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P.D.OUSPENSKY BBS(P.D.ウスペンスキー掲示板)

高橋 (メールURL)

P.D.ウスペンスキーについて語り合うための掲示板です。事前にウスペンスキーの主著の訳書『ターシャム・オルガヌム』(高橋弘泰訳・コスモス・ライブラリー)『奇蹟を求めて』(浅井雅志訳・平河出版社)を読んでいることを前提とした話になっています。ボードリーダーは、高橋・小森両名です。

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小森 グルシェフがアイルランド人? 2000年10月29日(日)00時44分16秒

高橋さん。おもしろい記事ですね。しかし、語学に天才的な才能があり、中央アジアの遊牧民の言語をいくつも使い分けられたグルジェフが、英語が得意でなかったのは、アイルランド人だとするとよくわからないですね。コナン・ドイルが盗作のために殺人をしたとする最近の珍説同様、奇をてらった異説ではないでしょうか。

英語があまり読めない方のために、手元の翻訳ソフトで、そのページを翻訳してみました。あまりたしにならないかも。ここをクリック。

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高橋 グルジェフはアイルランド人だった!? 2000年10月28日(土)21時37分24秒

下のページによると、グルジェフはアイルランドに生まれ、子供の頃家業を継ぐのが嫌で国外に脱出し、中央アジアを転々としたそうです。
筆者は当時の英国やロシアの政府機密文書、果てには船の客員名簿やホテルの宿泊者名簿まで調べて自説を跡付けています。
読み物としては中々面白いので興味のある方は御一読を。

http://www.promart.com/g.origins.html

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高橋 愛の論理学 2000年10月27日(金)18時55分29秒

山田さんの投稿について考えていると、ふいに

「ターシャム・オルガヌムとは愛の論理である」

という考えが浮かびました。

「部分は全体に等しい」
「Aは非Aに等しい」
「Aはすべてである」

ターシャム・オルガヌム(第三の論理学)は、合理的思考から見れば不条理でしかありません。それは三段論法でもなければ、実証することもできません。しかし、それはすべての論理に先だって存在しています。
それは「奇蹟の論理学」であり、「愛の論理学」です。
そして、それだけがリアリティー(実在)です。

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山田 愛への断想 2000年10月26日(木)14時19分32秒

「ターシャム」の15章まで読みました。その中から、想うことあったので・・・

「愛の中で最も重要な要素は、存在しないところのものであり、普段の日常的な物質観点からは、全く存在しないものである。」

これは、私のなかに、クリシュナムルティの自己想起により思考形式を脱し<聖なるもの>にふれる瞬間の心の状態を連想させた。愛は、どんな日常とも無関係であるかもしれません。
  教会に行き神に祈りをささげることも、愛ではない。木々や鳥たちにあいさつすることも、 恋人や夫婦のあいだの愛のささやきや体温も、 法王や高僧の説教を聞くことも、 仕事に励んで日々の糧を得ることも、 ひとり静かに瞑想することも、 結婚して子供たちとにぎやかな家庭を持つことも、 聖書や仏典を読むことも、 ボランティアをすることも・・・愛ではない。

愛の本質は、この世界では否定形でしか表現され得ないものかもしれません。

「この存在しないところのものを感じること、そして奇跡の世界(真の実在世界)との間に成し遂げられた接触のなかに、人間生活における愛の意味の核心がある。」

しかし、「愛は宇宙現象である」とも・・・
 それは、あらゆる時空に無限に浸透していき、あらゆる方向に反響しあって、日常の数えきれない断片にも<かたち>を変えて反映していく。愛はどんな日常にも、すがたをあらわす。
   教会に行き神に祈りをささげることも、愛である。 木々や鳥たちにあいさつすることも、 恋人や夫婦のあいだの愛のささやきや体温も、 法王や高僧の説教を聞くことも、 仕事に励んで日々の糧を得ることも、 ・・・・・ 愛である。

愛は、最もはるかで、最も近しい。

^^ 年内に(もう来週は11月だ!)ターシャムを読了できるかな〜これからは、ややこやしい物理的なお話じゃないからいけるかも・・・しかし、こんなことを書いてる時間があったらターシャムの本を読んだほーのがよかった気がする・・・

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小森 書込 2000年10月25日(水)01時52分22秒

今日ひさしぶりに大阪・梅田の紀伊國屋書店本店に行ったら、またターシャムが平積みしてました。十日ほど前に見たときには棚に二冊並んでいたので、よく売れると店側が認知してくれたようで、補充してくれてます。

27日発売の「小説推理12月号」の鷹城宏氏の「探偵小説美味礼賛」は、麻耶雄嵩論ですが、多次元の話のからみで、ウスペンスキーへの言及があります。私が勧めたから読んだという話ですが、ヒントンとキュビズムの話がからんで、ちょっと面白い内容です。

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高橋 CALL NO MAN MASTER 2000年10月23日(月)23時04分37秒

ロドニー・コリンの義理の妹が書いた回想録がオンラインで読めます。
ロドニー・コリンやフランシス・ロールズなど、ウスペンスキーの弟子たちのその後の活動がかなり詳しく書かれていて、意外な事実も多く、面白い内容です。

http://www.isleofavalon.co.uk/joyce.html

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高橋 ウスペンスキー最期の日々 2000年10月20日(金)23時56分02秒

HPの「エピソード集」のコーナーに「ウスペンスキー最期の日々」をアップしました。
以前に、マリー・シートン嬢の「ウスペンスキーの場合」(同じくエピソード集のコーナーより)に対して「言いたいことがある」と書いたのがこれです。

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HiROSHi Staveleyさんのことなど 2000年10月19日(木)23時50分12秒

David Kherdianという、主に詩を書いているらしい人の本に、“On a Spaceship with Beelzebub”という本があるのですが、この全体の三分の二を占める第二部が、Mrs. Staveleyさんの元でのワークの話になっています。第一部はグルジェフ・ファンデーションの話です。
第二掲示板のほうで、欧米でのワークはどうなのかという話が出ていましたが、この本はその材料を提供してくれていると思います。
この本は5、6年前に、英文を読む必要性を感じ始めた頃に読んだもので、第一部だけは当時日本語にしてみました。第二部では“インナー・アニマル”などという、それまではまるで知らなかったアイデアが出てきてわくわくしたことを思い出しました。
現在は、Two River Press(ふたつの河出版)へと、流れは続いているようです。

第二掲示板のほうも気になりますが、もう少し様子を見たいです。

山田さん
9/15には無呼吸になりそうなほどだったようですが、息が続いていたようで安心しました。

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高橋 正常な存在は永遠に生きることを願う 2000年10月19日(木)22時15分01秒

以下の文章はMrs Stavely というグルジェフの直弟子が彼の講話をメモしたものです。時期はおそらく1930年代ではないかと推測されます。つまり、ウスペンスキーと別れた後ですが、<時間>に関するくだりが、ウスペンスキーのアイデアと完全に同一であることは注目に値します。

