークのメンバーとは、この「苦い援助」を互いにし合おうと、言わば契約しあった者たちに他ならない。それゆえ、この援助を受ける用意のない者には、ワークは無用であるばかりか苦痛にさえなる。 日本におけるグルジェフの受容が、アメリカにおけるそれと同じような形態を取るかどうか、今は分からない。しかしともかく、内的、外的風土、環境が急に変えられない以上、少なくとも当面は日本人なりの受容の仕方を目指すべきだと思う。しかし観念化だけは避けなければならない。グルジェフを観念化してしまえば、彼は無になる。彼の意義は、その思想によりもむしろそのシステム、方法にあるからだ。 前進の困難さと同時に、我々の多くは一つの有利な条件を持っている。それは誠実さ、真剣さ(ただしグルジェフが定義する意味でのそれではない)である。その真剣さはしばしば過度になり、彼のワークは「重く」なり、グルジェフの言葉と自らの状態とのあまりの乖離に苛立つ。(イーデン・ウエストのワークの特徴は「軽さ」である。皆グルジェフという人など知らないかのように軽々と飛び回っている。)しかしこの真剣さは、適切に使えば非常に強力な武器になるだろう。「適切に」とは、「自己同一化」しないように、ということである。 グルジェフという名がこれから日本でどれだけ広まるにせよ、いずれは落ち着いてくるだろう。重要なのはそこから残るもの、地下にしみ込むものである。我々のうちの何人かが、彼の思想とシステムを真剣に受け止め、日本人なりのやり方で根付かせていくことを切に願う。(終わり)
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高橋 『覚醒のメカニズム――グルジェフの教えの心理学的解明』 2001年01月30日(火)19時15分13秒
以前、この掲示板で紹介した、チャールズ・タート著、吉田豊訳、大野純一監訳『覚醒のメカニズム――グルジェフの教えの心理学的解明』(本体2700円+税、536頁、コスモス・ライブラリー)を購入しました。大著なのでいつ読み終えるかわかりませんが(読むときには一気に読むと思いますが)、感想などそのうちHPにアップしたいと思います(なんか最近同じようなことばっかり言ってるなあ・・・)。
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小森 re:キリストの劇 2001年01月28日(日)23時50分34秒
HiROSHiさん、どうも。パターソンの本は読んだはずなのに、その箇所のことは忘れてました。ユダがキリストを裏切ったのではなく、善の側に立っていたというのは、ラジニーシの講話にグルジェフの思想(意見)として語られていました。その点に関しては、出典というか論拠があったわけですね。 それと関連して、当時の宗教研究書を読んでいると、ミトラ信仰にも、復活する救世主という神話があって、処刑後三日目に蘇った救世主の話というのが、イエス以前から伝わっていたそうです。 イエスが架空の人物とまでは思えませんが、彼の復活をめぐる物語は、そういう当時の救世主信仰とか伝説と融合している可能性があります。キリストの物語が劇だという思想は、一幸に値する問題を提示していますね。
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高橋 キリスト 2001年01月28日(日)19時23分55秒
キリストに関連して、ウスペンスキーからは逸脱しますが、英国のオカルティスト、アリス・A・ベイリーは1940年代に次のように述べています。 「秘教が提供するキリストについての理論を、最初、オーソドックスなキリスト教徒が拒絶するであろうことは予想できる。しかし、同時に、このオーソドックスなキリスト教徒は次のことに気づくであろう。伝統的なキリスト教徒が容認してきた、とてもあり得ないような神と弱弱しいキリストとを知的な人々に受け入れさせるのが、ますます難しくなってきたことに。キリストは死なずに生きている。キリストは彼に従う人々に知られている。 キリストは、力強く、有能な執行者であって、優しく、感傷的な受難者ではない。 キリストは我々を置き去りにしておらず、彼の弟子たちとすべての信仰、宗教、宗教的信条を持つ霊感を受けた男女を通して働いてきた。そして、キリストは、狂信や病的に興奮した献身を必要とせず、すべての人々を忍耐強く、知的に、そして楽観的に愛している。キリストは彼らすべての中に神性を見る。キリストは、人類の意識を進化的に発達させる(特定の進化段階に適切な文明と文化とを作り出す物質的、情緒的、メンタル的な)テクニックを理解している。これらの考えを、知的な民衆は受け入れることができ、そして、受け入れるであろう。 彼らは、キリストが肉体的存在として人々の中を自由に動くことができる世界情勢を作るために、準備し、そして働いている。そのとき、彼は、彼が現在住んでいる中央アジアの隠遁所に留まっている必要はない。仏陀とキリストの関係が正確に説明されたとき、彼らは、すべての宗教の統一性を受け入れることができ、そして、受け入れるであろう。 他のすべての神の子らを排除して、独自の地位を要求するキリスト、このような描写は、真の使徒的な継承の素晴らしさの中に、次第に消えていくであろう。それぞれ異なった光線と国民性を持ち、そして、さまざまな使命とを持つ多くの神の子が、人類を神性の開発の道へと導き、神、すなわち本源へと近づけていたのを歴史的に見ることができるはずである。」 (The
