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P.D.OUSPENSKY BBS(P.D.ウスペンスキー掲示板)
高橋 (メール 、URL )
P.D.ウスペンスキーについて語り合うための掲示板です。事前にウスペンスキーの主著の訳書『ターシャム・オルガヌム』(高橋弘泰訳・コスモス・ライブラリー)『奇蹟を求めて』(浅井雅志訳・平河出版社)を読んでいることを前提とした話になっています。ボードリーダーは、高橋・小森両名です。
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高橋 2000年07月22日(土)20時24分41秒
HiROSHiさん 『ターシャム・オルガヌム』の読後感ありがとうございます。 <自分の背後でいくつかの点がフラッシュしている>というイメージはなんとなく分かるような気がします。私も初めてこれを読んだ時、意識にパッと光が差したような、マインドが一瞬クリアーになったような感覚を覚えました。 読み返す内に、アイデアが自分の中に同化されていく過程で、また別種の感覚があったのですが、これについてはまた後で書きます。 小森さん 「データハウス1号」はもう書店には並んでいるのですか? 1400円ということはかなり厚めの雑誌なんでしょうね。 「ドラッグとの関わり」(!)というのは、読むのが楽しみなような…(^^;)
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小森 データハウス一号送られてきました。が…… 2000年07月21日(金)13時23分17秒
予告より二カ月遅れてようやく刊行された「データハウス1号」(創刊号、定価1400円)が今日送られてきました。「グルジェフとウスペンスキーの知られざる側面」と題して、原稿用紙30枚ほどのエッセーをそこに寄稿しています。 もともとの依頼は「グルジェフについて書いてくれ」とのことでしたが、「グルジェフと言っても多面的なので、どういう観点から?」と聞きましたら、「ドラッグとの係わりを主眼に」などと……(汗)私の期待するのとは違った答えが返ってきて困ったのですが、それでもその話題を多少織り込みつつ、注文にはなかったウスペンスキーの話も押し込んで、原稿自体は真面目に一生懸命書きました。 でも、できあがった雑誌は「危」特集と題され、ドラッグの話題の中に埋め込まれているので、何か違う……。(;_;)
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小森 ゆっくりじっくり 2000年07月21日(金)03時12分08秒
仲西さん
こんにちは。ご発言から察するに、理系の方ではないかと思いました。 「ターシャム」は、数学的アプローチで、語られざるもの、神秘へと肉薄していく希有な書物なので、理系の方にも、どんどんこの書物を発見してもらいたいと思いますね。 英語に関しては、やはりゆっくり時間をかけて味読することが一番ではないかと思います。ノベルス小説なら三時間ほどで読み流しておしまいにできますが、こういう深みのある本は、ゆっくりじっくり読まないと理解できませんし、ウスペンスキーの本なら、手間暇かけて読めばそれだけ報われるところも大きいと思いますから。
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小森 期待されても(^。^;) 2000年07月21日(金)03時05分54秒
高橋さん いや、まああまりe-NOVELSの書評は期待しないで下さい。枚数は短い(10枚未満)ですし、制約上ミステリとの係わりから述べただけなので、あまり本質的な論にはなってません。
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HiROSHi やっと『ターシャム』読み終えました 2000年07月20日(木)22時45分08秒
やっと『ターシャム・オルガヌム』をひととおり読み終えました。 思えば、半年くらい前に古本屋で英文を手に入れてはみたものの、私の英語力では読み切れないだろうということを感じて、いつかは読むだろうという思いと、きっと読むことはないのだろうというあきらめの気分半々のままに放ってありました。 今回訳文を読んでみて、これを英文で読み取ることはできなかったということを改めて確信するとともに、これを訳出してくれた高橋さんに感謝を感じます。 一度ざっと読んだきりで、感想とかは何も言えないのですが、二十二章の神秘主義の章あたりに至って、かなり高揚感を感じました。そして今、全編を眺めとおした時点で、自分の背後でいくつかの点がフラッシュしているというイメージを感じます。 これはまた読み直してみるしかないようです。そうすれば今はフラッシュでしかないものの光をもっと見ることができるでしょう。 そうすると、また新たなフラッシュに気づいて、またその光源を求めて行けば、新たなフラッシュに気づいて、繰り返して繰り返して行くと、やがてはこの本は光の海になると、また私の悪い癖のイメージだけが先行して行きそうなので、ここまで。 ともかく、高橋さん、ありがとうございました。
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高橋 『ターシャム・オルガヌム』の深さと凄さ 2000年07月20日(木)20時48分14秒
小森さん e-NOVELSの週刊書評、気合の入った文章期待しています。 これから『ターシャム・オルガヌム』を読もうという方々、そしてすでに一度ならず読んだ方々にも申し上げたいことがあります。 1頁に1時間かけるつもりで、最初から最後までこの本を熟読してみてください。そうすれば、確実にあなたの思考のレベルは変化し、「異なったカテゴリーで思考する」ことが可能になります。 ショーペンハウアーは、誰でもカントの『純粋理性批判』を熟読すれば、その読者の頭脳に根本的な変化が起こると言いましたが、『ターシャム・オルガヌム』にはそれ以上のことが言えます。『ターシャム・オルガヌム』には、読者の頭脳をまったく別の次元に持っていく力が秘められています。文字通りこの本は「世界の謎を解く鍵」なのです。
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小森 e-NOVELS週刊書評で『ターシャム』取り上げます 2000年07月20日(木)00時23分01秒
こんにちは。探偵小説研究会が毎週寄稿している週刊書評の順番が、8月下旬に回ってきますので、私は三回目の担当で『ターシャム・オルガヌム』を取り上げます。一月前の締切りがついこないだでしたが、ミステリとの関連で書評しました。ハイデガーの存在論と『ターシャム』という論も書きかけたのですが、これは20枚ほど書いて中絶しています。 高橋さん 「『ターシャム・オルガヌム』はなぜかくも優れているのか」は、ニーチェの『この人を見よ』のパロディの形式ですね。 >これは一個の生命を持った芸術作品であり、人間を超えた知性が、何らかの宇宙的必然から一人の人間の頭脳を用いて自己の思想を表現した有機的創造物である。 なかなか的確で美しい形容ですね。日本で初めて書かれた『ターシャム・オルガヌム』とウスペンスキーを正当に評した文章と言えるのではないかと思います。 実際、この本を私は何度も読んでいますが、読めば読むほど「奇蹟」としか言いようがないほどの完璧ぶりに驚嘆が高まるばかりです。個人の力でこんな天衣無縫の絶品が書かれえたはずはありません。「恩寵」とか「天啓」というものの実在を信じないわけにはいかなくなります。
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高橋 2000年07月19日(水)23時21分26秒
HPに、 “Eating the I”の感想と 「ターシャム・オルガヌムへのオマージュ」 をUPしました。
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高橋 Eating the I 2000年07月18日(火)23時09分27秒
William Patrick Patterson“Eating the
I” 一通り読了しました。 感想などはまたHPに書くつもりですが、中々読み応えのある本でした。 同時に、意外な結末に驚き、その後のPattersonの活動についても色々 考えさせられました。このあたり詳しく書きすぎるとこれから読もうと 思っている人の興を削ぐことになりかねないので、詳しく知りたい方は HPの方で感想をご覧下さい。