「正常な存在は永遠に生きることを願う。正常な人間とは、内在する可能性を実現化しているのみならず、主観性から自らを解放した者のことである。我々は神の姿に似せて造られた。神の属性とは不死だ。もし神が生きることを願うとすれば、彼はその願いを我々すべてと分かち持っている。彼はまた、生きることを願う者が永遠に存在することのできるような方法をも与えている。この生きんとする願いが存在(ビーイング)を構成する。いったん生きれば、選択の余地はなく、永遠に生きなければならない。いかなる個人の中にもいる神の代表者は、いかなる状況でも神ならば何をどう行うかを告げる。あなたの力は、あなたの臨在(プレゼンス)を実現化し、それを認識することである。これは銀行にあるあなたの現金であり、あなたが稼ぐ能力である。」

「認識の次に、最も重要なのは<時間>である。我々を通して流れる時間は、我々が引き出すことのできる機会を与える。時間は、我々のセンターを通過する三重の流れである。我々はその流れの中に泳ぐ魚であり、十分につかむならば、三つの体をつくり、それを持続させるのに十分なものを得ることができる。」

「時間は我々の潜在的な体験の総計であり、我々に可能な体験の全体である。我々は体験を連続的に生きるが、これは時間の一次元だ。体験を同時に生きることが可能になると、時間の二次元、または時間の三次元が加わる。我々が<時間>と同一化したとき、黙示録の次の言葉のようになるだろう…『もはや時間は存在しなくなる』。」

「私は、この旅に出発する前に、次のことを自問するようあなたたちにお願いする。あなたたちは暗闇の中に飛び込みつつある。ここに小さなランプがある。私はあなたたちにその磨き方を示す。磨き方を知っていることを確信しなさい。苦しみは終わりのないことの代償だ。意識的な労苦は人生の中で目的を持つことから生まれる。それは一生の<目的>であり、全人生をかけて追求する<目的>だ。それは人生の有為転変には左右されない。その目的のためにあなたたちは骨を折って生まれたのだ。この目的を保持するなら、あなたたちは不死の存在だ。生涯を通してこの目的を持ち続けるなら、この人生の後にも持続するだけの強さを持った、不死の体験を通して存続するほど大きな目的を持つことになる。 ――GIグルジェフ」

この原文(英語)はGurdjieff Message BoardというHPの、Dec 14, 1998の投稿記事で読むことができます。このサイトでは、Fourth Wayについてかなり突っ込んだ議論が行われており、とても興味深い内容になっています。現在は掲示板そのものは閉鎖されているようです。

Gurdjieff Message Board  http://members.aol.com/prlg/gurdjieff/

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山田 ありがとうがざいます 2000年10月17日(火)14時26分52秒

高橋さん、ヨハン・ヴァン・マーネンの件ありがとうございました。
「おそらく、ムダなアクセスだろーな」と思いつつも、いちおう下記のアドレスにアクセスしてみました。・・・う〜ん、やっぱり・・・きれいなアルファベットの模様を前に「Hellow! How are you?」とだけ、つぶやいて帰ってきました。^^
翻訳(通訳?)までしてくださって、ありがとうございます。

やはり、神智学に関係のある人だったんですね。あまり著作は、書いていないのかな。「実験的神秘主義」のような瞑想体験なんか書いていそうだなっておもったんだけど・・・。西洋の文化圏で育った人が、宗教的なるものの源泉を東方に追い求めて、神智学に出会うといったケースはおおいですね。ウスペンスキーと同時代の人でもありますね。

ps.また「ターシャム」読んでいて、気がついたところを拾っていきますね。そういっていただけると、なんかうれしいな。また、はりきろっ!^^

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高橋 ヨハン・ヴァン・マーネン 2000年10月16日(月)20時37分20秒

山田さん、感想ありがとうございます。
ヨハン・ヴァン・マーネンについてですが、こんなHPをみつけました。

http://www.iias.nl/iiasn/19/regions/c1.html

これによると、J. Van Manen (1877 - 1943)はオランダの東洋学者で、特にチベット学とインド学に大きな貢献をしたとあります。若い頃に神智学徒になり、インドのアデヤールにある神智学協会本部でリードビーターの秘書を務めました。
その後、1923年にベンガルのアジア社会協会の事務総長となり、以来現地で亡くなるまでチベット仏教やサンスクリット文献、道教などの研究に従事しました。彼の収集した貴重な資料はケルン研究所に保管されているようです。

PS 校正ミスのご指摘、ありがとうございます。再版の際には訂正いたします。

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山田 やっと・・・ちょっとひと息いれよぅ・・・ 2000年10月16日(月)14時48分45秒

「ターシャム」少しずつ読んで、やっと13章まできました。本書の目次を見るに、この本も、アナロジー的に、物理的、生命的、心理的と内容が進んでいくのかな・・と、ここでひと段落という気がしたので投稿してみました。

で、今読んだばかりのところでちょっと知りたいと思ったのですけれど、p153にでているヨハン・ヴァン・マーネンという人は、どういう人か、その著作も含めて、もし知っていたら教えていただけないでしょうか・・・リードビーターなんかが、解説しているから神智学者なのかなぁ・・・
で、p154の図1はとても興味深いです。ウスペンスキーもその図に、「図形は、常に運動している」といっているけれど、わたしも、その図を見たとき、ある種のエネルギーの流れを感じました。私は、まず真中の8の字にその流れを感じ(それは一方向ではなく、二方向へ)、外円との2つの接点で接すると、その流れはそのまま外円にそって流れるものとなかの8の字に流れが戻るものがあるのを感じました。そしてそれは、なんだか、中国の「太極の陰陽」の図形へとつながっていく印象をもったりしました。次元的には、過去、現在、未来、が直線的に流れるのではなく、それらが同時に存在しうる接触点のようなものなのかな・・・
あと、「動物の心理学」も合理的知性や概念のない世界はこーゆーものかと、おもしろく読めたし、また、外界からの印象から独立した意識というのにも、高次元の一つの内的な結晶物をおもったし、時間、空間の外部にある人間の「原型」のような記述にはなぜか感動しました。
それと、小森さんの指摘いただいた「コリンズのカルマ」の箇所が、早くも読めました。思いがけず、早かったので、今度は、HiROSHiさんが、チラッとお書きになっていた「愛について」の箇所を楽しみにして読みますね。♪〜

それからホントにどーでもいいことですが・・・
p49後ろから8行目  「時間感覚そのも」のあとに「の」の字を入れてね。
p123の5行目   「生命が」という語句が、重複してるよ。
   お暇な方は見てください^^

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高橋 第二掲示板を「ワーク掲示板」にします 2000年10月15日(日)18時20分04秒

 せっかくの掲示板を遊ばせておくのも勿体ないので、今後、一つの試みとして、<システム>および<ワーク>の実践面に関わる話題は「第二掲示板」で行うことにしたいと思います。
 この掲示板は従来通り続けていきます。こちらでは主にウスペンスキー周辺の文献的情報や理論的な側面、その他の話題を扱うことになるでしょう。

HiROSHiさん
というわけで、<ワーク>関係は今後は第二掲示板にお願いします。あまり重く考えすぎずに気楽に始めていきましょう。

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HiROSHi RE:<問いかけ> 2000年10月15日(日)15時52分10秒

<ワーク>について集中的に語り合いたいという高橋さんの問いかけについて、読んだ直後からあれこれと考えてしまいました。
ひと言で言えば、問いかけの間口が広すぎて、どのように話を進められるものなのか、私には分からないという感じです。

