考察:小鉄

小鉄:最大の人格者

 

『じゃりン子チエ』というマンガは、常軌を逸したメチャメチャな人間もたくさん出てくる一方で、常人よりもはるかに人格的に成熟した人物も登場する。こうした「真の人格者」とでも呼ぶべき人たちは、テツやヤクザたちをはじめとする破綻者たち(アウトローたち)とのバランスを取り、このマンガ全体を一定の常識の枠内の中に保つ役割を果たしている。たとえば、花井拳骨やヨシ江といった人々がそういう登場人物である。

 

しかし、『チエ』の登場人物の中で、もっとも客観的な視点を持ち、もっとも成熟した人格を備えているのは、実は人間ではなく、猫の小鉄である。

 

小鉄は、物語の当初は、腕っ節は強いがちょっと間抜けなとぼけたキャラクターとして動いていたが、『小鉄対アントンJr』の話を境にして、人格的な深みのある、老賢者のような、しかし同時にユーモアと愛嬌にあふれた魅力的なキャラクターに移行していく。

 

小鉄は、猫の世界では「月の輪の雷蔵」として、そのスジの猫では知らぬもののいないほど有名な大物でありながら、現在は半分隠居のような状態でチエの家の飼い猫におさまっている。それは小鉄がもう流れ者の不安定な生活に疲れたこともあっただろうが、何よりも、小鉄がチエのファンになってしまったからである。

 

小鉄のチエに対する感情は、まさに「ファン」という言葉がふさわしい。げんに小鉄はあるとき「ワシ、ヒイキにしてるスターの悪口をゆわれると狂っちゃうよ」(番外編「ジュニアの初恋」)とジュニアに向って言っている。

 

以後、小鉄はもっともチエの身近にあってチエとそれを取り巻く日常生活および騒動の目撃者であり続ける。と同時に、しばしば重要な場面で決定的な働きをする。もっとも、その働きが人間(チエ)から正当に評価されることはほとんどないのだが。

 

『チエ』においては、人間と猫の関係はきわめて親密であるように見えるが、猫の言葉を解する人間は一人も出てこない。人間の世界と猫の世界のつなぎ目の役割を果たしているのはチエとお好み焼き屋のオヤジ(百合根)だが、この二人でさえ、小鉄やジュニアの言葉をきわめて不完全にしか理解しない。そして、そこから生じる食い違いやディスコミュニケーションがまたこのマンガの面白さの一つにもなっている。

 

それはそれとして、小鉄である。小鉄は、幾多の修羅場をくぐってきた渡世猫でもあり、冗談好きな愛嬌モンでもあり、ジュニアという若き後継者(?)を指導する教育者でもある。その言葉には豊かな人生体験に裏打ちされた深い含蓄があり、その行動はいちいち的確である(その意味がチエには分かってもらえず空振りすることもあるが)。これほどユニークで魅力的な猫は古今東西のマンガを通じても滅多に見られるものではない。

 

小鉄とジュニア

 

ジュニアから見て、小鉄は父親アントニオを打ちのめし、キンタマまで奪った『親の敵』である。しかし、仇討ちにやって来たジュニアは、逆に小鉄の人格に魅入られてしまい、以後、小鉄の側を離れなくなる。

 

この二匹の掛け合いは非常に面白く、とうてい脇役にはおさまりきらない味わいがある。そこで、彼らを主役にした物語がいくつも作られ、『じゃりン子チエ番外編』として一冊にまとめられた。

 

ジュニアはまだ血気盛んな若者で、小鉄から昔の武勇伝を聞きたがったり、退屈しのぎにヤクザ猫たちと付き合って小鉄に叱られたりする。小鉄に色恋の話をねだったりすることもある。ジュニア自身はその道に関してははなはだウブで、初恋に敗れたことがいまだに心の傷になっている。また、父親のアントニオに対して過剰なほどの憧れとコンプレックスを持っている。

 

小鉄はそんなジュニアの若さをうまくコントロールし、戒め、教え導く慈父のような役割を果たしているのだが、その手腕がもっとも要求されるのが、ジュニアが決まってノイローゼに陥る春の季節だ。

