03年9月12日のテーマ 正体見えたり石原都知事

はじめにお断りしておくが、筆者は自分のことを心底からの平和主義者だと思っている。
しかし昔流行した、いわゆる進歩的文化人たちのような観念的な平和主義者ではない。
彼らのように、ソ連や中国のいうことはすべて正しくアメリカの言うことは間違いという立場にたったこともない。
また、このパスカルの論評でも明らかなように、核武装論者でもある。
もし日本が戦争を仕掛けられたら逃げ出したりはしない。
12歳の少年の時、敵が本土に上陸してくれば、竹槍をもって1人殺して自分も死ぬと本気で思っていたくらいだから、老骨に鞭打って国のため孫子のためになんらかのお役に立ちたいと思っている。
だがしかし、戦中戦後に起こった自分自身やその周辺の悲惨な状態を思えば、そして戦争というのは、どんな理屈をつけようが、当事国が自分の立場を互いに貫こうとして、多くの人間が殺し合いをするということだから、何としてでも戦争は防ぎたいと思う。
そしてテロ行為は戦争より規模は小さいが、自分の主張を通すために人を殺りくするという点において、その本質は、戦争と変わりない。
以上のことを前提に、今回の石原都知事の発言について論評したい。
かねてから、彼の独善的、独裁的性格について批判してきたが、今回の彼の発言において、まさにそのことが証明されたと思う。
発言の内容は、11日付の日経新聞によれば、石原都知事は田中外務審議官宅に不審物が置かれた事件について「爆弾を仕掛けられた。当たり前の話だとわたしは思う。いるかいないかわからないミスターXと交渉しているなどと言って、向こうの言いなりになっている」と述べた。「なぜ北朝鮮に経済制裁すると言わないのか」と小泉首相の外交姿勢も批判した、とある。
これを受けて、福田官房長官が「一言でいえばよくない。適当でない。影響力のある方だから十分注意された方がよろしい。自ら心にブレーキをかけて発言されるべきだ。」
と批判をしたのに対しさらに開き直って、「爆弾を仕掛けるという行為が悪いというのは当たり前のことだ。だが今日までの外務省がやってきたことを考えれば、爆弾を仕掛けられても当然だ」と繰り返した。
これでは、悪いことではあるが爆弾を仕掛けろと扇動しているようなものではないか。
こんな屁理屈が通るのなら、同時多発テロ事件だって、これまでアメリカやってきたことを考えれば当たり前だと言うのと、本質的に論理構成的に同じことである。
世界からテロをなくそうとするならば、いかなる立場であってもテロ行為そのものが悪である、というコンセンサスがなければ成り立たないのであって、それを否定するようなことを日本の首都の長である立場の人間が発言するということは、非常識極まりない。
自分の政治的な考え方と違う者に爆弾を仕掛けるというのは、テロ行為そのものであって理屈抜きで徹底的に非難されなければならないのにだ。
もっともこれは非常識というよりは彼の本質である。
外務省や田中審議官がしてきたことは世間でいろいろと議論はあることは仕方がないが、だからといって自分の意見と反対の動きをしている相手に対し、爆弾を仕掛けられても当たり前というのは、きわめて乱暴な、自分本位の考え方であって、しかもそれをすべての人が是とすべきであるという前提に立って発言しているところに彼の夜郎自大な独善性が良く出ている。
当初は田中審議官個人を指した発言であったのが、流石にこれはまずいと思ったのか対象を少し漠然とさせ、外務省が今日までしてきたことといって相手を組織にすりかえているのがずるいが、これはこれで更に彼の馬脚と頭の悪さが現れてしまった。
評判の悪い外務省に矛先を向ければ、少しは風当たりが弱くなるとでも思ったのだろうが、外務省が今日までしてきたこと、というのは何を指しているのか,何時からのことかハッキリしないのだ。
そんな漠然としたことで爆弾を仕掛けられても当たり前なら、昨今評判の悪い他の官庁も全てしかけられて当たり前ということになってしまう。
また拉致事件のことを指すのならば、この事件は25年前に起こっているのだし、この間彼は自民党員であったし大臣にもなっていたのだから、仲間や同僚が外務大臣や政務次官だったのに何をしていたのだろうかという疑問が残る。
その頃から、決然たる覚悟を持って、外務省批判をしていたのだろうか。
そんな気配は感じられなかった。
だから彼の発言は田中審議官個人を指していることは確かである。
彼は北朝鮮の言いなりになっているというのだがそうだろうか。
日朝会談で拉致問題が明らかになったとき席を蹴って帰るべきだと主張した安倍官房副長官に反対したからだろうか。
それとも拉致被害者は帰国後いったん北朝鮮に戻るべきだと主張したからだろうか。
そもそも田中審議官は拉致被害者家族達の,せめて生きているか死んでいるかだけでも良いから知りたいという切なる希望を受けて必死に北朝鮮と交渉したのではなかったか。
その結果今まで全面否定していた北朝鮮に拉致を認めさせ、あの金正日に謝罪までさせたではないか。
それまでの外務省やもろもろの政治家たちのしたことと比べれば画期的な大成功といえるではないか。
会談の席上席を蹴って帰国してしまえば五人の帰国も叶わなかった筈だ。
今小泉首相は日朝平壌宣言にのっとって交渉を進めるといっているが、これとても出来ない筈だ。
筆者は部外者なのでこの間のいきさつを正確に知っているわけではないが当たらずと言えども遠から ずだと信じている。
功労者の彼に爆弾?冗談じゃないと言いたい。
こう言う石原のような意見が日本を危うくするのだ。
拉致被害者帰国から早一年、困っているのは北朝鮮,すぐ向こうから折れてくるなどと言っていた強硬派の政治家たちが外務省に圧力をかけるようになってから、何の外交的成果も得られていないではないか。
拉致問題に限っても、現実的な田中路線で粘り強く対応していれば、更なる進展があったろうに、現状はむしろ生きているかもしれない人達を危険に陥れているのではないだろうか。
国の主権の問題だから拉致問題に付いては1歩も譲れないと言う。
そうかもしれない。
だが太平洋戦争の前に、これと似た強硬な意見が日本を牛耳っていたのを思い出す。
現在の北朝鮮とそっくりだった。
日本もそうなりたいのだろうか。
筆者の意見は多くの外務省専門家の賛同を得られると思う。
この石原の暴論を機会に、この際外務省は強硬派政治家に諂うことなく、昔小村寿太郎が弱腰外交と罵られても信念を貫き,国を救い国に殉じた精神を見習って行動して欲しい。

以   上

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