ひとつには、もし仮に私が<ワーク>とはこういうものだと思うと語れるにしても、それを語るには一冊の本を著すほどの量になるでしょうし(当然、そんなことはできません)、また理解には段階があるので、絶えず現在の私の理解ではという断りをつけながら進めなければならないものであるということです。
そしてもうひとつ、私が個人的に何らかの<ワーク>についての考えをもっていたとしても、それを、不特定多数者を前提としているこのような場で語ることがふさわしいのかという疑問があります。
もっと小さなテーマで(<ワーク>というテーマでも、もっと細分化した形で)誰かが口火を切ってくれれば、それについては何かしらを語りたいという気になるのかもしれませんが、私には今は語れるものが何もないと感じています。

ところで、考え込んでしまった理由のひとつは、<問いかけ>を読んだあとにちらっと見てしまった<Notes on Decision to Work ワークしようとする決意に関する覚書>が、記憶していた以上に重い文章で、最初の二段落(十四行)以上読み進められなかったということもあります。三つの宣言は近日中に読み直したいと思ってはいますが・・・。
そして、そんなものはないと分かっていながらも、<ワーク>について浅井雅志さんが何か語っていないかと思ったりして、Webを検索したりもしました。

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高橋 問いかけ 2000年10月12日(木)20時16分31秒

ショーペンハウアーとウスペンスキー(9)アップしました。
グルジェフとショーペンハウアーのユーモアのセンスに共通するものがあると思うのは私だけでしょうか。

HiROSHiさん
ウスペンスキーの<覚書>については、私もこれはウスペンスキーによる一つのマニフェスト(宣言書)だと思っています。これをアップするに際しては、少しこの掲示板で<ワーク>について集中的に語り合ってみたいと思うのですが、いかがでしょうか。(これは掲示板をご覧になっている皆さんに対しての問いかけです。)

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HiROSHi その<ザ・システム>(2) 2000年10月11日(水)00時11分58秒

Re:>HiROSHiさんの指摘によれば・・・
Fellowship of Friendsがセンターの区分にトランプを用いるというのは、パターソンさんの“Taking with Left Hand”にありましたし、別に気になったところでは、C影響という言葉をある種神格化するというのも(元生徒の手紙の部分だったかな)あったと思います。そのせいか、ザ・システムのGoodwinさんも、<前書き>の冒頭からA影響という言葉を使ったり、最後に<私はC影響の下にいる>とかいう言葉を使っているのかなと思いました。

根拠はそれだけではないのですが、長くなるのでいずれ・・・かな?
ともかく、<前書き>だけでもちゃんと読まないとなんとも言えないですが、ざっと見て、個人(?)でこんなことをしているGoodwinさんには興味を覚えました。
先ほど、アップされているものをひとまずプリントアウトしようとしたのですが、とんでもない量がありそうだし、私自身もPCもプリンターも容量が少ないので、中断しました。
もう少しじっくり(じっくりせざるを得ないのですが)眺めてから、何か思うところがあったら書き込みします。

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高橋 ザ・システム(2) 2000年10月10日(火)18時33分03秒

の著者はどうやらグルジェフ・ファウンデーションやフェローシップを渡り歩いて、そのあり方に失望し、独自で行った考察をHPに書き綴っているようです。
HiROSHiさんの指摘によればそのアイデアはフェローシップのものを使っていたり、また記述を見れば分かるようにロドニー・コリンの図式に依拠していたりと、オリジナルでないのはもちろんですが、本文を読んでみるところではわりと鋭い点もあるようです。特にウスペンスキーに関しての評価には共感できるところがあります。(コピーライトについて厳重な注意があるので引用できないのが残念ですが。)

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HiROSHi その<ザ・システム> 2000年10月10日(火)06時11分19秒

<THE SYSTEM>、覗いてみました。そのほとんどはまだ本文がアップされていない目次を見たところ、センターの区分にトランプを使っているところなど、アイデアはFellowshipから得ている人のようですね。もっとも、ちらっと飛ばし読みした<まえがき>部分では、Fellowshipのことは、<lunatics>と切り捨てているようですが・・・。

ところで、高橋さんのHPにも本文がアップされていないウスペンスキーの<覚書>三つのタイトルが掲載されていますが、これがアップされるのを楽しみにしています。この三つは、ある種ウスペンスキーの宣言とも言えるようなものだったと記憶していますので・・・。

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高橋 ザ・システム 2000年10月09日(月)13時36分08秒

なんだか面白そうなサイトがありました。
http://www.geocities.com/ouspensky_2000/contents.html#selfi
まだよく読んでいませんが、Gurjieff Foundation と Fellowship of Friendsのことをかなり批判しています。
Why Ouspensky left Gurjieff というコーナーは「・・・?」ですが…

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高橋 感想 2000年10月08日(日)00時22分01秒

小森さんの教えてくれたページ読みました。
何にせよ、読者の反応を知るのは興味深いものです。

HiROSHiさん
「どこか淋しげだった」というのも「澄み切った穏和さ」にあったというのも、どちらも真実なのではないか、というのが私の感想です。  

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HiROSHi 晩年のグルジェフ 他 2000年10月07日(土)09時40分11秒

晩年のグルジェフはどこか淋しげだった、それは自身の教えを伝えることに結局は失敗したからだなどと語られることがありますが、ボンボンを配るので“ムッシュー・ボンボン”と呼ばれていたり、身寄りのない老人たちの世話をしていて、何故かと問われたときに、「なぜなら彼らは私の家族だからだ」と答えているのを目にすると、グルジェフ自身が、晩年は<澄み切った穏和さ>にあったのではないかという気がします。
日本語で読めるグルジェフは精力的な時期で止まってしまっているので、やはり、その後を伝えるものが一冊は欲しいですね。

Christpherさんの言う<意識的な力からの援助>については、勘違いすると危ない部分を含んでいるような気がして、慎重に扱わなければいけない言葉だと思いました。

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高橋 Christopher Fremantle 2000年10月06日(金)23時25分14秒

Christopher Fremantleについての記事は、長くなるのでHPの「番外編」に要約したものをアップしておきました。John Pentland卿にも感じたことですが、まずウスペンスキーの下で学び、それから晩年のグルジェフ教えを受けたこれらの人々には何か共通の雰囲気があるような気がします。敢えて一言で言えば「澄み切った穏和さ」でしょうか。(念のために「作り物ではない」という言葉を加えておいた方がいいかもしれません。)

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小森 ターシャムの話題 2000年10月06日(金)22時29分59秒

http://www.noos.ne.jp/keijiban/neptune/nep_log/8.html
↑どういうところかよくわかりませんが、「ターシャム・オルガヌム」の話題が出ているのを見つけました。

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小森 雑記 2000年10月05日(木)23時56分28秒

この掲示板に前にきていた「ワーカー」氏は、アメリカの大学に残された、ウスペンスキーの未刊行資料にもアクセスしていたとおっしゃってましたね。最近きてくれませんが、どうされているのでしょう。ロシア語で書かれた長編小説があるそうですが、それは、是非!読みたいものですが、英訳される可能性はないのかなあ。その作中の詩のところだけ英訳した私家版は売られていましたが──

HiROSHiさん
グルジェフの話題について、全く遠慮なさる必要はありません。グルジェフに関するいかなる話題も、この掲示板のストライクゾーンど真ん中です。私が時々するスーフィーの話題などは、ストライクすれすれか際どいボール球の話題でしょうが──