Externalisaion of the Hierarchy p.589-590, by Alice A Bailey , Lucis
Trust)
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HiROSHi Re:キリストの劇 2001年01月28日(日)15時48分45秒
少し間が開いていますが、キリストの劇ということに関連して思うところ・・・。 キリストということに限らず、それぞれのこの人生が劇であるというアイデアがあります。 おそらくこれはロドニー・コリンが紹介しているもので、『天体の影響に関する理論』の中で詳細されているのかもしれませんが、それは分かりません。ただ、『永遠の生命・論』の中でもその話題に触れられています。 回帰というアイデアが絡んできたりするので、これは高橋さんにお任せすることにして、簡単に述べます。 コリンによれば、それぞれの人生が劇であり、その役割が果たされないかぎりは、何度も同じ役割を繰り返すということになります。今回の人生においてその役割が完遂されたならば、次回はその役割をくり返すことなく、より重要な役割を演じるということになります。ただ、その自分の果たした役割のポストを空けたままにしておくことはできないので、誰かをその役割に連れて来なければなりません。ワークの“梯子”というアイデアにも結びついています。 たとえば、今回『ハムレット』を完成させたシェークスピアは、次回も『ハムレット』を書かなければならないということはありません。彼は誰かに『ハムレット』を書くことを教えればよいのです。これがシェークスピア複数人説の由来かも、とちょっとほのめかしています。 そんな様々な劇の頂点にあるもののひとつがキリストの劇です。登場人物たち全員が自分の為すべき役割を熟知していて、それを完璧に演じたものであるということになります。 そして、キリストは今回の劇において、完全にその役割を演じきったのですから、次回はキリストの役割を演じる必要はありません。キリストという主役の座は、次回はペトロなどによって演じられることになるだろうとコリンは語っています。 また、モーリス・ニコルは『THE
NEW
MAN』の中で、感傷的にキリスト像をとらえることは間違いであると述べています。どこか弱々しいキリストというイメージは、のちに作り上げられて来たもので、『福音書』をきちんと読めば明らかなように、キリストはある種とても粗暴な人であり、磔に関してもあくまでも受動的なものではなく、自分の役割を熟知した上で、自分の意志をもって受け入れたものであるということになります。 その意味では、キリストという言葉を聞いて、一般的に、連想的に思い浮かぶようなキリストという人はいなかったということになるのだと思います。 『聖書』に関連して語ることは、文化的な土壌が違うのでいろいろと難しいし、それ以上に私の知識が乏しいので言い足りない気がしますが、ひとまずこんなところで・・・。
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HiROSHi 1949年8月 2001年01月28日(日)15時46分26秒
1949年8月6日 Rue des Colonels
Renard 夕餉の時間に朗読をしていたとき、ベネットは突然、自分の体を離れるという経験をした。「気がつくと、自分の体から数フィート離れていた。それでも私の声は話し続けていたが、それはもはや“私の”声ではなく、誰かの声だった・・・。体から離れるというこの感覚は、体の中に戻ってからも、数時間持続した」 ある食事時に、グルジェフはベネットに、<最後の審判>とユダの役割について小声で話した。ユダはキリストの一番親密な友人であり、ユダだけがキリストがこの惑星にいる理由を理解していた。その献身的な行動によって、ユダはキリストの仕事が損なわれてしまうことを救った。さて、とグルジェフはベネットに尋ねる。 「私の話すユダは、教会で教えるものとは何と違っていることだろう。どちらが真実だと思うかな?」 ベネットには、人で溢れているダイニング・ルームと時間が、どういうわけか消えうせたように思え、自分が紀元三十三年のエルサレムに戻っていた。