 

ジュニアのノイローゼは、ありあまるエネルギーが内向することで生じる青春特有の病である。小鉄はそのたびに、ジュニアのエネルギーを外に向けて放出させたり、丹念なカウンセリングを行うことで解決を図ろうとする。

 

小鉄自身、若い頃は「男というものに過剰な思い入れをしていた」時期があった。彼自身多くは語らないが、手痛い失敗をしたこともあっただろう。小鉄といえども、最初からあれほどの人格者であったわけではない。長年の人生体験によって精神的に鍛えられていったのである。だからこそ、彼の言葉には重みと含蓄がある。

 

月の輪の雷蔵伝説

 

若い頃、小鉄の名声を一躍全国的に広めることになったのは、数十匹のヤクザ猫相手にダイナマイト抗争を演じた九州「猫町銀座」での伝説的な活躍である。ここで小鉄は、対立する大阪ヤクザの集団と九州地元ヤクザの集団にたった一匹で立ち向かい、もろとも叩き潰すという離れ業を行っている。

 

このときの逸話の一部始終は『どらン猫小鉄』という一冊の本にまとめられている。

この物語はとにかく強烈に面白い。未読の方は、どんなことをしてでも読むべきだと思う。

これを読めば、小鉄がいかに凄い猫かということが分かる。

(『どらン猫小鉄』についての秀逸な解説はこちら

 

「月の輪の雷蔵」の名前はこのときに生まれた。小鉄のシンボルマークである眉間の三日月の傷(月の輪)もこのときにできた。おそらく一生残りつづけるであろうこの傷は、おそらく小鉄の生涯最大の敵カズヒサのブーメランナイフによってつけられたものだ。

ならず者たちを一掃して「猫町銀座」復興の父となった小鉄は、全国にその名を轟かせることになる。同時に小鉄は、この「月の輪の雷蔵」という伝説と残りの人生を通じて格闘することにもなってしまう。とにかく、「月の輪の雷蔵」を倒して名を上げたいという猫がひっきりなしに小鉄のもとを訪れるようになるのだ。

 

チエの家に転がり込んだとき、小鉄はそうした過去のしがらみから自由になることを求めていたのだろう。しかし、そうはいかなかった…。おそらく小鉄は死ぬまでこの伝説と闘うことになるのだろう。もしかしたらカズヒサはじめ九州ヤクザ猫たちの怨霊(?)の因縁かもしれない。

 

小鉄の名セリフ

 

『じゃりン子チエ』の数ある名セリフの中でも、小鉄は特に心に残るセリフを吐く。

その最初のものは、アントニオの仇討ちに来たジュニアと墓場で対決した後につぶやく

 

「人間とつきあうと苦労するよ」(第2巻「アントンJr.vs小鉄」)

 

だろう。このセリフで、小鉄は作品世界での卓越した地位を不動のものにした。

 

他にも、チエとヒラメがひょうたん池に写生に行って、ヒラメが一日かけて仕上げた絵を見て小鉄が叫ぶ、

 

「傑作や!!」(第6巻「ヒラメちゃんの隠れた才能」)

 

とか、

自分の顔はテツの遺伝ではないかと悩むチエに対して小鉄がそっとつぶやく一言、

 

「ワシのことは分からんけど、チエちゃんがどっちに似たのかは分かる。

 チエちゃんの横顔はお母はんにそっくりや」(第7巻「父兄運動会A」)

 

なども、印象的なセリフだ。小鉄がチエやヒラメを見守る暖かい気持ちが伝わってくる。

 

チエやヒラメの言動を実の親よりもよく知っている小鉄は、作品世界のタブーに迫るような痛烈な言葉を吐くこともある。

 

あるとき、チエとヒラメが宿題をズルしてヒラメの兄さんにやってもらった答えを書き写しているのを見た小鉄は、

 

「よおわかったわ…あんなことばっかりしてるから二人ともいつまでたっても五年生なんや」

(第11巻「ギリが二つのイヤな奴」)

 

と言って出ていってしまうのだ。

 

小鉄はまた芸術のよき理解者でもある。

 