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HiROSHi re:エール大学他 2000年10月05日(木)22時27分46秒

re:(9/28)エール大学 
The Cosmology of Man's Possible Evolution『人間に可能な進化の宇宙論』(この本は実際にレクチャーの後半部分を担っていたものなのでしょうか?)の中で、オクターブの法則を木から枝、枝から葉に分岐するように例えている部分で、<オクターブの法則に関連して人間の体を測定するという文章は、鉛筆で削除されているので、ここでも割愛した>という脚注がついているのを見たりすると、エール大学に行ってそんなものも読んでみたいと思ったりはしますが、私には十年(百年?)早いという気がします。
高橋さんは、それらの文章が出版されたとしても、高橋さんの『ウスペンスキー論』が書けるのだろうと思いますので、ぜひ行ってみてください。

re:Gurdjieff Intenational Review他
ウスペンスキー掲示板でグルジェフの話が続いていていいのだろうかと思いつつ、ポイントだけでも訳していただけると助かります。私は眺めはしますが、ほとんど読んでいないので・・・。
Segalさん(この人も写真で見る限り、独特の雰囲気をもっていますね)の言葉も、感じるところ大でした。
ところで、Gurdjieff Intenational Reviewは、年四回だったのが二回に減って、全文が掲載されていたものも省略されて、全文は印刷物を見てくれという形になってしまっていて、運営とかが大変なのだろうなと思いますが、がんばってほしいものですね。

とアップしようとしたら、Segalさん(2)があるので、アップ後、楽しみに読ませていただきます。

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高橋 William Segalの言葉より(2) 2000年10月05日(木)22時22分06秒

(瞑想を始めたきっかけを尋ねられて)
「私は駅で列車を待ち、壁にもたれながら、1ペニーでイチゴを一箱買いました。1ペニーで買ったにしては美しいイチゴでした。私はイチゴをむしゃむしゃ食べながら、突然、ああー、自分が絶対的に自由であると感じたのです。それがすべてでした。私は大笑いしました。それは福井県にある永平寺を去ってすぐ後のことでした。そのとき以来私は座り始めました(瞑想を始めました)。」

「自己(真我)の体験は描写できません。しかしそれは誰もがいつでも体験できます。難しいのはその体験を一日を通して持ち続けることであり、人生全体を通して、自分を見つめ、自分に耳を傾け、自己を想起することです。これができれば、多くの物事が変化します。」

「すべての問題は、一種の巨大な幻想の中にあると思います。人々は自分がそうであると思っているものではまったくありません。自分は単に老人や若者や女性や子供であるだけではないのです。それと同時に、別のものでもあります。そしてその別のものが実質なのです。人々が、目に見える現実の背後にある現実(リアリティー)に気づけば、それは関係性を変えるでしょう。私たちはもっと慈悲深くなり、寛容になり、貪欲ではなくなるでしょう。女性は一般に形態を超えたものの認識において男性より優れています。」

「座ること(sitting :瞑想)は普段隠れているものをより活発にし、利用可能にします。人は修練によって異なったレベルに接触することができます。最大限の<ここにあること(being here)>に達したと思われ、何か他のものが聞こえます。そこには深まる沈黙があります。静けさの下に沈黙があります。瞑想の実践によって多くの層に接することができます。」

(絵を描くことと瞑想との関係を問われて)
「それは<同一化identification>あるいは自己(エゴ)中心主義と呼ばれるものからの自由に関係していると思います。私が描いているものは束の間の移りゆく形態にすぎず、この形態を占めているエネルギーは真の意味において自由なのだと感じます。だから、私が出会うものは何であれ、それについてあまり考えすぎずに、その物にすべての注意力を払います。しかしあらゆる企てを台無しにしてしまうエゴからは少し自由でいます。」

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高橋 William Segalの言葉より 2000年10月04日(水)22時21分29秒

「注意力capacity of attentionの修養はおそらく人間ができることの中で最も重要なことです。なぜなら注意力を発達させることで人は自分が誰かを知り、周囲の生活の空想についての真実を知ることに近づくからです。注目attentionとともに、世界は自らの覆いを取り除きます。」

「彼(グルジェフ)はメンダム(ニュージャージーにあったウスペンスキーの屋敷と農場)にやって来ました。そのときのことは決して忘れられません。彼は最大級の印象を与えました。彼が言ったことではありません。彼が何を言ったかはあまり覚えていません。しかし彼が入ってきたとき、驚くべき力を感じました。彼はただ入ってきて、人々を見つめ、彼らの心を掴み、何かとても違ったものを感じさせたのです。彼は何かを放射していました。それは非常に偉大で、同時にとても穏やかなもの――とても強くとても優しいものでした。」

「彼(グルジェフ)はほとんどの人々が接触していない何かとの接触があったのだと思います。彼には、相手の時間を止める才能と能力がありました。すべてがストップしました。人は自分自身についてのパノラマのような全貌を見ることになりました。」

「人は人生を超えた何ものかがあると感じ、それは彼の周りで進行していました。そして人はその一部になりたいと思いました。それはそれについて話したり容易く言葉にできるようなものではありません。」

「それは物質や形態の感覚を超えていました。私たちが普段接触していない、別のエネルギー(波動)が体験されました。彼がそこにいるとそれを感じましたが、それが何であるかは分かりませんでした。」

「自分は自分ではなく、物事は目に見えるようなものではなく、おそらく私たちは物事を逆さまに見ているのだと感じました。私たちは形態の表面しか見ていません。彼(グルジェフ)と共にいるとそれを感じたのです。人生の中に新しい光を感じ、それは彼の周りにありました。」

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高橋 Gurdjieff International Review その2 2000年10月03日(火)20時38分52秒

最新号にはWilliam Segal(1904–2000)とChristopher Fremantle(1906–1978)についての記事が載っています。二人とも先にウスペンスキーの下で学び、彼の死後ウスペンスキー夫人の勧めでパリのグルジェフに教えを乞いました。グルジェフの死後は、ザルツマン夫人等と共に世界的なワークの普及と保全に努めました。両者とも絵を描き、禅や東洋文化への深い関心を有している点で共通しています。William Segalは鈴木大拙の友人だったようです。以下に彼らの発言の中から興味深いものをいくつか拾い出してみます。

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高橋 Gurdjieff International Review 2000年10月02日(月)21時43分01秒

Gurdjieff International Reviewのページ(私のHPのLINKS参照)が更新されていますね。まだ全部読んでいませんが、相変わらず興味深い記事が満載です。

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小森 感想 2000年09月28日(木)23時56分28秒

しばらくぶりです。江戸川乱歩賞の日に京極夏彦さんにお目にかかり、ウスペンスキーの話をしました。なんと!京極さんの高校時代に「超宇宙論」は愛読書の一つで、ボロボロになるまで読み込んだそうです。私がe-NOVELSの書評で、ウスペンスキーの論と京極堂の論の相似性を指摘しましたが、それは根拠があったわけです。詳しい話は、この場では控えますが、「ターシャム」が京極さんに届いただけでもよかったなと思いました。