善と悪の力が争っていることに気づいて、紛れもなくユダは善の側にいるということが分かって来た。 「あなたが正しい。ユダはキリストの友人で、善の側にいます」 ほとんど聞き取れないほどの小声でグルジェフが言う。「君が理解してくれてうれしい」 その後も何度か、私と君との関係は、ユダとキリストの関係と同じようなものだと、グルジェフはベネットに語った。 一度、ベネットとペントランド卿が隣り合って座っていたときの、グルジェフの言葉をベネットは語る。 「ベネット氏はユダのようだ。私の仕事が損なわれないための責任がある。そして君だ」 グルジェフはペントランド卿に語る。「君はパウロのようだ。私の考えを広めなければならない」 こういった最後の日々の間、グルジェフは「死ぬということは決して語らずに、どこか遠くへ行くのだと言っていた」と、ベネットは語る。 from
William Patrick Patterson "Struggle of the Magicians, 2nd edition" p222-223
Arete
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高橋 『アメリカにおけるグルジェフ』浅井雅志(デコード・プレミア・エディション1982)その6 2001年01月25日(木)19時13分51秒
これまでの経験から得た印象を一言で言うならば、グルジェフ運動、或いはワークが日本に根付くにはいくつかの困難があるように思われる。…日本人に固有の困難があるとすれば、その一つは対話に対する訓練不足ではないかと思う。親友の間ではよくしゃべっても、対話ないしはディスカッションという形式を取ると途端に口が重くなるのが日本人の特徴ではあるまいか。いや、それは程度の差であって、多くの英米人にも当てはまるのだが、それでも彼らは比較的に集会の場で意見を述べるのを恐れない。 このことは、システムの中の大きな項目である「内的考慮」「外的考慮」に関わっているのだが、私は、彼ら英米人が内的考慮をしないから、或いはその度合いが低いからよく発言するとは思わない。それはあくまで風土と教育、総じて背景の違いから生じているのであって、彼らは彼らなりの形態の内的考慮を持っているはずだ。しかしともかく、自分の意見の開陳をそれほど恐れないということは、ワークにとって非常に重要である。なぜなら、ワークはすべて人間関係の中で、人間相互の間のアクション−リアクションの中でのみ行われ得るからだ。すべてのミーティングに参加しても、話されることを一言残らず聞いても、一言も発しないならば、或いは何らかの意思表示をしないならば、それは山の中で瞑想しているに等しく、第四の道を歩んでいることにはならない。なぜなら、一人で黙って聞いている限り、彼は自己の内部のマインド・ゲームを楽しんでいるにすぎないからだ。彼はその話を聞くことによって自分が内的に成長していると感じているかもしれず、或いは逆に心の中で反論しながら自分の優越性に満足しているかもしれない。或いはまた、話されていることの実行のあまりの困難さに絶望しているかもしれない。いずれにせよ、彼はリアリティーから完全に切断されている。<彼にはショックが必要なのだ。>(原文傍点)ショックだけが人間を、一瞬の間であれリアリティーに接触させてくれる。そして最も強いショックを提供してくれるのは人間である。グルジェフが本を読むことの限界を説くのはこの意味においてである。一方通行からはわずかなものしか生まれない。瞑想すら、それだけではいかなる根本的変化ももたらさない。 我々は通常、他者の感情を自己のそれと簡単に一体化させがちで、言葉によって、理性によって何かを徹底的に明らかにさせようという態度を取らない。「言外の意味」でりかいしようとするところがある。確かに現在の我々の言語は、何語によらずぼろぼろにすり切れていて、ワークのような、極めて明瞭な意味を持ち、一つの語が全員にまったく同様の理解を引き起こすような言語(グルジェフはこれを「普遍言語」と呼んでいる)が要求される過程においては、十分な用をなさない。しかしそれでもなお、少なくともワークの初期においては、言語による相互理解に対する積極的姿勢は、その進行を多いに助けるであろう。ワークはまず御者から、理性から始めなければならないからである。馬や馬車から始めることはできない。
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たご はじめまして 2001年01月25日(木)12時24分00秒
はじめまして、 今年の正月に「ターシャム・オルガヌム」を購入し先日読み終えました。 私の英語力ではとても読めないであろうこの本の翻訳、出版に尽力していただいた方々に感謝したく書き込みました。 ありがとうございました。 本の感想はまた後程。 では。
