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P.D.OUSPENSKY BBS(P.D.ウスペンスキー掲示板)
高橋 (メール 、URL )
P.D.ウスペンスキーについて語り合うための掲示板です。事前にウスペンスキーの主著の訳書『ターシャム・オルガヌム』(高橋弘泰訳・コスモス・ライブラリー)『奇蹟を求めて』(浅井雅志訳・平河出版社)を読んでいることを前提とした話になっています。ボードリーダーは、高橋・小森両名です。
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HiROSHi 『思い出のグルジェフ』 エピローグから 2000年09月09日(土)14時57分45秒
第二掲示板の時期にフリッツ・ピータースの『Gurdjieff
Remembered』を眺めていて、途中でその頃に発言されていた市川さんに紹介したいと思った部分があったりして、ちょうど市川さんが現在までのところ最後の発言をされている8/27に眺め終えた最終章も同様だったので、紹介してみたいと思います。その部分を読み返してみて、特に市川さんに向けてということではなく、ひとつの考え方として紹介したい部分だと感じたので・・・。 以下の文章は『ターシャム・オルガヌム』の第15章『愛と死』の中から、p202の<あらゆる生きている自然‥‥>からp204の<‥‥新たな性質をも開示する。>までと、<愛の中で最も重要な要素は、存在しないところのものであり、普段の日常的な物質的観点からはまったく存在しないものである。>が引用されたあとに続いています。 こういったウスペンスキーの言葉――それは究極の真理の輪を抱いている――は、私の中に深い共鳴和音を強く打ち鳴らしただけではなく、私にとっては、かつてウスペンスキーとグルジェフの間に存在していた軋轢の原因を説明してもいた。ウスペンスキーが最初にグルジェフの“アイデア”に興味を抱いたとき、グルジェフはウスペンスキーに、私が君ほどに“多くのことを知って”いたなら、私は実に偉大な教師になっていたことだろうと語った。その表現は、グルジェフが私に何度も“知識とは<過ぎ去る>ものだ
knowledge is passing
presence”と説明した後でさえ、私にとっては困惑させるものだった。 ウスペンスキーが、「愛はすべての仮面を剥ぎ取る巨大な力である。愛から逃げる人々は、仮面を保つために逃亡するのである」ということを頭で知っていたのに対して、グルジェフはそれを<理解>していた。知識と理解の違いは、現在では、水素爆弾の作り方を知っていることと、それを活用することの違いに似通ったようなものだ。グルジェフは自分が知っているものを理解していたので、知っている何もかもを活用した。比較ということでは、ウスペンスキーは知性的なレベルに通じることができただけだ――読み物としてのウスペンスキーの本は、グルジェフの書いたどの本よりも、はるかに興味深く読み応えがある。けれども、この事実が即、そのほうが<内容>があるとすることではない。 from
Epilogue of Gurdjieff Remembered by Fritz Peters p159-160 Samuel
Weiser 賛否両論おありでしょうが、ひとつの見方を紹介しました。 追記:ペヨトル書房解散は、中野にある変な本屋(?)にペヨトル書房の本が並んでいて、その前にメモが貼ってありました。
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小森 ペヨトル工房 2000年09月09日(土)12時55分03秒
ペヨトル工房解散……ですか。コリン・ウィルソンの『ミステリーズ』は、刊行は工作舎ですね。コリン・ウィルソンの『超オカルト』(新訳)『精神寄生体』(再刊)『形而上学者の性日記』(改訳)という三つもの重要な本を出してくれているところなのに。どれも名著だなあ(←ウィルソン・ファン)。文京区湯島に本社とあります。小さいところだったんでしょうね。『超オカルト』は、豪快な乱丁のまま刊行されていて、編集はかなり杜撰でした。訳文も前半はいいけど、バトンタッチした後半の翻訳がガタガタで困りました。
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山田 わーい、おこたえだぁ 2000年09月08日(金)14時25分50秒
こんにちは。 小森さん、はじめまして。ヒントをありがとうございます。実は、私はまだ「ターシャム」のはじめの方をうろうろしていまして、全部読んでないのです。本書を読む上で、「これだけは、おさえておいたら・・」というようなことがあれば、よかったら教えて下さい。(わかりやすくねー) ご指摘の「カルマ」の箇所には気をつけます(うっ〜来年になってしまうかも・・) 高橋さん、とても示唆にとんだおこたえありがとうございます。自分のなかで、なんか整理がついた気がします。(わたしが、思っていたことに照らしあわせて言わせて頂きますと)5次元が、原因、結果の反復するカルマの輪の世界、6次元が、その輪から脱して「意志」に関わる全肯定的な<為す>ことができる世界。私は、6次元には、「運動」というものが感じられなくて、ただ「意志」からの行為あるのみ、という気がします。クリシュナムルティは、6次元にビーイングしていて、他者を導くあの「気づきへの問いかけ」は、5次元〜6次元に人を向かわせるものだったんですね。おそらく、6次元の人間こそが、本当の意味での「自由な行為」ができ、また、本当の意味で、下の次元に<為す>こと、働きかけることができるんだと。 だから「菩薩」なんだ。う〜ん、いまふっと思ったのですが、6次元が、また、終わりでもあり、はじまりでもあるような、新たな<点>となって展開していく世界というものはあるのでしょうか? と、いうわけで、HiROSHiさん、机上の理論というよりも、それらは、私の内からどうしようもなく発せられる問いかけであり、わたしにとっては、根源的な、少し切実な問いなのです。ひょっとしたら、全く新しい生き方になる可能性もあるわけですから・・・それに(5.6次元の時空間を認識する知覚を持つことは、「ターシャム」の一つのテーマでもあるように思うのですが・・)と、カッコつきでいったのは、まだ本書を全部読んでいないからです。 こーして、色々お応えくださると、なんか自分のなかで、色々な部分で気づきになります(うれしいなぁー)。しばらくの間、よろしくお願いします。(2週間!2週間!)いちおう、これでもあせってます。 ではでは。 あっ!あいさつ忘れた!HiROSHiさん、はじめまして。
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小森 re:実験的神秘主義 2000年09月08日(金)13時36分55秒
高橋さん いや、下の意見はコリン・ウィルソンの意見を紹介しただけです。 私の意見としては「実験的神秘主義」だけが突出しているとは思わず、『ア・ニュー・モデル・オブ・ザ・ユニバース』のどの章もすばらしいと思えます。本当にどの章も、そのテーマの中での最良の記述だと思います。 ただ、その中でも特に難度が高いと思えるのは「実験的神秘主義」と「新しい宇宙像」の章かなと思います。 こんな名著が、未訳で放っておかれているのは、日本にとっては一大損失だと思いますね。 訳書刊行がやりやすくなるかどうかは、『ターシャム』の売れ行きにもかかってきます。皆さま、周りの友人にもこの本を勧め、販売にご協力くださいませ。
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HiROSHi 山田さんの発言をきっかけに 2000年09月08日(金)00時00分54秒