高橋さんの最近の記事について、いろいろ感想はありますが、それはまたそのうちに。ユングは知名度はありますが、やはりアカデミズムではまともに相手にされない人ですね。神秘の事柄をやすやすと語るユングより、それを避けようとしたフロイトの方が、私は深い思想家だと思っています。ショーペンハウアーは、哲学的に軽んじられているのが、私には不可解かつ不満で、ニーチェを除いてあんなに深遠な思想家はいません。ウスペンスキーと並んで正当な評価が待たれますね。

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HiROSHi <ウワイス派>から 2000年09月28日(木)23時52分39秒

ウワイス派(こういう派があるということも知らなかったので、そのまま読み飛ばしていました)という言葉を聞いて、まるで関連がないのかもしれないし、単にこのところ私に取りついているせいだけなのかもしれませんが、数日前に日本語に置き換えたロドニー・コリンの本の部分が思い浮かんだので紹介します。

 偉大な作家、シェークスピアはどうだろう? 世界中で、人間たちは崇高で、奇妙で、悲劇的な考えや感情に満たされている。人々は擦り切れてページの隅が折れている本を取り上げて、その中に自分たちの高潔な感情を転化する。幾千万人もの人々がこうするならば、本はこれらの感情によって新しく作られたのであり、それらが一緒になって印刷所をとおして後ろ向きに進むと、さらに小部数の版へと減少して、数世紀後にはひとつの手書き原稿へと要約される。この手書き原稿は、ついにシェークスピアに見いだされる。彼は自分の前のテーブルにそれを置いて、ページをめくり、言葉はペンへと戻って行き、自分の動きが自分の中に力と理解の並々ならぬ熱情を生み出す。すべてが巻き戻されると、彼はエクスタシーと知識に満たされている。百万もの人間たちが感じたことすべてが、シェークスピアの中に入り込んだのだ。<読者たちがシェークスピアを創り上げたのだ>。
Rodney Collin "The Theory of Eternal Life" p54, Shanbala

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高橋 エール大学&『火蛾』 2000年09月28日(木)22時40分31秒

HiROSHiさん
パターソンが典拠にしている内部資料がどこのものかは分かりませんが、エール大学に集められた記録である可能性は高いと思います。
「1921年から1947年までのウスペンスキーのミーティングを記録したタイプ打ち原稿は、エール大学図書館に寄贈された資料の大部分を占めている。『第四の道』はこれらの原稿の正確な抜粋から構成されているが、全体像を形成するためにはさらに数冊が必要であろう。」(ウスペンスキーHP「ウスペンスキーの生涯についての伝記的考察」より)
とありますから。
Fourth Way やA Record of Meetings、Further Recordのような本があと5,6冊くらい出てもいいと考えればよいのでしょうか。
私がエール大学を探訪できる日が先か、それらが出版されるのが先か…
HiROSHiさんも是非お願いします。^^

ところで、古泉迦十氏の『火蛾』、読みました。
ウワイス派に注目した著者の目は、鋭いと思いました。

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HiROSHi Re:フォロー(?) 2000年09月27日(水)23時13分58秒

高橋さん

私も高橋さん同様に、パターソンには鼻につくところがあると感じています。
と打ち込んで、三十分近くあれこれさ迷ってしまったので、この件次回に(次回は来るのか?)。Eating the "I"に使われているパターソン自筆の二枚の絵のタッチも思い出しつつ‥‥。

ところで、高橋さんが引用されたパターソンの本の部分の典拠は、単純にSterling Libraryとなっていますが、ここにもいろいろと資料が集められているのでしょうか?
エール大学にはウスペンスキーの資料がいろいろと集められているようなので、いつか高橋さんに探訪してもらいたいものだと思います。

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高橋 ユングとウスペンスキーなど 2000年09月27日(水)19時43分47秒

トップページに「ユングとウスペンスキーの神秘体験」をアップしました。

ウスペンスキーは精神分析を相当手厳しく批判していますが、モーリス・ニコールはユングの下で働いていたことがあるということです。ユングはいわゆるオカルト的なるものを出きる限り科学(少なくともアカデミズム)の枠内で論じようと努力した人で、エソテリシズム(秘教)とは生涯無縁だった人でもあります。彼に対する一般的な評価(認知度)が高いのはそのへんに起因するのでしょう。いずれにせよ、彼の「神秘体験(幻像)」はウスペンスキーの『ターシャム・オルガヌム』第22章に加えても何ら違和感のない内容であることは確かです。

HiROSHiさん
フォロー(?)ありがとうございます。確かにパターソンの見方も一理あると思わせるのが難しいところですね。しかしパターソンはグルジェフを絶対視(神格化)しているように思われるところがあって、彼の見方が真に公正かどうかは個人的には疑いを持っています。そのあたりはHPの「グルジェフとウスペンスキー」に書いておきました。

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HiROSHi Re: 「プリウーレのいくつかの思い出」(3) 2000年09月26日(火)23時54分52秒

プリウーレ(3)の引用部分に対しては、

これはとてもウスペンスキー版の『魔術師たちの闘争』のように聞こえる。実際、まさにウスペンスキーもまた危機を、自分がそのような状態にあるとは知らないにしても、誠実という危機を通過していたのだ。彼の可能性は他の生徒たちよりもはるかに大きかった。その声は影響力があり、ウスペンスキーにとって間違った方向へ進むこととは、多くの人々が自分に従うということを意味する。

というパターソンさんの脚注がついていますね。
難しいですね。

メアリーさんの本分では、いろいろな意味でトリックの部分が面白かったです。

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高橋 「プリウ―レのいくつかの思い出」(3) 2000年09月26日(火)23時01分29秒

当時グルジェフは内的外的に物凄い葛藤の最中にあり、精神的にかなり「やばい」状態にあったということが各種の記録から読み取れます。そのへんを的確に察知したニコールは彼から距離を置くことを決め、ウスペンスキーもまた彼との完全な訣別を宣言します。
ウスペンスキーのコメントは、二人の個人的事情に関する邪推抜きに読むならば、当時のGの状況について極めて的を得た洞察を示しており、今になってみれば結局のところウスペンスキー以上にGを理解していた者はいなかったと思わざるをえません。
彼はロンドンのグループに向かってGとの完全訣別を宣言したとき、理由を尋ねられて次のように説明しました。

「グルジェフ氏は非常にとてつもない人物だ。彼の潜在力は我々などよりもはるかに大きい。しかし彼は間違った方向へも行きうる。彼は現在危機を通過しており、その結果は誰にも予測できない。大半の人々は多くの<私>を持っている。それらが互いに争ったとしても大した害は生まない。なぜならそれらはとても弱いからだ。しかしグルジェフ氏には二つの<私>しかいない。一方はとても善く、一方はとても悪い。」

「私は最終的には善い<私>が勝つことを信じている。しかし当面彼の側にいることはとても危険だ。我々は彼にとって何の手助けにもならないし、彼もまた我々にとって手助けにはならない。だから、私はすべての接触を絶つことを決めたのだ。しかしこれは私が彼に反対していることや、彼が行っていることが悪いとみなしているということではない。」(『魔術師の闘争』1996年、p94)

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高橋 プリウーレのいくつかの思い出(2) 2000年09月25日(月)13時47分45秒

