ホセ・リサールの魂に捧ぐ
19世紀末のフィリピンの独立運動家ホセ・リサールについては、日本ではほとんど知ら
れていない。彼はスペイン当局によって1896年、36歳の若さで公開処刑された。そのこと
でフィリピン民衆の心の中ではホセ・リサールとキリストのイメージが重ね合わせられる
こととなり、彼は救国の英雄としてフィリピン人の愛国心を体現する人物となった。
ホセ・リサール(Jose Rizal) 1861-1896
フィリピン革命の志士。ルソン島のラグーナ県のカランバの中産階級の家に生まれた。
少年時代カビテ事件(1872年)を経験し、同胞の実情に憂愁を感じた。マニラのアテネオ
・ムニシパルで、ジェズイット教団僧に教育され、家に資産があったので、1882年ヨーロ
ッパに留学し、84年マドリード大学医学博士の学位を授与された。つづいてフランス、ド
イツに学び、87年26歳のとき社会小説「われに触れるな(Nori me Tangere )」(山田美
妙訳:血の涙、1893)をベルリンで公刊し、その中で、フィリピンの保守頽廃的な政治・
社会組織、自由主義に対する苛烈な弾圧、および暴虐きわまる為政者の所業を鮮明に描写
し、またこれに対して反発しえないフィリピン人の無気力ぶりを慨嘆した。87年8月帰郷
し、診療所を建てて診療にあたった。しかし、彼の帰郷後まもなく「われに触れるな」に
対する反響が激しくなり追放になった。88年2月香港に渡り、同月日本に渡来し4月まで
滞在した。さらにアメリカを経由してイギリスに渡り、ロンドンの英国博物館に通ってモ
ルガの「フィリピン誌」(1609)を熟読し、注を作ってパリに移ってから出版した。しか
し、パリでの生活が高くつくので、ベルギーに引っ越してヘント(Ghent )で91年彼の第
二の小説「反逆(El Filibusterismo )」を出版し、この作品の中で彼の革新思想はます
ます円熟し、社会・政治状態の改革は、たんに上層指導者が呼号するばかりでなく、下層
も一般民衆もこれに応じて立ち上がらねばとうてい達成はおぼつかない、と主張した。ま
た当時、マドリードで出版されていたフィリピン人の新聞「団結」にさかんに論説を寄稿
していたが、「反逆」を刊行した後、この新聞との積極的な関係を絶って、スペイン官憲
のため故郷カランバを追放され、逼迫している家族を助けようと決心して香港に渡り、そ
こで病院を開いた。そこで約2年間(1891〜92)家族とともに幸福な生活を送った。92年
彼は家族や友人たちの落着き先を求めてボルネオを訪れ、この島をカランバからのフィリ
ピン移民の植民地にしようとしたが、スペイン官憲の妨害にあって立ち消えになった。92
年6月、彼は家族や友人たちの意向にそむいてマニラに帰り、7月「フィリピン同盟」を
結成した。彼の意図は、フィリピン人を協調提携させ、学術・技芸の向上をはかり、産業
・貿易の利益を促進させること以外何もなかったが、スペイン官憲はこれをスペイン本国
とフィリピンを分離させようとする陰謀を企てた疑いがあるとして、数日後捕縛してミン
ダナオ島のダピタンに追放した。彼の流刑のため、改革運動は停頓状態に陥ったが、これ
が機縁になって、急進的なカティプナン党が結成された。彼は4年間の流刑中、医者とし
て、農夫として、商人として送り、また子供たちのための学校を経営したり、町のために
美しい広場を設けたり、水道を作ったりした。96年7月、流刑生活が終わったので、キュ
ーバでのスペイン軍医を志願してマニラに到着したが、不幸にしてカティプナン党の反乱
が発覚したときであった。総督は彼をスペイン本国に送り陸相あてに今回の事件と彼が無
関係であることを保証する手紙をつけたのであったが、スペイン到着と同時に逮捕され、
マニラに送還されて、大勢の群衆が見守る中96年12月30日銃殺された。
ホセ・リサールによって力を与えられた民族自立の叫びは、20世紀のアジア・ナショナ
リズムの夜明けを示すものであった。毛沢東もホーチミンも、あるいはフィデル・カスト
ロも皆リサールの後継者であると言えるかもしれない。リサール自身は20世紀ナショナリ
ズムの主要なイデオロギーとなるマルクス主義思想に触れることはなかった。彼はキリス
ト教会に背を向けたが、無神論者ではなかった。その証拠に、ヨーロッパに留学中、自由
・平等・博愛主義を掲げたフリーメーソンという秘密結社に入会している。リサールは高
い教養を身につけた天才的知識人であり、医者、哲学者、小説家、詩人、人類学者、言語
学者、農学者などとしてもその分野の一流の人物だった。祖国愛のために若くして殉ずる
ことがなければ、レオナルド・ダ・ヴィンチのような万能の天才として世界の歴史に残る