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高橋 NOT A CULT & NICOLL 2000年07月17日(月)22時22分04秒
昨日HPにアップした1923年デイリー・ニュース紙の「カルトではない」という記事には色々なエピソードがまつわりついているようなのですが、その辺りは改めて書くことにして、いずれにせよ、この記事が出る前後にはウスペンスキーとグルジェフはきわめて微妙な関係にあったということを念頭に置いて読んでいただくと面白さが増すと思われます。 モーリス・ニコールについての翻訳記事もアップしました。
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HiROSHi RE:Pentland 2000年07月17日(月)21時00分55秒
ペントランド名義の本ではExchanges Withinというのがありますね。 Amazon Comの表示によれば、Exchanges
Within : Questions from Everyday Life - Selected from Gurdjieff Group Meetings
with John Pentland in California 1955-1984となっているので、ペントランド版Forth
Wayといった本のようです。ハードカバーで、395ページあって、$20.96ですから、結構お買い得だとは思いますが、このページ数で私はちょっとめげてしまいます。 フル・ネームはHenry
John Sinclair Pentlandのようです。 On a Spaceship with BeelzebubではLord
Pentlandとなっていて、この大文字のLordがだんだんと鼻についてきた印象がありますが、単に<卿>の意味ならば、前田樹子さんが『弟子に語る』のあとがきで書いているように、<わが恩師、ジョン・ペントランド卿>と呼べる人物なのでしょう。 いつか接近してみます。
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高橋 2000年07月16日(日)10時36分22秒
仲西さん、こんにちは。 池袋リブロに5冊入っていましたか。2週間前には棚に一冊しかなかったので それが売れて、また取寄せて平積みにしたんでしょうか。 A
NEW MODEL OF THE
UNIVERSE購入されましたか。 英語に慣れていない人にアドバイスということですが、私は仲西さんとは逆で、 ウスペンスキーの英語はすんなり頭に入ってくるのですが、他の分野の作品は 中々読みにくいということがありますので、やはり「好きこそものの上手」と いうことで、『ニューモデル』などの場合は自分に一番関心の持てる章から、 一度ですべて理解しようなどとは思わず、何度も繰り返し読んで行くのがよいの ではないでしょうか。最初は分かるところだけ拾い読みしてもいいと思いますし。 HiROSHiさん EATING
THE “I”を読んで(まだ半分しか読んでませんが)私はPentland のことを敬愛するようになりました。
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HiROSHi Re:Needleman 2000年07月16日(日)06時31分16秒
高橋さん >しかも『ターシャム』や『ニューモデル』の引用もあるとは。 『宇宙感覚』の引用の中に『ターシャム』があるとは書きませんでした。一応、念のため。 ところで、Eating
the
"I"を読んでいるのですか。私ももってはいるのですが、なかなか手が出ません。読み始めてしまえば面白そうだとは思うものの、あの分量が・・・。グルジェフに指名された男、ペントランドについては、以前読んだDavid
Kherdianという人のOn a Spaceship with
Beelzebubという本であまりよく書かれていなかった印象が残っているので、それを払拭するためにも、別の視点からの文章を読んでみたいとは思います。なにしろ、パターソンはもとより、前田樹子さんの師匠でもあった人ですから・・・。 ところで、>英語に慣れていない人のために、簡単なアドバイスをお願いしたいのですが、 というNakanishiさんの問いには私も興味があります。
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K.Nakanishi A New Model of the
Universe購入しました 2000年07月16日(日)03時31分33秒
先週の日曜日、池袋のリブロ(本屋さん)に行ったら、 ターシャム・オルガヌムは5冊置いてありました。 その後、どれくらいの人が手にとって、 どれくらいの人が購入したのか、気になりますね。 A
New Model of the
Universe購入しました。 コンピュータ関係のマニュアルだったら英語でもおおよそ理解できるのですが、 分野が違うとぜんぜんわからないです。 辞書を頼りながら少しずつ読んでいますよ。 他にもウスペンスキー関係の本をいくつか、アマゾン・コムで注文しています。 もっと早く英語が読めるようになるといいのだけど・・・ そのうち慣れるだろうと気楽に考えています。 英語に慣れていない人のために、簡単なアドバイスをお願いしたいのですが、 よろしいでしょうか?
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高橋 RE:Needleman&
Pentlandについて 2000年07月16日(日)00時09分19秒
HiROSHiさん Needlemanについての貴重な情報ありがとうございました。 彼の本が3冊も訳されているとは知りませんでした。しかも『ターシャム』や『ニューモデル』の引用もあるとは。 ついでに、HiROSHiさんの訳を使わせてもらった、OSOKINの注釈を書いているJohn
Pentlandについて。彼は元々ロンドンのウスペンスキーのグループにいて、ウスペンスキーと共にアメリカに渡り、彼の死後はグルジェフの下に行きました。まだ若かったにも関わらず、年長の弟子たちを差し置いて、グルジェフの死後のアメリカのグループの指導を任されました。その後、ニューヨークのグルジェフ・ファウンデーションの長を務め、1984年に亡くなるまでアメリカ各地に支部を作ったり、ワーク関係の本や雑誌を編集・出版したりして「第四の道」の生きた伝統の継承に貢献しました。私がHPでその著書を何冊か取り上げているWilliam
Patrick Pattersonは彼の弟子で、今パターソンの EATING THE
“I”を読んでいるのですが、Pentlandについての興味深い記述が多くあります。
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HiROSHi J・ニードルマンについて 2000年07月15日(土)18時46分35秒
高橋様のHPに新たにアップされた文章を見て、それ以前にも『奇蹟を求めて』についてのニードルマンの文章があることに気づきました(同時に、まだHPを探索しきっていないということにも)。 で、ニードルマンについて。 私の知る限り、ニードルマンの翻訳は三冊出版されています。 @『ロストクリスチャニティ』Lost
Christianity めるくまーる 伊東早苗訳 1990 A『お金、この神秘なるもの』Money and the Meaning of
Life 角川書店 忠平美幸訳 1992 ISBN4-04-791209-3
C0397(四、五年前ですでに探すのが難しかったので念のため) @Aでは、グルジェフに関する言及があります。 B『宇宙感覚』A Sense of
the Cosmos 平河出版社 菅靖彦訳 1995 BにはウスペンスキーのA New Model of the Universeの九章、In
Search of the
Miraculousの中のスフィンクスの部分が、最後の段落以外すべて引用されているほか、数箇所でウスペンスキーからの引用があります。 これは翻訳されていませんが、Time
and the
Soulという小説が、ちょっとオソキンを思い起こさせるもので、こちらでは主人公の語り手(中年、または壮年男性)が少年の自分自身に出会うという設定になっています。参考文献(For
Further Reading)として、ウスペンスキーの『ターシャム』全部、『New
Model』のいくつか、『オソキン』のことや、私には未知のカントの名前が挙げられていますが、一冊を挙げるとすればとことわりの入っているのが、Maurice
