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01年3月6日のテーマ 目指せ弱肉強食金権社会?

 いま「金持ち父さん貧乏父さん」という本が売れている。本屋で立ち読みしただけだから(買う価値のない本である)必ずしも正確とはいえないが、ちょっとその内容を紹介しておこう。
 この本の著者は母親の関係で2人のまったく性格や行動様式の異なる父親を持った。1人は知識も教養も十分にある大学教授、1人は全く学歴はないが中小企業の経営者である。前者は貧乏父さん、後者は金持ち父さんである。
 貧乏父さんは金がないから子供に好きなもの買ってやることはできない。しばしば子供の要求に今それだけの余裕がないからといって断ってしまう。借金をしたりするのは大嫌い、請求書は右から左に支払ってしまう。金持ち父さんは他人の金を有効に使うことができる。従業員を巧みに使い、請求書は支払わなくてはいけないぎりぎりまで支払いを伸ばす。そして事業の成功者だからいつも金がある。例え事業に失敗してもすぐまた立ち直ることができる。
 この本は読者にどちらが良いかと問いながら、実際はこの金持ち父さんを肯定的に描いている。
 だから著者はこの金持ち父さんからさまざまな人生における行動パターンを学んでいくことになる。つまりどうすれば事業に成功し金持ちになれるかということである。時にその行動様式ははるかに大学教授である貧乏父さんより社会に役立つ。自分の周辺の人にも学校で勉強するよりももっと役に立つ生活の知恵を実践的に教えている。金持ちになることは世のため人のためにもよいというわけである。
 だが筆者は、果たしてそうだろうかと思う。およそ事業に成功した人が反倫理的な行動、違法行為とは言わなくてもそれに近いようなことを全くしなかった、などということは考えられないのである。
 なるほど金持ち父さんのすることや考え方は理にかなっており、うなずかされる点が多々ある。しかしそれだけで世の中の成功者になれるとは限らないのである。それにこの金持ち父さんでも、事業に失敗したときは多くの人に迷惑をかけたはずである。
 そんなことにはすっかり目をつぶってしまって、金持ちになることが究極の目的であり、かつ世のため人のためになるという思想に裏打ちされた考えは、その内容がいかに説得力があったとしても、すべての人が金持ちになることができない、という現実を考えてみれば絵空事である。
 第一金持ちといても相対的なもので、日本の安サラリーマンの収入だって、いわゆる発展途上国にあっては金持ちといっていいほどのものである。
 結局お金持ちという定義は、その社会の中にあって評価されるものであり、ある国では、衣食住に不自由のない人を差し、ある国ではバカンスを過ごすヨットや別荘持っている人、またある国では美術館が開けるほどの美術品のコレクションがある人である。つまり自分の周辺の他の人よりもより多くの資産を持っている人というほどの意味であり、すべての人が金持ちになるということは相対的かつ絶対的にあり得ないわけである。
 要は価値観の問題である。金があって子供に何でも与えることのできる人が、あるいはその子供が、幸せとは限らない。むしろそうでないケースの方が幸せだということが多い。人生いかに生きるべきか、ということは永遠の課題であるが、それが金持ちになるということであれば、誠にわびしいものではないだろうか。
 人生における物質的な側面は決して否定はできない。かのチャールズチャプリンも、映画の中で、人生の幸せには愛といくらかの金が必要である、と言っているがその通りだと思う。だが人生の目的が金持ちになるということに絞られて、そうすることが自分も他人も幸せになるなどという本がベストセラーになる世の中は健全とは言えないのではないだろうか。
 この本の著者はアメリカ人である。アメリカの金権思想を如実に表したようなもので、それがわが国でベストセラーになるとは情けないではないか。
 武士は食わねど高楊枝、という言葉がわが国にはある。これは貧しくて食うものを食えなくても誇り高く生きよという時の権力者に都合のよいものであり、戦時中盛んにはやった。説いていた教師が、戦後米よこせデモに参加していたのを見たことがあり、人間の思想など頼りないものであるということは重々承知しているが、この本は、あたかも金持ちになった人間を合理化しているというやはり今日の1部の人間が大きく潤う金権社会に都合のよい思想である。
 好景気だったアメリカのこの10年、アメリカ国民の所得や資産はどのように変化しただろうか。
 アメリカ人家庭の持つ資産の平均は持ち家を除いて約二千万円であるという。しかし中間値、つまり資産最上位と最下位のちょうど真ん中の家庭の資産はわずか約百四十万円であるという。前者はこの10年で22%増えたが、後者は10%減少したという。これはアメリカで最も金持ちの最上位家庭1%の資産の合計が最下位から95%の財産すべてを合わせたものをさらに上回っているからである。平均値が高く中間値が低いのはこのためである。
 所得の面でも同様である。最下位から20%の家庭の年間所得はこの10年間で約15,000円増えて約百五十万円にすぎないが上位20%は約二百三十万円増えて約千七百万円になっている。これらの数字はすべて家庭収入であるから、共働きであればその合計ということである。
 金持ちになるのは良いことである、あるいは適切な行動をしたから金持ちになったというようなまやかしの本が出版され、常にアメリカをお手本にしてきた日本でベストセラーになるということは、弱肉強食の金権社会を目指せと社会全体が考えているようなものではないだろうか。
 わが国の美徳である相互扶助の精神を失って、1部の金持ちだけが繁栄するような世の中にはなってほしくないものである。
 考えてみれば人間とは不思議なもので、食うや食わずの状態で、武士は食わねど高楊枝を説き、金権社会の弊害が出てくるようになると、金持ち万歳の本がもてはやされるのである。
 今犯罪防止のためにもろもろの教育改革やマスコミ規制が考えられているが、実はその社会にとって当たり前であり、だれもが喜ぶような思想こそ実は危ないのである。
 アメリカにおける資産や所得の格差はもはや正規分布の曲線で説明することはできない。人の能力や格差は正規分布しているから、これだけをとっても能力によってとか努力したから金持ちになったということはないということがはっきり言える。また能力を先天的なものと理解するならば、生まれながらにハンディキャップのある人たちに援助が欠かせないのと同じように、能力で富みを得たならば、能力の劣ったが故に貧しい人々に、慈善などというまやかしではなく、高額の所得税をもって応分の負担をするのは当然のことですある。所得税の累進緩和など社会にとって真の意味の利益はもたらさないのである。
 不平等な富の分配、所得の格差は社会の崩壊をもたらす。
 言いたいことが言える、法律さえ守れば自由に行動できる、という幸せを社会の崩壊は失わせてしまう。日本の資本主義は社会主義だといわれていた時代が最も繁栄し、アメリカの強制による弱肉強食の自由主義でこれを失ったのがバブルでありバブル以降のわが国の姿のである。
本当に危険なものは何か、もう1度よく考えて見よう。

以   上

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