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高橋 RE:客観芸術って・・・? 2001年01月21日(日)10時45分06秒
山田さん Gがバレエやエクセサイズに使った音楽は、グルジェフ・ハルトマン・ミュージックとしてCDなども出ていますよ。スコアも売っています。ハルトマンというのは『グルジェフと共に』(めるくまーる)を書いた作曲家の弟子です。 Gが作曲した、というより、Gが若い頃に色んな場所で聞いた音楽を、記憶をもとに再構成したような音楽だと思います。グルジェフ・ワークを行う人々にとって、その音楽は「客観芸術」の一例でしょう。 一度お聞きになることをお勧めします。
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山田 客観芸術って・・・? 2001年01月21日(日)00時06分18秒
ただ今、「奇蹟」を読んでいて、はたっ、と思ったことがありました。P457のあたりに「主観芸術」「客観芸術」について書かれてありますが、Gが考えていた「客観芸術」というのは、具体的にどういうものをいうのでしょう?ピラミッドとか、東洋の蛇使いの音楽とかいっているようですが・・・「客観芸術」について他になにかいっていることなどあるのでしょうか?思うのですが、たとえば、Gがワークに使用していた音楽とか、バレエ「魔術師たちの闘争」で使われた音楽とは、どーいったものだったのでしょう?(すごく、希望的そーぞーだけれど、まさか、G自ら作曲して楽譜が現存しているとか・・・) それから、現代の芸術家でグルジェフ思想に影響された人に、どーゆー人がいるんでしょうか?演劇のピーター・ブルックやジャズピアニストのキースジャレットなどが、そうだときいていますがー。もっとも、Gに興味があるからといって、自らの「作品」にGの思想が、反映されているとは限らないとは思いますけれど・・ (^^)今日は、こちらはすごい雪でした。田舎だから、よく積もること・・・明日は、朝から雪かきです。ツライ!でも、どこか☆ルンルン☆!まず、雪を減らすために「雪だるま」をつくるのです。♪〜Gも作ったことあるのかなぁ・・真っ白な雪だるま〜一種の「客観芸術」のよーな気がするけどなぁ〜♪〜
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高橋 ↓訂正 2001年01月18日(木)22時04分07秒
その4とその5の文章の順番が逆になりましたので、5の方を先に読んで下さい。
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高橋 『アメリカにおけるグルジェフ』浅井雅志(デコード・プレミア・エディション1982)その5 2001年01月18日(木)22時01分21秒
…実際、イーデン・ウエストの中にいると、ワークとは、実に地味な、日々の生活の中で自分に起こる小さな個々の出来事に、またそれに対する自分の反応に絶え間ない関心を示すことであり、それについて他のメンバーと話し合う労をいとわないことであり、また付け加えるならば、朝6時に起きることと皿を洗うことを喜んで受け入れることである、ということが次第に明瞭になってくる。 そして、以上のことを喜んでする決意をした時点から、真の困難が始まる。その困難とは、自分が第四の道の途上にあることを常に覚えておいて自己を観察し続けること、そしてその内容を偽りなくリーダーと仲間に話すこと、そして何より、自分に嘘をつかないこと、すなわち誠実であることである。ワークには奥義、秘伝はない。何を為すべきか、そしてその方法は皆の前に指示され、ただそれを実行することだけを要求されている。そして、イーデン・ウエストがかくも開放的なスクールであるにもかかわらず、メンバーの数がほとんど増えないのは、こういった種類の知識、思想は、秘教的と呼ばれようと呼ばれまいと、秘密にする必要が全くないことを証左である。それはグルジェフ自身『奇蹟を求めて』の中で述べていることである。「秘密にするまでもなく、人々の方がこれを避けて通る」と。
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高橋 『アメリカにおけるグルジェフ』浅井雅志(デコード・プレミア・エディション1982)その4 2001年01月18日(木)19時53分09秒