「プリウーレのいくつかの思い出」の中で、私が一つ注目したい小さなエピソードがあります。それは、最後の旅行の部分です。
自動車旅行に出かけたグルジェフ一行が、帰りに立ち寄った宿で、グルジェフの妻がそこにいた子犬に夢中になってしまいます。一行はその子犬(後にフィロスという名でピータースの本にも登場することになる)をこっそりと車に乗せて連れて帰ろうとするのですが、同行していたモーリス・ニコールはそれを盗みだといって、一人宿に引き返して犬の代金を払ったというエピソードが述べられています。著者のメアリー博士もまた盗みだと思ったのですが、それまでにグルジェフが行ったさまざまな「トリック」を知った後ではたいして気にもならなかったと言っています。しかしニコールはそう思わなかったようです。
この旅行の直後に、グルジェフは生徒たちを連れてアメリカへとムーブメンツ公演に出発します。グルジェフ思想の解説者(伝道者)としてA.G.オレージと共に同行を求められたニコールは、それを断ってロンドンのウスペンスキーの元へ行くのですが、その行動を説明する一つの鍵がこの小さなエピソードの中にあるような気がします。ピータースの本の中にもこれに通じるような記述があり、グルジェフという人間を考える上で興味深い材料を提供しています。

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高橋 プリウーレのいくつかの思い出 2000年09月23日(土)00時14分41秒

HPの「番外編」に「プリウーレのいくつかの思い出 メアリー・C・ベル博士」をアップしました。この文章は、1920年代にパリでグルジェフの主宰していた「人間の調和的発展研究所」に滞在した、ある生徒によるプリウ―レでのワークと生活の記録で、プリウ―レの様子を描いた記録としては、フリッツ・ピータースの『グルジェフとの少年時代』(邦訳『魁偉の残像』めるくまーる社)があるが、今回訳したメアリーさんの文章は大人の目から見た生活の描写として興味深いものがあります。

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高橋 ショーペンハウアーとウスペンスキー 2000年09月20日(水)23時45分27秒

以前にも掲示板で述べたように、ショーペンハウアー哲学はウスペンスキーと興味深い共通点があるので、このたびHPに両者の比較について少しまとめて書いてみるつもりです。純粋な思想家として見ればショーペンハウアーの方が上だし、文章の巧さでは哲学史上彼の右に出る者はいないでしょう。それでもウスペンスキーの思想には独自の特質があり、ある点ではショーペンハウアーを超えています。両者の思想は共に一瞬の直観を基に築き上げられていますが、それを理性的に表現することに成功しているのが最も偉大なところだと思います。

HiROSHiさん
Rodney CollinのThe Theory of Eternal Life、断片的に知る限りではひどく面白そうなので、翻訳期待しています。頑張って下さい! 

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HiROSHi 続・続・翻訳ということ 2000年09月17日(日)19時39分26秒

6月にこの掲示板と出会って、それまで個人的に趣味の範囲で訳していたものを小森・高橋両氏に見ていただいたことから、翻訳ということをあれこれ考えていまうようになりました。考えてしまったことで、もともとあまり乗り気ではなかったということもありますが、当時訳していたTalks with a Devilからも徐々に遠のいてしまって、やがて完全に中断してしまいました。
その後、それならぱ別のものをやってみようと何度か思ってはみたものの、その最初の一単語目から、たとえばworldという言葉から始まっているとすると、それを即<世界>としてしまっていいのかと考えてしまう具合で、何も手をつけられないという状態になりました。こんな具合で二ヶ月ほどが過ぎました。
かといって、自分には無理だからあきらめようという気にはならなくて、その間、翻訳についての本を読んだり、お手本として(というわけだけではないですが)、小森さんの訳された『ミルダッドの書』(古本屋で買いました。小森さん、ごめんなさい)を読んだりしました。

そしてあるとき、ふと、Maurice NicollのThe Markのことを思い出して、開いて訳し始めてみたところ、これがすらすらと始められました。ある種の感触を感じました。
さらにその数日後に、当時眺めていたRodney CollinのThe Theory of Eternal Lifeを眺め終えて、いくつか興味を引かれる部分はあったものの、実際は何も読み取れていないということに気づいて、訳すべきなのはこっちだろうということでその訳を始めて今に至っています。

これが四苦八苦しています。専門用語があったり、『チベットの死者の書』やプラトンなどからの引用があったり、ときどき感じる、Rodney Collin特有のと思える言い回しなどのせいで、自分の無学さを思い知らされるばかりです。と同時に、これは課題のような気がしています。何かと気づくことも多いです。
もとより、これは自分のあまりの読み取り力不足を補うためで、ひととおりの下訳以上のものにしようとは思っていませんが(そのためには四苦八苦という言葉を括弧に入れて、二乗三乗するくらいの努力をしなければならないでしょう)、ともかく、やり終える覚悟ではいます。

あまりにも遅々としてはいるものの、これが終わったら別の種類のものをやってみたいと思っているので、それがGurdjieff Rememberedということになるかもしれませんが、今のところは分かりません。あまり期待せずに期待してください。
そして、そんな作業を続けて、何かしらの感触がつかめたら、そのときは『Ivan Osokin』をしっかりと見直したいと思っています。いつになるかは分かりませんが、その際はまたよろしくお願いします。

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高橋 意識の座、転生 2000年09月17日(日)19時05分45秒

山田さんの書き込みより:
>また、私が考えさせられたのは「座」ということです。
たとえば、どこの次元にビーイングしているかということで、過去、現在、未来の時間について、カルマについて、輪廻転生についてなど、その観想や認識のありようなどが違ってくるのではないか・・ということです。
神智学的階層においても、どこに意識の「座」を置くかということで、観想するものが違ってくる。たとえば、アストラル界をマーヤとした時、その意識の座はメンタル界にあり、また、輪廻転生に関係するといわれているコーザル体に意識の座を置くと、メンタル体が、マーヤになるといったぐあいに・・(私は、ウスペンスキーの「転生なし」(?)という考えやカルマについての考えを詳しく知りたいと想いました。<

これは、ウスペンスキーとは直接関係のない話ですが・・・
山田さんの言われる「座」というのは、神智学(特にアリス・ベイリー)で言う「意識の偏極」のことですね。ほとんどの人間はアストラル意識(すなわち情緒意識)に偏極しているため、(本当は実在しない)アストラル界の幻惑(グラマー)に巻き込まれています。人間が徐々に進化して意識の偏極がメンタル界に上昇していくにつれ、グラマーは消えていきますが、今度はメンタル界の錯覚(イリュージョン)に出会うことになります。メンタル界の最上層にあるコーザル体(因果体)は「魂の座」であり、輪廻転生の主体となるのはこのコーザル体であると言われます。(だからコーザル体が破壊されると、輪廻転生の必要はなくなります。)

ウスペンスキーの転生についての考え方は、主に『ニューモデル』第11章「永劫回帰とマヌ法典」に説明されていますが、前にも述べたとおりウスペンスキーにとって転生とは、人生(四次元)の永遠の回帰(recurrence)である五次元を意味します。転生(reincarnation)と回帰(recurrence)との違いは、<時間>の捉え方の違いにあります。<転生>は時間を直線的に捉え、過去から未来へ永久に延びていく時間のリニアな線の上で魂が周期的に地上に生まれ変わると考えます。<回帰>は時間を曲線と捉え、人生を始めと終わりのつながった円環として考えます。だから人生の終わり(死)は人生の始まり(誕生)とつながっており、人は死ぬと同時に次の人生を始め、以前と同じ人生を繰り返すことになります。私たちがときどき感じる「これは前にも起こったことがある」という感覚はこれに起因するといいます。
これ以上詳しく書くと長くなりすぎるので、とりあえずこの辺で。