人物になっていたに違いない。彼の悲劇は時代に先んじすぎた先駆者の悲劇であった。
ホセ・リサールの小説「ノリ・メ・タンヘレ」と「エル・フィリブステリスモ」
ホセ・リサールが26歳のときに出版した小説「ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)」
は、当時の世情にあって非常に急進的な思想小説であると同時に、ドラマティックで、ユ
ーモアに溢れた、ロマンティックな悲劇である。
主人公はヨーロッパで7年間勉強して帰国したクリストモ・イバルラという青年で、父
はスペイン人、母は現地人という設定はまさにリサール自身の境遇を連想させる。彼には
マリア・クララという美しい許嫁がいて、小説はイバルラの帰国を祝って彼女の父親であ
る富裕な現地人カピタン・チャゴの家で開かれる宴会の場面から始まる。
フランシスコ会の修道士ダーマソ神父はイバルラの父を迫害し、彼を獄中で死に追いや
り、その墓を暴いて遺体を異教徒の墓地に放り込んだという男で、マリア・クララを娘の
ように可愛がっていると同時にイバルラを徹底的に嫌っている。イバルラはまもなく父の
死の真相を知り、大きなショックを受ける。ダーマソ神父の後継者であるサルビー神父は
陰湿な青年で、密かにマリア・クララに思いを寄せ、イバルラに敵意を抱いている。
現地人の小学校教師からフィリピンの教育のみじめな現状について聞かされた彼は、自
ら学校を設立して教育の改革を志す。彼が学校を作る意図を老哲学者タシオに打ち明け、
相談する場面はこの小説の前半の重要な部分である。タシオは知恵深い人物だが周囲の社
会からは変人とみなされている。彼はイバルラに共感しながらも、彼を待ち受けるであろ
う社会の様々な勢力の反対と困難について述べ、思い止まるよう説得するが、イバルラの
決心は変わらない。
この小説の鍵となるもう一人の人物はエリアスという現地人で、不幸な過去を持ち、山
賊たちとつながりを持っている。彼は仲間たちから反逆を勧められるが、何とか合法的な
社会変革を目指し、イバルラに接触する。エリアスは彼に、スペイン政府に社会組織の改
革を訴えるよう懇願するが、イバルラはそれを拒否する。
ある日、革命の企てが起こり、その首謀者としてイバルラの名前が挙がる。彼は一夜に
して忌むべき社会の敵となり、犯罪者として獄中の人となる。イバルラの容疑を決定付け
たのは、彼がマリア・クララに宛てた一通の手紙であった。
エリアスはイバルラに、彼を陥れる陰謀があることをあらかじめ警告していた。やがて
彼はイバルラが自分の家族を悲劇に陥れる原因となった人物の子孫であることを知るが、
エリアスは一度命を救ってもらった恩義から、獄中のイバルラを脱出させる。エリアスに
救出されたイバルラは、新しい婚約者との結婚を目前に控えたマリア・クララに別れを告
げにいく。彼の疑惑を決定づける手紙を当局に渡したマリアに最後の許しを与えようとす
るイバルラに対して、マリアは彼女の知った衝撃的な秘密を打ち明ける。
彼女の真の父親はカピタン・チャゴではなく、ダーマソ神父であった。また、マリアを
生んですぐに死んだ母親がマリアの出生の秘密について書いた手紙と引換えに、イバルラ
の手紙を渡せとマリアに迫ったのはサルビー神父だった。ダーマソ神父とカピタン・チャ
ゴ、そしてイバルラを傷つけることはできないと考えたマリアは苦悩あまり病床の人とな
り、育ての親であるカピタン・チャゴの名誉のために、泣く泣く新しい婚約者との結婚を
承知したのであった。
彼女に別れを告げたイバルラは、今からは社会の癌に立ち向かう反逆者として生きる決
意をエリアスに打ち明ける。エリアスは彼の決意を評価しつつも、決して無益な流血を招
かぬよう忠告する。やがて二人の乗る舟は追手に見つかり、エリアスは追手をまくために
イバルラを残して川に飛び込む。
物語は疲れ切った男が自分の死体を燃やしてくれと一人の少年に頼み、息を引き取る所
で終わる。マリア・クララは修道院に入って尼になるが、そこでサルビー神父の迫害を受
けていることが最後に暗示されている。
この物語は単なるイバルラという個人の悲劇ではなく、フィリピンという民族の背負う
苦難と、スペイン植民地支配の悪を象徴する修道会の姿をリアルに描き出している。
小説の中でフィリピン人の悲劇を一身に体現していると言えるのがシータという女性で
ある。彼女の夫は賭博に明け暮れ、ろくに家にも帰らず、二人の子供は教会で働いて小遣
いを稼いでいる。ある日子供たちは盗みの疑いをかけられ、司祭の弟子たちにリンチされ
る。子供が帰って来ないことを心配して教会に行ったシータには冷笑が浴びせられ、自衛
隊に捕らえられて町中を引きずり回される。子供たちが責め殺されたらしいと知ったシー