或いは一時的に興味を抱いてメンバーになっても、ここでは知識を所有すること自体が問題なのではなく、それを自己の生活に反映させることこそが重要である以上、単なる知識欲だけではこの実践を持続させることは不可能に近い。よしんば彼が一定期間スクールに留まり、かなりの知識を仕入れたとしても、そのことを評価する者がいないがために、彼は行き詰まりを感じざるを得なくなる。すなわち彼は、ここでは明らかに通常の知識以上のものが要求されていることを知るようになる。そしてそこが彼の岐路となる。… とはいえ、この岐路は避けるべきものではなく、むしろ通過すべきものである。換言すれば、スクールは加入時の動機、意図はそれほど重視しない。加入後のワークの過程で、彼がどれだけそれに力を注ぐかが問われることのすべてである。ここでよく引用されるアフォリズムの中に、「態度がすべてである」というのがある。ワークは、これを真に理解するかどうかにかかっていると言っていい。…そしてこれを本当に感得することがいかに困難であるかは、この岐路に立って離脱の方を選ぶ者が想像以上に多いことからもはっきり分かる。…スクールに留まることも実は同様にやさしい。モーニング・エクセサイズは強制ではなく、さまざまなミーティングへの参加も強制ではない。総じて、ここにはいかなる義務も強制もあり得ない。本人の納得と了解がない限りは。彼は「自由」である。しかしそうなると、ここに居る意味が問われてくる。この種のスクールに籍を置き、そしてそのこと自体で自己の内的成長が約束されていると錯覚することは、部外者から見れば馬鹿げているかもしれないが、実は我々を常に取り巻いている強い誘惑なのである。 …自分がその誘惑に負けていることを自覚する時(そしてこれを自覚すること自体一人ではほとんど不可能なのだが)、第四の道を歩むには一人では無力であるという言葉の真意を悟る。仲間が、とりわけリーダーが援助の手を差し伸べてくれるのはまさにこの時である。スクールの中に居ること自体はいかなることも約束してくれないこと、だから何をしたらいいかを、彼らが教えてくれる。その援助を拒む力は彼にはない、自己の無力さを痛感しているならば。 …先に進めば進むほど要求されることも多くなるというのがこのシステムの法則である。うまく装ってその実いかなる内的努力もしていない者には、何の要求もされない。そして彼はそこに存在する意味を見失う。
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高橋 RES(山田さんへ) 2001年01月16日(火)23時07分00秒
山田さん まず、積極的な書き込みありがとうございます、と管理人の一人として感謝の意を。 今年もよろしくお願いいたします。 >高橋さん、秘教の観念にもとづく福音書の神秘劇というのが、ワークになっていたというのは、その劇が一つの「儀式」のようなもので、それを型どおり忠実に演じるということで、秘儀になっていたということなのでしょうか?< ウスペンスキーの見解では、キリストの生涯というのは現実世界を舞台として、「意識的な」俳優たちによって演じられたドラマだというのです。キリスト及び彼の弟子たちは自分の果たすべき役割を知っており、それを意識的に演じたのです。一方、ピラトやユダヤの司祭たち、キリストを磔にせよと叫んだ群衆たちは、まったく無意識の中で行動しており、したがって永久に同じ役割を繰り返し続ける(永劫回帰)運命にあります。 そのくわしい説明は、『ニューモデル』の福音書についての章および永劫回帰についての章に述べられています。 >また、福音書を神秘劇として実演したその起源となった秘教団とは、どんなサークルだったのでしょう?< それについてウスペンスキーは何も語っていませんし、当然のことながら私も存じ上げません。
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山田 一瞬、「えっ??!」とおもったこと・・・ 2001年01月16日(火)01時54分39秒
「グルジェフのキリストに関する」ラジニーシの話が、ウスペンスキーの著作の歪曲化されたものらしい(?)という事のようでしたけれど、私は、その話を読んだ瞬間は、これは、グルジェフ特有(?)のいささか皮肉をこめての悪い冗談か、しばしば好んで使う逆説的な物言いなのかなぁなんて思いました。たとえば「歴史という幻想のなかで、惑星の影響下の英雄たちとは違って、イエスのような真にリアリティな人間だけが、その目的をすべて知り尽くした上で意識的な死の劇を演じることができた」とか・・・ 高橋さん、秘教の観念にもとづく福音書の神秘劇というのが、ワークになっていたというのは、その劇が一つの「儀式」のようなもので、それを型どおり忠実に演じるということで、秘儀になっていたということなのでしょうか?また、福音書を神秘劇として実演したその起源となった秘教団とは、どんなサークルだったのでしょう? 小森さん、品切れ本情報をありがとうです。恐れ入りますです。あまり、グルジェフ思想とは関係なさそーだったからよかったかなぁ・・・「三人の女」なんて、題だけだと「女性のワーク記」かなぁなんて思うけど・・しかし、「文庫目録」なんて、常時、手元においてあるのですか?(なんか本屋さんみたいね〜)
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高橋 RES(Itasさん、HiROSHiさんへ) 2001年01月14日(日)20時13分19秒
