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株式市場は近代化されているだろうか。
もともと株式投資は、株式会社に投資することによって、その会社が利益をあげれば配当をもらうことを本来の目的としている。
この目的が、いつのころからか歪められてしまった。バブルのころの土地投資が収益率を無視して単なる需要と供給の関係で乱高下したのと、株式投資が配当を無視してやはり需要と供給の関係で乱高下したのは記憶に新しいところである。
もちろん株式は土地と違って、将来の事業の発展の予測が入ってくるから、大きく発展すると思われる会社の株は配当率を無視しても、やがて得られるであろう果実を期待して、価格が上がるという性質のものであることは、言うまでもない。しかし過ぎたるは及ばざるがごとしである。
もう今ではさんざん論じられているが、いわゆる通信株、ネット株は、その実態からかけ離れた価格が形成されていた。
筆者がここで言いたいのは、いまだに残る証券会社や株式評論家の古い体質である。株式市場の2極化などとはやして、優良株よさようなら、新しい会社こそこれからの株式市場をリードする、と先月までは主張していたではないか。
光通信(株)などは時代の花形株であるなどと言っていたが、そもそもこの会社は単なる携帯電話の小売り業者なのであるから、商業として分類されるはずのところ、NTTなどと並んで通信株として扱っている。社名からして光通信事業とは何の関係もないのに、光通信と名乗っているところなどは、昔中小の不動産屋が著名な会社と紛らわしい社名で信用をつけようとしていたのと同じようにいかがわしいのである。
株式上場に際しての審査については、会社の組織の在り方だとか文書のてにをはに至るまで細かく口出しするくせに、こういう肝心なところがまったく欠如しているのは、古い株屋の体質がそのまま残っているといわれても仕方がないではないか。
手前みそになるが、この会社の株を買った人に早めに売却することを勧め、そこからさらに5倍ぐらい値上がりしてかなりうらまれたが、今日現在長期にわたる出来高のないストップ安が続いていて、数カ月前の公募価格を割込んでしまい、今では感謝されている。
証券会社や株式評論家は、株式の投資は、値上がり益を得ることであるかもしれないが、そもそもの本来の目的は、冒頭に記したように、その会社の収益をシェアすることであるとPRするべきなのではないだろうか。
もっとも昨今の経営者たちは、株主のことなどまるで考えず、配当を増やすと社外に資金が流出してしまう、などというものがいるのだからあきれてしまう。会社の金は経営者のものであると錯覚しているようである。
なおここで付け加えておきたいのは、公開会社の株主についてである。特定の株主が50%以上所有している場合は、公開を認めないぐらいにしてもよいのではないか。
市場に出る株式が極端に少なければ価格が乱高下しやすいし、経営者がこの特定の株主のことばかり考えるという弊害もある。
株式市場の健全化を考える場合、証券会社の株屋的古い体質の改善と、経営者の自覚が最も重要である。
以上
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