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法律は万人に等しく適用される。罪を犯せば法の定めるところに従って、処罰されるし、相手に損害を与えれば賠償しなければならない。
社員が会社の金を使い込めば、刑法に従って処罰されるし、その金額は返済しなければならない。全額弁償しますから告訴しないでください、という場合もあるが、会社をクビになることだけは間違いない。
今大和銀行の株主代表訴訟において役員らに対し八百億円の損害賠償と支払いを命じた裁判の判決について、その金額があまりにも高額であるため、この判決に対する否定的な見解が相次いでいる。乱訴の恐れがあるとの意見もある。
この事件の概要は次の通りである。(日本経済新聞10月23日付記事)
「大和銀行ニューヨーク支店の井口元行員が1,995年まで11年間にわたって米国債の不正な簿外取引などで約十一億ドルの損失を出した事件。大和銀行はこの損失を隠すためFRBに虚偽の報告をしたとの疑いを持たれ、「共同謀議」など24件の罪で起訴された。大和銀行は96年2月に16件の罪を認め、司法取引に応じて三億四千万ドルの罰金を支払った。
株主代表訴訟はこの事件に対する役員の責任を問うもの。第一審判決で大阪地裁は不正な簿外取引を長期間チェックできなかった役員の責任も認め、元ニューヨーク支店長の安井被告にはこの部分について五億ドル強の賠償を命じた。」
というものである。
この記事だけでは、賠償金額などよく分からないところがあるが、いずれにしても、三億四千万ドルの罰金に対する損害賠償を認めたことは間違いない。つまり、「共同謀議」など24件の罪のうち16件についてはその罪を認めて(司法取引をしたということは最後まで争えばもっと不利になるということである)罰金を支払ったのである。
罰金を支払ったのは大和銀行という法人であっても、この会社を所有するのは株主である。そしてこの会社の経営を委託されているのが当時の経営陣であり、罪を犯したのは彼らなのであるから、会社に損害を与えたのは彼ら経営陣であることは自明の理ではないか。だったらその損害を賠償しなければならないのも、これまた自明の理ではないかと筆者は思う。
この際判決の金額が大きいとか小さいとかは関係ない。とくに重要なのは、この罪を認めて罰金を支払ったということである。
しかるにその張本人たちの何人かが、いまだに経営陣に居座っている、しかも頭取と副頭取である。この会社の体質がまったく無責任であることに驚くと同時に、この人々をかわいそうだと言って弁護する評論があるのには、ただ呆れるばかりである。
この被告たちの中には「会社のために必死で働いてきたのに」といったものがいるそうだ。反省のかけらもない。会社のためという名目で自分のために働いていたということすら気がついていないのだろうか。
筆者の勤務していた会社で、売掛金を着服した営業マンがいた。彼はこの金を得意先の接待のために使った、だから会社のために行ったのだ、と弁明した。
これなどはお笑い草だが、大和銀行の役員たちは、会社の信用を守りたいなどという名目で実は自分たちの責任を逃れようとしたのであり、そのためにさらなる信用の失墜とばく大な金額の損害を会社に与えたのだから、このことに責任を感じなくては、世の中に責任などというものはなくなってしまうではないか。
営業マンが、会社のためと言いながら、自分の成績をあげたいばかりに行った行為(もちろん彼は首になり、退職金と財産を処分してこの金額を弁済した)と本質的にどこが違うというのだろうか。
金額が巨額だと言ってびっくりしてはいけない、これはものの本質と違うのであり、支払い能力なければ破産するまでのことではないか。それだけのことを彼らをやってきたのである。しかも法律違反をアメリカの裁判所には認めておきながら、日本においてはまるで自覚していないのは、世間をなめているとしかいいようがないし、このような連中に同情論が起こったり、はたまた法律の改正まで画策してるのだから、いつまでたっても日本はよくならないのである。
ちなみにアメリカでは2社に1社が株主代表訴訟の対象になり、しかもそれは明確に法律に違反したということではなく、例えば、会社を安い値段で売却した、というだけで経営陣は敗訴しているのである。このようなチェック機能が十分に働かなければ、経営陣が自分たちのために株主そっちのけで勝手な事をしたり、大株主である親会社が少数株主の意見など無視して、自分が任命した経営者を使って、子会社を搾取するような構図はなくならないであろう。
株主代表訴訟はまだアメリカと比べてその比率は数百分の一であり、この制度が乱訴をもたらすなどという心配はさらさらないのである。株主代表訴訟制度は、尊重すべきである。さすればわいろを使ったり、都合の悪いことを隠してその場逃れをしたり、そのときは良いけれども後で社会にも、会社にも、大きな損害をもたらすような経営者の身勝手な行為は少なくなるであろう。
以 上
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