私も山田さんの><為す>ということには、「存在(ビーイング)」ということが、深く関わっていると思うのですが、何次元の意識状態なのでしょうか・・という質問を読んで、そんなことは考えてみたこともなかったので、面白いことを考える人もいるものだなぁーと思った反面、何かそれは机上論過ぎるんじゃないの?などと感じていましたが、その後の高橋さんの文章を読んで、納得したということではないですが、なるほどなと思ったりしています。この件も私には難しいですが、面白い材料です。 ところで旧聞になるのかもしれませんが、『超オカルト』を出版したペヨトル書房は今年解散したそうです。私は『ミステリーズ』の途中で断念したのでこれはもっていませんが、興味のある人は今のうちに古本屋で手に入れておいたほうがよいようです。 と、為そうと思ったこととはまるで違う文章での、久しぶりの投稿となりました。
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高橋 <為す>ことは何次元か? 2000年09月07日(木)22時33分39秒
実験的神秘主義の章は、ウスペンスキーの著作の中で最も重要ではないにしても、かなり興味深い作品ではあります。『ニューモデル』のそれぞれの章は各々が独立した作品として発表するだけのクオリティーがあり、内容も濃いので、『実験的神秘主義』が「神秘体験を論じた古今東西のあらゆる文献の中でもっともすぐれている」とするならば、例えば『福音書とキリスト教』の章はそのテーマを扱った作品の中でもっともすぐれているし、『ヨガとは何か』の章はヨガを扱った作品の中でもっともすぐれている云々…と言えると思います。 さて、山田さんの ><為す>ということには、「存在(ビーイング)」ということが、深く関わっていると思うのですが、何次元の意識状態なのでしょうか・・< という問いについてですが、ウスペンスキーは次のように述べています。 「次元は次のように簡単に理解することができる。四次元とはそれぞれの瞬間の一つの可能性の実現化である。それは我々が時間と呼ぶものだ。五次元はこれの反復(繰り返し)だ。六次元は<異なった>可能性の実現化だ。…主な傾向を打ち破り、この人生をまったく異なったやり方で始めることは、六次元であろう。」(Conscience
p.35) 人生は四次元、人生の永遠の反復である永劫回帰は五次元、だからこの人生を別のやり方で行うこと、つまり機械的な反復を脱して<為す>ことは六次元に関わります。 ですから自己想起は<六次元の運動>だと言えます。
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小森 実験的神秘主義 2000年09月07日(木)17時44分03秒
コリン・ウィルソンの『超オカルト』では、ウスペンスキーの「実験的神秘主義」の章が、ウスペンスキー全体の著作の中でもっとも重要とし、神秘体験を論じた古今東西のあらゆる文献の中でもっともすぐれていると激賞しています。たしかにそれだけの激賞に値する素晴らしい章で、書かれ得ないものを書き得たというウスペンスキーの筆の魔力を目の当たりにすることができます。 山田さん カルマについては、『ターシャム』で引用されているメイベル・コリンズの「カルマ」(『道の光』中)の考えにウスペンスキーも近いのではないでしょうか。
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山田 いろいろ、感謝です 2000年09月07日(木)15時05分34秒
こんにちは。<3333>を楽しみにしていました。ありがとうございます。 感謝です!いっきには、読めないので、しばらくは定期訪問します。私のなかで、あまりにも「魔術」とか「神秘主義」という言葉が、漠然とあいまいだったので、まずはウスペンスキーの使ってる言葉の概念の確認です。2週間で読めることを祈りつつ・・(日本語の理解度もあやしい私ですが・・^^;) 私は、「奇跡を求めて」という本で「人は、実は、何も<為す>ことができない」という言葉に、いささかショックをおぼえました。 <為す>ということには、「存在(ビーイング)」ということが、深く関わっていると思うのですが、何次元の意識状態なのでしょうか・・(わたしは、この(ビーイング)に、クリシュナムルティの<観察、気づきの問いかけ、見ること=行為>を思います。個人的には、5次元だとおもうのですが、どうでしょう・・ 機械的成長と鍛錬の進化の境は、四次元であると思うのですが、<為す>ということは、四次元以上の高次元に関わることなのでしょうか?もしそうであるならば、「意志」に関わる本当の全肯定的行為は、高次元においてどういった現象(運動?)としてあらわれるのでしょう。(うん?ひょっとして、過去、現在、未来が見透せるカルマの認識とか、カルマへのはたらきかけということなのかなぁ・・)それとも、高次元には、もはや、<為す>ということに、当てはまるような概念というものがないのでしょうか・・ そういえば、ウスペンスキーは「カルマ」については、どう考えていたのでしょう・・あまり、それについて、積極的に話すようにはみえないのですが・・ 色々な観点から、なにか、おこたえいただけるとうれしいです。 扉の裏から : 高橋さん、1行が長すぎました。私の「普通」は「改行無視」でした。単なるスケールのちがいでしょ(?) ありがとう。
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高橋 RES:<3333アクセス>記念発表に感謝です&e-NOVELSで 2000年09月06日(水)22時43分33秒
仲西さん、感想ありがとうございます。 「静かに、興奮している」という表現はよく分かります。 ウスペンスキーの文章はクールで客観的ですが、感情センターを刺激する力を持っています。彼も再三「実験的神秘主義」の中で「途方もない感情的状態」の必要性を強調していますね。通常を超えた認識には必ずそれが伴う、否むしろ、それなしには知覚の拡大は決して起こり得ないと。 小森さん e-NOVELSの書評読ませていただきました。ミステリー読者向けに許容量ギリギリまで踏み込んだ内容になっていますね。あと、田中博氏はじめ『ターシャム』の素晴らしさを熱く喧伝して下さっているようで、感謝します。
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小森 e-NOVELSで 2000年09月05日(火)12時56分16秒
こんにちは。今週号の
e-NOVELS で私の特集をやってくれています……ということがここでは言いたいのではなくて、更新したときにお知らせするのを忘れてました。私が書いた『ターシャム・オルガヌム』の書評が、先々週から掲載されているのでした。ミステリ読者向け書評です。トップページ⇒評論⇒探偵小説研究会による週刊書評⇒第45回をたどって見てください。
小森特集では、田中博氏が(ここの掲示板のHiROSHiさんと同名異人?)ウスペンスキーのことにちらりと触れています。
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K.Nakanishi <3333アクセス>記念発表に感謝です 2000年09月05日(火)03時13分01秒
こんにちは、仲西です。 先日は(ずいぶん前になってしまいましたが)、 英語に関する質問に対して、コメントをありがとうございました。 <3333アクセス>記念、一気に読みましたよ。 それから、寝つけない状況です。 静かに、興奮していると言ったらよいのでしょうか。 ほんとうにありがとうございます。 A
New Model of the Universe.