Itasさん ロドニー・コリンの論文について、感じるところがあったご様子、紹介した甲斐があったと思うと嬉しいです。今後も続けていけるよう頑張りたいと思います。 HiROSHiさん その論文の訳者であるHiROSHiさん、改めてありがとうございます。コリンの思想は、一見難解ですが、言わんとしている部分は直観的に分かるような気がします。ただそれを論理的に紹介するのが一苦労ですね…要旨だけ、と思ったのですが、短くすると十分に伝わらない気がして、こういう形になりました。 IDIOTS
IN
PARISからの翻訳ありがとうございます。この本は私も持っているのですが、まだ読んでいません。しかし<第四の道>関係には未紹介で興味深い本が山積みですなあ。日本で知られているのはまさに氷山の一角という気がします。 >訳の方は、ロドニー・コリンを終えた直後に、気分転換(?)のように、短い小説というか、物語というか、初めてFourth
Way関連ではないものに取り掛かっています。今月中にやっつけてしまいたいと思っています。そしたらネタばらししますね・・・。< それは楽しみです。終わったら是非教えてください。 >そのあと、今年いっぱいをかける(それでも無理か?)つもりで、『魔術師たちの闘争』に取り掛かってみようかなどと思ったりもしていますが、まだ分かりません。高橋さん、いかがでしょう? ダブってももったいないので・・・。< 『魔術師たちの闘争』には私は手をつけるつもりはないので、HiROSHiさんがやっていただけるなら大歓迎です。 >ところで、昨日(1/13)がグルジェフの誕生日だったのですかね?< そうみたいですね。私の眺めているMLにもそれ関係のコメントがけっこうありました。
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HiROSHi Re:ロドニー・コリン『永遠の命に関する理論』解説
etc. 2001年01月14日(日)12時21分46秒
高橋さん 以前にいただいたメールで、Eternal
Lifeの要旨をHPに紹介してもよいかということでしたので、楽しみにしていますと答えましたが、まさかこんなに本格的に紹介されるとは思ってもいなかったので、びっくりしました。 高橋さんには最初にお伝えしたとおり、自分の読み取り不足を補うためだけの下書きとしか思っていないので、たくさん引用されているのを見て、ちょっと戸惑いました。 今、初めてちゃんと見て、第一章を最後に見てからほぼ1ヶ月ぶりに自分の文章を見てみましたが、やはり気になるところがあるなぁ。今後も続くようであれば、皆様、割り引いて見てくださいね。高橋さんがフォローしてくれているので、助かっていますが・・・。 でも、どういう意味合いであれ、Itasさんに触れたりすることがあったみたいなので、紹介してもらってよかったのかなとは思っています。 私自身は、年末以来、表面上はEternal
Lifeのことを忘れて、距離を置きたいと思っているので、この件に関してはしばらく無言でいることにします。 雑記 今年は年頭から仕事の方で何かと忙しくて、四日から昨日まで休みなしでした。今日は久しぶりの休日です。そればかりではなく、特に書き込みたいこともなかったので、少しご無沙汰しました。 年明け早々から、<死>ということが思い浮かぶこと(肯定的に)が多くて、おとといながめ終えた本にGの死の部分があったので、これが私の今年の始まりにふさわしいと思って試訳してみました。いきおいで、ちょっと長くなりました。 『キリストの劇』についても、思いつくところがあるのですが、思考が追いつかないので今は断念。 訳の方は、ロドニー・コリンを終えた直後に、気分転換(?)のように、短い小説というか、物語というか、初めてFourth
Way関連ではないものに取り掛かっています。今月中にやっつけてしまいたいと思っています。そしたらネタばらししますね・・・。 そのあと、今年いっぱいをかける(それでも無理か?)つもりで、『魔術師たちの闘争』に取り掛かってみようかなどと思ったりもしていますが、まだ分かりません。高橋さん、いかがでしょう? ダブってももったいないので・・・。 そんなところです。 ところで、昨日(1/13)がグルジェフの誕生日だったのですかね? EUREKAのSieboldさんが、連絡メールにそうつけ加えて来たので・・・。典拠を聞いてみようかな・・・。
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HiROSHi 一九四九 秋 2001年01月14日(日)12時19分19秒
[十月二十九日(日曜日)の日記] 彼(G)が、今朝の十時半から十一時のあいだに亡くなった。 [十一月四日(金曜日)の日記/十月二十九日以降の回想] ‥‥Dr.
