考察:花井拳骨

『チエ』唯一のインテリ

 

「考察:小鉄」の中で、『チエ』には作品世界を一定の枠の中に保ち、常識と「品」を与える役割を持った人格者が登場しており、花井拳骨はその一人であると述べた。

 

『チエ』における花井拳骨の位置付けは、「インテリ」という言葉に象徴されている。

 

実際、花井拳骨は押しも押されもせぬ大インテリである。京都の帝国大学を主席で卒業し、中国文学(特に李白)研究の大家として名誉ある文化賞を受賞しているのだ。現在は孤高の学者として、文筆活動をしながら悠悠自適の生活を送っている。

 

拳骨は社会的にも尊敬されるべき立場にいるが、「世間」が花井拳骨を見る目と、チエたち西萩住民が「インテリ」花井拳骨を見る目はまったく異なっている。世間は、文学賞の受賞や週刊誌の記事といった外側しか見ていないのに対し、チエたちは拳骨の人格そのものを見ているからだ。

 

西萩住民が拳骨を「インテリ」と呼ぶとき、そこには、「庶民」がその称号を用いるときにつきものの微かな憎悪や軽蔑の意味合いはまるで込められてはいない。彼らは、こう言ってもよければ、拳骨を心から尊敬している。

 

「世間」との窓口

拳骨は、西萩という、ある意味で自閉的な共同体と、「外部」の一般社会(世間)とをつなぐ役割を担っている。花井拳骨という「窓口」を通して、チエの一家は彼らにとって「異質」な外部の「世間」との関わりを持つ。それは、裏を返せば、花井拳骨の存在が、われわれにとっては「向こう側」の存在であるチエたちとわれわれを結びつけるつなぎ目だということでもある。

 

たとえば、第2巻「テツの同窓会」の話を読んでもらいたい。そこには、拳骨のかつての教え子であり、テツやミツルの小学校の同級生でもある人々が出てくる。

 

会社での昇進や出世、世間の体面を気にする普通のサラリーマンである彼らは、ある意味でわれわれ読者と同じ側にいる、世間的に言えば「ノーマルな」人々である。

 

しかし、『チエ』の中では、彼らは徹底的に「異質」な外部の人々として扱われる。彼らはテツにどつきまくられて、ボコボコにされるのだが、拳骨もチエも、さらには花井渉さえもが、彼らがテツにどつかれるのを許すばかりか、それに歓声を送っているのだ。

 

そして、不思議なことに、われわれはこれを読みながら、テツにどつかれるサラリーマンたち(われわれと同じ側にいる人々)にはなんの同情も感じず、圧倒的にテツに共感するのである。

 

拳骨を通してチエたちが外部社会と接点を持つ話は他にもいくつかある。

その一つは、拳骨が「毎朝出版文化賞」を受賞したことを記念して母校の大学で開かれた講演会にチエとテツがついていった(連れて行かれた)ときだ。

 

もちろん、チエもテツも、大学を見るのも初めてなら、その敷地に入るのも初めてである。

二人は、拳骨の講演を聞いてもちんぷんかんぷんで、チエなどは居眠りしてしまう。

話は李白の研究に関するものだったから、チエが退屈で眠ってしまうのも無理はない。

(講演の内容はさわりしか書かれていないが、興味深い箇所もあるので、再び取り上げる。)

 

このエピソードからは、「世間」における拳骨の仕事の一端が垣間見れるわけだが、その仕事はチエたちから見てまったく異質な、まるで別の宇宙で行われているような代物でしかない。中学生の頃から拳骨とつきあいのあるヨシ江ですら、彼が李白の研究をしていたということを文化賞受賞の新聞記事で初めて知るのである。

 

拳骨の受賞は新聞にでかでかと載っていることからして、世間的には相当な事件と言ってよいだろう。しかし、西萩住民にとっては所詮別世界の出来事でしかなかった。オバアはんやヨシ江が茶飲みがてら「センセ、おめでとうございます」と一言お祝いを言えば済むような話だったのだ。

 