他の章も早く読みたいです。 少しずつ確実に読み進んではいますが・・・ 哲学や神智学についてもあまりよく知らないので、勉強していきたい。 ウィトゲンシュタインって何だかかっこいい、とか、 ちょっと方向がそれたりしています・・・ いつも情報提供ありがとうございます。
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小森 火蛾 2000年09月04日(月)21時50分38秒
今月講談社ノベルスから刊行される(まだ店頭に並ぶか並ばないかですが)古泉迦十という新人の『火蛾』は、一読してびっくり。本格スーフィー小説です。真実を求めて修行する行者のスーフィが主人公で、洞窟で聖者と出会い、真実の道を問いただしていきます。これの内容が、かなり歯ごたえのある本格的な宗教小説で、精神世界の読者にも文句なく推奨の一冊です。今年は、結構いろいろな面白い本が出ますね。
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高橋 ブラバツキー夫人のヒヒ? 2000年09月02日(土)09時45分38秒
HPのリンクのコーナーにTheosophical University Press
Onlineを加えました。グルジェフやウスペンスキーでも同様なサイトがあればいいのですが。
↓の記事は、日本でも出版されたピーター・ワシントン著『神秘主義への扉』についてそのデタラメぶりを批判したものです。神智学協会に関する部分にしか触れていませんが、他の部分についても推して知るべしでしょう。
Notes on MADAME
BLAVATSKY'S BABOON
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小森 祝!復旧 2000年08月31日(木)17時56分28秒
よかった。この掲示板復旧するまで約一週間、長かった……。
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高橋 <3333アクセス>記念発表! 2000年08月21日(月)23時15分37秒
ウスペンスキーHPのアクセスが<3333>に達したら、普段読んでくださっている皆様への感謝の意を込めて、あることを行いたいと思います。 それは・・・ 『ターシャム・オルガヌム』と並ぶウスペンスキーのもう一つの代表作 『ア・ニュー・モデル・オブ・ザ・ユニバース(新しい宇宙像)』からいずれかの章の試訳を期間限定でHPにアップします。 そこで、HPの「著書紹介」の
A New Model of the Universe
の欄に載っている章別タイトルを参照の上、掲示板上で(メールでも結構です)希望する章を教えてください。希望者の数が最も多い章をアクセス数が<3333>に達した日から2週間アップします。 希望表明は8月末日で締め切らせていただきます。
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高橋 ショーペンハウアー 2000年08月19日(土)22時30分16秒
私のHPの「ウスペンスキーに関わりのある人々」のコーナーに、ショーペンハウアーを追加しました。何度も書きますが、彼の哲学はウスペンスキーとその精神において共通するものが大です。作品を味読すれば、彼を「厭世主義者」の一言で片付けるのは大変な間違いだということが分かるでしょう。
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高橋 時空の構成を超えた体験 2000年08月17日(木)19時08分11秒
小森さんが「多次元存在としての人間 2000年08月13日(日)22時26分16秒」の中で言われているように、人間はすでに三次元の時空を超えた次元を自らの内部に持っています。それは私たちの心的活動一般です。私たちの思考は時間や空間の限界に束縛されることなく、自由に飛翔することができます。ですから、「時空の構成を超えた体験をする」というと何か特別に神秘的で超越的な体験をイメージしますが、実際には私たちは日々高次元の体験の中で生きているのです。ただそれを<認識>していないだけです。実証主義者は、その高次元の体験を、<目に見える>三次元の枠内に強引に押し込んで説明しようとしているのだと思います。 「日常的に起こる現象の中には、四次元世界に関連する仮説の助けなしにはまったく説明のつかない数多くの現象が存在している。しかし我々はこれらの現象に慣れすぎているので、その<奇蹟的な性質>に気づかず、自分たちが永遠の奇蹟の世界、説明できない神秘の世界、測り知ることのできない世界に生きているのだということに気づいていない。」 (『ア・ニュー・モデル・オブ・ザ・ユニバース』第二章 四次元 より)
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小森 実証主義 2000年08月17日(木)10時34分51秒
下で既に高橋さんがコメントしていますが、「実証主義」というのは、私の理解では二つの大きな特徴をもちます。 ・実験によって検証されたものしか真と認めない ・目に見える物質しか信じない、唯物的(『ターシャム』の文脈では唯三次元的)世界観 この二大特徴のうちの前者の意味では、グルジェフもウスペンスキーも、自ら検証して確かめるまでは何も信じないという立場で共通していると言えますね。しかし、『ターシャム』で実証主義が批判されているのは、主に後者の意味においてですね。
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高橋 RE:実証主義ということから・・ 2000年08月16日(水)23時51分27秒
<実証主義>という言葉の定義について。 HiROSHiさんの発言の意味はよく分かります。ただ、『ターシャム』の中で使われている実証主義の定義とは少しズレがあるようなので、そこだけ確認。 ウスペンスキーが実証主義(positivism)という言葉で意味しているのは、あくまでも「測定可能な事象(知覚の対象となるもの)を緻密に分析して行くことによって、事象そのもの(物自体)を知ることができるという考え方」のことです。 現代では「還元主義」のニュアンスに近いかもしれません。平たく言えば、知覚できるものだけを分析して行けば、知覚できないとされているものにも到達できるという立場です。「人間の感覚器官の制約を受けた時空の構成を、人間のままで超える方法はないのか」というasakuraさんの発言の背後にはこの考え方があると思います。
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HiROSHi 実証主義ということから・・・ 2000年08月16日(水)23時20分27秒
<実証主義>という言葉がアカデミックに流通していて、その定義があったりするのかどうかまるで知らないのですが、その言葉の印象からだけで思いついたことを書きます。 ある意味で、グルジェフこそ実証主義ということを奨励していたのではないでしょうか? 何事も自分自身で確かめる[verify]までは信じるな、グルジェフ自身の言葉さえ鵜呑みにするなと語っています。そして、おのれ自身さえ信じるなとも。 そんな言葉の書かれている『奇蹟を求めて』を先に読んで、大いなる影響を受けてその周辺を読み始めた読者としては、『奇蹟』以前に書かれているウスペンスキーの持論である『ターシャム』もその視点から見てしまうという、ある種パラドックスのようなものを感じます。 で、これは単に私の怠惰のせいかもしれないのですが、実際に自分自身で確かめられることがいかに少ないかということに思い当たっているとき、自分で確かめられないことはそのまま単に置いておきます。私はそんなスタンスでいます。 他にもいろいろなことが思い浮かんだのですが、収拾がつかないのでこれまで。