NicollのLiving Timeで、これをきっかけにLiving
Timeを購入しました。この小説も、ときどき訳したいと思っては忘れてしまうものです。 ところで、今日は神保町に行って、書泉グランデで、自分のを購入して以来、初めて書店で『ターシャム』を見かけました。ちなみに、六冊平積みでした。
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HiROSHi RE:シャー『スーフィー』まもなく刊行 2000年07月14日(金)23時04分34秒
先日、二泊三日で参加したワークショップは、チラシのタイトルを引用すると、<スーフィズム集中ワークショップ>というものでした。 5月28日の宇都宮でのワークショップに参加して以来、新宿、鎌倉に次ぐ四度目の参加ということになりました。最初に宇都宮のワークショップのチラシと偶然に出会ってから、三回のワークショップに参加したあと、吸いつけられるように本棚に「ターシャム・オルガヌム」を見つけて、この掲示板に書き込みしてしまったことなど、私の中ではある種の一連の流れを感じていたことでした(今は少し違う気がするので)が、このことは書くと長くなるので割愛します。 これもチラシを引用すると、講師は<ナクシパンディ・ライディア・スーフィー協会の正統マスター、シェイク・インゴ・タレブ・ラシッド>さんでした。イラクの人で、現在はドイツに拠点を置いて活動しているようです。 うーん。書こうとすればいろいろなことがあるような気がするし、何もないような気もします。 そんなわけで、私も「THE
SUFIS」の翻訳を楽しみにしています。
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小森 またまた大阪の書店状況 2000年07月14日(金)02時22分49秒
今日も大阪に行きました。ジュンク堂は遠いので行きませんでしたが、旭屋書店では再入荷したらしく、五冊が平積みされていました。紀伊國屋書店でも四冊平積みで、前に見たとき置いてあったのは三冊なので、補充用ストックがあるんでしょうね。 梅田の三大書店が、今日現在はみな平積みをしているので、良好です。 願わくば、全国の大書店がみなこれくらいの扱いをしてくれるとよいのですが……。 「精神世界」ジャンル全体の中で最高作は、従来はウスペンスキー『奇蹟を求めて』が君臨してましたが、『ターシャム』はそれをしのぐ頂点作ですし、これで『新しい宇宙像』が邦訳された暁には、精神世界ジャンル(私としてはオールジャンルでも同じ)のベスト3がウスペンスキーの本で独占されてしまいますね……(笑)
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高橋 RE:touch wood 2000年07月13日(木)23時07分02秒
touch
woodについて、よく考えるとHiROSHi様の方が正しいように思われてきたので元のように直しました。この辺のニュアンスは私もしばしば取り違えます。 ジナイダは直しておきました。
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高橋 RE:シャー『スーフィー』まもなく刊行 2000年07月13日(木)22時08分57秒
“SUFIS”刊行ですか。興味深い作品なので、どんな訳本になるか楽しみです。 イドリス・シャーの代表作ですからね。 シャーの本は、小森さんもすでに1冊(?)訳してらっしゃるので、『スーフィーの物語』に次いで三作目ですか。
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HiROSHi touch wood 2000年07月13日(木)20時07分22秒
今朝方、出勤前に書き込みをして投稿してから、高橋様からの返信があることと、ペントランドの文章が新たにHPにアップされたことを知りました。ちょっと行き違いでしたね・・・。 今、掲載されたものを読んでみてひとつだけ。ジニーダはジナイダにしておいてください。新たな根拠が見つかるまでは、ジナイダでとおしたいと思います。 これで高橋様手持ちの私の小さな文章はなくなったはずなので、今後もこの手のものを訳す気になったら、あらかじめHPに掲載されることを覚悟して送ることにします。 そう、タイトルにしようとしていたことを忘れそうでした。touch
wood。願いをかける言葉らしいので、どうしたものかと思いましたが、ウスペンスキーが映画を意識していたということに触れられているので、ペントランドもウスペンスキーの望むようにという意味で、私はオソキンの映画が作られますようにというように訳したのですが、高橋様は反対でしたね。この点に関しては私は判断できませんので、高橋様にお任せします。 下の小森様の「スーフィー」に関連して、ちょっと話したいこともありますが、また今度。
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高橋 RE:(続)翻訳ということ 2000年07月13日(木)19時44分46秒
HiROSHi様 訳文はHPにアップする前にお見せすべきでしたね。とりあえず今回ご指摘があった部分は直しておきます。 翻訳にも各人の文体があるので、他人の手が入るとどうしても違和感は出てくると思います。私などは日本語としての簡潔明瞭さ、読みやすさを重視しがちで、意味的には直さなくていい箇所も直したりしています(例:「まるで」→「まったく」、「意味合い」→「意味」等々)。ですます調をである調に直したのもその流れです。 「ロシアのおとぎ話」に関しては、「イワン・オソキン」の文脈とは別に、晩年のウスペンスキーの思いが伝わってくるようで、一つのエピソードとして面白いと思ったので載せました。 >ところで高橋様、笑うグルジェフの写真は何に載っているものでしょうか? 私がいつも洋書の購入に使っているBY
THE WAY
BOOKSのカタログの表紙にあったものです。正面を向いて人の良さそうな笑顔を見せているグルジェフの写真です。まだ痩せているので1920年代の写真だと思われます。
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小森 シャー『スーフィー』まもなく刊行 2000年07月13日(木)12時21分42秒
国書刊行会に問い合わせたところ、今月末にイドリース・シャーの『スーフィー(THE
SUFIS)』が刊行されるそうです。シャーは、グルジェフ、ウスペンスキーに比べると格下の存在でしょうが、今世紀の秘教思想、なかんずくイスラムの密教であるスーフィーを知るために、本としてはシャーのものにしくはありません。これは買い、の本ですね〜
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HiROSHi (続)翻訳ということ 2000年07月13日(木)06時12分36秒
高橋様のHPに「フランシス・ロールス博士の覚書」が掲載されたとき、他人のレイアウトによる文章を見て、初めて自分の訳文を客観的に見たような気がしました。高橋様のチェックが入っている部分には「なるほど」と感謝すると同時に、若干の違和感を覚えました。一例が、Oの「そこなんだ!」という叫びで、私は「そこだ!」としていた箇所です。ほかにも、自分に文体があるなどと思ったことはなかったのですが、他人の手が入ると、やはり自分とは違うものなのだなぁということを感じました。チェックが入っていない部分も、もう少し工夫すればよかったという箇所に改めて気づきましたが、ま、これはおおむねOKでしょう。 「ロシアのおとぎ話」のほうは、まさかこれが掲載されるとは思っていなかったので、掲載されたことにまずびっくりしてしまいました。自分にとっては「イワン・オソキン」との関連においてのみこの部分を抜き出したということがあったので、単独で流通するとは思ってもみないことでしたから・・・。このことは置いておくとして、こちらはおとぎ話部分に違和感を感じました。この部分は<ですます>調にしていた箇所で、私はそれにこだわりたいのですが、高橋様、いかがでしょうか? 最後の<たどり着いたのだった>も、私には少し大げさな感じがしてしまいました。 ともあれ、この部分を訳して以来、<あきらめないで持続すればいい>という言葉は私の励みになっているものなので、この文章が紹介されたことは、結局はよかったのかなとは思っています。 いずれにせよ、翻訳に関して私は素人なわけで、今後も何か思いついたら書き込みして行きます。 ところで高橋様、笑うグルジェフの写真は何に載っているものでしょうか?
