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人間とはつくづく弱いものと思う。 国会であれだけ歯切れよく政府や役人たちの失政を追及し、鈴木宗男の疑惑を批判し続けていた辻本清美も、自分のこととなると嘘をついてしまう。 マスコミの前で嘘をついてしまったことが彼女の致命傷となった。 もし嘘をつかなければ、あるいは同情が集まって急場を切り抜けられたかもしれないが、いかんせん後の祭りであろう。
自分の場合はなんとか切り抜けられるだろうと考えるのが甘さであり、大衆の支持を受けてチヤホヤされいささか思い上がっていたための脇の甘さと判断する。
自分の嘘を認めたあとでも、このようなこと(名義を借りた政策秘書の給与をプールして使っていた)をしているのは自分だけではない、などと言って粘っていたのは見苦しく、例えば交通違反をしたら罰を受けるのは当然であり、他の人でもやっているといっても許されることはないのだからナンセンスである。
粘ること自体彼女が批判した鈴木とその行動において大差ないと言われても仕方がないだろう。
そうはいっても、彼女の場合は法律に違反をしたが倫理的にはさしたることはなく、鈴木宗男の場合は法律に違反しているかどうかの立証は難しくても、倫理的に大いに問題があったことは万人が認めるところだろう。
だが彼女が正義を振りかざして大衆を味方につけ、マスコミのヒーローとして君臨した以上、その責任をより一層問われるのは当然である。
辻元清美の問題は、社民党ぐるみの問題であるともいわれているが、何らかの取引によってうやむやになるだろう。
こんな事を言ったら怒られるだろうが、一説によれば、辻元はパフォーマンスは好きだが政治的駆け引きは苦手だったという。
そんなことがこの事件の背景にあったのかもしれない。
一方石原慎太郎であるが、彼もパフォーマンス好きであり、大衆に迎合した点において辻元清美と似ている。
銀行に対する外形課税は当然のことながら裁判で敗れた。(この課税については当論評で厳しく批判した〉
判決は銀行を狙いうちにした課税を認めなかったうえで「不良債権を処理する前の業務粗利益ではなく、原則通り所得を課税標準とすべきで、外形標準課税は許されない」と都が定めた条例の要請を認定。
ついで「地方自治体は法律の定める範囲内のみで課税自主権を行使できるにすぎない」と述べ、どの業種に課税するかは自治体の裁量にゆだねられている、とした東京都の主張を退けた。
さらに判決は「都知事は条例が法令に違反している可能性が高いと十分認識できたのに、条例を議会に提出、可決する結果を招い点に過失があった」と手厳しく「責任者の主税局長は銀行の業務粗利益が一般事業者の売り上げ総利益に相当するとの誤った説明を行うなど重過失に近い過失があった」(以上日本経済新聞)と容赦がない。
論旨は明快で、銀行側弁護団は全面勝訴と語っている。
これに対して石原都知事は「かなり変わった裁判官と聞いている。 情念的、感情的で冷静な裁判という感じがしない」とし「国民の意思が無視され、喜ぶのは銀行だけ」というそれこそ情念的感情的な反論で、そこには具体的かつ論理的なものは何1つなかった。
裁判官の人格を攻撃するのは、裁判に勝ち目のない弁護士たちの常套手段で、それをうのみにして反論し、国民まで持ち出して(国民は誰1人として銀行に外形課税しようなどと言っていなかった)いるのは情けない。
ここには銀行は悪であり、相手が悪であれば何をしたって構わないというまことにファッショ的な発想がある。
筆者は最近の銀行についてはこの欄でもたびたび批判しているが、だからといって銀行に対して何をしてもよいとは決して思わない。
法は万人に対し平等であり、世論が味方するからといって魔女狩りをしてはいけないのだ。
第一公的資金の注入を受けている、そしてさらにその追加が必要とされている銀行から余分な税金を取ってみたところで、それは公的資金の上前をはねたのと同じことであり、都民にとっては利益かもしれないが国民の利益にはならないのだ。
石原慎太郎も「NOと言える日本」などでは結構共感できることを言っているが、もともとファッショ的唯我独尊的でスノビッシュな男が都知事ならまだしも新党をつくって大衆に迎合しながら政界にカムバックすることは不快であり、国民にとって危険なことであるとここで改めて指摘しておく。
辻元清美も自分が法律違反をしてしまった以上、次の選挙で当選してきたとしても、今までのようなパフォーマンスは期待できるべくもないから、この際潔く彼女の才能が生かせる方面に転身するべきだろう。
さもなければ、スキャンダルまみれで辞任したり、離党した代議士が次の選挙で再選されて復活する自民党はけしからん、といって攻撃することなどできないはずだ。
以 上
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