Welchはキッチンに座って、大きな茶碗でコーヒーを飲んでいました。数時間無意識だったあと、Gはとても穏やかに亡くなったと彼は言いました。同時に、死ぬ以前でさえも、緊張や、病人の顔立ちというものは、すべてGの顔から消え去っていて、生きているかのように和らいでいたと言いました。「彼は王のように死んだ」 ‥‥六時少し前に、教会に着きました。私は彼の体を見たくなかったし、そのつもりもなかった。教会に入る気はなかった。でも、教会の入り口でためらう間もなく、ベネット夫妻の旋風のようなものに巻き込まれました。少しばかり考えたあと、入ることに決めて、そうしたことにとても感謝をしています。 私は彼からやって来る迫力に圧倒されました。紛れもない彼の力を感じずに、彼の体に近づくことはできないはずです。彼は荘厳に見えました。沈着、満足、<計画的>、もっと良い言葉が足りない。ほかの誰かで代用されるような、単なる体ではありませんでした。彼はあからさまで、何も隠していませんでした。彼、彼の内面と外側の人生、あらゆる状況とその結果にふさわしい何もかもが、人に見えるものならば、そこでは見えたのです。そのとき、彼には何という迫力があったことでしょう! そんなふうに何かを見たことはありませんでした。このことが、私が強く恐れていたことだと思います。気力の抜けてしまった彼を見ることに耐えられなかったのです。でも実際は、彼の力をはじめて明白に見たのです。 木曜日に葬儀がありました。‥‥ ‥‥彼は私たちに、『ベルゼバブ』が出版されたとき、私の仕事は終わるだろうと語りました――「そうしたら、私は消えることができる」「そうしたら、私は休める」B氏が、どこへ行こうと、私たちはついて行くでしょうと言ったとき、彼はにこやかに頭を振って、ついて来るのは、君には楽ではないだろうと言いました。見つけることも楽ではない。こういったことを、私たちはすべて軽視していたし、「私はグルジェフだ。私は死なない」と言ったときや、私は百二十歳になるまで生きるだろうといったようなことなどを言ったときに、ずっと先のこととして無視していました。私たちに教えたければ、間違いなく話すことができたはずです。だからこそ、死ぬ三日前に病院に連れて行かれるその時までは、私たちは自然に、普通に振る舞うことができたのです。彼が抱えていたにちがいないたくさんの苦しみのことを考えると、恐ろしくなります。まったく、<体内ガスgaz>なんてものが! そして、不思議そうな顔をして、痛みがないと言ったとき。それでも、彼は自分の仕事が終わるまでは行こうとしなかったし、いつもどおりに、為されるのを待ってはいませんでした。そのような師と一年を過ごしたなんて! 時間を無駄にしたというほろ苦さがまるで無かったし、さもなければ、一日中くり返していたにちがいない、「もしも何々でさえあったら・・・」とつぶやくこともまるで無かったということが、私には不思議です。そして、私は決して「もしも」という言葉で、理論的に考えたり、話したりすることはないでしょう。「<もしも>人間にそんなことができるならば」「<もしも>人間に何かしらの可能性があるのならば」それは可能なのです。私は自分の目の前でそれを見たのです。 私は、彼が私に接してくれたような、父であったり、友であったり、師であったりというものを失ったという悲しみを感じません。彼がいないということに絶えず気づきます――昨日、彼に少し姿形の似た、杖を持った人を見て、瞬間的にぎょっとしました。Rue
des
Colonelsの角を曲がるシトローエンを見たり、誰かが馴染みの言い回しを使ったり、でも、こういったことは、彼の肉体としての存在は行ってしまったということを、思い出させるだけです。私自身の内側では、彼はここにいると感じています。 エリザベス・ベネットの日記からの抜粋(日記の時点ではElizabeth
Mayall) from "IDIOTS IN PARIS - Diaries of J.G. Bennett and Elizabeth
Bennett, 1949" p132-138 Samuel Weiser
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Itas 奇縁の感得と現在起きつつあること(追悼文) 2001年01月13日(土)14時33分25秒
高橋さんHiROSHiさんロドニー・コリンの『The Teory of Eternal
Life』解説の紹介ありがとうございます。 驚きました。皆さんと我々は奇縁で繋がっていたのですね。 などと唐突に申し上げましても何のことやらさっぱりでしょうが、まず最初に僕の名状し難い感情状態を表明する無礼をお許し下さい。 なぜ僕が上のような喜びを伝えるに至ったのかを説明させて下さい。これは僕の義務のように感じられます。 昭和56年から準備され始めましたわたしたちのプライベートなグループは今年で20周年を迎えます。 グルジェフ、ウスペンスキーとは文化的に全く無関係な雰囲気で始められたものですが、霊統(あっても無くてもどちらでも都合の良い方を選択して下さい)を越えて途中ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』が主要教材であった時期が長く続きました。 準備的なワークの模倣ということをやってみる為に教材としたのですが、このグループの作業上の指導者ではなく、そもそもの発端となった人物が去る1月8日「有機的な身体を破壊」しました。 四年ぶりに顔を合わせた我々のグループのメンバーはかつて7年周期の節目について話し合ってきたことの総括をし、誰もがこの「人生の9番目の区分」のエネルギーについて思いを巡らせたのでした。 そして今日はじめて高橋さんのHP上でロドニー・コリンの『The
Teory of Eternal