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高橋 RE:翻訳ということ 2000年07月12日(水)23時40分22秒
HiROSHiさん THE NEW
MANにせよ、他の作品にせよ、これまで日本に紹介されなかったのが あまりにも不幸なことで、このアイデアを欲している人は必ずたくさんいるはずです。 世のため人のためにも翻訳は是非続けてください。 HiROSHiさんに提供していただいた、OSOKINについてのJohn Pentlandの文章も HPにアップしました。
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HiROSHi 翻訳ということ 2000年07月11日(火)23時02分27秒
初めてこの掲示板に書き込みをしたのはほぼひと月前のことでしたが、そのことをきっかけに、それまで自分で今人的に訳していた「イワン・オソキン」を小森・高橋ご両人に見てもらい、その冒頭の部分に対して、小森様からは厳しいというよりは当然のという形の添削をいただきました。その後高橋氏の方にはモーリス・ニコールの「THE
NEW
MAN」他の訳を送りました。そのうちのふたつが高橋氏のHPに掲載されたという形になっています。 以前にも書き込みをしましたが、自分にとって翻訳とは、あくまでも自分にとっての必要を感じるからということが第一の理由です。ただ、一冊を訳し終えてみれば、誰かに見せたいという気持ちが起きることも事実です。最初は数人の知人に見せてみて、特別な反応が何もないと、おかしい、自分がこんなに面白いと感じるアイデアを欲しがっている人がどこかにいるはずだという気になります。ただその時点で、自分には大きな壁があるということを感じます。多くの人に見てもらうためには、自分の必要を満たす範囲とは違う作業をしなければならないということを改めて感じます。その辺のところで、この一ヶ月はこと翻訳に関しては足踏み状態です。 このことに関しては、自分がどう覚悟を決めるかということとか、いろいろな課題があるようなので、今はそんな状態ですということにとどめておきます。 ただ、"Struggle
of the
Magicians"(誰か訳してくれればいいのに!)とか、オレージの文章とか、自分が日本語で読みたい!という文章はあるので、続けていくことは確かだと思います。 続く・・・ (高橋氏のHPに載った文章についても書き込みするつもりでいたので・・・)
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高橋 RE:無題 2000年07月10日(月)00時31分57秒
HiROSHiさん >二泊三日で、とあるワークショップに参加して来て、今はクタクタ状態です。 どうもお疲れ様でした。 ところで、書き込んでいただいたような事情は確かにあるので、それをすっとばして「HiROSHiさん訳」と銘打ってしまったのは私の勝手な判断でした。名前を出すのが何か気恥ずかしいとお考えなら、HP上のクレジットは抜きにしましょうか? それはそうと、エピソード集はまだまだ続く予定なので、乞うご期待、というところです。 小森さん アサジョーリの写真ありがとうございました。早速アップしました。
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HiROSHi 無題 2000年07月09日(日)23時37分00秒
二泊三日で、とあるワークショップに参加して来て、今はクタクタ状態です。 さっき掲示板を開けてみたら、ロシアのおとぎ話を高橋さんがHPにアップしたとあったので、さっそくそれを眺めつつひと言。 この前の「フランシス・ロールス博士の覚書」にしろ、今回の「ロシアのおとぎ話」にしろ、HPに載せてもらうために高橋様に送ったものではないのですが、掲載してもいいかという問いかけがあったので、載せることは構わないけれども、読み取り間違いをしているかもしれないから、チェックを入れてくださいと返信していたものです。ですから、どちらも完全に私の訳どおりというわけではなくて、高橋様のチェックが入っています。そういうわけですから、HiROSHiさん訳とか、いちいち断りを入れられているのも、ちょっと気恥ずかしい感じを覚えたりもしています。 もう少し書き加えたいことがあるのですが、今は頭ならびに体がボーっとしているので、今日はここまで。
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小森 大阪・梅田書店状況 2000年07月09日(日)01時14分13秒
今日は大阪シナリオ学校で小説講座の講師に行ってきて、またまた「ターシャム」の販売状況をチェックしました。 ジュンク堂書店⇒堅実に六冊平積み。棚差しも一冊あり。 紀伊國屋書店⇒ゴネた甲斐があってか、初めて!平積みを目撃。三冊。でも周りの様子からすると、五冊平積みをし始めて二冊売れた模様。 旭屋書店⇒こちらはhttp://www.netdirect.co.jp/book/index.aspで検索できるので、毎日「ターシャム」で検索していたところ三日前まで「在庫僅少」だったのが一昨日から「在庫なし・取り寄せ」扱いに変わっていた。十冊平積みしてたのでは?と見に行ってみると、ない。店員に聞いてみると、どうも入荷した十冊は完売したらしい。はやい。旭屋で一週間で10冊完売できるなら、全国の書店で平積みしてくれれば、二、三万部は売れる勢いがあるのでは?
「次の入荷は?」と聞くと「さあ? 二、三週間はかかるのでは」とは店員の返事。なんでそんなに時間がかかるかね?
