昔、といってもたかだか六,七十年前だが、日本は大東亜共栄圏を旗印に中国に侵攻した。
時あたかも列強による植民地支配の時代、それまでに日本は朝鮮を併合し、満州、台湾、
もちろん当時は侵略戦争などとは言わない。
あくまでも、腐敗堕落した政権の圧政に苦しむ人民を開放、救済することが目的で、これが達成できればアジア民族はひとつになり、欧米の列強に対抗できる大東亜共栄圏が形作られ、人々は平和に暮らすことができるのだ、というわけである。
当時人々が好んで口ずさんでいた歌の一節に、「東洋平和のためならば、何の命が惜しかろう」というのがあった。
およそいかなる戦争も、正義のため、平和のため、人民のためを名目に行われる。
にもかかわらず、死んだり苦しんだりするのは、おだてられてその戦争のために駈りだされた兵隊や一般大衆なのだ。
この戦争はやがて対米戦争の引きがねとなり、日本はおよそ三百万人の戦争犠牲者を出し、国土は焼け野原となった。
大東亜共栄圏の思想はあくまでも日本がその盟主であり、神国日本の思想、価値観は絶対の正義だから、それに従えば幸せになるというもので、およそ他国民には受け入れがたい考え方なのに、当時日本人のほとんどは受け入れられて当然と思っていた。
朝鮮の人々はみな日本を賛美し、日本に併合されてよかったと考えていると思っていた。
占領した先々では、そこの住民がこぞって日の丸の小旗を振って出迎えてくれている、と思っていた。
その裏に隠されている苦しみや悲しみに目を向けようとはしなかった。
そうしたことをマスコミが一切報道しなかったこともそれに拍車をかけたのだ。
自分たちは優秀で、他のアジア人たちを救ってやって幸せにしてやっているのだという優越感が、蔑視、差別を生み出してしまったのである。
この大東亜共栄圏思想は今日でも残っている。
あの戦争は正しかったのだ。
虐殺、虐待などなく、韓国や中国の人は日本によって救われていたのだ、と主張する人は右翼の中に結構いる。
一方経済的大東亜共栄圏を夢見る人たちも結構いる。
ユーロ圏のように、アジアにも共同の経済圏を作ろうとする動きだ。
15年位前からその動きはあった。
ただ当時は圧倒的に日本の経済力が他のアジア諸国とくらべて高かった。
だから各国平等だといいながら、しばらくは日本が面倒を見てやらなければいけないだろうとか、共通の通貨は円にしようなどという日本中心の考えがその基調にあった。
こんな構想にアジア各国が警戒感を示したのは言うまでもない。
そうこうするうちに日本のバブルが弾け、大変苦しい時代がやってきた。
その間中国は驚異的な経済発展を遂げ、いまや日中間の貿易は日米間を上回るようになっている。
バブル崩壊後の日本経済を救ったのは、中国だったといってもよいくらいである。
アメリカと同じく、中国がくしゃみをすれば日本が風邪を引くような状態になってきているのだ。
最近筆者は中国各都市を見て回った。
もちろん表面的な訪問だからそれですべてがわかるわけではない。
だが筆者の見た中国の印象は、後進性と先進性の入り混じった国だということである。
40年前、30年前、20年前、10年前、そして現代の日本の光景が渾然となってある。
悲惨な農村地帯を見なければ中国はわからない、という人もいる。
いまや革命前夜だという人もいる。
そうかもしれない。
だがあらゆる矛盾を含みながら、それでも中国は発展し続けるだろう。
多少の政治的波乱はあるかもしれないが、豊かさを知り、誰もがチャンスがあることを知った国民はもう文化大革命の二の舞は起こさないと確信できる。
大東亜共栄圏を夢見る人は残念だろうが、おそらく50年後には日本と中国の政治的関係は、現在の英国とアメリカの関係になっているのではないだろうかと思う。
今世界はどんどん豊かになってきている。
新たなる資源大国が次々と誕生し、生産性もどんどん向上している。