Life』解説を拝見し、我々の思考の焦点と大筋一致していることを確認しました。 つまり、我々と高橋さん、HiROSHiさんは殆ど同時期に同じ題材に思考の焦点を合わせていたのだと推察します。これを奇縁と感じ、関係各者にこの機会を強力に導入できたことで感謝したいと思います。 次の機会に我々の指導的人物にこの項を見せ連携の追認をしてもらおうと企画しております。
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小森 RE:2キリストは劇にすぎないというグルジェフの思想 2001年01月13日(土)00時18分49秒
「キリストは実在せず、劇にすぎないとグルジェフが言っている」という出典を正確に記しておこうと思って、いま本を調べてました。 RAJNEESH
BIBLE vol.1
p.560 のあたりです。これに続いて、「ユダは実はキリストを裏切ったのではない。ユダは、キリストに頼まれて、裏切り役を演じさせられたとグルジェフは言っている」とあります。これもウスペンスキー出典の歪曲思想ですね、たぶん。
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高橋 RE:キリストは劇にすぎないというグルジェフの思想 2001年01月12日(金)23時19分12秒
ウスペンスキーの『新しい宇宙像』の「キリスト教と新約聖書」の章では、確かに、福音書は秘教の観念に基づく神秘劇を実演したものであり、秘教サークルではその劇の実演がワークの一部であるというアイデアが述べられていますが、小森さんが言われているようにラジニーシが「イエス・キリストは実在せず、あれは毎年上演されていた救世主の劇だったとグルジェフはキリストについて述べている」と言ったとすれば曲解もいいところです。その発言を見ただけでも、彼がグルジェフやウスペンスキーを上っ面の読み方しかしていないことは明らかです。 もっとも彼は他人の思想を自分に都合のいいように作り変えることにかけては確信犯ですから(クリシュナムルティについても自分に都合のいいところだけ利用している)、いちいち指摘するのは不毛な気もしますが。
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小森 キリストは劇にすぎないというグルジェフの思想 2001年01月12日(金)21時57分52秒
山田さん。ガートルード・スタインの作者名で調べれば、題名が多少違っていても、たどりつけたはずですがね。と言いつつ、いま中公文庫の目録からは、スタインの名前は消えているようなので、既に品切れ本のようです。 ラジニーシというと、どの講話録を読んでも、たいていグルジェフの話が出てきます。ウスペンスキー自身の思想に関しても、彼の講話ではしばしばグルジェフのものとなっていたりします。たとえば、RAJNEESH
BIBLEでは、イエス・キリストは実在せず、あれは毎年上演されていた救世主の劇だったとグルジェフはキリストについて述べている、とあります。えっ!?そんなことをグルジェフを言っていたの?と驚いて、グルジェフの本をあたりましたが、まったく見当たりません。やがて思いあたったのは、ウスペンスキーの『新しい宇宙像』の「キリスト教と新約聖書」の章のことです。あそこでウスペンスキーが述べていることは、上述のそのままではありませんが、変形されるとそうとれなくもない原典があるわけです。
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高橋 青土社『現代思想 特集 高次元多様体』1995年Vol.23-05 2001年01月12日(金)19時05分43秒
今日仕事の帰りに近くの古本屋で面白い本を見つけました。 青土社『現代思想 特集 高次元多様体』1995年Vol.23-05 四次元および高次元について、数学、哲学、芸術などさまざまな側面から論じており、まだ読んでいませんが相当充実した内容になっています。 中でも興味深いのがL.ヘンダーソンの「神秘主義・ロマン主義・四次元」という論文で、クロード・ブラグドン、ウスペンスキー、リチャード・バック(バッケになっている)、エドワード・カーペンターなどについて、当時の芸術運動に与えた影響などかなり突っ込んで書いています。もちろん『ターシャム』(『ティルティウム・オルガヌム』になっている)の引用もたくさん出てきます。 読んだら感想その他HPとこの掲示板で報告します。
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小森 イドリース・シャーの遺稿 2001年01月12日(金)14時30分48秒
イドリース・シャーは1996年に亡くなっているそうですね。『スーフィー』の邦訳書にも没年の記述はなかったし、あまり伝わってこないニュースでした。 シャーの最後の言葉を集めたものをネットで読んでましたら、「コリン・ウィルソンは自分の弟子で、自分のもとでスーフィズムを学んだ」と言っておられるようで。オイオイ、いくらなんでもそれは信じられないぞと。グルジェフの師たちといい、ベネット教団乗っ取りといい、やはりこの方は、虚言家であったのかなあと思うこの頃。
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高橋 ロドニー・コリン『永遠の命に関する理論』解説 2001年01月11日(木)19時28分17秒
ロドニー・コリン『永遠の命に関する理論』解説をHPにアップしました。 これはHiROSHiさんが送って下さった訳がもとになっています。 私もまだ完全に理解しているとは言えないので、勉強しながら一章づつ紹介していきたいと思っています。
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