もっとさっさと補充しろよ。 高橋さん。 私も初めて本を刊行したとき(『ミルダッドの書』)壮神社という小さな出版社ゆえの悲哀をさんざん味わいました。講談社で初めて本を出したとき(『ネヌウェンラーの密室』)地元の駅の売店に自分の本が並んでいるのを見て、出版社の待遇の格差を如実に感じました。 しかし、とにかく、『ターシャム』は、置いてある本屋では健闘しています。
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高橋 ロシアのおとぎ話 2000年07月08日(土)23時20分37秒
HPの「エピソード集」にアップした「ロシアのおとぎ話」もHiROSHiさんが訳を提供して下さったものです。ありがとうございました。 この話はベネットの自伝に載っているもので、他にも色々と興味深いエピソードがあるので、またご紹介していきたいと思います。
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高橋 書店状況(神保町編) 2000年07月06日(木)18時50分46秒
さきほど神田の書店街を廻ってみました。 まず書泉グランデに行くと、どこにも見当たらなかったので店員に聞くと、今日入ったと言って倉庫から何冊か持ってきました。入った本は今後どこに置くのかと聞いたら、ラジニーシやグルジェフのところに平積みにするとのこと。 次に東京堂。この前行ったときにあった1冊がなくなっていたので、店員に聞くと、売れてしまったので今発注しているとの答え。 最後に三省堂。私と小森氏が2度にわたって催促したにもかかわらず、相変わらず1冊も置いていないので、店員に聞くと、今発注しているとのこと。何冊入れるのかと聞いたら棚用に1冊とのお答えでした。 結局、神保町の本屋には『ターシャム』は1冊も店頭になかったということになる。 これでは、いくら売れる本でも売れるはずがない。本屋にないのだから… しかし神保町の書店は閉鎖的なんですかね。新宿の青山ブックセンターには新刊書のコーナーに7冊平積みになっていたのだけど…
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HiROSHi 写真 2000年07月06日(木)06時27分05秒
RE:高橋様。笑うグルジェフという図にはまるで違和感を感じないので、どの写真のことか思いつきませんが、その写真を見たことがあるのかもしれません。 写真というのもちょっと功罪があって、『奇蹟を求めて』には二人の晩年の写真が掲載されているので、自然とこの両巨星がどっしりと取っ組み合っていたような印象をどこかで抱いてしまっていましたが、あるとき、Pattersonの"Struggle
of the
Magicians"で、「この頃からグルジェフは太り始めた」といった文章を読んだときに、そうか、『奇蹟』の頃のGはむしろ『弟子に語る』に掲載されている写真に近い状態で、ウスペンスキーにはこの時期にあたる写真は見当たらないけれども、ふたりともがずっと若くて、それは壮絶なバトルを繰り広げていたのかもしれないと、当たり前のようなことに気づきました。もっとも、文章だけを読んでいればそのことはすんなり分かるはずなのに、『奇蹟』の冒頭にGのあの写真があるせいで、ふたりの出会いのときの記述から、どうしても晩年のGの姿を結びつけてしまいます。ただ、そのGの写真があったからこそ、最初から強い印象をもったという意味では非常に感謝しています。 ついでに打ち込むと、HPにリンクができたことで、小森様のページに行って、初めてご本人の姿を見て、別にイメージをもっていたわけではないのに、何か意外な感じがしました。まさか写真が載っているとは思わなかったので、びっくりしたせいもありますが・・・。
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高橋 笑うウスペンスキー&グルジェフ 2000年07月05日(水)23時36分09秒
HiROSHi様 その本は私も持ってますよ。確かにあの写真の表情は
good!(?)ですね。 「笑うグルジェフ」の写真もご存知ですか? これもナイスな表情ですよ。 スキャナーがあれば二人の微笑を並べてHPで皆様にお見せしたいところです。 K.Nakanishiさん、はじめまして。 >世界について、どこまで知られていて、どこまで知られていないのか。 >ターシャム・オルガヌムは新たな視点を与えてくれました。 >ほんとにありがとうございます。 >不思議な眩暈(めまい)とは、このことでしょうか。 そういう感想を持った方がいるというのはとても嬉しいです。 私としては、『ターシャム』は、むしろウスペンスキーを知らない読者にこそ読んで欲しいという思いがあります。 「不思議な眩暈(めまい)」という感覚はまさに私も初めて読んだ時に感じました。この本は、読者の思考を新しいレベルに持っていく魔力を秘めています。 絶妙な感想ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
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小森 いらっしゃい 2000年07月05日(水)23時06分23秒
第一掲示板でもコメントしましたが、いらっしゃい。 仲西さんのような読者に出会えただけでも、『ターシャム』刊行の意義はあったなあと思います。 ところでアクセスできませんでしたか、この掲示板。特定のプロバイダに対して禁止がかかっているのかもしれません。バーチャルアベニューの方で、荒らし対策として、特定のプロバイダーのアクセスを封じていることがあるそうなのです。うーむ、そのあたり、くろきさんに聞かないとわからないなあ。 おっしゃるとおり、『ターシャム』は、何を知っているか何を知らないかについて、革命的でなおかつ説得力もある視点を提供しています。『新しい宇宙像』も、『ターシャム』の続編として、大変興味深い一書なので、邦訳刊行実現に協賛してくださいね。
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K.Nakanishi 掲示板みることできました 2000年07月05日(水)03時21分44秒
はじめまして。 先日、小森さんのホームページに書きこみをさせていただいた仲西といいます。 世界について、どこまで知られていて、どこまで知られていないのか。 ターシャム・オルガヌムは新たな視点を与えてくれました。 ほんとにありがとうございます。 不思議な眩暈(めまい)とは、このことでしょうか。 なぜか、いつも私が使用しているプロバイダから この掲示板アクセスできないのです。 別のプロバイダでうまくいきました。これで掲示板見ることができます。 時々見せていただきます。 これからもよろしくお願いします。
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小森 文章 2000年07月05日(水)00時16分59秒
高橋さんの下の募集(?)書込を見て、コリンウ・ウィルソンの『覚醒への戦い』は、やはりウスペンスキー関連文献としては取り上げたい文献だと思いました。
Rajneeshの講話の中では、珍しくウスペンスキーをグルジェフより上においていると読める講話がRAJNEESH
BIBLE vol.3
discourse21(1985年1月19日)p.683〜696にあります。この回のは、高橋さんが読まれても面白いと思いますよ(^^)
プレスリーのウスペンスキーに関する論文 の置かれているところに、メールアドレスも載っていました。
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HiROSHi ウスペンスキーが笑っている! 2000年07月04日(火)22時32分35秒
今日、Amazon Com.で注文していた"Essays and Reflections on the Man and His Teaching
GURDJIEFF(Needleman,
Baker編集)"という本が届きました。"Bridge"のグルジェフ版という感じで、いろいろな人の文章が集められています。450ページもあるので、これを全部読むということはないでしょう。 その目次にPHOTOGRAOHとあったので、開いたところ、なんとウスペンスキーが正面向いて笑っている写真が載っていました。この写真を見たのは初めてで、なんかうれしくなってしまいました。タキシードか何かを着て微笑んでいるのを斜めから撮った写真は知っていましたが、こっちは口こそ開けてはいないものの、ちゃんと笑っています。まじめなウスペンスキー本には掲載されることのない写真でしょう。グルジェフがメインだから、意地悪でこの写真が選ばれているのかもしれません。スキャナーがあれば、おふたりに送りたいと思ってしまいました。
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高橋 Preparation: Extracts from a Paper by Francis
Roles 2000年07月04日(火)22時15分01秒
今日HPにアップした「準備──フランシス・ロールス博士の覚書より抜粋Preparation: Extracts from a Paper by
Francis
Roles」の翻訳記事は、この掲示板でもお馴染みの(?)HiROSHiさんが提供して下さったものです。非常に興味深い記事をありがとうございました。もし、掲示板をご覧の皆様で、他にもウスペンスキー関係で「こんないい文章があるぞ〜」というものがあったら教えてください。テキストを提供していただけたらHP上で紹介します。もちろんご自分で書いた記事も歓迎します。
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小森 読む順番、刊行形式 2000年07月04日(火)17時39分22秒
ウスペンスキーの本は『ターシャム』⇒『新しい宇宙像』⇒『奇蹟を求めて』という刊行順に読むのがやはり至当ですね。
『奇蹟』は、前二作を前提としているところが多々あるので、これだけ読むと説明不足なところが見受けられます。 『ターシャム』は、邦訳書として原稿用紙800枚強。この種の本としては厚めですが、『新しい宇宙像』はさらに厚い。ざっと概算してみましたが、邦訳したら2200〜2300枚くらいではないでしょうか。『ターシャム』の三倍弱。あ、厚い……。 枚数からすると、700枚ずつ三分冊にして刊行するくらいが妥当に思えます。 しかし、三冊もの刊行をひっぱれるか?
