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田中外務大臣と外務省の対立は依然として続いている。それについて国会議員や評論家やマスコミがあれやこれやとやかましい議論を続けている。
だがこの問題の本質を失ってはいけない。
本質は外務省の省益を守ろうとする役人たちの抵抗がすべてだということである。
それなくしてはすべての問題は発生していないだろう。
田中真紀子が改革を旗印に掲げ、機密費問題で外務省高官たちの責任を追及し、人事も彼らの思う通りにはさせないために、組織を防衛しようと抵抗しているのである。
この際田中真紀子が外務大臣として適格であるかどうか、ということは別の問題である。この辺を取り違えると議論がすり替えられて、外務官僚たちの思惑通りの展開となってしまう。
そもそも彼女がアメリカのパウエルとの会談が予定20分のところわずか3分ぐらいで終わってしまったところから始まる。彼に馬鹿にされたのかあるいは外務官僚の会談セットの(故意の)不手際であろう。ヒステリックな彼女が相当怒っただろうことは容易に想像できる。だからアーミテージ国務次官補が来日したって私は会いませんよというわけである。 だから事務次官たちもぜ会わなければいけないとは言わなかった。そして後から問題を大きくした。このほか外務官僚たちは新聞報道に詳しいように諸外国の外務大臣との非公式の会話の中身を次から次へと漏らした。 田中外務大臣はそんなことは言っていないとか弁明しているが、それが本当かどうかは別として、内容を漏らしたのは外務省の役人たちであるということだ。相手先から漏れてきたのではなく、こちら側から漏れているのだ。そこが非常に大きな問題であって、もし田中外務大臣が国益に反するようなことを発言したと彼らが判断すれば、それを打ち消す立場にあるのが外務省の役人たちであるべきはずである。
ところが打ち消すどころか煽りたてている気配がある。国益に反するようなことを日本の外務大臣が発言したと確定付けているようなものである。外務大臣の発言以上に国益に反するようなことを平気でやっているわけである。役人たちは大臣とのケンカに勝つことが最大唯一の目的であって、それによって国内が混乱しようが、外交問題に発展しようがおかまいなしである。
ここに官僚としてのモラルの頽廃がある。大臣が正しいか、役人たちが正しいかというレベルの争いではないのだ。自分たちの痛いところつかれたり、利益に反するとなれば、その問題とは別のところに新しい問題を作り、そこを争うことによって問題の本質をそらしてしまう手口を使っているのである。
田中真紀子が大臣として不適格であれば、彼女がしようとしていることはすべて間違っているという方向にもっていこうとしているわけである。
よく国会討論などで、共産党が正論を発すると返答に困って、共産党のいうことだから間違いだという不思議な論理で否定するのに似ている。共産党だって訳がわからぬことも言えば、正しいこともいうのである。正正堂々の議論もせずに、問題の本質と違うところで自分たちに有利に結果を持っていこうとするのは、世界には通用しない日本だけの独特の世界である。
外務官僚の後ろには自民党の鈴木宗夫がその背後には橋本派がいることは衆目の一致するところである。そもそもこの鈴木宗夫は中川一郎の秘書で、中川が自殺する直前に、彼は実に恐ろしい男だと漏らしいたと週刊文春にあたかも彼の自殺のカギを握る男であるかのような書き方をされた男だという記憶がある。
これが橋本派の親分野中の一の子分であるから、目的のためには手段を選ばないことなど朝飯前なのだろう。
政治の世界はともかくとして、在外邦人にはやたらと威張り散らし、外国の要人や日本の政治家には媚び諂うことで極めて評判の悪い大使公使や外務官僚、海外に2年か3年いれば1財産できる外務官僚、飛行機で1日あればどこにでも行けるこの時代に、船旅しかなかった時代の1カ月の休暇をいまだに取り続ける外務官僚、松尾室長のあれだけの横領をわからなかった外務官僚、さすれば他にも多くの無駄遣いがあるに決まっている外務官僚、そして何よりも自分たちの利益のためには国を混乱に陥れても平気な外務官僚、彼らの実態にメスを入れ改革するのは小泉内閣のしなければならないことのひとつであり、たとえ田中真紀子をクビにしても、その前に必ず実行すべきだ。
彼らに本当に国を思う心があれば、内輪の恥じは表に出さず、大臣の言動に問題があれば辞表をたたきつけて諫言するぐらいの行動をとりそうなものだが、それすらできない連中に、われわれは外交をさせるわけにはいかないのである。
以 上
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