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高橋 実証主義的 2000年08月15日(火)01時33分31秒
asakuraさんの「実証主義的」な観点からの発言はこの掲示板にとってとても貴重だと思います。ご指摘の点は私なりによく考えた上でRESしたいです。 ただ、私もHiROSHiさんと同じく『奇蹟を求めて』をお読みになることをお勧めしたいと思います。何か手がかりが得られるかもしれません。
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HiROSHi 開けてびっくり 2000年08月14日(月)20時58分50秒
まず、一日のうちに発言数がどっと増えているのでびっくりしました。 asakuraさん、『ターシャム』に飛躍と独断(独善という言葉を変えさせていただきました)を感じる部分を紹介していただいて、ありがとうございました。 さて、猫の部分ですが、asakuraさんの発言を読んだ時点では、私は「ウスペンスキーって猫に特別なこだわりをもっているんだよなー(そんな逸話をいくつか読んだ覚えがあるので)」ということで読み過ごしていた部分だと感じただけでしたが、今そのページを実際に眺めてみて、私もこれを読んだ時点で違和感を感じたのだったということを思い出しました。と同時に、ここにこそ、そうなんだよと感じる人たちがいるという思いも浮かんできました。 ともあれ、小森さんもおっしゃっているように、asakuraさんは読み込んでいらっしゃるのだと思いました。 小説として読みましたという発言も私には新鮮でした。ご存知のとおり(?)私はまるで論理的な人間ではないので、私も小説として(というよりは、そういう区分さえせずに)読んでいるのだと思いました。ただ、その主人公は絶えず<私>である小説なのですが・・・。 今度は『奇蹟を求めて』を読んでの感想をうかがいたいものだとも思ったりしています。 ひとまず、ここまで。
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asakura 失礼しました 2000年08月14日(月)02時28分21秒
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小森 題名添付のお願い 2000年08月14日(月)02時15分43秒
asakuraさん ご発言の内容にかかわることではなく、形式的なことなのですが、ご発言にはなるべく題名をつけてくださいますか。題名がないと、コメントをつけづらい面がありますので。よろしくお願いします。
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小森 訂正 2000年08月14日(月)02時09分08秒
下の発言で(?ローレンツ?)などと書いてますが、ローレンツの本ではありません。訂正します。「ゾウの時間
ネズミの時間」というような新書の本でした。正確な書名がわかったら、また書きます。
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asakura 2000年08月14日(月)01時46分37秒
人間の感覚器官の制約を受けた時空の構成を、人間のままで超える方法は
あるのでしょうか? 私もそれを経験して信じたいと思います。それを
強く求めています。でも、人間を超えた何かがあると言っても、それは
宗教的な体験みたいなものになってしまって、万人に共感を得られるもの
にはならないのではないでしょうか? あくまで個人的な体験になってしまう
のではないでしょうか?
何だか話が堂々巡りになっているようで、申し訳ありません。
ただ、どうしても疑問を感じるので、書いてしまいました。
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asakura 2000年08月14日(月)01時14分29秒
私はウスペンスキーの著作を括弧に入れて、いわば小説として読みました。
それはとても面白い小説でした。私は「実証主義的」な人間なので、
見たこと、経験したことのない世界は信じられません。でも、それを
経験できるならしてみたいとも思っています。ただ、ある飛躍によって獲得
された世界を声高に主張してみても共感は得られないと思います。
偉そうな言い方を許して頂ければ、ウスペンスキーの著作が隠れた名著に
留まっているのは、それが原因だと思います。
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小森 動物と低次元 2000年08月14日(月)00時27分19秒
「ターシャム」では、論証されていない動物の心理を持ち込んでいるあたりは、ひっかかっているところなのですが、ローレンツの本(?だったかな?)の動物の視界を研究した論を読んで、「ターシャム」を思いだしたことがありました。爾来、動物の視野は、人間の三次元的視界を矮小化したものとしか思われていたのですが、その視野にうつる像を抽出してみると、まったく違ったものだったそうです。比喩的には、人間の眼球のレンズにものすごく大きな歪みを加えたような視界で、至近距離が異様に拡大されたり局部が歪んだり縮小したりしているそうです。そういう論を読んで、人間が、客観的と思っている空間構築もまた、無数の可能性がある「歪んだ視界構築」のワンオブゼムにすぎないのだなと思いました。人間の目は、こういう空間を構築しているけれども、それは宇宙的視野でみれば客観的でも自存的でもなく、主観的で恣意的にすぎないのだなと思いました。 さて、人間の感覚器官に制約を受けた、時空の構成──これを超越することが可能かどうかは、私にはわかりませんが、ウスペンスキーは「可能である」と言っているわけです。
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高橋 雑感 2000年08月14日(月)00時10分58秒
asakuraさんのおかげで掲示板が活発になって、感謝です。 ところで、私自身も、『ターシャム』の中に「論理の飛躍」や「独善性」が多発していることは感じていて、それでもこの書に引かれるのはなぜか、と考えるに、一つには、随所随所に見られる底知れぬ洞察を感じさせる描写に<目が開かれた>認識体験のためだという気がしています。例の「猫」の心理にしても、確かに論理的には断定できるようなことではありませんが、何か肯けるものがあると思ってしまうのです。この辺は四次元の知覚云々の問題ではなく、単に感性の問題でしょうが…
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asakura 2000年08月13日(日)23時06分40秒
この掲示板はとても刺激的です。皆さんとお話できるのはとても光栄です。
ところで、人間が三次元を超えた体験をするとき、それはいわゆる「気のせい」
ではないのでしょうか? 例えば、酒によって酩酊したときとか、(私は経験
はないですが)ある種の薬品の効果とか。
そのような人間の脳神経に及ぼされる効果と、その効果によってもたらされる
経験が人間の外に実際にあるということと、その違いを確かめる方法はあるのでしょうか?