上下巻にして、一挙刊行をもくろむ方が現実的なようにも思えます。
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小森 第一の方に 2000年07月04日(火)02時05分02秒
私の読書録、今月1日にアップした先月分(6月分)には、パターソンの『左手の道』を載せました。 うちの第一掲示板のK.NAKANISHIさんの「ターシャム・オルガヌム読みました」という書込は嬉しいですね。友人のためにもう一冊買ってくださるとは、感涙ものです。ウスペンスキーの名著は、伝播力はあるはずだと思っています。『新しい宇宙像』の邦訳刊行を実現しやすくするためにも、『ターシャム』は売れてほしいと痛切に祈願しているところです。
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小森 影と光 2000年07月04日(火)00時25分45秒
HiROSHiさん どうか私の意見ごときでうなされないでください。グルジェフとウスペンスキーを知っている人の九割以上は、グルジェフが光でウスペンスキーが影だという見方だと思いますし。 これは私が小説家だからかもしれませんが、作品をつくるときに、アイディア、着想を得ることと、それを具体化して作品にしあげる過程と、大きく二つに分けて考えられます。その際、後者のつくる過程の方がはるかに大変で、より労力がかかる、作品制作の本質部分なんですね。〈システム〉においては、グルジェフが原案、ウスペンスキーが作品化を分業しているので、これはどうあっても、ウスペンスキーの方が主で、グルジェフが従だろうと。 むろんこの意見には多くの異論があるだろうと思います。 カリスマ性、人間としての吸引力でみれば、グルジェフは比類ない存在で、ウスペンスキーは比べものにならないでしょう。 ソクラテスについても、彼を偉大な思想家にしたのは、もっぱらプラトンの功績によるので、同様に考えています。
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HiROSHi グルジェフが影? 2000年07月03日(月)20時25分58秒
昨日は、何の根拠もない単なる私の空想におふたりともに反応していただけて、その上、高橋様には笑っていただけたようですが、さすが小森様、ウスペンスキーが光で、グルジェフはその影というブラック・ジョークで返してくるとは、参りました。 と、少しおちゃらけたいくらい、実はこの発言に少なからぬショックのようなものを感じてしまいました。触れられたくないものに触れられたという感じでした。この件に関して、しばらくうなされそうです。 ところで、今日は高橋様が、それまでウスペンスキーは「人間は機械ではない」と思っていたようです、と書いているのを見て、また別の空想をしてしまいそうでした。ともかく、単に記憶からだけの空想なので、改めて「奇蹟を求めて」を見直してみます。 いずれにせよ、初めて「人間は機械である」という文章を見たときのショックがいかに大きかったのかという事実は、変わることがないようです。
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高橋 人間は機械か? 2000年07月03日(月)10時42分46秒
>「人間は機械である」という一節は「ターシャム」にも出てきますが、これはグ >ルジェフ以降にウスペンスキーが書き足した一節かと思っていました。1920年 >版でも、この一節はあるのでしょうか、高橋さん? 小森さんの質問を受けて1920年版と1925年版をひっくり返して見て、面白い発見をしました。 「人間は機械」云々の記述(日本語版P221−222)は確かに1920年版にもあるのですが、そこでは「実証主義科学の主張によれば…」(Positivistic
phylosophy holds that…)となっているのに対し、1925年版では「科学的観察によれば…」(Scientific observation
holds
that…)に直されています。 『ターシャム』は基本的には実証主義科学批判の書ですから、「人間は機械」というのを実証主義の主張ということにすると、否定的なニュアンスが生まれるわけです。しかし、「科学的観察」ということにすると、もっと客観性が出てきます。 つまり、「人間は機械」ということについての見方が、改訂前と改訂後で変化しているということが伺えるのです。『奇蹟を求めて』の冒頭で、「すべてが等しく機械的である」というグルジェフの言葉に抵抗して「絵画や詩や思想はまったく違う種類の現象だ」と反論しているところ(平河P40)からも、それまでウスペンスキーは「人間は機械ではない」と思っていたようです。 こう書きながら、何だかこの辺がすごく重要なことのように思われてきたので、もう少し掘り下げて考えてみたくなりましたが、とりあえずそういうことです。
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小森 ショーペンハウアーとウスペンスキー 2000年07月03日(月)02時29分09秒
ショーペンハウアーは私も、ニーチェに次いで愛読している哲学者で、白水社の全集ももっていて、大体全部読んでいます。 主著「意志と表象としての世界」を、「ターシャム」との連関で読むと、いろいろと面白いことに気づかされます。カントのいう現象を表象に、物自体を意志にショーペンハウアーは読み替えるわけですが、ここで言う「意志」は日本語の語感とはだいぶ異なる概念で、生命エネルギーとか「気」という概念に近いものです。 「表象」はそれに対して、人間のあらゆる認識形式のことです。で、時間と空間の形式があてはまるのは「表象」のみで「意志」は時空に縛られないとショーペンハウアーは主張しています。 このあたりの議論は、「高次元」という補助線を導入さえすれば、「ターシャム」に直結するものですね。
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小森 re:徒然 2000年07月03日(月)02時22分47秒
HiROSHiさん 私の個人的感想としてはウスペンスキーの方がグルジェフよりずっと重要です。別にこの見方は、賛同者は募りませんが(笑)、グルジェフの歴史的意義というのはつまるところ、ウスペンスキーの思想のある部分に寄与・貢献したことに尽きるのではないかと思っていて、ウスペンスキーが光で、グルジェフはその影ですね。 グルジェフは、ウスペンスキーの「ターシャム」を熟読研究していて、ウスペンスキーとの接触をはかる前に、自分の弟子グループにその本を回読させて、著者はどんな人物かディスカッションさせています(ウェブの伝記等にその記述があります)。両者の接触は、どちらかというと、グルジェフの側から、ウスペンスキーをスカウトしに動いたというのが真相のようです。 「人間は機械である」という一節は「ターシャム」にも出てきますが、これはグルジェフ以降にウスペンスキーが書き足した一節かと思っていました。1920年版でも、この一節はあるのでしょうか、高橋さん?
