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00年12月03日のテーマ フジモリ前大統領と日本人

 ペルーのフジモリ大統領が来日し、そのまま帰国せずその職を辞任した。本人の意向では日本に長期滞在するという。日本の国籍もあることであるし、亡命するわけではないというが、これは事実上の亡命である。
 作家、評論家、そして今では日本船舶振興会の理事長である曾野綾子が、自宅の離れが空いているので、そこを提供し滞在してもらうことになったという。彼女の書く小説や評論はあまり好きではないが、なかなかの快挙ではないかと思う。
 政府も、経済界も、マスコミもフジモリ氏に対しなぜか冷たいから、余計目立つ。
 そもそも10年前に彼が大統領に当選したとき、関係者やマスコミはこぞって拍手をし、二言目には日系人日系人と連呼していたではないか。経済界などはそのことを利用していたように筆者には思えた。
 彼はペルー人であり、ペルーの大統領であるから、あまり日系人と言われると何か一方に偏った感じがして、多少迷惑していたのではないかと思うくらいであった。
 それなのに政府は、筆者の知る限りでは、現在の彼の処遇に対し、日本の法律に従って対処します、という法務省の紋切り型の見解が出ただけである。外務省は、フジモリ大統領が辞任したからといって、ペルーに対する外交関係、経済援助その他何も変わることはない、というこの際至極当たり前のことを表明した。
 ペルーの日本大使公邸の人質事件で、彼の決断により日本人たちが救われたこともあったのだから、フジモリ大統領には一方ならぬお世話になったので、できる限りのお世話をしたい、ぐらいは言っても構わないのではないか。
 失脚同然という形で大統領を辞任すれば、手のひらを返したように冷たくなるのがわれわれ日本人なのだろうか。
 今後の外交関係を考えるとこう言わざるを得ない、などというのは実は本質から離れた目先のことなのである。要は人間の信義の問題であり、倫理の問題であり、これがあらゆることの基本となっていなければならないのである。
 しかし考えてみると、権力の末後は哀れである。もし彼が、ペルーの憲法を強引に改正してまでも大統領の座に居座るなどということをせずに引退していれば、今ごろは、ペルーの社会、政治、経済、を立て直した名大統領として、国際的に称賛される存在となり得ていたのではなかろうか。もっとも事情は複雑で、われわれの伺い知れぬことも多々あったと思われる。韓国でさえ大統領が代わるたびに、前大統領は刑事責任を追及されるぐらいであるから、発展途上国ではなおさらであろう。
 また権力というものは魔者で、一度手にするとそのとりこになり、手放せなくなってしまう。
 京セラの稲森和夫などは、あれほど経済界の老害を説き、60歳になったら完全に引退して出家すると宣言しておきながら、お笑い草のことに出家の儀式だけ行って、いまだに財界活動しているではないか。自分も権力を手放したくないという気持ちがあるところに、周囲の人すべてが反対するので、結局初志貫徹できないのが人間なのかもしれない。
 また権力は腐敗する。
 質素、勤勉、努力、という昔の日本人の美徳のすべてを備えていると言われたフジモリ氏も、海外に隠し口座があるなどとも報道されている。彼は、そんなものは絶対にない、と明言しているが、あるいは関係者が持っているのかもしれない。
 しかしそれはそうとして、彼が着のみ着のままで来日し、今着ているセーターも曾野綾子からの借り物だそうだから、世話になった関係者たちは、特に経済界は、フジモリ基金ぐらいはこしらえて援助したらいかがなものだろうか。
 これからのペルー政府に遠慮する必要はない。それともこれから利益をもたらさない人には援助をしたくないのだろうか。
 それにしても、曾野綾子の夫は作家の三浦朱門であり、夫であるからにはこのことに関係していないはずはないのだが、彼の声がまったく聞こえてこないのはどうしてだろうか。文部省の文化庁長官をしていたという経歴が、何か政府の関与をうかがわせてはいけないという遠慮なのだろうか、と勘ぐってしまうではないか。
 質素、勤勉、努力、という美徳を失ったわれわれ日本人は、利害関係者から悪く思われたくないという遠慮の美徳だけは残っているだろうか。  強者から弱者になったフジモリ前大統領を援助するキャンペーンを今こそ行うべきである。それとも権力者にはチヤホヤし、それを失った者には冷たくするのが現代の日本の新たなる美徳なのだろうか。

以    上

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