私は個人的には、ウスペンスキーは本人が望んだからそのような世界を見出した
のだと思います。読み物としてはウスペンスキーの著作は面白いですが、その
著作があらわす世界が実際にあるとは思えません。
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小森 多次元存在としての人間 2000年08月13日(日)22時26分16秒
下の話題と少しずれるかもしれませんが── 人間は三次元存在である、というのは「ターシャム」の論で前提とされているわけではないと思います。潜在可能性としては人間は多次元存在であるという方がウスペンスキーの意図にはより近いと思います。 さまざまな存在の位相があるうちの、物理的存在の可視的存在のみが、三次元的に時空的に構築されているのが実情だと思います。人間の精神活動等は、本来は非三次元的なものなのに、認識構造が三次元的=時空的にあらゆるものを把捉しようとするために、非三次元的な心的活動までもが、実相を歪めて三次元的に仮構されているのだと思います。(註=三次元的、という言葉は、asakuraさんのご発言を受けて、議論のための便宜で使ってますが、ウスペンスキーの議論に即せば正確ではありませんし、数学的にも正確な用語ではありません) というわけで、ウスペンスキーの言っていることが、三次元の人間に理解不能なことになっているのではなく、三次元の枠組みで全てをとらえようとする、先入見のメガネをとれば、理解可能で言語伝達可能なことをウスペンスキーは述べていると私は思います。(と言いつつ、メガネをとる、というほど簡単には、知覚の形式を変えることはできないのですが──)
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小森 re:いくつかの疑問 2000年08月13日(日)22時00分07秒
asakuraさん おっしゃる感想には共感できます。「ターシャム」の第一章では、大胆にして細心な議論をこれからやろうとしている宣言とうけとれます。何物も既知のデータとして受け入れないことが望ましいが、そういうわけにもいかないので、内面と外の世界の存在の二つを前提として議論を始めようとウスペンスキーは述べています。 その過程で8章くらいまでの議論は進むのですが、9章「動物の心理学」にまできて、「あれ?」と思わせるのは、証明されていない事柄を、既知のデータとして取り入れた議論を、その章で始めていることです。 「ターシャム」の中では、この9章あたりと、最後の「神秘主義」のあたりの二カ所に、大きな飛躍があると思います(細かい飛躍は他にもあるでしょうが)。 このあたりで、「ターシャム」の議論を完全にフォローするには、ウスペンスキーの書かれざる神秘体験による知識が裏にあったのだろうとでも思わないと、無条件にそのまま論証としては受け入れられません。 私としては、後半の飛躍は、あまり気にならないのですが、前半の飛躍にはひっかかりを覚えていて、8章までの一歩一歩進んだ細密な議論がどうしてここで飛躍したのだろうという疑問もあります。 asakuraさんは、よくあの本を読み込んでいらっしゃると思いました。
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asakura 2000年08月13日(日)21時43分59秒
「ターシャム・オルガヌム」は非常に興味深い著作であるという前提でここで
発言していることをまずはご理解頂きたいと思います。決してケチをつけようと
いう意図ではありません。
幾つかの疑問点がありますが、一つ書かせて頂きます。まず、108ページの
「猫はその直感、美的感覚、独立心と意志において犬と猿を遥かに凌いでいる
のである。」について。この著述はこの著作の中で浮いているように感じました。
論理的に著述を進める中でこのようなフレーズがいきなり出てくるのに違和感を
感じます。
さらに言えば、人間と動物の心的な違いを証明するのに、第8章でスイカの皮を踏ん
づけてくちばしで皮を引っ張るガチョウや、絨毯の撓みを直せないセッターの例を
挙げるだけで、次の第9章で「人間の心と動物の心には途方もない違いがあることが
分かった。」と書いてしまう論理の展開も違和感を持ちます。
要するに、認識論の問題を最初に掲げながら、動物の認識については、いとも
簡単に断定してしまうことに違和感を感じるのです。動物の認識について、
誰が体験できるのでしょうか?