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高橋 RE:徒然 2000年07月03日(月)00時37分46秒
HiROSHi様 水素論がグルジェフのにわか理論だったのでは、という発想はすごく新鮮で、そんな見方もあるのかと思わず笑ってしまいました。確かに『奇蹟を求めて』で語られていることの中には『ターシャム』の中にその萌芽的な形が見出されるものもあります。「人間は機械である」というのもすでに『ターシャム』の中に出てきますから。ただ、水素論や食物論、さらにそれをエニアグラムと関連付ける説明をグルジェフがウスペンスキーの本を読んでから自分の頭で考え出したというのは私にはとてもありそうにないことのように思われ、それらの考え方はやはりどこかで仕入れたのではないかと思います。ただし、あの時期にグルジェフが「ウスペンスキーの頭を利用した」ことは間違いないでしょう。グルジェフ自身、ウスペンスキーとのやり取りの中で次第に「教え」の体系をまとめあげていったのではないかと思われます。しかし、ウスペンスキーがまとめきれたのはグルジェフが知っていた知識全体のほんの一部で、残りはおよそ体系的とは程遠い形で『森羅万象』シリーズ(特に『ベルゼバブ』)の中に詰め込まれている、というのもありそうなことだと思います。私自身は、ウスペンスキーが「グルジェフの下」とかそういうことは比較的どうでもよくて、単に彼の言っていることが(私にとっては)非常に興味深く面白い、という理由から読んでいます。同じことはモーリス・ニコールにも言えます。
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HiROSHi 徒然 2000年07月02日(日)22時53分35秒
高橋様の引用しているショーペンハウエルの言葉、「哲学において、前提のない方法と称されるものは、すべてまやかしである。なぜなら、ともかく何かをあたえられたものとみなさなければ、どこからも出発しようがない」を読んで、なるほどと思う反面、この言葉さえも、難しいなと思ってしまいます。最初の<哲学>という言葉で、すでに近寄りがたいものを感じてしまいます。この辺の距離が、前回私が書き込みをした文章の、別の意味では考えさせてもらえることがあったということにつながると思います。 ウスペンスキーという人物の捉え方も、まるで違うのだろうなと思います。 私にとって、ウスペンスキーはどうしてもグルジェフの下という感覚がぬぐいきれなくて、もしかしたらウスペンスキー自身もすごいのかもしれないと何年か前に思ったものの、「ターシャム・オルガヌム」を英文で読む自信もなく、ずっと以前にいくつかの章を自分で訳したA
NEW MODEL OF THE
UNIVERSEの印象と、分からなくて自分の頭が悪いのだと思ったりした「超宇宙論」が部分的には面白いと思った程度で、ひとりの思想家としてウスペンスキーを捉えるということには、まだ時間がかかるようです。 ちょうど「イワン・オソキン」がつなぎめだったということでしょうか・・・。 もっとも、「超宇宙論」は訳文がひどいという批判を高橋様がされているので、若干は安心したものの、ちゃんとした日本語の「ターシャム」にも四苦八苦しております。やはり、先のショーペンハウエルの言葉がすっと入って行く頭でないと、難しいのかななどと思います。 このところ高橋様のHPでPatrick PattersonのTaking
with the Left Handが続けて取り上げられているので、約一年ぶりに第二章を読み直してみて、次のような文章を見つけました。Gurdjieff
said "...all we call science, philosopy, art, and politics, is created by
people's
personality..." なんかいろいろ難しいですね。 今日、空想した話を書きます。また空想ですので、捨て置かれるか、ぎゃふんと黙らせてください。 「人間は機械である」というのはもちろんグルジェフの言葉ですが、「奇蹟を求めて」の中でこの言葉を最初に口に出しているのはウスペンスキーで、何か、ウスペンスキーがその言葉を口に出すように仕向けたのがグルジェフで、グルジェフは「ターシャム」を読んでいたようなほのめかしもあることから、グルジェフは実は「ターシャム」を研究し尽くしていて、この時期(「奇蹟を求めて」に記載されている期間)は、ウスペンスキーの頭を利用したのではないかという感覚をずっと抱いていました。その延長の空想で、水素論というのはウスペンスキーがはじめて出会った考えとして紹介されているわけですが、実は「ターシャム」を研究し尽くしていたグルジェフが、ウスペンスキーのお気に召すような理論をにわかで作り上げたのではないかなどという空想をしました。モスクワの生徒たちが無存在的な記述をされていたことも、さらに空想に拍車をかけてしまいました。 初めて高橋様のHPを見てから、急速にアクセス数が増えている割にはこの掲示板への書き込みが少ないようなので、こんな記載もよいかなと思いました。
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小森 梅田の本屋 2000年07月02日(日)01時00分49秒
今日また大阪・梅田の本屋で『ターシャム』の販売状況をチェックしました。 紀伊国屋書店⇒二冊あり、棚差し 旭屋書店⇒二カ所平積み。五冊(前回きたときより四冊減っていた) ジュンク堂書店⇒同じところに平積み、五冊(前回より二冊減)
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高橋 ローカル書店状況 2000年07月01日(土)23時09分05秒
私の近所の本屋(南阿佐ヶ谷 書原)で、数週間前に『ターシャム』が2冊入っていて、数日前に見たら一冊もなく、今日見たら三冊表紙をこちら側に向けて棚に置いてありました。(^^) ローカルな話題ですみません。
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高橋 再びショーペンハウエルについて 2000年07月01日(土)00時52分01秒
前にも掲示板に書きましたが、ショーペンハウエルの『知性について』(岩波文庫、同タイトルの論文集に収録)は、『ターシャム・オルガヌム』の参考書として最高の1編です。冒頭だけ引用しますと、 「哲学において、前提のない方法と称されるものは、すべてまやかしである。なぜなら、ともかく何かを与えられたものとみなさなければ、どこからも出発しようがない。・・・」 『ターシャム』の書き出しと比べて見てください。この後は、下の書き込みで小森さんが説明しているような、主観と客観、知性の形式(カテゴリー)の話になっていきます。ショーペンハウエルとウスペンスキーの思考様式には共通するものがあるようです。もちろん両者の思想には決定的な違いもあります。それについては長くなるので、またの機会に。
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HiROSHi あれれ? 平行線で? 2000年06月30日(金)21時25分39秒
小森様、高橋様 私の子供の頃からの変な空想の延長上にある思いつきの質問に、すぐさま論理的な解答をいただいて、この掲示板は敷居が高いと過去の発言に書かれていた所以を納得しました。 なるほど、分かりました! とかは言えなくて、特に小森様の発言に対しては頭が痛くなりそうで、出直して来ま〜すとお答えするしかないようです。 高橋様の<ある直線に対する平行線を、その垂直と直角に交わる直線というふうに定義すれば>で、そういう定義の仕方があるのかとは思いましたが、少年の頭の中にあった平行線は、球面上のとかではなくて、平行線が宇宙の果てまでずっと続いて行ったとしてもといった空想で、それがなぜだかいまだにこびりついているので、やはり私には論理的なものは駄目なようです。 ともあれ、違う意味では考えさせてもらえることがあったので、この辺のところについては改めて書き込みをしたいと思います。
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小森 re:平行線とカントの命題 2000年06月30日(金)01時15分13秒
先の私の発言、読み返して一部表現がいたらない点に気づいたので修正させてください。 >時間と空間の表象形式は、実証科学、いわゆる普通の自然科学では、自明の真理ないし、いわば「公理」として措定されています。 ↑ここを。 時間と空間の表象形式は、実証科学、いわゆる普通の自然科学では、自明の真理とされ、「公理」と自覚されない公理になっています。 と改めます。
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高橋 RE:平行線 2000年06月29日(木)18時34分24秒
以下の文を投稿しようとしたときに小森さんがRESしてくれているのに気づきましたが、一応書いておきます。 >極において交わるということは、平行線といえども、結局は徐々に緩やかなカー >ブを描いて、極に収束されてしまうという意味なのでしょうか? >それならば、2点目の点からすでにカーブを描き始めているわけですから、その >線はそもそも平行線とは呼べないのではないかなどと思ってしまいました。 平行線の定義の問題でしょうか? 平行線を「互いに交わらない直線」と定義するならば、確かにHiROSHiさんの言われるとおりですが、ある直線に対する平行線を、その垂線と直角に交わる直線というふうに定義すれば、球面上では、赤道においては互いに「平行な」直線が極において「交わる」ということになるのでは?
