04年8月15日のテーマ 強硬論がもてはやされる危険性

たけしのTVタックルという番組で次ぎのような問答があった。
かのハマコーこと元自民党代議士浜田幸一が、北朝鮮に対し強硬な発言を続ける民主党西村代議士に、そんな事をしたら戦争になってしまうぞそれでもいいのか、とたしなめたら、この西村代議士は、おお、一丁やってやろうじゃないか、と発言した。
野党とは言え、卑しくも国政にかかわる代議士がこんなことを言っても良いのだろうか。
日本は戦争を放棄した平和国家なのだ。
いかに相手が無法なことをやっているとしても、戦争を肯定するような発言は許される筈も無い。
憲法改訂の論議は別として、相手が戦争をしかけてきたら、専守防衛するというのが今の日本の憲法なのだ。
一丁やってやろうじゃないか、というのはその範囲を逸脱している。
盧溝橋事件は相手が戦争をしかけてきたかのように日本軍部がでっち上げたというのが定説だが、それと同じようなこをしてやろうとでも考えられるではないか。
この発言について流石に防衛庁の内部では問題視したようだが、日本のマスコミも政党も何の反応もしなかった。
まあ、相手にするほど大物で無い、ということもあったのだろうが、このような発言が平気でまかりとおる所に危うさを感じる。
代議士は人気商売。
その背景には彼の発言を是とする世論もかなりあるのだ。
一般論として、日本人は論理的というよりか情緒的、自分で考えるより大勢に従う傾向がある。
だから組織内にあって、強硬論が出ても同調する人が殆ど無ければ、まあそうきついことは言わずにここは丸く治めて、とさしたる議論もせずに終わりにしてしまう。
ところがいったん同調者が出て火がつくと強硬論は止まらなくなる。
特に国際問題になると、ナショナリズムがこれに加わり手がつけられなくなることが多い。
古くは明治維新直後の征韓論。
朝鮮政府は国交の回復を求める日本の親書の受け取りを拒否、日本人は禽獣同様だと罵り、日本の公館を退去させてしまった。
これがもともとあった征韓論に火をつけてしまい、なめられるな、国家の威信が損なわれた、朝鮮討つべしの世論に日本は覆われ、そんなことをすれば欧米諸国の介入を招くこと必至なのに、開戦1歩手前までいってしまった。
幸いこのときは、現実派大久保利通が死を覚悟してこれを食い止めたが、太平洋戦争のときはそれだけの器量のある人がいなかったので戦争に突入してしまい、何百万の人々が死に、国は廃墟と化した。
そのくせ敗戦となると、政、官、民、マスコミ、こぞって戦争に反対だったなどという輩がワンサとでたのである。
こうした連中は終戦後は観念的平和論を説き、今は国家の主権はどうなるなどと騒ぎ立てている。
そうして怖いのは、戦争の悲惨さを知っている人々が少なくなり、若い人達がゲーム感覚、劇画感覚で戦争を捕らえていることだ。
非現実的と批判されるだろうが、少し煽られれば、やがて何が起こるか判らないというのが現状と認識すべきだ。
およそ戦争の好きな人は、自らが兵隊になる心配の無い人達、戦争により何らかの利益が得られる人達、戦争をしないと不利益を蒙る人達、そしてこれが最も大切なところだが、社会的に恵まれない人達が無意識のうちにその欲求不満のはけ口として戦争を支持してしまうことだ。
これらは過去の歴史ヤ今のイラク戦争が示しているからその辺の所を良く注意する必要がある。
それにしても前述の西村代議士は先週もTV出演し、政府は弱腰だ、外務省はなめられている、を連発していたが、この発言に対しタレントの大竹まことが、あなたそんなに強いことを言うなら、自分で向こうに行って、直接文句を言ったらどうだ、と突っ込んだら、会場万雷の拍手だった。
この拍手の意味は、無責任な強がりを言うんじゃないと理解したが、ひょっとすると、そうだそうだ政府は頼りにならないから、あなたが行って談判してくれとの応援の拍手かもしれない。
もしそうなら怖いことだ。
  

以   上

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