ひょうたん池でヒラメの絵を「傑作や!」と断言したことは前に述べたし、大阪のコンクールで金賞を取ることになる「アッパーカット」という絵を見た時にも、絵の鑑賞の仕方をジュニアに講釈している。

 

また、チエとオバアはんがヒラメから来た年賀状を見てこのハガキは将来値が出るという話をしているのを聞いた小鉄は、

 

「芸術から一番遠い話してるなあ…」(第13巻「値上げはほどほどに」)

 

と呆れている。

 

小鉄の精神は、物事を金や損得でしか考えられない人間のあさましい根性をはるかに超えた高みに達しているのだ。

 

もっとも、小鉄といえども食い気には勝てないときがあるようだ。晩ご飯がもらえなくてマサルに奴当たりしたこともある。(第2巻「文部省選定映画の見方」)

 

山の中のあいつ

 

小鉄はテツのことが嫌いである。これは作品中での両者の絡みを見れば一目瞭然だ。チエにいつも迷惑をかけているテツを嫌うのは、チエのファンとしての小鉄の立場上、分かるような気もするが、それにしても、敵に対しても寛容で度量の大きい「人格者」小鉄にしては、テツに対するあの激しいまでの嫌悪感は少し大人気ないという感じがしないでもない。

 

ひとつ、このことの原因を探ってみよう。

 

「考察:テツ」の中で私は、テツが「男」であることに強いこだわりと思い入れを持っていると述べた。また先ほど、小鉄も若い頃は「男」というものに過剰な幻想を持っていたときがあったと書いた。(ちなみに、「必殺タマつぶし」という技は、いかにも小鉄の「男」へのこだわりを象徴している。)

 

しかし小鉄は、すでに「男」という幻想から解放されている。その意味で、彼はテツよりも一段高い境地に達しているわけだ。

 

小鉄は、「男」にこだわって頑なに突っ張り、女性陣にアホな反抗を試みるテツを見るとき、なんとなくかつての自分を見るような近親憎悪に襲われるのではないだろうか。それが、テツに対するあれほどの攻撃性につながるのだ。

 

同じことはジュニアに対しても言えるが、年下であるジュニアに対しては、小鉄は先に述べたように慈父の態度で接している。

 

小鉄はある日、彼が「男」へのこだわりから解放されるきっかけになった出来事をジュニアに語って聞かせている。過去を語りたがらない小鉄にしては珍しいことだ。

この物語は、『じゃりン子チエ番外編』「山の中のあいつ」の巻に収められている。

 

小鉄が「月の輪の雷蔵」として流浪生活を送っていたあるとき、山の中で奇妙な男(猫)に出会った。何か鋭い目をした猫で、小鉄のことには気づくそぶりも見せない。その男のそばで過ごした次の日、ならず者風の猫たちが3匹やって来た。一見親しげだが、明らかに小鉄かその男のどちらかを狙っている。小鉄には、「あいつ」が敵か味方か分からない。

 

平静を装いながらも張り詰めた雰囲気の中で数日が過ぎる。

 

新月の夜、焚き火を囲んでいた五匹の猫は、火が消えた瞬間が勝負だと悟っていた。

 

突風で焚き火が消える。闇の中で小鉄は2匹を倒し、そのまま逃走する。

 

次の日、道の向こうから歩いてきた「あいつ」を見た小鉄は、すれ違いざまに「俺は二匹倒した」という意味を込めて二本の指を突き出して見せる。すると、「あいつ」も二本の指を立てて歩いて行った。男の顔は、もう何もかもふっきれたように爽やかな表情だった…

 

そういう話だ。

 

この話を聞かされたジュニアは、五匹のうち、小鉄が倒したのが二匹とすれば、残りは「あいつ」と小鉄を除けば一匹。「あいつ」が二匹倒したとするなら一匹足りず、計算が合わないと言って騒ぐ。

 

しかし、小鉄には分かっていた。足りない一匹は「あいつ」自身だったのだ。

 

ジュニアにこの話の意味が分かるときはくるのだろうか? たぶんテツには死ぬまで分からないだろうが…

 

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