資源国でない日本が今最も力を入れなければいけないのは、世界各国と交流を深め、互いに切磋琢磨して生産性を向上させ、規制改革を行い、あらゆるところにはびこる官と癒着した利権構造を打破して、経済発展、そう、経済発展を成し遂げることなのだ。
経済発展と公平な富の分配が行われれば、破綻寸前といわれる日本の福祉の問題、国債の問題も解決の道が開けてくるのだ。
まことに頼りない総理大臣の日本だが、少なくとも経済発展に関しては小泉竹中路線を踏襲しているかに見える。
これだけは続けなければならない。
そして偏狭なナショナリズムを煽ることだけは止めてほしい。
ナショナリズム的言動は国民の耳には心地よいが、それに左右されてはならない。
右翼は中国にだまされるなと叫び、左翼はアメリカにだまされるなと叫ぶ。
確かに個々の現象ではそれに似たこともあるだろうが、物事を大きく全体的に捉えるべきである。
日本には独特の会社ナショナリズムの世界もある。
先日NHKの討論番組を見ていたら、著名な評論家が、「外資による日本企業の買収はさせてはならない」と叫んでいた。同席していた弁護士が「でも日本の会社はたくさん外国の会社を買収していますが、それはよくてこちらは駄目というわけですか」問うと「だってアメリカは禿鷹かじゃありませんか、だから駄目なんです」と滅茶苦茶なことを言う。
すると同席していたこれまた著名な評論家がこれに輪を掛けて「日本の会社はよい会社だから(外国の会社を買収しても)よいのです、社員を大事にするし、得意先も大事にします。
社会的責任を果たしているのです」という。
ほんとかね、といいたい。
ここ10年終身雇用をうたいながら、散々リストラをやってきたではないか。
合併した会社の社員に対するいじめは日常茶飯事ではないか。
学歴社会、社歴社会の日本では会社を辞めざるを得なくなった時点で能力主義は影を潜め
再就職の場合でも圧倒的に不利になるではないか。
会社は変わっても能力をきちんと評価する外資系の会社のほうが遥かにフェアなのだ。
血縁、地縁、親分子分の義理人情にからめとられた日本の会社は生産性の面からいっても始末に終えない。
日本的会社ナショナリズムの世界なのだ。
再チャレンジなどサラリーマンの世界では一部の例外を除いてできないのだ。
この気風を除き、生産性を向上させるためにも外資の受け入れはさらに拡大する必要がある。
世界のどこの国でもよいから、進出してきているアメリカの企業と日本の企業との評判を聞いてみるとよい。
日本をよしとするほうが世間的にも社内的にも圧倒的に少ないはずだ。
外国でも日本の会社ナショナリズムを発揮しているから、大東亜共栄圏思想とあまり変わりないのだ。
ここ10年世界のグローバル化は急速に進み、日本は立ち遅れている。
戦前の日本のように、日本が一番優れているなどと驕り高ぶらず、戦後の初心に帰って、
懸命の努力が必要なのだ。
そうすれば将来よい意味でのユーロ圏のような大東亜共栄圏が出来上がるかもしれない。
そのとき中国がこれに参加するか否かは今後の日本の努力しだいだろう。
最後にひとつ注文がある。
憲法の「国際間の紛争を武力によって解決せず」という精神はたとえ憲法を改正するにせよ守ってほしい。
戦争は正義という錦の御旗を振りかざした真の巨悪である。
多かれ少なかれ、人の生命財産を奪い、精神を、人生における個々の人の積み上げた努力を、そして国の経済を破壊する。
たとえどんな理由があろうとも、大規模であろうが小規模であろうが、決して能動的に戦争を行ってはならない。
今は大多数となった戦争を知らない日本人に、ナショナリズムの高まる昨今の風潮を憂いつつ、心のそこから日本を愛し昔を知る年老いた日本人としての注文である。
以 上
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