拳骨が大きく世間の注目を集めたもう一つの出来事は、テツたちと警官とのラグビー試合の際、ケンカを止めに入って大乱闘になったのが大々的に雑誌で特集され、まるで「日本の国を相手にケンカした」ような書かれ方をしたときだ(第11巻「人気者 花井拳骨」)。

 

このときの記事のタイトルは「文壇の孤児 花井拳骨のバトルオブ西萩」であり、週刊誌のスクープ扱いである。これから推察するかぎり、花井拳骨という名前は世間的には相当有名らしい。この記事の後、花井家には記者たちが詰め掛け、大騒ぎになったとも描かれている。

 

しかし、この大事件についても、西萩住民たちは、多少驚きはしたものの、基本的にはどこ吹く風といった様子だ。テツが出版社に電話して金をゆすり取ろうとしたり、チエが拳骨の名前を利用して店の売上を伸ばそうとしたりするが、拳骨が「日本の国を相手にケンカしたみたいに」書かれたことが一体何を意味するのか、分かってはいない。

 

雑誌記事のニュアンスからすると、花井拳骨は社会的には「反体制知識人」に属する存在とみなされているようである。帝国大学時代に彼の論文を盗作した教授をフルチンで木にしばりつけたという強烈なエピソードからも、反体制、反権威の姿勢は十二分に伝わってくる。そんな花井拳骨だけに、マスコミにしてみれば、「警察とのケンカ」というのは格好の「ネタ」なのだ。レイモンド飛田が拳骨に選挙の応援演説を頼みに行ったのも(第12巻「選挙に向って」)、単に花井が「インテリ」だというだけではなく、彼が飛田のようなアウトローにも理解のある反体制思想の持ち主であるという知識があったからだろう。

 

拳骨の人生観

 

拳骨の愛する詩人李白もまた、当時の体制からはみ出して、孤高の中で芸術の世界に生きた知識人だった。もちろん無類の酒好きという点も共通している。

 

拳骨は「毎朝出版文化賞受賞記念講演」の中で、彼が李白に特別の関心を持ったのは、「横江詞 六首の其の五」を読んだことがきっかけになったと述べている。

これは、若き日の花井拳骨の人生観を垣間見ることができるなかなか興味深い作品である。

次のような詩だ。

 

横江館前 津吏 迎え

余に向かいて東のかた海雲の生ずるを指す

郎 今 渡らんと欲するは 何事に縁る

かくの如き風波は 行く可からず

 

(口語訳)

横江館の真ん前で 渡し場の役人が出迎えて、

わたしに向かって 東の海に広がる黒雲を指し示す。

「だんな 今から渡りたいなんて 冗談じゃありません。

この波や風ではとても 渡れるものではありません。」

 

拳骨がこれを読んだときに感じた深い感動の真意は学の浅い私には窺うべくもない。

ただ、ときあたかも昭和初期、全体主義の迫りつつある世相の中、権威主義的な息苦しい雰囲気の中で大学生活を送っていた当時の花井青年は、時代の重い空気を鋭敏に受け止める李白の感性に感じ入るところがあったのかもしれない。(原作から推察するに拳骨は大正デモクラシーの自由主義の息吹を味わいながら育った世代に属すると考えられる。)

 

なお、この「横江詞 六首」については、創作時期について専門家の意見が分かれているらしいが(青春期の作か晩年の作か)、拳骨はどちらの説を取っているのか、興味あるところではある。

体制側に反発しながらも帝国大学を主席で卒業した拳骨は、普通なら大学に残って研究者としての道を歩むのが当然であったろうが、敢えてアカデミズムの内側で生きることを拒絶し、西萩小学校の一教員に赴任する。なんだか夏目漱石を彷彿とさせるエピソードである。(漱石と拳骨の間には他にもいくつか興味深い一致があるが、ここで詳しくは触れない。)

 

その西萩小学校で、拳骨にとって運命の出会いが待っていたのだった。

 

師弟の絆

 

小学校に入学してきたときから問題児だった竹本テツを、拳骨は「他の者には任せられない」といって、六年間担任をする。六年生のときに素行不良のテツを鑑別所に送ったのも拳骨である(少なくともテツはそう信じている)。おかげでテツは小学校卒業を鑑別所の中で迎えることになる。

 

