このところお上の強権発動が相次いでいる。
昔ならそこまでやるまいという案件に、次から次に強権を発動している。
ホリエモン、村上ファンド、を手始めに生保、損保の不払い問題、消費者金融や大手金融機関の不適切取引、各種談合の摘発、介護のコムスン、英会話のNOVAなど、枚挙に暇がない。
もちろん良くないことをした連中は、当然罰せられてしかるべきなのだが、ちょっとやりすぎではないかと言ったら不謹慎だろうか。
ホリエモンは(宮内が検察の言いなりに嘘をついている)、村上は(検察にはめられた)と無罪を主張しているし、そういえば、橋本派会長代理の村岡も献金事件について強力に無罪を主張している。(彼は献金を受け取ったのではない、橋本が受け取った献金の処理についての罪に問われているのだ。彼は知らないといっている。そして受け取った人間は罪に問われていない不思議な事件だ)
生保、損保、大手金融機関はどこまで悪質であったか、会社ぐるみであったかが問われる問題だが、この辺は曖昧である。
被害者の「私はこんなひどい目にあいました」との声も聞こえてこないし、刑事事件にもなっていない。
それなのに営業停止などの処分が発動されている。
銀行が投資信託の販売に当たって説明が不適切だったというが、むかし詐欺まがいの営業で顧客の金をむしりとった証券各社のほうがよほど酷いと思うのだが、こちらは処分されなかったはずだ。
法が改正されているというが、それにしても、という気がする。
もちろん筆者は彼らの行為を容認せよなどといっているのではない。
だが彼らの行為はきわめて悪質と判断されて処分されているのだ。
そしてその判断は関係官庁がしているのであって、裁判官ではない。
裁判ではないから弁護人もいない。
役所の判断で一方的に処分しているのだ。
そこで思い当たることがある。
官から民への天下りが規制もあってこのところ激減している。
だから、間接的に天下りがないとこうなるぞ、といっているのではないかということだ。
筆者が経営者だとしたら、そういうメッセージだと受け取る。
コムスンにしても、NOVAにしても、同じような構造だろう。
こちらのほうは、未確認情報だが、このようなことでどうでしょうかと事前に了解を得ていたり(もちろん正式にではない)こうしたらどうだとのサジェスチョンがあったとの声も聞こえてくる。
その上で極めて悪質との判断を下したのだとしたら、どっちもどっちではないか。
いまに天下り規制の網をかいくぐり、人材活用の名目の下、官から民への天下りが盛んになるであろうことを予言しておく。
悪名高い企業間の株式持合いが復活してきているように、天下り役人の持ち合いでも始まるのではなかろうか。
筆者は個人責任を重視するものだが、それ以上に企業の消費者いじめを憎むものである。
今日の各種取締りの矛先が、やりすぎはともかく、天下りによって鈍ることのないように願いたい。
お上の強権発動といえば、最近元公安調査庁長官が社長である投資顧問会社が朝鮮総連本部の土地建物を取得したことについて検察の手が入った。家宅捜査というものはそれこそ根こそぎ書類などを持っていってしまうから、やられたほうはたまったものではない。
容疑は架空取引だという。
被害者のいない取引で家宅捜査はやりすぎであるのは明らかだ。
時あたかも安倍首相が「この取引に不快感を覚える」と発言するや間髪を入れずという感じである。
そもそも民間の取引に対し、時の首相が軽々しく批判したりするべきではないのに、それに迎合するかのような検察の行動にそれこそ不快感を覚える。
筆者は今までたびたび、北朝鮮の金正日とその体制を批判してきたし、その考えは強くなる一方だ。
だがそうだからといって、彼らの一挙手一投足すべてが批判の対称になるものではない。
ましてや彼らに盲従する一般大衆すべてが悪いわけではない。
日本には数多くの北朝鮮系の人が住んでいる。
北朝鮮の体制に盲従する人もいるし批判的な人もいる。
そして彼らのすべては一般の日本人と同じく基本的人権があり、同じようにこの日本で暮らす権利がある。(最近彼らに対するいじめがひどいようだが、これは美しい国日本に住む人のすることだろうか )
元長官は、自分は心から国を愛する人間だといっている。
今回の行為は国益にかなう、とも言っている。
いまの朝鮮総連は批判すべき点も多々あるが、国交のない北朝鮮の大使館、領事館の役割をしているのだから、これが機能しなくなると北朝鮮系の人々が非常に困る。
だから自分のところで引き受けたのだと言っている。
批判されるであろうことは承知の上だとも言っている
この言葉が額面どうりだとすれば(額面どうりと信ずる)時の権力、時の風潮に流されず、おこなうべきことをする人である。
今日このような判断力と気骨のある人物がまだ日本にいることをうれしく思うしだいである。
世の人は笑うかもしれないが、我が愛する日本は少しずつ全体主義の道を進んでいるような気がしてならない。
このような気骨のある人は大歓迎である。
以 上
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