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小森 平行線とカントの命題 2000年06月29日(木)13時33分50秒
ところで非ユークリッド幾何学の話は、「ターシャム・オルガヌム」の中でも重要な位置を占めるものがあります。それとパラレルなものとして、実証科学の時空観があげられます。時間と空間の表象形式は、実証科学、いわゆる普通の自然科学では、自明の真理ないし、いわば「公理」として措定されています。しかし、時間と空間の形式が、(ユークリッド幾何学の議論を援用した言葉をかりれば)「公理」であり人間が世界を認識するための形式であると指摘したのが哲学者のカントです。カントは、いってみれば、時間と空間が、「公理」であり、導入された一種の約束事であると指摘したわけです。 ウスペンスキーの「ターシャム」での議論は、三次元の時空に狭隘化した世界認識を広げる可能性を示唆しています。そのために、いわば別の公理=ターシャム・オルガヌムを導入しているというわけです。これは、三次元の世界認識に対立するものではなく、それらを包括できるより広汎な「公理」になっています。
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小森 平行線 2000年06月29日(木)12時14分47秒
平行線について簡単にコメントします。 定理と違って、公理は、証明され導出されるものではなく、前提の、いわば約束事なわけですね。ユークリッド幾何学では、平行線が交わらないことが証明されているわけではなく、平行線が交わらないという世界を約束事として仮構して、その前提で幾何学を構築したというわけです。別の公理を導入すれば、別の幾何学が構築できるので、非ユークリッド幾何学の研究は、19世紀くらいから議論されていたように思います。 非ユークリッド幾何学の中には、平行線が彼方でまじわるという前提のものがあります。イメージとしてはユークリッド幾何学の平面が平らにまっすぐ続いているのに対し、こちらの幾何学は、球面上の幾何学ですね。 地球上で、南北に向かうまっすぐな線を描くと、それの延長先には極があります。平行線が極でまじわるというのは、地球上の経線が、たがいに平行で、なおかつ極でまじわっていることを想起すれば理解しやすいかと思います。
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高橋 池袋リサーチ結果 2000年06月28日(水)23時04分22秒
今日池袋の本屋を廻ってみました。 西武リブロ…3冊入荷分完売。取寄せ中。 ジュンク堂…2冊入荷分完売。取寄せ中。 芳林堂…2冊平積み。棚には『奇蹟を求めて』の横に1冊。 東武メトロポリタン旭屋…6冊平積み。 昨日の八重洲BCといい、今日のリブロ、ジュンク堂といい、東京ではかなり動いているようで、棚にないという事態が発生しているようです。
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HiROSHi 平行線 訂正 2000年06月28日(水)21時48分44秒
この前に送った文章で、「ターシャム・オルガヌム」からの引用を省略しすぎました。意味が通じていません。先の文章中の引用二行を以下のように変更してください。 かくして、平面幾何学は次の三つの公理すべてを受け入れる。 1 直線は二点間の最短距離である。 2 どの図形もその特性を変えることなしに他の場所に移すことができる。 3 平行線は交わらない。 (この最後の公理についてはユークリッドは通常異なった表現を用いている。) 球面や曲面の幾何学においては最初の二つの公理だけが真である。赤道では平行な子午線は極において交わるからである。
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HiROSHi 平行線 2000年06月28日(水)21時25分38秒
昨日、「ターシャム・オルガヌム」の次の文章を読みました。 平行線は交わらない。 赤道では平行な子午線は極において交わるからである。 私には子供の頃から変な空想がいくつかあって、そのうちのひとつに、なぜかいつでも空をながめながら、平行線とは本当にどこまで行っても交わらないものなのだろうかというのがありました。 上の文章で、なるほどと思ったのですが、しばらくして疑問がふつふつして来ました。極において交わるということは、平行線といえども、結局は徐々に緩やかなカーブを描いて、極に収束されてしまうという意味なのでしょうか? それならば、2点目の点からすでにカーブを描き始めているわけですから、その線はそもそも平行線とは呼べないのではないかなどと思ってしまいました。 高橋様、いかがでしょうか? 私の読み取り方がまるで的外れなのかなとも思いますが・・・。 RE:小森様 このところあれこれあって、翻訳は中断状態です。近いうちに再開するつもりではいますが、それでも「Talks
with a
Devil」を進めるかどうかは・・・? と打ち込んだとたん、OSOKINとはまるで違う空気感が、まだ訳していない部分から思い出されたので、断定はできませんが、続けて行くような気はします。 それでは。
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小森 報告追伸 2000年06月28日(水)03時02分27秒
旭屋に行ったあと、ジュンク堂書店に行ったら先週残り一冊になっていた「ターシャム」がなんとまた七冊平積みになっていました。補充追加してくれたのですね♪(嬉)。梅田紀伊國屋書店、初回入荷分(4冊らしい)を売り切ってから半月たつのに、まだ補充しないなんて、対応遅いぞぉ。
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小森 re:報告と提案 2000年06月28日(水)02時54分24秒
高橋さん、お説ごもっともでございます。説明文は変えて下さいまし。 梅田の旭屋書店はごねた甲斐あってか、今日いったら、なんと二カ所で平積みしてました。まだ十冊くらい置いてあるので、大阪近郊でこの本買ってない人は、旭屋書店に急いで買いに走ってください! 川西の紀伊国屋書店で、ないだろうと思いつつ聞いたら、「精神世界」コーナーではなく「哲学・思想」コーナーに一冊だけ置いてあったのをもってこられて買う羽目になりました。一冊しかない本なら買いたくなかったのですが(買うなら複数冊あるところで買いたい)。
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