テツと拳骨との絆は小学校で終わることはなく、拳骨は中学生のテツと、当時南海地区の花形リレーランナーだったヨシ江を引き合わせる「愛のキューピッド」となり、二人の仲の進展を見守った。挙句、10年以上も付き合いながらも煮え切らない態度を取り続けるテツを、強引にヨシ江にプロポーズさせる。二人の仲人も務めた。

 

その後は、一時期距離を置いていたものの、ヨシ江に逃げられたテツのもとに乗り込み、二人に再び縒りを戻させる。それからは周知のとおり竹本家にとってなくてはならない存在であり続けている。

 

拳骨はテツの人生の大半に関わっており、生涯を通じて保護者の役割を果たしている。一方、「愛弟子」たるテツは、師に対しては一見怒りと憎しみしか抱いていないように振舞っているのだが、心の奥底では、拳骨という「ストッパー」なしには「地獄に落ちる」だろうことに気づいてはいる(第15巻「トモダチって何?」)。

 

この師弟の絆は『チエ』という作品中でもそのユニークさにおいて異彩を放っている。この二人を主役にして一つのマンガが描けるほどだ。

 

拳骨のテツに対する気持ちがよく現われているのが、17巻「捨丸のオミヤゲ」に出てくる、拳骨が鑑別所のテツに送った手紙である。

拳骨は鑑別所にいるテツに毎日のように手紙を書いていた。テツが封も切らずに放り捨ててあったそれらの手紙を、じつに数十年ぶりに捨丸所長が届けてくれたのだ。

 

とても感動的な手紙なので、全文引用したい。

 

三度読め!

 

昨日ワシはまんじゅうを食ったぞ

おまえも知ってるように

ワシの嫁さんの家はまんじゅう屋をやってるからな タダでなんぼでも食えるんだ

昨日食ったまんじゅうは つりがねまんじゅうといって お寺のツリガネの中に

アンコをいっぱいにつめたやつだ

うまかったなあ…

ほんまにうまかったなあ…

テツにも食わしてやりたかったよ

 

こんなにうまいまんじゅうをテツにやれんと思うと ワシはもう悲しくて悲しくて

ほんとになみだが出てしまったぞ

 

よく考えろ どおしておまえはこんなにおいしいツリガネまんじゅうを食べれないのだ

おまえが家にいてたら ワシといっしょにこのツリガネまんじゅうが食べれたんだぞ

 

早く帰ってこい そこでツリガネまんじゅうが食べれるか

こんなにおいしいツリガネまんじゅう……

ほんとにおいしい……こんなにおいしい……

 

テツ早く帰ってこい……

 

拳骨の妻

 

拳骨には、12年前に先立たれた妻がいる。彼女は、拳骨以上にテツのことを可愛がっていた。テツも彼女のことが好きで、拳骨がいないときに家によく遊びに行っていたらしい。

 

テツがヨシ江と付き合っているのを誰よりも喜んでいたのは拳骨の妻だった。ヨシ江なら自分が亡き後も安心してテツの面倒を委ねられると思っていたのだろう。彼女は、拳骨がテツに暴力を振るうことには反対していた。テツによれば、彼女は死の床にあってさえ、拳骨にテツを殴らないよう頼んだという。(15巻「アルバムを見るときは落ち着かない」)

 

拳骨にとって、愛妻を失ったことがどれほど身心にこたえたかは想像に難くない。拳骨がもともと好きだった酒に一層深入れすることになったのも、妻の死と無関係ではなかろう。もしかしたら、拳骨のテツに対する執着は、妻の思い出への執着でもあるのかもしれない。

学問上の師に裏切られた経験を持つ花井が、畢生の名著『李白小伝』を捧げたのは、あるいは亡き妻に対してではなかったか?

 

かつて、鑑別所に入っていたテツを花井の妻が訪問したとき、テツは記念撮影するために所長も含め鑑別所の全員をカメラの前に並ばせたという。(15巻「花井恥かしアルバム」)

 

写真の真ん中には得意満面のテツと花井の妻が並んで立っている。この写真が、生前の彼女の面影を偲ばせるわれわれにとって唯一の手がかりである。

どことなくヨシ江に似ていると思うのは私だけだろうか…。

 

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