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特殊法人の廃止か民営化を小泉首相が指示したところ、各省庁からの回答はすべて反対、あるいは時期尚早ということである。つまりゼロ回答なのだ。
そもそも役人というものは、公僕であって、公僕というのは国家や国民のためになるように仕事をするものである。
ところが彼らの論理(組織の論理)に従えば、自分たちの省庁の利害得失がまず前面に出てきて、国家や国民の利益は全く考えられていない。
唯一民営化しますと回答したのは道路公団であるが、それも20年後に民営化しますという人を小馬鹿にした回答である。 それまでは現在すでに建設計画が決まっている道路は道路公団の手によって建設し続けなければならないからだという。
20年の間にはどのような情勢の変化があるかもわからず、現在決まっている道路の建設だってその実行は計画より遅れるに決まっているのだから、いわばいつまでも道路公団はなくならないということが全く見え見えの解答なのである。
公社公団のひとつでも良い、わかりました民営化しましょう、その代わり私たちにやらせてください、うまくいかなければ責任をとります、といった歯切れのよい回答があってもよいではないか。
彼らの論理は一貫している。民営化などしたら国民が困ります、公益に反しますというものである。
道路公団は民営化などしたら通行料金がどんどん値上げされますよと言わないまでも臭わせている。
住宅金融公庫は安い金利で庶民が住宅を買いやすくしたのはわれわれであって、民営化などしたらどうなるか分かりませんよ、と臭わせている。
世論調査によれば、ほとんどの人が住宅公団は必要、と言っていますなどと言っている。
しかしこれらの論理は全くのまやかしであり、彼らだってそのことに十分気がついているはずである。組織のためなら多少のごまかしは構わないと思っているのではないだろうか。
道路公団は黒字であるという。しかしこの計算は民間の企業とは異なり減価償却を行っていないし、新しい道路建設も毎年政府から多額の資金(つまりわれわれの税金)が投入されているからこそできる、ということは棚上げされている。
しかも現在建設が計画されているものはほとんどが赤字が予想されているというのにである。
利用者のためになってる、などと言うのが当てにならないことは、前にもこの論評で指摘したようにまったく意味のないサービスエリアでの女性従業員が500人以上いることでも分かる。
民営化すれば無駄を排除し、赤字路線を建設するということもそこそこに抑えるだろうから、国民の税金がこれに投入されることは大幅に減ることが予想される。
およそ親方日の丸であれば、公益に名を借りて効率などは二の次になることは昔の国鉄を見ても明らかであり、現状よりよくなるであろうことはほとんど疑う余地がない。
また住宅金融公庫はこれまた多額の政府からの補助金(再びいうわれわれの税金)によって金利が安くなっているだけであるから、これまた経営の効率などということとは離れた存在なのである。
金利が安いということを武器として、しかもお上がやるということを武器として抵当権は常に1番であるから、民間はとても太刀打ちできないのである。
もしこれを民営化すれば、金利を高くしなくても政府からの補助金は大幅に減らせるはずであるし、それができるかできないかが経営者の手腕ということになるのだ。そうなるかならないかは、やってみなければわからないのであり、およそ今までもさんざん論証してきたように、役人のすることは効率の悪いことは明らかであるから、民営化しても国民の利益にこそなれ不利益とはならないのである。
少し話はそれるがこういうことがあった。
今から20年以上昔の話で少し記憶もあやふやであるが、東京都で中小企業に無条件で三十万円を貸し出すというような制度があった。ところがその総資金は三千万円と極めて少額であるにもかかわらず、貸し出しの審査や管理のために3人の役人が専従していた。当時はいまより人件費が安かったとはいえ、この制度の効果と費用が全く見合っていないことは明らかである。数字は間違っているかもしれないが、当時そのあまりの非効率にあきれた覚えがある。
それでも彼らは、この制度は役に立っていますとか喜ばれていますとか言って平気だったのである。
これが役人の感覚であって、現在でも少しも変わっていないと筆者は信じている。
世論調査というものもひどいもので、「住宅金融公庫は必要と思いますか」と街を行く人に質問したら、その70%以上の人は必要と思いますと答えた、などということをテレビが平気で報道している。
この質問には住宅金融公庫がなくなった場合、あるいは民営化した場合にはどういうふうになるのかという前提が欠落している。また住宅金融公庫から融資を受けている人は、国民の税金によって金利が賄われている、ということが説明されていない。短絡的に公庫がなくなれば金利が高くなると印象づけているだけなのだ。
そんなことは100も承知のうえで、役人どもは国民が必要と言っていますなどと主張するのである。
今北海道で狂牛病にかかった牛が出たというニュースがあった。
そもそもこの問題についてはこういう話がある。
日本の農水省が日本での危険性を評価してもらおうと海外の専門団体に調査を依頼した。(もちろん費用も払ったのだろう)その結果は5段階評価の真ん中の3。ヨーロッパ諸国より評価は悪かった。その結論を事前に知らされあわてた農水省はその評価依頼を取り消してしまった。(多分費用は払ったままだろう)依頼をしていないのだから結果は発表しなくても良いというわけである。
イギリスは自分の国では狂牛病の原因とされる飼料を発売禁止としたが、EU以外の地域の輸出を止めることはしなかった。
そこでこれらの飼料はもっぱらアジア地域に輸出されわが国でも結構使っていたからである。
農水省は自分たちが取り仕切って管理管理している日本の牛肉にそのような危険性があることを公表したくくなかったのである。
このことを通じて次のことがわかる。
第一は日本の役人どもの徳川時代の旧弊をそのまま引きずった、依らしむべし知らしむべからず、という感覚である。もっとも日本の民度も低く、知らせたら騒ぎが大きくなるだけ、ということもある。
第二に勉強不足でそのような飼料の輸入を止めることができなかった、ということである。
第三に、ここが大切なところであるが、自分の国では危険であるとして発売禁止した飼料を平気で輸出したイギリスになんの抗議もしていないらしいことである。国民には威張り外国には弱い体質は外務省だけではない。
このような体質は現在議論されている公社公団問題においても同じようにつながっているのである。
だいぶ役人の悪口を言ったが、立派な人格識見を持った人もたくさんいる。だがどんなに立派な人であっても、例外なしに組織の論理に逆らうことはできない。これが1番の問題である。
衆を頼んで改革に抵抗する役人の土根性にははあきれるほかはないが、小泉首相率いるいまの政府に改革をやり通す役人たちに負けない力はあるのだろうか。
以 上
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