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HiROSHi 雑感 2000年08月13日(日)16時01分47秒
先日の小森・高橋両氏の時空についてや、存在論あたりは、思うところはあったものの、ついて行けない感じでした。 このところの高橋さんとasakuraさんのやり取りは楽しませていただいています。 ところで、<神秘主義哲学は胡散臭い感じがして敬遠していました>と以前に書かれているasakuraさんですが、「ターシャム・オルガヌム」の中では、具体的にどのような箇所で飛躍や独善的なものを感じるのでしょうか? 何ページのこのあたりというのをちょっと聞いてみたい気がします。気が向いたら教えてください。 私も先に神秘主義とかいう言葉(精神世界という言葉も同様)を言われてしまうとどこか違和感を感じるのですが、自分が興味を覚える本を追いかけていると、結果としてそれらが神秘主義という言葉でくくられるものであったという状態で何かしらを読み続けています。ですから、自分では機械的に当たり前のように受け取っている部分の中に、見過ごしているものがあるかもしれません。そんな状態に対して、何か刺激になるかなという気がしました。
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高橋 RE:「ターシャム・オルガヌム」でした! 2000年08月13日(日)10時26分04秒
asakura さん >知覚を変えることを求めるなら、知覚が3次元の人には永遠に理解できないと思います。 おっしゃる通りです。二次元存在が立体について永遠に理解できないように。しかし、人間は「知覚が三次元」だというのは、永遠にそうである必要はないわけです。知覚は確かに変えうる、というのがこの本の基本的スタンスです。 >3次元の人にとって、著作で認識を変えようとしても無駄だと思います。 確かに本を読んだだけで<知覚>そのものを変えることはできません。しかし、可能性を垣間見ることによって<認識>を変えることは可能だと思います。もちろん、最終的には読者次第ですが。asakura さんの言葉はこう言い換えた方がより正確でしょう。つまり、「3次元に固執する人にとって、著作で認識を変えようとしても無駄である」と。
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asakura 「ターシャム・オルガヌム」でした! 2000年08月13日(日)02時06分13秒
ウスペンスキーの言葉は3次元の私にも理解できました。4次元の言葉ではないと
思います。飛躍している部分は3次元的に飛躍していると思います。知覚を変える
ことを求めるなら、知覚が3次元の人には永遠に理解できないと思います。
3次元の人から見て、ウスペンスキーの飛躍は独善的に見えます。3次元の人にとって、
著作で認識を変えようとしても無駄だと思います。
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高橋 ターシャム・オルガヌム 2000年08月12日(土)23時08分13秒
asakura さん 感想ありがとうございます。興味深いご意見だと思いました。 しかし、ウスペンスキーは<今までいろいろな人が表現しようとしたことを論理的に表現しようとした>というよりも、それが<絶対に論理的に表現できないこと>を表現しようとしたのではないでしょうか。「語り得ないことについては沈黙しなければならない」というのは美しい言葉ですが、それを実践している人がどこにいるでしょう。誰もがそれを語ろうとします。しかも間違ったやり方で。つまり、<論理的に>語ろうとするのです。 二次元存在にとって立体とは「語り得ないもの」です。それについて語るには三次元的にならなければなりません。つまり、知覚そのものを変えなければならないのです。 ちなみに、本の題名は『ターシャム・オルガヌム』です(^^)
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asakura 2000年08月12日(土)20時14分19秒
「ターシャル・オルガヌム」を読んで感じたのは、今までいろいろな人が
表現しようとしたことを、論理的に表現しようとしているんだなということです。
でも、その論理が飛躍しすぎていたり、独善的に過ぎるように感じるところも
多くありました。恐らく、そのテーマは論理になじまないからだと思いました。
「語り得ないことについては沈黙しなければならない」ことについて、
ウスペンスキーは語りすぎたのではないかと思います。
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高橋 RE:存在第一番〜ハイデガーの存在論 2000年08月12日(土)09時35分04秒
小森さん お答えありがとうございます。 ハイデガーについては不勉強なので、正直言ってお答えを読んでもさっぱり意味が分からないのですが、例えば「存在の開示」という概念は<システム>のどこに対応するものでしょうか? 私としては、まったく違う哲学体系の中に<システム>のアイデア(「人間1〜7番」のような)の一部だけを取り込むことは不可能な気がするのですが…
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小森 存在第一番〜ハイデガーの存在論 2000年08月10日(木)00時05分23秒
高橋さん、感想ありがとうございます。存在第一番〜第七番は主にハイデガーの議論を念頭においたものです。現存在(人間のこと)は、世人(ダス・マン)としては頽落した存在で、非本来的な存在様式です。そのとき存在が開示されるのは、「気分(気遣い)」を通してのみですが、それは特に「不安」においてです。恐怖はおそれる対象をもちますが、不安は対象をもたないわけです。 一方、ハイデガーが理想とする詩人は、もっと本来的な存在の開示があります。たとえばヘルダーリンの詩、など。 この詩人のとらえかたは、グルジェフの言う客観芸術の効果と似ています。 そういう人間(現存在)に、真理への道筋を示してくれるのが、ハイデガー的に言えば「存在」の開示になります。で、そういう「存在」の声に聴従する現存在は、ハイデガーの議論では、非本来的な実存と本来的な実存の二つしか区別されていませんが、人間1〜7番をとりいれれば、もっと精密な議論ができるだろうということです。
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高橋 RE:今世紀のベスト10とウスペンスキー『ターシャム・オルガヌム』 2000年08月09日(水)23時20分01秒
読ませていただきました。 「グルジェフはウスペンスキーの月だ」という議論は刺激的で熱い思いが伝わってきます。 ところで、次の箇所の意味がよく分かりませんでした。 >存在をとらえることの不可能に直面しても、「存在第一番、存在第二番、存在第 >三番、存在第四番……」と、「存在」概念に位階を持ち込むことによって、存在 >論のアポリアを打開することができるのではないか。 『奇蹟を求めて』で出てくる「人間第〜番」とか「宗教第〜番」などの意味は分かるのですが、「存在第〜番」というのは具体的に何を意味するのでしょうか?
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小森 今世紀のベスト10とウスペンスキー『ターシャム・オルガヌム』 2000年08月08日(火)23時40分07秒
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高橋 久しぶりに、『超宇宙論』<超>訳シリーズ。 2000年08月08日(火)23時34分47秒
And besides, both of them learn to lie immeasurably more than they could
learn even in the best of the old kind of schools. (Preface to second edition,
xiii) 試訳:それに加えて、彼ら(訳注:共学制の学校に通う男女)は最良の旧制学校で学ぶよりもはるかに多く、嘘をつくことを学ぶようになる。 <超>訳:そのうえ、それぞれ学校が受け継いでいる伝統的な<善さ>を、最上のものとして学ぶ以上に、男女間の自覚のうちに眠っているものを学ぶほうが測りがたい価値がある。(『超宇宙論』p26〜27) 何でこうなるの!? 誰か教えてください。