タはついに発狂する。
シータの息子バシリョは、リンチから逃れて山の中に入り、ある老人に拾われて暮らし
ていた。クリスマス・イブの日、母親に会おうと街に出かけたバシリョは、訳のわからぬ
ことを言いながらさまよい歩いているシータを見つける。バシリョが声をかけようとする
とシータは逃げだした。やっと追いついた時、彼はシータの腕の中で気を失った。彼女の
脳細胞の最後のきらめきでバシリョを認めたシータは、そのまま死んでしまう。やがて目
覚め、母親の死体の前で泣き崩れるバシリョの前に謎の男が現れて前述の願いを告げたの
であった。
このような悲惨な物語であるにもかかわらず、「ノリ」にはまだ全体として詩的な叙情
性が漂っている。人物描写の細部に溢れるユーモアも読者を思わず微笑ませる。物語を肉
づけし豊かにする小さなエピソードや脇役にもこと欠かない。イバルラとマリア・クララ
の若い恋人どうしの思いについて語るときの詩的な繊細さや、サルビー神父の暗い激情を
語るときの描写の迫真性は老練な大作家の筆を思わせる見事さである。
「ノリ」の約4年後に出版された「エル・フィリブステリスモ(反逆・暴力・革命)」
は、「ノリ」には見られなかったある種の暗さ、深刻さがある。物語自体は「ノリ」の続
編で、主人公の宝石商シモウンは「ノリ」の主人公クリストモ・イバルラの13年後の姿
である。13年前、理想と希望を胸に抱いてヨーロッパからフィリピンに帰ってきた青年
クリストモ・イバルラは、今や悪徳と憎悪を促進することによって腐敗した社会の破滅を
早めようと企む非情なテロリスト、シモウンに変身した。
彼はエリアスの最後を見とった後、隠してあった財産を元手にして商売を始め、キュー
バに渡って悪徳と裏切りによって莫大な富を築いた。やがてフィリピン総督となるある有
力者の弱みを握ったことから、彼を操ることで社会に強い影響を与えることができるよう
になった。
シモウンの目指すものは富でも地位でも名誉でもなく、フィリピンをスペインの奴隷の
地位から解放し、悪しき支配者たちを破滅させることである。彼はその目的のために、支
配層の堕落を促進させ、スペイン植民地政府を内部から崩壊させることを企て、同時に現
地人の反逆者たちを組織して暴力革命を画策している。また、彼の最大の目的は、修道院
でサルビー神父に迫害されているマリア・クララを救い出すことである。
「ノリ」の最後に登場した少年バシリョはあの後カピタン・チャゴの養子になり、今や
将来を嘱望される医学生となった。バシリョは、彼の母の墓(それはエリアスの墓でもあ
る)の前に佇むシモウンの姿を見て、それがクリストモ・イバルラであることを知る。イ
バルラもバシリョにだけは彼の本心を明かし、彼の計画した反乱の企てに協力するよう要
請する。
フィリピンの有力者が一同に会する大パーティーを催し、その席で蝋燭につないだダイ
ナマイトを爆発させるというのがシモウン(イバルラ)の計画であった。その混乱に乗じ
て彼の組織した反乱軍を蜂起させ、一気に権力奪取を狙おうと言うのである。
しかし、シモウンは権力を奪った後の社会的改革についての明確なビジョンは持ってい
ない。彼の動機の根本は社会への憎悪であり、権力者たちへの復讐心である。従って彼は
革命家というよりは破滅的テロリストと呼ぶにふさわしい。
計画実行の数日前にシモウンはバシリョから、マリア・クララが修道院の中で死んだこ
とを知らされ、打ちのめされる。そして反乱計画も結局バシリョの友人が寸前の所で挫折
させた。完全な敗北者となったシモウンは疲れ切って・・・
シモウンの最後の独白はまるでドストエフスキーの「悪霊」のスタヴローギンの告白を
読んでいるようであり、ヒトラーの出現を予言するかのようなトーンを帯びている(この
小説が書かれたのは189 年である)。しかしホセ・リサールは小説の中でこの悪魔的な思
想を完全に乗り越えている。彼の言葉はシモウンの最後を看取った老人の次の言葉に要約
されていると言ってもよいだろう。
ホセ・リサールは自らの生命をフィリピンの未来に捧げた。リサールを抜きにしてその
後のフィリピンの歴史を語ることはできない。フィリピンは彼の死後独立革命に立ち上が
り、強圧的なスペインの支配から独立し、アメリカのより寛容な統治の下に入った。
同様に19世紀の末にスペインからアメリカの統治下に入ったキューバの歴史をフィリピ
ンのそれと比較してみるのは興味深い。キューバでホセ・リサールに相当する人物である
ホセ・マルティは、キューバ革命における最大のシンボルとして今も不滅の栄光を担って
いる。中国の孫文も同じような立場にある。彼らは民族にとっての神聖な記憶であり、あ
る意味ではカストロや毛沢東よりも歴史的に崇高な位置を占めている。