2008年10月31日のテーマ

ある会合の席上でナベツネを批判しようとしたら「彼は哀れなボケ老人だから批判に値しないよ」と言われた。
そうかもしれない。
御年85歳の彼の言動はちょっと常識のある人からみれば、哀れなボケ老人にしか見えないだろう。
「俺たちのころは褌ひとつで泳いだものだ。水着など(記録に)関係ない」と言ってのけた水泳界のカリスマ御老人古橋広之進といい勝負だ。
あの大連立騒動の仕掛け人だが、時代が読めない、人間が読めない、空気が読めないの三拍子で見事失敗したのだから、自らを恥じて引退したかと思ったらいまだに権力の座に居座っている。
まあ流石に、彼のいうことに頭からはいはいと従う人はもういないだろうと思っていたがそうでもないようだ。
小泉が嫌い、竹中が嫌いで(だから良いという人も居るだろうが)彼らが壊そうとしまた実際に一部壊した政官財の癒着構造の改革を新聞を使って陰に陽に妨害していると筆者は思っている。
このことは日経新聞と読売新聞の記事を比較するとよく判る。
こういう権力亡者の人の周りは例外なく茶坊主だらけで、耳に快い情報しか流さないだろうから、判断を誤る。 その良い例がWBC(世界野球選手権)監督騒動である。
そもそもWBCの監督の選考方法がはっきりしない。
だが少なくともナベツネの専権事項でないことは確かだ。
彼は最早巨人軍のオーナーでもないのだから、選考にかかわる立場でないことも確かだ。
それなのに「コミッショナーは土下座してでも王監督にやってもらうべきだ」と言ったり「星野以外に適任者がいるか(いないだろうの意)」などと放言している。
単なる1ファンとしてなら何をいっても許される。
しかし問題は彼の一言を受けて、それを実現すべく周辺が動き出すことだ。
オリンピックで惨めな体たらくを晒して、散々たたかれた星野をまたぞろ担ぎ出そうなどは(もろもろの密約が有ったという有力な説もある)世論が許さないことなどトンとお構いなしだ。(或いは世論を知らないのだ)
ちなみに筆者はマスコミを含めて日本中が優勝を期待し星野ジャパンを支持していたオリンピックの開始前に、星野監督は資質上おおいに疑問があるので日本危うしとこのパスカルの論評(5月30日)で疑義を呈している。
WBCの選手は最強を目指すならアメリカ大リーグや日本プロ野球の選手たちから選ばざるを得ないが、その選考をする人は監督である。
その監督を選ぶ方法は広く野球界関係者、選手たち、ファンたちの意見を元に決めるのが妥当だ。
それなのにどういうわけかコミッショナーが選ぶことになっている。
コミッ  ショナーは昔からナベツネのいいなりと相場が決まっている。
だからはじめから結論はわかっている。
コミッショナーは役人上がりだから責任を回避し自らが決定したという形をとらない。
おざなりの委員会を作ってそのご意見を受け入れるという形にする。
メンバーに巨人の関係者はわざと入れない。
その筋書きは(想像だが)、一回目の会議で前回優勝の王監督は健康上の理由で辞退、現役の監督は日程上きついという流れを作る。(これは露骨な野村外し、ナベツネは野村が嫌い)
前回は現役監督の王が監督だったのだからおかしな話だがこの辺の線でマスコミの様子を伺う。
その上で第二回の会議でやっぱり星野しかいないと決める。
ところが出席していた野村から(星野を監督にするための)出来レースだとすっぱ抜かれてしまった。
各界からの反発。
イチローや松坂にもそっぽを向かれてしまった。
流石にこの段階で色気を見せていた星野も辞退せざるを得なくなってしまった。
世論の大勢は、日本シリーズの優勝監督。
そこで第二回の会議では、一転して世代交代を打ち出した。
そして西武が日本シリーズで巨人に勝つと監督は西武の渡辺が良いという議論が持ち上がるので、その前に実績があるという理屈をつけて巨人の原にきめてしまった。
しかも全会一致。
星野が駄目なら巨人の原、結局はナベツネの思惑どおりだ。
これは野球のことで、直接国益にかかわることではないが、このナベツネのような人が発行部数断然一位の新聞社を牛耳り、政界に手を突っ込み、政策にちょっかいを入れるのはいかがなものだろうか。
マスコミの批判は手ぬるい。
インターネットに溢れる手厳しいナベツネ批判をお付の人達は彼に読ませて欲しい。
ナベツネの支持率を調査したら共産党以下ではないだろうか。
それでも権力にしがみつくこの人にそぞろ哀れを感じざるを得ない。
  

以   上

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