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高橋 どうも最近 2000年09月16日(土)21時43分54秒

子供の誕生など私生活上の理由から更新のペースが落ちていますが、新コーナーもいくつか考えているのでそのうち。

HiROSHiさん、勘違いは誰にでもあることなので気になさらずに。それより訳して下さると本当に嬉しいです(プレッシャーか?^^)

山田さん、実験的神秘主義の感想ありがとうございます。
>本書は、グルジェフと会う前に書かれたようですが、邂逅以後の、こうした実験的な記録はないのでしょうか<
とのことですが、私の知る限り、こうした形の記録はないようです。というよりも『奇蹟を求めて』がそれだと考えるべきでしょう。『実験的神秘主義』以後のウスペンスキーの関心は、あの状態をいかに意図的に(自力で)引き起こすことができるかという点に移って行ったようです。

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HiROSHi 反省文、他 2000年09月16日(土)17時12分42秒

『魁偉の残像』についての私の大いなる勘違いの発覚は、冷や汗ものというより、どこでそうなってしまったのかとても不思議で、ほぼ一日たった今もどういうことなのだろうかと思っています。私の中では、再会と爆弾の部分を含んで、あまりにもまとまっていたものですから‥‥。
ともかく、9/14の書き込みの前半はまるでナンセンスなものになってしまったので忘れてください。それだけ再会の場面はインパクトがあるということでごまかしてしまいたい感じです。罪滅ぼしとして訳しなさいということかななどともちょっと思っています。

古泉迦十さんの『火蛾』、そのほとんどを昨日、近代まれに見るスピードで読み飛ばしました。これがスーフィーものということになるのか、私には分かりませんが、注目しておきたい人だと思いました。

山田さんに補遺
9/15にグルジェフのウスペンスキーに対する有名な(?)言葉を紹介しましたが、高橋さんもおっしゃっているとおり、実際のことは分からなくて、グルジェフがどういう状況で誰に対して語った言葉なのかということで意味合いが変わってくる言葉だと思います。ですから、鵜呑みにはしないでください。または、鵜呑みにされることを前提としてグルジェフが語ったのかもしれませんが‥‥。

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HiROSHi RE: Gurdjieff Rememberd等 2000年09月15日(金)19時11分44秒

高橋さん

>『魁偉の残像』にパリのアパートでの再会のくだりは載っていましたっけ? それは確かピータースが大人になってからの話ですよね?

ご指摘のとおりでした。『魁偉の残像』は何度か読みましたが、最後に読んだのもずいぶん前のことなので、その後に読んだピータース関連の文章から、いつのまにか自分の『魁偉の残像』の最終章を作り上げてしまっていたみたいです。「アメリカは日本に原爆を落としたな? さて、お前のアメリカをどう思う?」が、私の『魁偉の残像』のほぼ最後の言葉でした。あれれ?でした。
アパートでの再会のくだりは、コリン・ウイルソンの『覚醒への戦い The War Against Sleep』で引用されていますが、今ざっと見たところ、日本のくだりはないようなので、これは『Struggle of the Magicians』あたりからかな? でも、日本語で読んだ気がすると、ただ今ちょっと混乱しております。
それ以上に、皆様を混乱させてしまったかも‥‥。以後、気をつけます。

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高橋 Gurdjieff Remembered等 2000年09月15日(金)16時35分04秒

HiROSHiさん
>Boyhoodの最後のほうで記述されているパリのグルジェフのアパートでの再会<
私は、『Gurdjieff Remembered』は読んだことがないのですが、『魁偉の残像』にパリのアパートでの再会のくだりは載っていましたっけ? それは確かピータースが大人になってからの話ですよね?
『魁偉の残像』は一時期私の精神に大きな影響を与えた本なので、続編の『Gurdjieff Remembered』も是非読んでみたいです(できれば日本語で)。

山田さん
>「そーいえば、グルジェフは、ウスペンスキーのことを、どう想っていたんだろう・・」<
この二人の関係についてはHPの「グルジェフとウスペンスキー」についてのコーナーに主にウスペンスキーからの視点を中心に私の意見は述べておきましたが、グルジェフが実際のところウスペンスキーのことをどう思っていたかは(彼のあらゆる言動と同じく)謎に包まれています。彼自身の著作からヒントになるものを探すなら、『生は私が存在してはじめて真実となる』の「プロローグ」の最後の部分かなという気がします(いま手元にないので引用はできませんが)。

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山田 謝意にかえて 2000年09月15日(金)15時36分17秒

 「実験的神秘主義」興味深く読ませていただきました。ありがとうございました


それぞれの実験体験が、「私」という感覚の変化にあり、その変化は、体験の本質に関わっていること、また、そのことが、(高次元の)認識の拡大の可能性に結びついていくというのに、どこか肯けました。(ただ、ウスペンスキーが具体的な次元と体験とを結びつけて書いていなかったのには、ちょっぴり残念でした。)

実験体験の内容は、私にとって(実感として)解るところと解らないところがあり、また考えなど留保しておきたいところなどありましたが、外的な記述の表現とは別に、その表現の奥の知覚、意識状態を観たようで参考になったりしました。また、共通する感覚に、妙に安心したりもしました。(たとえば、一度に全体を把握している感覚、それを分節化して文章にするもどかしさ、二つの違った時間が同時に在る感覚、一つの言葉を巡るさまざまな連想や想念の増殖作用、「私」の消滅、全き静けさとある種の恐怖、瞬く間に通り過ぎる一瞬のそれ、音とともに現れる色彩を帯びた図形、善悪の観念の無意味さ(これは、反対にわれわれの住む世界が、いったいどういった基準で定められているか・・ということを考えさせられた)、生きてる世界と死んでる世界の逆転現象の「私」の往来、等など)

また、私が考えさせられたのは「座」ということです。
たとえば、どこの次元にビーイングしているかということで、過去、現在、未来の時間について、カルマについて、輪廻転生についてなど、その観想や認識のありようなどが違ってくるのではないか・・ということです。
神智学的階層においても、どこに意識の「座」を置くかということで、観想するものが違ってくる。たとえば、アストラル界をマーヤとした時、その意識の座はメンタル界にあり、また、輪廻転生に関係するといわれているコーザル体に意識の座を置くと、メンタル体が、マーヤになるといったぐあいに・・(私は、ウスペンスキーの「転生なし」(?)という考えやカルマについての考えを詳しく知りたいと想いました。


あと、私が、妙な感覚で残ったのは、最後の方の、「上の原理と下の原理が結びつかない、その間の空白地帯」というものに、どこかわり切れなさを残して、その心象が頭脳のなかに吸引されていくようでした。(このへんの記述は、数学的に説明がつく気がするのですがどうでしょう・・)

こういった感想を書きながらも、不可視なものへの記述は、わたしにとって、少なからず抵抗があり、ましてや自分だけにしか分からないことであり(それはまさに独りのときにおこりやすい)一般にいう胡散臭さを充分に理解しながらも、こういった記録や現象を、たとえば、洗礼前のキリスト者が「神を完全に見てから信仰します」という戸惑いに似た気持ちで、「別の私」はやわらかく受け止めています。

以上、実に拙い感想で、恐縮ですが、いちおう私なりの<3333>への感謝のつもりです。ありがとうございました。(2週間内に書けてよかった!!)

