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新聞や雑誌の報道をうのみにして信じてはいけないが、今度外務大臣になった田中真紀子はなかなか感情の起伏の激しい人のようだ。
それは、テレビ中継で秘書(あるいは役人)が資料をは渡そうとしたのを激しく払いのけるしぐさがあったが、それだけでも十分にうかがえる。
その発言の中身を聞いても、正しいか正しくないかは別として、思ったことズバズバ言うから、敵ができるのは無理もない。特に外務省の役人たちがてこずっているのは当然だろう。
だからといって、その行動や言葉の端々をとらえて人格攻撃をするのはいかがなものかと思う。
特に国会の予算委員会の席上で、外務省出身の議員が自らの意見ではなく新聞記事を読みあげて、精神分析が必要であるとか、米国から来たアーミテージ国務副長官と会見しなかったことを取り上げて、今日まで積み上げてきた外務省130年の歴史を台無しにするものであると攻撃していたが、まことに見苦しい風景であった。もしそれがそんなに大切なことであり、国益を害することであるならば、外務次官や局長たちは身を賭してでも大臣を諌め、会見を実現させるべきではなかったのか。130年の歴史の中では、あの第二次世界大戦に走っていった過去もあるではないかと言いたい。
田中外務大臣は次官や官房長と相談のうえ、日程調整中の段階であるので会見しなかったと国会答弁している。
彼が古巣の外務省の役人たちの意を受けて、発言したであろうことは容易に想像できる。なんとなれば、本来大臣を補佐する立場にある外務省の役人たちは、外務省出身の議員とは持ちつ持たれつの関係にあるのだから、その影響力を発揮して大臣をいじめないでくれと運動して議員の発言を弱めるようにするはずなのが、その反対に彼の発言が他の野党の質問者と比べて最も激しかったことからも分かる。
もともと役人たちは、昔からどんなわからず屋の人間が大臣になろうとも、それを一所懸命支えてきた。ただしそれにはたったひとつだけ条件がある。それは役人たちの組織や権限や利益を大きく損なわないということである。彼らは、多少の事なら我慢する、だが根幹にかかわるようなことに関しては必死で抵抗する。 橋本龍太郎がやった行政改革とやらいうものも、何か途方もない大きな仕事をしたように言われているが、筆者にすれば、あっちをくっつけたり、こっちを分けたりしただけのことで、このぐらいなら役人たちは我慢する。 田中外務大臣は、機密費や、北方領土の問題、とりわけ課長級の人事についてまで具体的に踏み込んで、役人たちの意見を聞こうとしなかった。虎の尾を踏んだのである。
それがこの議員の国会質問に名を借りた、個人攻撃に現れたのである。
役人の国会答弁もひどかった。
国務副長官の会見は日程調整中であったと説明した後で、それ以上でもそれ以下でもありません、と余計なことを付け加えた。つまり間接的に巧妙なレトリックで大臣を批判した。
そもそも高級外務官僚は、何年か外国に行っていれば家が建つ、といわれている。不正なことをしているわけではない。現地では国の威信を保つためという理由で、豪邸に豪華な生活、その費用はすべて国費や外国で勤務する手当てで賄われてお釣りが来るという。本来の給与はそれとは別に日本円で支払われるのだからもっともな話である。
このような構造にメスを入れ、ロシアにはいいように振り回され、アメリカには頭を下げ放し、ちょっと中国や韓国に脅かされるとペコペコする近年の歴史を、根底から覆す必要がある。
国粋主義者ではないが、あまり過去からのいきさつにこだわったり、言うべきことを言わないでいたりすると、国益を損なうことおびただしい。
田中外務大臣は、冷静に、かつ蛮勇をふるってことに当たってほしい。
官僚たちから恫喝された、とも発言しているが、感情を抑え、信念を持って行動してほしい。
大きな大臣室の中で大勢の官僚たちに取り囲まれ、中には大きな声を出す者もいる、とも言っているが、それが昔から衆を頼む日本人の癖で、自分たちに都合の悪いことが生じたときにそれに抵抗する典型的なパターンである。
筆者もある会社の監査役時代、営業の不正販売を摘発したとき、営業のトップが部課長たちをずらりと引き連れてきて、口々に営業の立場を理解してくれとか、あまり固いことを言うと売り上げが落ちて会社のためにならないとか、ある者は穏やかに、ある者は強い口調で自分たちの立場を主張した。人間だからこういう行動を取られると思わず気がひるんだが、気を取り直して事実を曲げるようなことはしなかった。
外務大臣と比べれば、真にささいな出来事にすぎないが、パターンは似ているのでここに披露しておく。
ホワイトハウスのように、大臣室に録音機を付けておいたらいかがだろうか。
なお、以前はNHKの国会中継などはだれも見向きもしなかったが、最近では人だかりがするほどであるという。結構なことだ。
以 上
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