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政治的決着というのは、互いの意見が異なり対立したときそれを解決する場合に行われる。 医療保険の問題で、小泉首相が言う三方一両損などはその典型的なものである。
しかし事実関係では、このような政治的な決着はあり得ない。
だから法廷で有罪無罪が争われているときには、裁判官は証拠を吟味しながらどちらかに判断を下す。
ご存じの通り、外務省の事件は、田中外務大臣、野上事務次官、鈴木議院運営委員長、の解任(辞任?)という形で一応の決着をみた。
これを三方一両損などという人もいるが、そんなことはない。
前回筆者が指摘しておいた通り、世間的な評価はともかく3人とも英雄になってしまい、事実関係はうやむやのままである。
小泉首相や福田官房長官は、これは言った言わないの問題である、などと事件を矮小化しているが、実はこの言った言わないという点に本質があるので、このことを解明しないで真の解決はあり得ない。
事実関係の対立であるからこそ、それを明らかにしなければいけないのである。
小泉首相はこれを判断する裁判官の立場にある。
そんなことを言っても当人同士2人のやりとりであるから、わからない、というのは逃げ口上である。
刑事事件ではないのだから、この際それを証明する証拠などは不必要だ。
あらゆる状況からの首相としての判断で良いのである。
自らの判断を棚上げにして、3人ともやめさせてしまうなどというのは、およそ古い型の政治的決着であり、物事をうやむやにしたままにしておけば、時間の経過とともに、やがては世間も忘れてしまうだろうという打算にすぎない。
今1番大事なことは国会で予算を通すことである、などというところに逃げ込んでしまってはいけない。
そうしなければ国民は納得することはないだろう。
第一政府の公式見解として、外務省は特定の政治家の圧力に従ったことはない、と言っているが、この特定の政治家が暗に鈴木代議士を指していることは言うまでもない。
ではなぜ彼は衆議院議員運営委員長という公職を辞任しなければならなかったのだろうか。 論理性が全くない。 鈴木代議士自らが否定し、政府もそれを公式に認めているにもかかわらず、辞任したのだ。
第一この問題は外務省の問題であり、もし彼がNGOの国際会議出席問題に関して何らかの関与をしていたために辞任するとすれば、それは自民党の外交部会の委員長ポストであるべきはずだ。 議院運営委員長の職とは何の関係もない。 責任のないことに責任をとって辞任する必要など毛頭ないのだ。
国会が空転しているからその不手際の責任を取るのだ、という理屈ならそのことをはっきりと本人が表明すべきである。この間の行動にまったく論理性がない。
福田官房長官は、1月24日の外務省内高官会議において鈴木代議士の圧力に関する話があった、という当時の田中大臣の発言に対して、その会議の出席メンバー全員に問いただしたが、全員からそのような事実はなかったと返事された、とその調査結果を報告している。
もしそれが真実であるとするならば、当時の田中大臣は国会の場で嘘をついていたことになり、そのことを本人に追及しなければならないが、それは行っていない。 どのような方法で、どのような言葉で、どのようなやり取りの下に上記の報告ができあがったのかという、その過程の説明がない。 論理的な一貫性を欠いている。
小泉首相は変な意見を聞くからいけないのだ、と暗に鈴木代議士の関与を認めるかのような発言をしているが、これも政府の公式見解と矛盾しており論理性がない。
外務省は正式に出席を認めたNGOの団体の出席を取り消したがその理由はあいまいなままである。
一方この団体の代表には外務省の局長が、会議に出席することを鈴木代議士が怒っているので出席したいなら代議士のところに謝りに行ってほしいと要請している。 外務省が独自に判断することであるならば正式には何の権限もない代議士に謝る必要などないのだ。 これまたどういう論理なのだろうか。
野上次官は田中大臣から、職を賭すつもりでこの団体を出席させよ、と命じられて、難しいけれどもやってみましょう、と言っている。(国会答弁)
大臣と次官が出席させようと思っても、「難しい」とはどういうことだろうか。 まったく論理が破綻している。
圧力などというものは、直接本人が行わなくても、間接的に行った方が効果がある。
だからほとんどの人が、鈴木代議士がこのNGOの団体を嫌い、国際会議の出席に待ったをかけたのは間違いないと思い、田中大臣を除く外務省の高官たちが、唯々諾々と彼の圧力に従い、情勢が悪いとみるやまた方向転換した、と考えているのである。
ただそのことを証明する公の裏付けがないから、何とはなしに不快感を持つことになる。
なあなあの物事の解決方法は今までの日本の旧態依然の手法であって、改革にそぐわないことを小泉首相は十分反省すべきである。
証拠はなくても事実関係を自分で判断して、だれが正しく誰が間違っているかということを表明すればよいだけではないか。 もしそれが間違っていたならば、責任を取ればいいだけの話だ。 それができなくて現在着手している改革などできるはずもないと思う。
野党の側もだらしがなく、真実が解明されないとして国会の審議を拒否していたのに、問題の3人の辞任が決まると、それだけであっさり審議再開に応じてしまった。これまた全く論理性にかけた対応だ。
そもそも審議拒否などという手法がまかり通るのも旧態依然の手法であり、真実の解明や、国民にとって必要な外務省の改革には何ら寄与しない。
最後にお断りしておくが、筆者は田中前外務大臣のようなタイプの人は個人的に好きでない。我侭お嬢様丸出しの人が外務大臣が勤まるとも思わない。
しかし外務官僚の思い上がりと腐敗の構図を暴こうとしたことだけは確かである。
そして外務官僚が日本の国益そっちのけで、自分たちの組織や利権を守ろうとしたのも確かだと思う。
論理性の全くない議論や手法を捨て、真の改革がなされることを、小泉首相と川口新外務大臣にお願いしておく。
以 上
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