で、本書は、グルジェフと会う前に書かれたようですが、邂逅以後の、こうした実験的な記録はないのでしょうか(「奇跡」のなかで、ウスペンスキーとグルジェフのテレパシーの場面をよく覚えたりしているからです。)

それと、掲示板を拝見していると、なんか、翻訳のエキスパート(いいなぁ〜)の方が多くいらっしゃるようで、まだ邦訳されていない書籍などの紹介をよろしくお願いします。私のように、秘教的なことに興味をもっていても、本や資料を探し出したり「This is a pen.a pen.」のとなりのよーな英語力で、また、それでいて、精進する気もまるでない読者のために、そのほかの多くの秘教に興味のある読者のためにもぜひぜひ、よろしくお願いします。

どうでもいいことですが、この文字を打つのに、めちゃ、お時間がかかりました。
すっかりお疲れモードです。   無呼吸になるほどに  で す

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HiROSHi Re: やはり、気になる、わたし‥‥ 2000年09月15日(金)03時46分23秒

山田さん

>ところで、私には、よく解りませんが、お二人の話にあるのは、邦訳されている「注目すべき人々」という本と、何か関係あるのですか?
その本ではなくて、『魁偉の残像』という本です。少年時代をグルジェフのもとで過ごしたフリッツ・ピータースという人の手記です。めるくまーる社から出版されています。とてもお勧めです。『Gurdjieff Remembered』はその続編で、今のところ邦訳されていません。

>「そーいえば、グルジェフは、ウスペンスキーのことを、どう想っていたんだろう・・」
有名(?)なところでは、「一緒にウォッカを飲んで話し合うには申し分のない男だが、弱い男だ」というのがあります。<考え事でぐるぐる巻き Wraps Up The Thought>とかいったニックネームをつけていたようです。

>掲示板に思わず書いてしまうのは、知性センターの統制が弱いという証左でもあるかな〜
これについても書き込みしてみたのですが、ちょっと分からなくなったので削除、いずれ書き込みするかもしれません。

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山田 やはり、気になる、わたし・・・ 2000年09月15日(金)01時22分59秒

こんばんは。
 小森さん、いろいろ、ありがとうございます。

ところで、私には、よく解りませんが、お二人の話にあるのは、邦訳されている「注目すべき人々」という本と、何か関係あるのですか?

HiROSHiさんのお話を読んでいて、改めて思ったのですが、「そーいえば、グルジェフは、ウスペンスキーのことを、どう想っていたんだろう・・」

ウスペンスキーに関してのグルジェフの印象的な言葉など、もしあったら、気がむけば教えて下さい。なんか、すごく、興味あります。

知性センターですか・・   う〜ん、そうかもしれません。
知性センターの中の動作パートとか・・・
う〜ん、いずれにしろ、掲示板に思わず書いてしまうのは、知性センターの統制が弱いという証左でもあるかな〜(不覚!)

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HiROSHi 追憶のグルジェフ 2000年09月14日(木)00時24分44秒

フリッツ・ピータースの『Gurdjieff Remembered』は、『Boyhood with Gurdjieff 魁偉の残像』が昼間の風景を描いているとすると、夕景を描写しているような印象をもちました。
ピータースがプリオーレから離れるところから始まっているので、幾分かはBoyhoodと重複しています。Boyhoodの最後のほうで記述されているパリのグルジェフのアパートでの再会は、そこに至るまでの経緯はより詳しく書かれていますが、ほとんどBoyhoodでの記述と変わらずに繰り返されていて(この変わらないということが妙にリアルな感じがしました)、分かっていながらも、ぐっと来てしまいました。『覚醒への戦い』でコリン・ウィルソンが解釈していることも正しいと感じさせることも含めて、ここはリアルだと感じました。
その後は、シカゴのグルジェフ・グループに関わったりしてもみたピータースが、メンバーたちがグルジェフのことを知性的に捉え過ぎることに違和感を感じたり、そのことをグルジェフに伝えたときに、君には私の考えを教えたのではなく、埋め込んだのだ(記憶だけなのでこの言い回しは違うかもしれない)と語ったことなどが印象に残っています。子供の時期にグルジェフの思想を埋め込まれた人間とは一体どういうことなのか‥‥と思いをはせたりしました(パターソンさんが『魔術師たちの闘争』で触れていたような気がしますが、覚えていません)。

なんか色々なことが思い浮かぶので、続く。

ところで、山田さんが9/12に書き込まれている<動作センターのワークかな〜>は、動作ではな知性センターでは?と思いました。

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小森 re:素朴な反問 2000年09月13日(水)13時09分19秒

山田さん
ホームページに一旦公開するということは、不特定多数の方に保存され読まれる可能性は引き受けた上でのことですので──自分で保存して読む分には、期間が過ぎた後であろうと、かまわないはずです。
ただし、その文章を、著作権者に無断で転載・引用等二次利用されるのはいけませんが──

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小森 re:思い出のグルジェフ 2000年09月13日(水)01時17分14秒

HiROSHiさん、こんにちは。
よくグルジェフ関係の洋書お読みですねぇ〜(感心)。ピーターズのその本は、邦訳された「魁偉の残像」の続編、というか二部作の後半なので、前田樹子さんの邦訳をめるくまーる社が刊行してくれることを期待していたのですが、なかなか出ないようですねえ。しかたがないので洋書で読もうかなと思っているところです。

そこで述べられている言葉は、私としても、もっともだと思います。じかにグルジェフの臨在にふれた人は、やはり彼のカリスマに魅せられる面があったと思いますし──。でも著作としてみると、グルジェフは書き手としては素人ですから、ウスペンスキーには到底比肩できないですね。お互い相捕し合う存在なのだとは思います。が、私自身は、ウスペンスキーと違って、あまりグルジェフには興味がありません。

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山田 素朴な反問 2000年09月12日(火)21時10分44秒

こんにちは。
 「ファイルの保存ってどーゆーこと?」
と、トロいことを言っておらずに、さっそく、マニュアル本を見て保存しました。
私のパソコンの進化度は、いまのところ、メールとインターネットです。(恥ずかしながら・・)けど、なんか(よく解らないけれど)著作権とかなんかいいんですかー?

けれど・・・今は、どんなに掲示板に、惹かれる内容があっても、気になる議論があっても、読み終えるまでは、「実験的神秘主義」から、目を離さないご予定であります。(う〜ん、これは、いっしゅの動作センターの制御のワークかな〜^^)

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小森 素朴な疑問 2000年09月12日(火)02時19分55秒

山田さん、二週間の期限が気になるのなら、ファイルを保存してしまえばいいと思うのですが?

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山田 やはり、読もう・・ 2000年09月09日(土)15時28分35秒

こんにちは。
目下の、悩みは、掲示板にあまりにも、考えさせられることが多いと、「実験的神秘主義」が、ゆっくり読めないということです。^^;
HiROSHiさんの「知識と理解に」ついては、どんな秘教的な本を読んでいても、必ずといっていいほど、いつもおもいあたります。
やはり、私も、まずは、「ターシャム」を読みます。

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