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高橋 スケールと相対性 2000年08月07日(月)23時01分57秒
「スケールと相対性の問題」はウスペンスキー思想の一つの要とも言える箇所で、発想そのものは単純ですがその深みは計り知れないものがあります。グルジェフの宇宙論とつながるのはもちろんですが、それ以外にも『ニューモデル』には現代科学の常識を根底から覆してしまうような斬新な発想が随所に見られます。私自身まだ十分に理解しているとは言えませんが、できるだけその中身を解き明かしていきたいと思っています。
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高橋 RE:主観的なものとしての時空 2000年08月06日(日)18時46分43秒
小森さん
ご意見ありがとうございます。ご指摘の内容ですが、細かく言えば「客観」には
「現象としての客観」と「物自体としての客観」の二通りの意味があるので、区別
した方が正確なことは確かですが、あの文章はウスペンスキー時空論をできるだけ
簡潔に紹介することを意図したものであること、簡潔さを損なわない他の正確な言
い換え方が思いつかないこと、石川文康著『カント入門』(ちくま新書)でも「空
間・時間は主観的なもの」(p80他)という表現を用いていること、等から、私と
しては特に表現を変える必要はないかなと思っています。他にうまい表現があった
ら教えていただければ幸いです。
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小森 主観的なものとしての時空 2000年08月06日(日)13時52分37秒
高橋さん 新しくアップされた「スケールと相対性の問題(1)」を読みました。興味深い議論になっていますね。そこで >前にも述べたように、カントは、時間と空間を人間の知覚のカテゴリーとみなした。つまり、空間と時間は客観的な存在ではなく、主観的な要素だというのである。 とのことですが、ここで「主観的」という言葉を用いるのは、注意が必要だと思います。カント自身が「主観性」と「客観性」について議論しているところがあります。「客観的」には大きく二つ意味があるとカントは言っていて、「即自的(an
sich)」と「相互主観的」という意味の二つです。後者は、人間の共通了解としての「客観性」で、この意味においては、時空は「客観的」です。しかし「即自的」というのは「それ自体存在するもの」という意味ですから、これは「物自体=本質(ヌーメノン)」の属性なので、その意味では時空は「客観的」ではないわけです。 ウスペンスキーはむろん、カントの議論は踏まえていますから、「時空が主観的である」という表現は、注意深く回避していると思います。
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高橋 RE:はじめまして 2000年08月05日(土)23時07分10秒
asakuraさん、はじめまして。 >今まで神秘主義哲学は胡散臭い感じがして敬遠していましたが、 >この本は装丁に惹かれてついつい購入してしまいました。 >興味深く読みました。 ありがとうございます。まさにそのような方に読んで欲しかった本でもあるので、 非常に嬉しいです。特にどの部分が興味深かったですか? >ところで、この作品に書かれているような意識に到達した人は今の日本の著名人にもいるのでしょうか? 個人的に正直な意見を言わせていただければ、現存する日本の著名人の中にはいないと思っています。(異論がある方はどうぞ〜!^^) ただ、ウスペンスキーの素晴らしさは、その可能性に至る道を極めて具体的に後世に残してくれたことではないでしょうか。
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asakura はじめまして 2000年08月05日(土)13時51分36秒
「ターシャム・オルガヌム」を読み終わったところです。
今まで神秘主義哲学は胡散臭い感じがして敬遠していましたが、
この本は装丁に惹かれてついつい購入してしまいました。
興味深く読みました。それと、(よけいなお世話かもしれませんが)
翻訳がとてもこなれていて素晴らしいと思います。
ところで、この作品に書かれているような意識に到達した人は
今の日本の著名人にもいるのでしょうか?
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高橋 RE:回のかわりに 2000年08月03日(木)19時50分27秒
ありがとうございます。早速「特集ターシャム・オルガヌム」のコーナーとリンクのコーナーに貼っておきました。
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小森 回のかわりに 2000年08月03日(木)12時47分54秒
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高橋 RE:ブッククラブ回 2000年08月03日(木)00時09分46秒
小森さん ブッククラブ回の報告ありがとうございます。確かに、HPのデータに早く『ターシャム・オルガヌム』を入れて欲しいですね。リンクも貼ってることだし。 7月読書録の『スーフィー』の感想読ませていただきました。4章カットというのはちょっと痛いところです。僕もそのうち読んだら感想アップします。 私のHPに「ウスペンスキーの場合(2)」アップしました。
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小森 ブッククラブ回 2000年08月02日(水)23時16分30秒
東京に行く用事があったので、青山のブッククラブ回に寄ってきました。「ターシャム」は、カウンターに近い位置で四冊か五冊平積みしていました。精神世界のジャンル別カテゴリーで「グルジェフ」に入れるのではなく、カテゴリー名を「グルジェフ・ウスペンスキー」と改めてくれるとなおよいのですが、それより回のホームページのデータ更新を早くしてほしいですね。
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HiROSHi Re: On Loveその2 2000年08月01日(火)05時32分14秒
高橋さんが紹介してくれている裏話、そういう問題のあるオレージが、『愛について』という本を出していることは興味深いということは私も書き込みをしたかったのですが、あいまいな記憶しかなかったので昨日は書き込みをしませんでした。 グルジェフに、「君は走っている車から、道路わきの木になっている果実を取ろうと手を伸ばしているようなものだ」(これもあいまいな記憶)とかいったようにたとえられているものですよね。 やはり、『Struggle
of the Magicians』の翻訳が欲しいですね。 ところで、オレージの写真は裏技(?)紹介と共に送りました。
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高橋 On
Loveその2 2000年07月31日(月)21時52分15秒
HiROSHiさん 感想ありがとうございます。反応があると励みになります。 Freely adapted from the
Tibetanというのは、<チベット語からの翻案>とでもした方がいいのでしょうか。青ひげなどについては分かる範囲で注釈をつけようと思います。「美しい貴婦人」(La
Belle
Dame)というのはよくわからないのですが、知っている方がいたら教えて下さい。 オレージの写真については、技術的理由で本の写真は載せることができないのです。僕もあの写真の方がいいと思っているのですが… ところでこの文章についての裏話を一つ。 この『愛について』の教えがグルジェフからオレージに与えられたのはなかなか意味深長で、彼は当時恋人だったアメリカ人女性とGの「ワーク」のどちらかを選ぶようグルジェフから迫られていました。結局<愛>を選んだ彼はGと別れることになるのですが、このあたりの葛藤の過酷さも影響してか、オレージはその後急死してしまいます。しかし彼は死ぬ前に友人に「僕はグルジェフに会えたことを毎日神に感謝している」と言っていたそうです。
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HiROSHi Re: On Love 2000年07月31日(月)06時36分39秒
高橋さんの読書&翻訳スピードには恐れ入ってしまいますね。 以前、まだ半分しか読んでいないと書き込みしてあった『Eating the
"I"』の感想が、その三日後にはHPにアップされたことに驚いたのに続いて、今回は『On
Love』がさらっと訳されているのでびっくりしました。 私もこの本(On
LoveとPsychological...の合本)を読んだときに、いろいろと感じるところがあったし、特に最後の"Life as
Gymnastics"という文章には、とても元気づけられた覚えがあるので、自分がより理解するために、いずれは日本語にしてみたいと思っていたものでした。 でも、こうやって高橋さんに訳していただけるなら、非常に助かります。ぜひ、続けてくださるようにお願いします(New
Modelをおいて、寄り道させていいのかななどとも思いますが、そんな懸念は無用でしょう)。 そんなことをお願いしながら、ひとつちょっとした疑問があって、副題のFreely
adapted from the
Tibetanを<チベット語からの意訳>にされているのは、少し違うような気がするのですが・・・? さらに、青ひげ(ペローの童話らしい)のことなど、いくつか訳注が欲しいなどと思いました。欧米では衆知のことという前提でオレージは文章を書いているようですが、日本人には(私には?)馴染みがないことがいくつかあるようなので・・・。 あと、HPのオレージの写真は、この本(Samuel
Weiser社刊)に掲載されている若い頃のオレージの写真に取り替えませんか?、という、以前から思っていたことをつけ加えます。 以上。
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高橋 ON LOVE by A.R.Orage 2000年07月30日(日)01時39分28秒
HPの「ウスペンスキーに関わりのある人々」のA.R.オレージの欄に 彼の On Love(愛について)という論文の試訳をアップしておきました。 これは、ウスペンスキーやニコールと並んで、グルジェフの弟子たちによって書かれた文章の中で最も素晴らしいものの一つとされています。正確には彼自身の作品というよりも、オレージがグルジェフから受けた教えをまとめたものです。
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小森 「スーフィー」入手 2000年07月27日(木)20時21分24秒
「スーフィー」を大阪梅田のジュンク堂で入手しました。消費税込みだと6000円超の値段になるんですね。た、高い。というのもこの本は完訳でないとわかったので、「高い」という意見に宗旨がえしました。原著の四章分が略されています。 この本はシャーが唯一、総体としてのスーフィズムのことを論じている本なので、すべての章は必要不可欠で内的な有機的連関性があります。一章たりとも略してよいはずはありません。 と不満はともかく。訳文はまずまずよくできています。シャーの論述の密度も高く、スーフィーへの理解にも深みがあります。やはり必読かつ必携の名著と言えると思います。
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高橋 データハウス 2000年07月27日(木)19時29分36秒
「データハウス1号」本屋で見ました。…。確かに「何か違う」ような気が… HPに「ウスペンスキーの場合(1)」アップしました。全部で4回シリーズです。
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KAZE 山尾悠子作品集成 2000年07月27日(木)09時07分52秒
小森さん、こんにちは。 『山尾悠子作品集成』は、ぼくも今迷っているところです。 山尾悠子は、学生時代、リアルタイムという感じで読んでました。 昨年、「幻想文学」でその名をひさびさ目にしたときはびっくりしましたが、 早速の『山尾悠子作品集成』は、すばやいなあと思いました。 イドリース・シャーは、以前どこかで読んだことがあるような・・・。 「スーフィー」は買うかどうはわかりませんが、探してみたいと思っています。 では。
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小森 買いに行ったけどなかった 2000年07月27日(木)00時24分32秒
昨日大阪の本屋に「スーフィー」買いに行ったけど、なかった……。東京より何日入荷遅いんだろ? 五千円台なら高いとは思いませんけど……。ボリューム結構ある本ですし。 モーリス・ニコールの本なんかも、定価五千円台でもいいから日本語訳が刊行してほしいと思いませんか?(話がズレてる?)
『ターシャム』くらい内容が素晴らしければ、定価二万円でも私ならオーケーですが、イドリース・シャーだと8000円くらいだと高いか。 同じ国書刊行会から『山尾悠子作品集成』も最近刊行されました。こちらは8800円!ですよ。シャーは迷わず即買いですが、山尾悠子は買おうか迷ってます。どちらも国書刊行会、でもジャンルは大いに違う……。
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高橋 『スーフィ』その2 2000年07月26日(水)22時59分59秒
今日本屋で『スーフィ』を見つけました。中々立派な装丁でした。 訳者の方は以前シュタイナーの人智学運動に関わっていたようですね。
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HiROSHi RE:高橋様 2000年07月25日(火)22時37分07秒
高橋様 昨日は(も?)中途半端すぎる書き込みで、あとから書き込みをしなければよかったと思ったものに対して、捨て置いてくれてもよかったのに、返信してくれて申し訳ないような気がします。 私としては、パターソンにそういう経緯があるだろうということは予測がついていたので、意外というよりは、なるほどねという感じだったということをつけ加えるべきでした。 <元来芸術的・直感的>から派生した想像が頭を駆け巡って、こういう状態になると、まるで言葉が追いつかないので、飛び石のような文章になってしまいます。 ヒトラーなどという、つい昨日のことなのに、どういう関連でそういう言葉が出てきたのか結びつけられない想像もあったりしました。昨日、そのことを書き込まなくて良かった・・・かな? ここに書き込みを始めてから、書き込みを送るならば、少し時間をおいて見直してからにするべきだと思ってはいるのですが・・・。 『スーフィー』5,800円はちょっとでかい金額ですね。すぐに古本屋に回ることを期待(国書刊行会は無理?)です。
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高橋 『スーフィ』 2000年07月24日(月)23時31分49秒
今朝の読売に『スーフィ』(イドリス・シャー)の広告が載っていましたね。 定価5800円というのを見て、むむっと思いましたが・・・ HiROSHi様 私が意外だったのは、パターソンがペントランド卿と別離していたことでした。 てっきり彼は最後までペントランド卿に忠実だったのだと思っていたので。
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HiROSHi Re:Eating the
"I" 2000年07月24日(月)23時07分12秒
高橋様 7/18付けの <意外な結末に驚き、その後のPattersonの活動についても色々考えさせられました。・・・詳しくはHPで・・・ で、ちょっとわくわくしてHPを見たのですが、どの部分が意外なのかよく分かりませんでした。 私にとって意外だったのは、パターソンが自分のことを、<元来芸術的・直感的>な人間であると言っている部分でした。 資料を駆使している“Struggle
of the
Magicians”などの印象から、パターソンは知性センターに重きのある人のような気がしていたのですが、先の言葉から、私には合点が行ったところがあります。 HPに“Eating
the
"I""の画像もアップされれて、ちょっと小さくて分かりにくいですが、この絵と裏表紙にある共に暗いタッチの絵はパターソンの自筆ですね。 中途半端ですが、ここまで。 続く・・・かもしれない。
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小森 グルジェフとウスペンスキーの知られざる側面 2000年07月22日(土)21時23分36秒
高橋さん
あの雑誌を、その記事だけのために買うのもなんだと思います。
私が書いた記事は
ここ にありますのでご笑覧ください。
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